ファウスト ゲーテ







  騎士の広間



燈の薄明。

帝と殿上人等と入り籠みあり。



  先触

化物どもの秘密の働が、狂言の先触をすると云う、
わたしの昔からの役目を、兎角妨げて困ります。
この入り組んだ運(はこび)を当前の道理で
説き明そうとするのは、なかなか難儀だ。
椅子や腰掛はもう出ている。
殿様を丁度壁を前にしてお据わらせ申した。
暫くの間は壁紙にかいてある昔の戦争の
絵でもゆっくり御覧になるが好い。
殿様もお側の方々も、皆さんぐるりと集(あつま)って
おいでになる。背後はベンチで一ぱいになる。
化物の出る、気味の悪い場でも、好いた同士は
それぞれに隣になるように都合して据わった。
さてこう一同程好く陣取って見ますれば、
支度は宜しい。化物はいつでも出られます。

(金笛。)



  天文博士

さあ、狂言を始めた始めた。殿様の
仰だ。壁になっている所はひとりでに開(あ)け。
何の邪魔もない。ここでは魔法がお手の物だ。
垂布は火事に燃えてまくれ上がるように消える。
石壁も割れて、ひっくり返る。
奥行の深い舞台が出来るらしい。どこからか
不思議な明(あかり)がさして来るようだ。
そこでわたしは舞台脇へ行っている。


  メフィストフェレス


(黒ん坊のゐる穴より現る。)

ここで己は御贔屓(ごひいき)にあずかる積(つもり)だ。
吹き込んで物を言わせるのが悪魔の談話術だ。

(天文博士に。)

あなたは星の歩く拍子が分かるのだから、
わたしの内証話も旨く分かるでしょう。


  天文博士

不思議な力で、ここにかなりがっしりとした、
古代の宮殿が目の前に見えて来る。
昔天を掲(かか)げていたアトラスの神のように、
柱が沢山列をなして、ここに立っている。
二本位で大きい屋根を持つことの出来る
柱だから、これならあの石の重みに堪えよう。


  建築家

これが古代式ですか。褒めようがありませんね。
野暮でうるさいとでも云うべきだ。どうも
荒っぽいのを高尚、不細工なのを偉大としている。
わたしどもはどこまでも上へ上へと昇る狭い柱が好(すき)だ。
剣形迫持(けんがたせりもち)の天井は思想を遠大にする。
わたしどもにはそう云う建物が一番難有(ありがた)い。


  天文博士

(い)い星の下で出来る楽(たのしみ)を難有くお受(うけ)なさい。
呪咀(じゅそ)の詞(ことば)で理性を縛して置いて、その代(かわり)
美しい、大胆な空想を
広く自在に働かせるのです。
思い切った、大きい望(のぞみ)が目で見られる。
不可能な所が信ずる価値のある所です。

(反対側の舞台脇よりファウスト登場。)



  天文博士

や。術士が司祭の服を著て、青葉の飾を戴いて出た。
大胆に遣り掛けた事を、これから遣るのですね。
うつろな穴から五徳が一しょに上がって来た。
もうあの鼎(かなえ)から烟の匂(におい)が漲(みなぎ)って来そうだ。
この難有い為事(しごと)の祝福の支度をしますね。
これから先(さき)は好運な事しかないでしょう。


  ファウスト(荘重に。)

無辺際に座を構えて、永遠に寂しく住んでいて、
しかも集(む)れいる母達よ。御身等の名を以て己は行う。
生きてはいずに、動いている性命の象(かた)が、
おん身等の頭(こうべ)を繞(めぐ)って漂っている。かつて一度((すじ)ひとたび)
光明(こうみょう)と仮現(けげん)との中に存在したものは、悉(ことごと)
ここに動いている。永遠を期しているからである。
万能の権威たる御身等は、それを日の天幕の下、
(よ)の穹窿(きゅうりゅう)の下に分けて遣られる。あるものは
(せい)の晴やかな道が受け取る。あるものは大胆な
術士が貰いに行く。そしてその術士は
人の望むがままに、赤心を人の腹中に置いて、
おおように、吝(おし)まずに不思議を見せるのである。


  天文博士

あの焼けている鍵が鼎に触れるや否や、
暗い霧がすぐに広間を罩(つつ)む。その霧は
這い込んで、舒(の)びたり、固まったり、入り乱れたり、
並び合ったりして、雲のように棚引く。さあ、
鬼を役する巧妙な術を御覧なさい。物の
動くに連れて、楽の声が聞える。浮動する
音響から、何とも言えぬ物が涌く。その音響は
延びて旋律になる。柱はもとより、その上の
三裂(さんれつ)の飾までが音を立てる。わたしは
宮殿全体が歌っているかと思います。霧は沈む。
その軽い羅(うすもの)のような中から、調子の好(い)い歩様(あるきざま)
美しい若者が出て来る。わたしは役目の上で
もう何も申しますまい。若者の名は斥(さ)して言うまでも
ないでしょう。誰もパリスを知らぬ人はないはずです。

(パリス登場。)



  貴夫人

まあ、あの男盛の力のかがやきを御覧なさいまし。


  第二の貴夫人

摘んだばかりの桃のようで、露も沢山ありましょう。


  第三の貴夫人

恰好の好い脣が旨そうに脹(ふくら)んでいますこと。


  第四の貴夫人

あなたあんな杯にお口をお附(つけ)なさりたくって。


  第五の貴夫人

上品だとは申されなくても、好い男ですわね。


  第六の貴夫人

も少し取廻(とりまわし)が功者だったら、猶(なお)(い)いでしょうね。


  騎士

なんだか身分は羊飼の若い者かと見えますな。
貴公子らしくはなく、行儀躾もなさそうです。


  他の騎士

さようさ。半裸では好く見えるが、
鎧を着せて見たら、どうか知らん。


  貴夫人

あれ。しなやかな、好(い)い様子をして据わりましたね。


  騎士

あの膝に抱かれたら好いだろうと云うのでしょう。


  他の貴夫人

あの肱を枕にした恰好の好うございますこと。


  侍従

不作法な。わたしは差し止めたいと思いますね。


  貴夫人

殿方は何につけても故障を仰ゃるのですわ。


  侍従

殿様の御前でじだらくな風をして。


  貴夫人

あれは芸ですわ。一人(ひとり)でいる積(つもり)ですわ。


  侍従

いや。その芸がここでは行儀好くなくては。


  貴夫人

あれ。好(い)い心持に寝てしまいましたのね。


  侍従

今に鼾でもかくでしょう。自然そっくりでしょうよ。


  若き貴夫人(感歎す。)

あの香の烟に交って来る薫はなんでしょう。
わたし胸の底までせいせいしますわ。


  やや年長けたる貴夫人

本当ね。胸に沁み込むようね。あの人の
匂ですわ。


  最も年長けたる貴夫人

  あれは体の盛になっている匂で、
それが醸されて不老不死の名香になって、
まわりへ一面に広がるのですよ。

(ヘレネ登場)



  メフィストフェレス

こいつだな。己なんぞは見たって平気だ。
別品には相違ないが、己には気に食わない。


  天文博士

わたしは正直に白状しますが、
これにはなんとも申しようがありませんな。
美人が出た。火焔の舌があっても駄目だ。
昔から女の美はいろいろに歌われている。
あれを見せられては、誰でも心が空(そら)になる。
あれを我物にした人は、余り為合(しあわせ)過ぎたのだ。


  ファウスト

己の目はまだあるだろうか。美の泉が豊かに
涌いて、心に深く沁むように見えると云おうか。
恐ろしい下界の旅に嬉しい限の土産があった。
世界がこれまでどんなにか無価値で、錠前が開(あ)かずに
いただろう。それがこん度司祭になってから
どうなったか。始て望ましいものになり、基礎が
出来、永存する。お前を棄てる気になったら、
己の生息の力が消えても好(い)い。昔己を
悦ばせた、美しい形、不思議な鏡像に
見えて幸福を感じさせた、美しい形は
今見る美の泡沫の影に過ぎない。
己があるだけの力の発動、感情の精髄、
傾倒、愛惜、崇拝、悩乱を捧げるのは、
お前だ。


  メフィストフェレス(棚の内より。)

しっかりなさい。役を忘れてはいけません。


  やや年長けたる貴夫人

(たけ)もあって、恰好も好いが頭が少し小さいようね。


  やや年若き貴夫人

足を御覧遊ばせ。下品に大きゅうございますこと。


  外交官

(うえ)つ方(かた)にあんな恰好のを拝したことがありますよ。
頭から足まで、わたしは美しいと思います。


  殿上人

寝ている男の傍へ横著げに優しく近寄りますね。


  貴夫人

あの上品な若者に比べては醜いじゃありませんか。


  詩人

若者は女子(おなご)の美しさに照されています。


  貴夫人

エンジミオンとルナですね。画のようですね。


  詩人

そうです。はあ。女神が身を屈めて、上(うえ)に伏さって、
男の息を飲もうとするらしく見えます。
羨ましい。や。接吻する。器(うつわ)は盈(み)ちた。


  女監

まあ、人の前も憚らずに。狂人(きょうじん)染みた真似を。


  ファウスト

若者奴に過分な恵(めぐみ)を。


  メフィストフェレス

しっ。静かに。

化物のするように、構わずに、させてお置(おき)なさい。


  殿上人

女子(おなご)は足元軽く退いて、男は目を醒ましますね。


  貴夫人

女が振り返ります。大方そうだろうと思いました。


  殿上人

男は驚いています。奇蹟に逢ったのですから。


  貴夫人

女のためには目前の事になんの不思議もないのですね。


  殿上人

様子の好い風をして男の所へ帰って行きます。


  貴夫人

分かりましたわ。女が男に教えるのでございます。
男はあんな時には馬鹿なものです。
大方自分が始ての相手だなぞと思うのでしょう。


  騎士

わたしの目利は違いません。気高く上品ですね。


  貴夫人

浮気女が。わたしはどうしても陋(いやし)いと思います。


  舎人

わたくしはあの男になりとうございます。


  殿上人

あんな網になら、誰も罹(かか)らずにはいられませんね。


  貴夫人

あれでいろんな人の手に渡った宝ですよ。
金箔も大ぶ剥げています。


  他の貴夫人

まあ、十(とお)ばかりの時からいたずらをした女ですね。


  騎士

人はその場合に獲られる最上の物を取るのです。
わたしなんぞはあの残物(のこりもの)でも貰うことにします。


  学者

わたしにもはっきり見えているが、正直を申せば、
本物(ほんもの)だか、どうだか疑わしいのです。
現在しているものは、人を誇張に誘い易い。
わたしは兎に角書いたものに縋(すが)る。読んで見ると、
こうあります。実際あの女は殊にトロヤの髯の
白い翁に気に入ったと云うのです。ところが
それが、わたしの考では、この場合に符合する。
わたしは若くはない。それに気に入りますな。


  天文博士

もう童ではない。大胆な男になって、女の
抵抗することも出来ないのを、掴まえます。
腕には力が加わって、女子を抱き上げる。
連れて逃げるのでしょうか。


  ファウスト

 向う見ずの白痴(たわけ)が。

敢てする気か。聴かぬか。待て。余り甚だしい。


  メフィストフェレス

あなたが自分でしているのではありませんか。化物の狂言を。


  天文博士

ただ二言附け加えます。これまで見た所では、
この狂言をヘレネの掠奪と名づけたいのです。


  ファウスト

なに。掠奪だと。己がここに手を束ねていると
云うのか。この鍵はまだ手にあるではないか。
寂寞の中の恐怖と波瀾とを経過して、
これが己を堅固な岸に連れて来たのだ。
己はここに立脚する。ここには実物ばかりある。
ここからなら、霊(れい)が鬼物(きぶつ)と闘うことが出来るのだ。
ここからなら、幽明合一の境界が立てられるのだ。
遠かった、あの女を、これより近づけようはない。
今己が救って遣れば、二重に我物になるわけだ。
遣ろう。母達、々々。御身等も許してくれ。
あれを識ったからは、あれと別れることは出来ぬ。


  天文博士

あなた何をします。ファウストさん。力ずくで
女子を攫(つか)まえる。もう女の姿が濁って来た。
鍵を男の方へ向ける。鍵が男に
障る。や。大変だ。やや。

(爆発。ファウスト地に倒る。男女の鬼物霧になりて滅(き)ゆ。)



  メフィストフェレス


(ファウストを肩に掛く。)

お前方の自業自得だ。馬鹿者共を背負(しょ)い込むと、
悪魔でも損をせずにはいられない。

(闇黒。雑踏(ざっとう)。)





第二幕




高き円天井ある、ゴチック式の狭き室。か
つてファウストの住みし所。総て旧に依る。





  メフィストフェレス


(帷(とばり)の背後より立ち出づ。メフィストフェレスが手に帷を搴(かか)げて顧みるとき、古風なる臥床に横はれるファウストの姿、見物に見ゆ。)

そこに寝ておれ、結んでは解けにくい
恋の絆(きずな)に誘われた不運者奴。
ヘレネに現(うつつ)を抜かしたものは、
容易に正気には帰らぬのだ。

(四辺を見廻す。)

上を見ても、右左を見廻しても、
なんにも変ってはいない。そっくりしてある。
ただあの窓の色硝子が前より曇っているようだ。
それから蜘蛛(くも)のいが殖えたようだ。
インクは固まって、紙は黄ばんでいる。
何もかも元の場所に置いてある。
先生が己に身を委ねる契約を書いた、
あの筆までがまだここにある。
そればかりではない。己がおびき出して取った
血の一滴が、鵞ペンの軸の奥深く詰まっている。
またと類のないこの珍品を
大骨董家に獲させたいものだ。
そこにはあの古い裘(けごろも)までが古い鉤に懸けてある。
あれを見るとあの時のいたずらを思い出す。
子供の時に己の教えた事を、青年になって
今でも吝(おし)みながら使い耗(へ)らしているかも知れぬ。
もじゃもじゃ温(ぬく)いこの外套を、今一度身に著けて、
世間では当然の事に思っている
大学教授の高慢がる真似事を、
なんだかして見たいような気にもなる。
ああしたえらがる心持に学者はなれようが、
悪魔はとうから厭気(いやけ)がさしているて。

(取り卸したる裘を振へば、蟋蟀(こおろぎ)、イタリアこほろぎ、甲翅虫など飛び立つ。)



  合唱する昆虫等

好くぞ来ませる。好くぞ来ませる。
古き恩人、おん身よ。
飛びつゝ、鳴きつゝ、
われ等早くおん身を知れり。
一つ一つひそやかに
おん身われ等を造りましぬ。
父よ。百千(ももち)の群(むれ)なして、
われ等舞ひつゝ来ぬ。
胸に住む小賢きものは
飽くまで隠(かく)ろひをらんとす。
それには似ずて、蝨(しらみ)等は
たはやすくぞ蛻(もぬ)け出づる。


  メフィストフェレス

この若い、造られた物を見るのが、意外に嬉しい。
ただ種をさえ蒔(ま)いて置けば、いつか取入(とりいれ)が出来る。
もう一遍この古い毛衣を振って見よう。
そこ、ここからまた一つ二つ飛んで出る。
可哀い奴等。飛び上がり、這い廻り、
千百箇所の隅々へ、隠れに急いで行きおる。
古い箱の置いてあるあそこへも、
茶いろになった古文書や、
古壺の五味の溜まった欠(かけ)らのこの中へも、
あの髑髏のうつろな目の穴へも。
こんながらくたや、腐物(くされもの)の中には、
永久に虫がいなくてはならぬのだ。

(裘を著る。)

さあ、来て己の肩をもう一遍包んでくれ。
きょうは己がまた先生だ。
さてこう名告(なの)った所で、詰まらないな。
己を認めてくれる人間どもはどこにいるのだ。

(メフィストフェレス鈴索を引く。鈴は耳に徹する、叫ぶ如き音を発し、その響に堂震ひ、扉開く。)



  門生


(蹣跚(まんさん)として、暗き長廊下を歩み近づく。)

なんと云う音だ。それに響くこと。
梯子段がぐらついて、壁がぶるぶるする。その上
あの色硝子の震えている窓から、稲妻の
ぴかぴかするのが見えている。塗天井に
亀裂(ひび)が入って、ほぐれた石灰や土が
上の方から降って来る。戸なんぞは
堅く錠を卸して置いたのに、不思議な力で
錠が開いてしまった。や。あれはどうだ。
気味の悪い。ファウスト先生の古毛皮を著て
巨人(おおひと)のような男が立っている。あの目で
視られたり、あの手で招かれたりしたら、
こっちはそこへへたばってしまいそうだ。
逃げようか。こうしていようか。
ああ。己はどうなる事だろう。


  メフィストフェレス(招く。)

こっちへおいで。君の名はニコデムスだね。


  門生

さようでございます。ああ。祈祷でもしようか。


  メフィストフェレス

そんな事は廃(よ)し給え。


  門生

好くわたくしの名を御存じで。



  メフィストフェレス

知っているとも。年を取っても、学生を
していなさる。老書生だな。学生もやっぱり
(すき)でそう云う風に修行し続けるのだ。そして
天分相応な、吹けば飛ぶような家を建てる。
大学者だって、家が落成するとまでは行かぬ。
所で君の先生だが、あれは修養のある人だ。
目下学術界の第一流に推されている
ワグネル先生を識らないものは世にあるまい。
毎日のように創見を出して開拓して行く先生が、
実際今の学術界を維持していられるのだ。
先生一人の周囲に、苟(いやしく)も学に志ある
聴衆は麕集(くんしゅう)して来る。講壇の上から
光明を放っているのは、先生一人だ。
先生が聖ペトルスのように鍵を預かっていて、
(した)もお開(あ)けになる、上(うえ)もお開けになる。
先生が群を抜いて光り耀(かがや)いておられるので、
誰の名声も栄誉も共に争うことが出来ない。
ファウスト先生の名さえ、もう陰(かげ)になっている。
ワグネル先生は独創の発明家だから。


  門生

いえ。ちょっと御免下さい。お詞(ことば)を反(かえ)すようですが、
ちょっと申し上げとうございます。こちらの
先生は万事そう云う風ではございません。
謙遜があの方のお生附(うまれつき)です。ファウスト大先生が
不思議に跡をお隠しなすったのが、
諦められぬと仰ゃっておられます。
大先生さえお帰(かえり)になったら、慰藉(なぐさみ)も幸福も
得られようと申されます。大先生がお立退(たちのき)
なってから、当時のままにしてあるお部屋が
お帰(かえり)を待っています。わたくしなぞは
あのお部屋へ這入るのもこおうございます。一体
もう何時頃でございましょう。なんだか家の
壁までが物をこわがっているようです。さっきは
戸の枢(くるる)が震えて、錠前が開(あ)きました。そうでないと、
あなたもお這入が出来なかったでしょう。


  メフィストフェレス

先生はどこにいなさるのだ。己を連れて
行くとも、先生を連れて来るともし給え。


  門生

実は非常に厳しいお誡(いましめ)があるのです。そんな事を
いたして宜しいか、どうか、分かりません。お企(くわだて)
なった大事業のために、もう幾箇月も、非常に
静寂(せいじゃく)を守ってお暮らしになっています。学者中で
一番お優しい、あの方(かた)がお鼻の辺からお耳の
辺まで煤けておいでになって、火をお吹(ふき)になるので、
お目は赤くなりまして、まるで炭焼(すみやき)のように
お見えなさいます。そして絶間なしに喘いで
おいでなさる、そのお声に、火箸のちゃらちゃら云う
物音が伴奏をいたしているのでございます。


  メフィストフェレス

しかしまさか己を這入らせんとは云われまい。
己はその成功を早めて上げる人間だ。

(門生退場。メフィストフェレス重々しげに坐す。)

己がここに陣取るや否や、あそこの
奥の所に、お馴染のお客様が見える。
こん度は最新派の奴と来ているから、
際限もなく増長していることだろう。


  得業士(廊下を駆け来る。)

(かど)の戸も部屋の戸も開(あ)いているな。
この按排(あんばい)なら今までのように、
生きた人間が死人同様に
黴の中にいじけて、腐って、
(せい)その物のために死ぬるような、
愚な事はしていぬだろう。

この家は外壁も内壁も
傾いて、崩れそうになっている。
己達も早く逃げないと、
圧し潰されてしまうだろう。
己は誰よりも大胆だが、誰がなんと
云っても、これより奥へは這入らない。

所で、きょうは妙な目に逢うぞ。
ここが、何年か前に、己がおめでたい、
なり立ての学生で、動悸をさせて
びくびくしながら遣って来て、
あの髯親爺共を信用して、
寐言を難有(ありがた)がった所だな。

親爺共は自分達の知った事、知っていて
信じていない事を、古臭い
破本(やぶれぼん)の中から言って聞かせて、騙しおって、
自分達の性命をも己の性命をも奪いおった。
おや。あの奥の龕(がん)のような所の
薄明(うすあかり)に、まだ一人据わっているな。

近寄って見ると、驚いたわけだ、
まだあの茶いろの毛皮を著ている。
実際あの別れた時のままで、
お粗末な皮にくるまっている。
あの時は己に分からなかったので、
あいつが巧者そうに見えた。
きょうはその手は食わないぞ。
どれ。一つ打(ぶ)っ附かって遣ろう。

いや。老先生。レエテの川の、人に物忘(ものわすれ)をさせる
濁水が、その俯向けておられる禿頭(はげあたま)を底から
(ひた)していないなら、ここへ昔の学生が、学校の鞭の
下を疾(と)っくに抜けて来たのを、歓迎して下さい。
あなたはいつかお目に掛った時のままでおられる。
わたしは別な人間になって来ました。


  メフィストフェレス

ふん。わしの鳴らしたベルで君の来られたのは
喜ばしい。あの時も君を軽視してはいなかった。
追って綺麗な蝶になると云うことは、
毛虫や蛹(さなぎ)の時から分かる。若々しい
(ちぢ)れた髪をして、レエスの著いた襟を掛けて、
君は子供らしい愉快を覚えていた。
辮髪(べんぱつ)には、君、一度もならなかったのかい。
きょうは君のスウェエデン風の斬髪を拝見するね。
快活で、敏捷らしい御様子だ。絶待的無過失の
思想家なぞになって、故郷へ帰らないようになさい。


  得業士

老先生。また元の所でお目に掛かりますが、どうぞ
革新せられた時代の推移をお考(かんがえ)なさって、
一語両意の下手な講釈は御遠慮下さい。
わたしどもは物の聴取方(ききとりかた)が変っていますからね。
あなたは馬鹿正直な子供をお揶揄(からかい)になった。
それがなんの手段も煩わさずにお出来になった。
今はもうそんな事を敢てするものはありません。


  メフィストフェレス

ふん。若いものに本当の事を説いて聞かせると、
(くちばし)の黄いろい時の耳には兎角逆うのだ。
所が跡で何年も立ってから、自分の体が
あらあらしく物に打(ぶ)っ附かって、それが分かると、
自分の脳天から出た智慧のように思うのだ。
そこで「あの先生は馬鹿だった」などと云うのだて。


  得業士

いや。「横著者だった」となら云うかも知れませんね。
覿面(てきめん)に本当の事を言う先生はないのですから。
どれも皆、おめでたい子供を相手に、匙加減をして
真面目くさったり、機嫌を取ったりするのです。


  メフィストフェレス

無論人間は学ばなくてはならぬ時がある。
こう見た所、君はもう人に教えても好い積(つもり)らしい。
大ぶ月日が立つうちに、君もたっぷり
経験を積んで来ただろうね。


  得業士

経験ですか。泡のような、烟のような物です。
人の霊(れい)と比物(くらべもの)にはなりませんね。あなただって
正直に白状なさったら、今まで人の知っていた事に
知っていて役に立つことはないでしょう。


  メフィストフェレス(間を置きて。)

もう疾(と)うからそう思っていたが、わしは馬鹿だ。
今思えばいよいよ遅鈍で、興味索然としている。


  得業士

そう承れば嬉いです。兎に角自知の明がある。
今まで逢った老人の中で話せるのはあなた一人だ。


  メフィストフェレス

わしは埋もれている黄金(こがね)の穴を捜して、
気味の悪い炭を得て帰ったのだ。


  得業士

失敬ですが、あなたのその頭脳、その禿頭(はげあたま)には、
そこにある髑髏以上の価値はないでしょう。


  メフィストフェレス(恬然(てんぜん)として。)
君はどの位乱暴だか、自分でも分かるまいね。


  得業士

ドイツでは世事を言う人は嘘衝(うそつき)としてあります。


  メフィストフェレス


(脚に車の附きたる椅子を、次第に舞台脇へずらせ来て、平土間に向ふ。)

ここの上では空気も光線もなくされそうですが、
あなた方の所へ降りさせて下さらんでしょうか。


  得業士

一体もう自分がなんでもなくなって、時候遅(おくれ)
まだ何かである積(つもり)でいるのは、僭上の沙汰です。
人間の性命は血にある。青年の体のように
血の好く循(めぐ)っているものが外にありますか。
既に有る性命から、新しい性命を造るのは、
新鮮な力を持っている、この生きた血です。
そこで万事活動している。何事をか為している。
弱者が倒れて、優者が進む。そして我々が
世界を半分占領する間、あなた方は何をして
いました。舟を漕いでいた。物を案じていた。夢を
見ていた。あの案、この案と、工夫ばかり凝らしていた。
(たし)かに老(おい)は冷たい熱病です。気まぐれに
悩まされての戦慄(わななき)をしているのです。
人間は三十を越してしまえば、もう
死んだも同じ事ですね。あなたのような
老人は早く敲(たた)き殺すが一番です。


  メフィストフェレス

こうなると、悪魔も一語を賛することが出来ない。


  得業士

わたしが有らせようとしなければ、悪魔も無い。


  メフィストフェレス(傍に向きて。)

今にその悪魔に小股をすくわれるくせに。


  得業士

これが青年最高の責務だ。
己が造るまでは、世界も無かったのだ。
日は己が海から引き出して来た。
月の盈虧(えいき)は己が始めた。
己の行く道を季節が粧って、
大地は己を迎えて緑に萌え、花を開(ひら)く。
ある夜己が揮(さしまね)いたので、あらゆる星が
一時に耀きはじめた。一体あなた方に、
世俗の狭隘な思想の一切の束縛を
脱せさせて上げたのも、わたしでなくて誰です。
所でわたしは、心の中で霊が告げる通(とおり)に、
自由に、楽んで、内なる光明を趁(お)って、
光明を前に、暗黒を後(うしろ)に、
希有の歓喜を以て、さっさと進むのだ。(退場。)


  メフィストフェレス

変物奴(かわりものめ)。息張(いば)って行って見るが好(い)い。
賢い事も、愚な事も、昔誰かがもう考えた
事しか考えられぬと云うことが
分かったら、さぞ悔やしがるだろう。しかし
あんな奴がいたって、世間は迷惑しない。
少し年が立つと、別な気になる。
もとでいるうち、どんな泡が立っても、
しまいには兎に角酒になる。

(平土間にて喝采せざる少壮者に。)

あなた方は大ぶ冷澹に聞いていますね。
(い)い子のあなた方の事だから、構いません。
まあ、考えて御覧なさい。悪魔は年寄だ。
年が寄ったら、わたしの言うことが分かるでしょう。




中古風の試験室、奇怪なる用途を
有する、繁雑にして痴重なる器械





  ワグネル(竈(かまど)の傍にて。)

恐ろしいベルの響が
この煤けた壁を震わせる。
熱心に期待している事の成不成が、
もうこれより長く決せられずにはいまい。
もう暗く濁っている所が澄んで来る。
もう一番心(しん)になっている瓶(びん)の中に、
燃え立つ炭火のように、いや、赫(かがや)
紅宝石のように照っている物が出来て、
電光のように闇を射はじめる。
明るい、白い光が現れる。
こん度こそ取り留めんではならん。
や。なんだ。戸をがたがた云わせるのは。


  メフィストフェレス(入る。)

推参ですが、お為(ため)になる客です。


  ワグネル(懸念らしく。)

おいでなさい。好い星の下(もと)に来られました。

(小声にて。)

しかし物を言わないで下さい。それにしっかり
息を殺していて下さい。大事業が今成就します。


  メフィストフェレス


(一層小声にて。)

なんですか。


  ワグネル


(一層小声にて。)



人間を拵えるのです。



  メフィストフェレス

人間ですと。そしてそのけむたい穴に、どんな、
色気のある男(おとこ)(おんな)を閉じ籠めたのですか。


  ワグネル

大違(おおちがい)です。今まで流行(はや)っていた、人間の拵方は、
わたし共は下らぬ戯だと云ってしまうのです。
今まで性命を生んだ、優しい契合点ですね、
あの、親の体の内から迫り出て、遣取(やりとり)をして、
我と我が影像を写すようになって、先ず近いものを、
次に遠いものを取り込むことになっていた、
恵ある力ですね、あれはもう貶黜(へんちゅつ)せられるのです。
よしや今後(こんご)も動物はあんな事を楽むとしても、
大いなる天分を享けた人間だけは将来これまでより
(はるか)に高い出所(でどころ)を有せなくてはならんのです。

(竈に向ふ。)

光っている。御覧なさい。こうなればただ数百の物質を
調合して、調合の為方(しかた)が大事ですよ、楽々(らくらく)
人間と云うものの原質を組み立てるですね。
それを硝子瓶(びん)に入れて封じる、それを十分に
蒸餾(じょうりゅう)するですね。そして例の為事(しごと)を、こっそりと
我手で成就すると云うことになるのです。それが
今そろそろ出来掛かっているのです。

(また竈に向ふ。)

出来ますね。調合した物が動いて澄んで来る。
確信の基礎が刹那々々に堅くなって来る。
古来造化の秘密だと称えた事を、
我々は敢て悟性で遣って見ようとする。
自然が機関的に構成していた事を、
我々は結晶させて造るのです。


  メフィストフェレス

人間は長く生きていると、種々の経験をするもので、
その目で見ると、この世界には新しい事は一つもない。
わたしなんぞは所々を流浪しているうちに
結晶して出来た人間の群も見ましたよ。


  ワグネル


(これまで始終瓶に注目してゐる。)

はあ。昇って行く。光る。凝り固まって来る。
もうすぐに成功する。大きい企は最初
馬鹿げて見えるものだ。しかし未来ではこんな事を
偶然に委ねていたのを笑って遣ろう。
旨く物を考えることの出来る脳髄をも、
未来では思索家が造り得るはずだ。

(感歎して瓶を見る。)

優しい力が瓶に音を立てさせる。濁っては
また澄んで来る。もう出来るのだ。小さい、
可哀らしい人間が、優しい姿をして
動いている。此上我々も何を望もう。
此上世界にもなんの望があろう。秘密は
白日の下に曝露せられてしまった。
あの声に耳を傾けて御覧なさい。
あれが人の声になります。言語になります。


  小人


(瓶の中にてワグネルに。)

さて、お父っさん。いかがです。笑談では
ありませんでしたね。さあ、いらっしゃい。優しく
わたくしを胸に抱いて下さい。しかし硝子の
破れるようにひどくしてはいけません。物事は
こうしたものです。「自然の物には宇宙も狭い。
人工の物には為切(しき)った空間がいる。」

(メフィストフェレスに。)

所で、横著者のおじさん、あなたもここにいますね。
丁度好(い)い時にいらっしゃって難有(ありがと)う。あなたを
ここへ来させたのは、好い廻合(まわりあわせ)です。わたしも
こうして出来て見れば、働かなくてはなりません。
為事(しごと)に掛かられる様に、すぐに身支度をしましょう。
あなたはお巧者です。無駄をさせないで下さい。


  ワグネル

一寸一言言わせてくれ。これまで老人も若いものも、
己に種々な事を問うて困らせおった。
例えばこうだ。「一体霊と肉とは旨く適合していて、
決して分離しないように、食っ附いているのに、
その二つが断えず人間の生活を難渋にしている。それを
これまで誰一人会得したものがない。
それから。」


  メフィストフェレス

お待(まち)なさい。それを問う程なら、

「一体男と女とはなぜ中が悪いか」とでも問いたい。
お前さんなんぞには所詮これは分からない。
ここに為事(しごと)がある。それをこの小さいのが遣ります。


  小人

何をするのですか。


  メフィストフェレス


(側の戸を指さす。)



ここでお前の腕を見せてくれ。



  ワグネル


(旧に依りて瓶を凝視す。)

実にお前は可哀らしい子だなあ。

(側の戸開(あ)く。ファウストの床の上に臥したるが、見物に見ゆ。)



  小人(驚く。)

大した物だ。

(瓶ワグネルの手を脱して、ファウストの上の空中に懸かり、ファウストを照す。)



美しい所だ。茂った森に清い水が

流れている。女子達が著物を脱いでいる。
可哀らしい。はあ、段々面白くなって来る。
中に一人立派に別物になって見えるのがある。
第一流の英雄の種か。それとも神々の種か。
今透き通る水の中へ足を漬ける。
気高い体の、恵ある生(せい)の火が、物に触れて
形を変える、波の結晶の中で冷される。
しかしなんと云う、急な羽搏(はばたき)の音だろう、ざわざわ
ぴちゃぴちゃと鏡のような水面が掻き乱される。
女子達はこわがって逃げる。それに女王だけは
平気な様子で、鵠(くぐい)の王があつかましく、
馴々しく、自分の膝に摩り寄るのを、
(おご)った、女らしい楽しさで、見ていられる。
鵠の王は馴れるようだ。や。突然
(もや)が立ち籠めて来て、あらゆる
看物(みもの)の中の一番可哀らしい看物を、
細かに編んだ羅(うすもの)の奥に隠してしまった。


  メフィストフェレス

好くそんなに沢山饒舌(しゃべ)る事があるなあ。
お前は小さいが、空想家としては大きいぞ。己には
なんにも見えん。


  小人

そうでしょう。あなたのように

北の国に生れて、蒙昧時代に、騎士や坊主の
ごたごたの中に人となっては、目が善く
(あ)いていないでしょう。あなたの領分は
暗黒の境です。

(四辺を見廻す。)

茶いろになった石壁(いしかべ)が剣形迫持(せりもち)の形をして、
曲りくねって、低く、朽ちて、厭(いや)らしくなっている。
ここでこの人が目を醒ますと、厄介な事になります。
即坐に死んでしまいますから。
森の中の泉、鵠、裸体の美人、こんな物を
未来を予想して夢に見ていました。
それがどうしてこの境界に馴れられましょう。
一番のん気なわたくしですが、見ていられません。
どこかへ連れて行きましょうね。


  メフィストフェレス

その始末には賛成だ。



  小人

軍人(いくさにん)を軍(いくさ)に遣るなら、あなた
娘は踊にお遣(やり)なさい。そうなされば
万事かたが附きます。ちょっと
わたくしが考えて見たのですが、今は丁度
古代のワルプルギスの晩に当ります。
一番都合の好いのは、この人を性(しょう)に合った
境界へ連れて行って上げる事ですね。


  メフィストフェレス

そんな催(もよおし)の事はこれまで聞いたことがない。


  小人

それはあなたの耳には這入るはずがありません。
あなたのお馴染はロオマンチックの化物だけです。
化物でも本当のはクラッシックですよ。


  メフィストフェレス

それにしてもどこへ向いて出掛けるのだ。
聞いただけで大時代(おおじだい)の先生方の胸悪さを感じるて。


  小人

あなたの遊山の領分は西北方です。
所がこん度は東南方へ飛んで行きます。
広い平原をペネイオスの川が楽に流れて、木立や
藪に囲まれて、静かな、空気の湿った入江をなしている。
平原は山の谷合まで延びていて、
上には新古二つのファルサロスがある。


  メフィストフェレス

厭だな。御免を蒙りたい。暴君と奴隷との、
あの争は見たくもない。やっと済んだかと
思うと、また新規に前から始めるのだから、
己は退屈してしまう。そして実は背後(うしろ)
アスモジがいて、揶揄(からか)っているのだとは、
誰も気が附かない。自由の権利のために
闘っているのだと云うが、好く見れば、
奴隷が奴隷と勝負をしているのだ。


  小人

人間の喧嘩好(ずき)な事だけは、認めて遣らなくては
いけません。子供の時から一人々々、力限(ちからかぎり)
防禦をしていて、それでとうとう人となるのです。
ここでの問題はこの人をどうして直そうかと
云うのです。あなた方(ほう)があるなら、お験(ためし)なさい。
出来ないなら、わたくしにお任(まかせ)なさい。


  メフィストフェレス

それはブロッケンの趣向に、随分験(ため)して好(い)いのも
あるが、この際異端の方角には錠が卸してあるらしい。
一体グレシア人は慥(しか)と役に立ったことのない民族だ。
それでも皆を放縦な官能の発動で迷わせて、
人間の胸を晴やかな罪悪に誘うことは出来る。
己達の罪悪はどうせ陰気に思われるだろう。
そこでどうする。


  小人

あなたも不断は野暮ではない。

わたくしがテッサリアの魔女と云ったら、幾らか
なるほどとお思当(おもいあたり)なさらないことはありますまい。


  メフィストフェレス


(欲望あるらしく。)

テッサリアの魔女だと。好し。己が永年(ながねん)聞いていて
見たく思った女共だ。そいつ等と
毎晩一しょにいるとなると、己の考では、
好い心持ではなさそうだ。だが験(ためし)
お見まい申すだけなら好(い)い。


  小人

 その外套を下さい。

この騎士さんに被(かぶ)せて遣りましょう。
これまで通(どおり)にその切(きれ)が、あなた方を
二人共一しょに載せて飛ぶでしょう。わたくしが
(あかり)を見せます。


  ワグネル(気遣はしげに。)



そして己は。



  小人

さればですね。

あなたは内で大切な事をなさっていらっしゃい。
古い巻物を開(あ)けて見て、方(ほう)に拠(よ)って
生活の元素を集めて、あれと此とを綿密に
抱合させて御覧なさい。「何を」と云うことも
大切ですが、「奈(いか)に」と云うことが一層大切です。
わたくしはその間に世界の一部をさまよって、
画竜の睛(ひとみ)の一点を見出しましょう。そうすれば、
大目的が達せられたと云うものです。こう云う
努力には相応の酬(むくい)がありましょう。黄金、地位、
名聞、それに健康な、長い生活、それから
学問、事によったら、道徳も得られましょうか。
さようなら。


  ワグネル(悲しげに。)



さようなら。実に己はがっかりする。

もうお前にまた逢うことは出来そうにないなあ。


  メフィストフェレス

さあ、すぐにペネイオスの川辺へ行こう。
小僧さん、なかなか話せるぜ。

(見物に向きて。)

とうとう我々は、自分の拵えた人間に
巻添(まきぞえ)せられるものかも知れませんね。







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