井上円了 妖怪学一斑




妖怪学一斑



井上円了





 私は七、八年前より妖怪のことを研究しておりまして、今日のところでは、いまだ十分に研究し尽くしたわけではありませんがその研究中であって、いろいろその事実を収集しております。果たしてこれが何年の後に成功するか分かりませんが、どうぞしてこれだけの事実を集めた上で、一つの学科として研究したいという私の精神であります。このことは、今日この教育社の記念会の席でお話しするのは、少し不適当かと思いましたが、しかし、学術上において研究する上には、教育に最も密接なる関係を有するものでありまするから、今日は、かく教育に熱心なる諸君が御集会の席で、教育の点から、その一斑をお話しいたす考えでござります。(謹聴)
 私がこれを研究し始めまして以来、諸方から続々、妖怪事実を御報道にあずかりまして、すでに今日まで集まっておるのが五、六百ないし七、八百に達しておりまして、本箱の中は報道をもって充満しております。これは誠に私の望むところで、図らずもかくのごとく多くの事実が集まったのは、私にとっては誠に幸福と思っておることでござります。が、その報告を調べてみまするというと、私が考えておることと、ある部分においては実によく一致しておりますが、また、ある部分においては、私の考えとどうも合っておらんと思うこともあります。妖怪学のことについては、私が他日これを研究し尽くした後にお話しいたすつもりでありますから、今日までいろいろ人から要求を受けたこともありましたけれども、いまだまとめて話したことはありません。よって、今日も全体について話はいたしませぬけれども、これまでの報告と私の考えたこととが相違しておるところをお話し申して、今後御報道にあずかるについて御注意を願います。
 世間にては、妖怪と申すとその字から想像を下して、単におばけか幽霊のようなものに限るごとく考え、あるいは狐狸(こり)の所為に関係した事実ばかりのように考えておりまする。それゆえに、これまで諸方から参るところの御報道を調べてみまするというと、十中八九はこれらの事実のみで、いずれを見ても、みな似たり寄ったりのものであります。要するに、その区域が狭隘(きょうあい)であるから同一の事実がたくさんありますが、その割合に実際これを研究する材料に乏しいのは、遺憾の次第でござります。もとより、幽霊とかおばけとかいうものも妖怪の一部分には相違ありませんが、今日世界の妖怪は、なかなかこのくらいなことにとどまりません。私は、これを総じて研究いたしたいという考えであります。今日は妖怪学総体についてはお話しすることはできませんが、ただその一部分を取ってお話し申して、これらのことも妖怪であるから、もしこの事実について諸君が御記憶になったならば、御報道を得たいと思います。それはなんであるかと申しますると、すなわち偶合論、また一つに偶中とも申します、偶然に暗合することであります。私は近来全国一周を企てまして、昨年十一月以来、各県下を旅行いたしておりました。このごろちょっと帰京して参ったので、いずれ四、五日中には再びこの地を出立して、山陰道諸県下を巡回いたすつもりでござります。それはほかに少し目的があるので、すなわち私の監督しておりまする哲学館拡張のために巡見することでござりますが、その傍らに妖怪に関する事実を集めたいと思っております。もし、この席に山陰道のお方がおいでになれば、巡回の節、直接にその地の妖怪を御報道に及びたいと思います。
 さて、この偶合論については、これを偶然と必然の二者に解釈をいたしておかねばなりません。偶然とはいかなることかと申すと、わけも道理も分からんが、かくかくのことがある、すなわち理由なくして起こるものを偶然という、道理なくして起こるものを偶然という、原因なくして起こるものを偶然という。必然というのは、ぜひそうなければならんもので、すなわち立派な道理があって起こるもの、立派な原因があって起こるもの、立派な理由があって起こるもの、これを必然という。すべて事の発生するには、必ず必然と偶然の二とおりあります。すなわち立派な道理がない、よしあるとしても、われわれがこれを見いだし得ないときは、しばらくこれを名づけて偶然という。必然は全くこれに反対したものである。私は偶然と必然の間になお一つの名目を設けてこれを蓋然(がいぜん)と申します。蓋然とは必然ほどではないが全く偶然でもなく、必然と偶然の間に存するもので、たとえば十分なる道理は見いだし得ざるも、その七、八分は分明になって、残りの二、三分の道理が分明ならざるときは、これを名づけて蓋然というのであります。世間には蓋然に属する事実がたくさんあります。(大喝采)
 まず、偶合なることを右の三者に分かちまするというと、必然と偶然とは果たして全く相異なるものであるかというと、決してさようではありません。二者ともに関係を有しておるものである。今、いろいろな事実を集めてみまするというと、偶然に属すべきものであるか、はた必然に属すべきものであるか、判然しないものがあります。その場合において、一つの部を設けて、これを蓋然といわなければなりません。しかしながら、この三者はその分界がいたって判然しておりません。そもそも原因あれば必ず結果あり、結果あれば原因ありということは、哲学上および理学上における原則であって、この原則によって諸般のことを説明をなすのが、今日の学問である。ゆえに、もしここにこの原則に反するものがあるといたしたならば、これはそのままにしておいて、学術外のものとして、今日の学術上より、必然の理を離れたものであるとしておかねばならん。すでに今日以前、すべて物は必然の理によって生ずるものであるとなしきたったものなれば、今後いろいろな新事実が現出するも、これは必ず必然の理に基づいて生ずるものであるという想像を起こさねばなりません。今この妖怪のごときも、全くしかるべき理由がなくして現れるもので、果たしてこれは偶然であるべきものか、あるいはその実必然であるか、われわれがいまだその道理を見いだすことができないために、しばらくこれを偶然と名づけておくものであるかというに、私はこれを必然であるとみなして、必然の道理をもって説明するつもりであります。果たしてしからば、妖怪も一つの学科として研究しなければなるまいと思います。これ、今日私が妖怪学を研究する大体の主意であります。
 さて、この偶然に事物が相合するということについては、これを仮に偶合もしくは偶中と申します。今この偶合を大別して、空間上の偶合と時間上の偶合の二種といたします。空間上の偶合というのは、ここにあった事柄と遠くにあった事柄が相合することである。たとえば、私が遠国にある人のことを思うと、その思った念が先方へ通ずることをいいます。すなわち、ここに一つの変化があって、同時に他の一つの変化がそれに合することをいうのである。自分の朋友がたしかに国元におるのに、突然目先にその姿が現出して、たちまち消えてしまった。不思議であると思ってたずねてみると、ちょうどその時刻に死亡したというごときは、その一例であります。時間上の偶合というのは、今言ったことが二、三日の後に至って合する、いわゆる予言者のごとき類である。何年の後に云云(うんぬん)のことが起こるということを言うと、必ずそういうことがある、すなわち時間を経過して合する、これを時間上の偶合という。この二つの事柄は、今日の学問上極めて困難なる問題であって、いまだなにびともこの二点に関して説明を与えた者がありません。また、果たしてこれが説明し得べきものであるかいなやということも、疑点の存するところである。ゆえに、私はその理由を説明することはこれを後日に譲り、今日はただその種類についてのみ申し上げようと思います。
 今、まず偶然について、空間上の偶合と時間上の偶合を合して、その種類をお話し申します。前、申し述べましたとおり、今ここにあった事柄と、千里も二千里も遠くにあった事柄が合するということは、極めてめずらしきことであって、通常起こるのは、多く近い所にある。のみならず、ずいぶんこれらは説明ができることであります。まず、通常なにびとにも分かりやすいことから、お話をいたすつもりであります。(謹聴)
 世間では、よく翌日の天気を今日予知するということを申します。実に不思議である、分かるわけがない、あるいは分かるかも知れませんが、しかしわれわれの力では到底分かるわけに参りません。しかし、よく世の人が天気を占うということを申しますが、これとても全くなんらの原因もなくして占うのでなく、多少の経験によってこれを知ることができるのでありましょう。たとえば、月が暈(かさ)をかぶれば雨であるとか、夕やけがすると天気の前兆であるとか、あるいは行灯(あんどん)の灯心にちょうができれば天気の兆候であるとか、鍋墨(なべずみ)に火が付けば晴天の兆しであるとかいうごとく、従来の経験上、多少基づくところがあって言うのである。また、『日用晴雨管窺』という本の中に、晴雨を予知するところの歌が出ております。今、その二、三を挙げてみますると、

夢見るは雨と日和(ひより)のふたつなり
 かわらぬ時に見るはまれなり
鳥の声すみてかるきは日和なり
 おもく濁るはあまけとそしれ
 今度は少しきたないのですが、


小便のしげきは日和、飲水の
 はらに保つを雨と知るへし
蚤(のみ)や蚊(か)の極めてしげく食ふならば
 雨のあがりと雨気つくころ
香の火の何より早く立ちぬるは
 雨のあがりと雨気つくころ
ね心の悪き夜ならば雨と知れ
 偖(さ)ては盗人油断ばしすな
 右の歌によって、天気の晴雨を知ることができる。また、俗に寒割ととなえて、寒中の三十日をもって一年にかたどり、それによって年内の天気を知ることができると申します。また、一年中の出来事を知る方法があります。たとえば、雪は豊年の貢ぎととなえて、雪がたくさん降ればその年は豊年である、あるいは烏(からす)が木の梢に巣を作るときは、その年は出水がある、また、木の根に巣を作るときは、その年は大風が起こる、すなわち烏が風雨を知るという話があります。また、柳の繁殖する年は豊作である、蛍火のない年は秋の田の実りがいいというようなことを、通俗に申し伝えております。これらは、いわゆる前もって時間の上で予言をなすのであって、その道理のごときも極めて見やすきものでありまするが、少しく高尚にわたって知れ難いのは、人間の吉凶禍福を前知することであります。
 これには第一、天文が関係を有しておる。天文と人事が関係を有することは、シナの歴史にたくさん見るところであって、これはいちいち申し上げるわけに参りませんが、『左伝』などを御覧になれば、お分かりになりましょう。私がここに書いて参りましたところを申しますると、『漢書(かんじょ)』哀帝建平二年、王莽(おうもう)が漢室を奪ったときに彗星(すいせい)が現出し、『後漢書』安帝永初二年正月、大白星昼現れたるは、(とう)氏盛んなりたる兆しなりといい、また『続漢書』に、彗星見えて董卓(とうたく)の乱ありといい、『晋陽秋(しんようしゅう)』の書に、諸葛亮(しょかつりょう)の卒時、赤き彗星ありという。わが朝においては、欽明天皇のとき、仏教が渡来して疫病が流行し、くだって敏達(びだつ)天皇の朝に至って、また疫病流行し、嘉永年間、米国の軍艦が渡来して彗星が現れたということがあります。これは、ひとり和漢のみならず、西洋においても多々ある話です。ローマのカエサルの死したとき、およびコンスタンティヌス大帝の死したるとき、およびチャールズ五世の死したるときに彗星が現れ、またペルシアのゼルセスがギリシアを征服したるとき、およびペロポネソスの戦争のとき、およびカエサルとポンペイウスの内乱のときにおいても、大いに疫病、飢饉が流行し、英国にてクロムウェルの死したるとき、ならびにフランス大革命のときにおいても大嵐が起こり、キリスト降誕のときは東方に当たって彗星が現れたというようなことは、たくさんあります。
 つぎに今日、多く日本に行われておるものは、人の吉凶禍福を占うことであって、すなわち卜筮(ぼくぜい)、人相見の類であります。また、九星と申して星を調べて占うものあり、あるいはまた、方角によって卜するものがある。たとえば、なにがしはいかなる星であって、いかなる方角に当たるということを探りて、その人の未来のことを占うものがある。その他、人相見のごときも、またよく人の未来を知るものである。また、あるいは骨相学と称して、人の骨格を相してその運命いかんを知る方があり、あるいはまた、おみくじを引いて吉凶を知り、暦日を繰って吉凶を卜することがあります。たとえば、何月何日は吉日に当たり、何月何日は凶日に当たるといい、願成就日(がんじょうじゅび)、不成就日等のことを示したるごとき、あるいはその生まれたる年によって、その人の気風を卜することがあります。たとえば、辰(たつ)年に生まれたるものは剛邁(ごうまい)の気性を有し、寅(とら)年に生まれたるものは腕力を有し、子(ね)年に生まれたるものは臆病なりというごとき類は、世間にてよくいうことであります。
 かくのごときことは、外国においても往々見るところであります。私がかつて英国の田舎におりましたときに、ちょうど十二月のころであって、ある書店に暦を売却しおるを認め、一本をあがなってこれを見るに、その中に翌年の天気および吉凶禍福を、子細に書き載せてありました。それから、かかる種類のものを集めてみると、たくさんあります。田舎の暦はすべて、かかる事柄のみを記したるものである。しかして、その裏に前年の適中した事実を挙げてあります。これはことごとく適中するわけには参りませんが、十中の七八までは、大抵あたるということである。その中において私は、日本の磐梯山破裂の情況を書いてあるのを見いだしました。その前年度の暦に、日本の方角に当たって大地震が起こるということを書き載せてあったところが、果たして磐梯山が破裂をなしたということが、予言の適中した一証として、暦の裏に書いてありました。それから私が旅宿に帰って、今日かくかくの奇妙なものを求めてきたということを告げますると、旅宿の主人が、「どうぞ、それを日本国へ持ち帰ることはやめて下さい。かかる愚昧(ぐまい)なことを書いたものが、わが英国にあったということが知れては、わが国の恥辱であるから」といってしきりに止めますけれども、私は、「実は持ち帰る目的で買ったのである」といって断ったところが、大層迷惑そうな顔をしておりました。(大笑)
 それから私はなお、これに類似したものを収集せんがため、その暦の発行所の番地を記し、その後ロンドンに至りその家をたずねましたところが、極めて片隅の場所に小さな本屋がありまして、そこへ入って目録を見たところが、かかることに関係したことのみ、たくさんありました。それゆえに、図らずも多くの材料を得て、これらの書類を買い入れて参りました。
 今一つはマジナイの一種であります。これもずいぶんたくさん集めてありますが、今その一、二を挙げてみますると、第一、血止めのマジナイ。これはなんの草でもよろしい、ある草を三品集めて、その草をもって天に向かって合掌し、一首の歌を詠む。すなわち、「朝日が下の三葉草付けると止まる血が止まる」(笑)と言って、この草を取って出血する所に付け、都合三度この歌を詠むと、血が即座に止まると申します。また、他人の所へ行って犬に吠(ほ)えつかれたときに、それを止めるマジナイがあります。すなわち、その犬に向かって唱え言をすると、犬が吠えるのをやめる。その唱え言に曰く、「われは虎、いかに鳴くとも犬は犬、獅子(しし)のはかみを恐れさらめや」(笑)
 また、犬が吠えつくときに、犬伏せと申して、親指を犬と立て、これを伏して戌(いぬ)、亥(い)、子(ね)、丑(うし)、寅(とら)と数えて、寅に当たる小指をもって戌(すなわち親指)を押すと、犬が吠えるのをやめると申します。また、歯の痛みを止めるマジナイにはいろいろありますが、今その一つを挙げてみると、いかなるわけかよく分かりませんが、桃の枝の東方に向かっておるのを取って、これを楊子(ようじ)に削り、それをもって痛む歯に「南」という字を三度書いて歯に含まするときは、痛みが止まる。これにもまた唱え言がある。すなわち、梵語(ぼんご)の言で「あびらうんけんそわか」という語を唱えるのであります。また、目に物が入ったときは、おもしろいマジナイがあります。まず、目を閉じて「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を三度唱えるのですが、全くこれを唱えきらずして「なむあみだぶ」までを唱えて、後のつを口の中へのみ込んでしまう。そうするとなおると申します。(大笑)
 しゃっくりをなおすマジナイは、舌の上に「水」という字を書いて、これをのませます。つぎに、ただ今ではありませんが、その昔よくあったことで、船待ちをしないマジナイというものがあります。それは、一首の歌を詠み、「ゆらのとを渡る船人かぢをたえ行方も知らぬ恋の道かな」といいて唱えます。
 つぎに、マジナイの一種で、食い合わせ法というものがあります。例えば、河豚(ふぐ)にあたれば、樟脳(しょうのう)の粉を湯に溶解してこれをのみ、吐血をなせば、串柿(くしがき)を黒焼きにし、これを粉にしてのみ、あるいは、打咽には柿のへたを紛にしてこれをのみ、耳に水が入れば、魚の目玉を黒焼きにしてのみ、蟹(かに)の毒にあたれば紫草(しそう)を食し、西瓜(すいか)にあたれば唐辛を食し、火爛には渋を塗り、歯痛にはその歯に「南」という字を書くがごとき、その他「おこり」といって、すなわち瘧(ぎゃく)ととなえる病を療治する方法のごときも、いろいろありますが、従来日本の慣習として、これを医師の手にゆだぬることをなさず、すべてマジナイのごとき法をもって、これを治することになっております。
 これらは、ほぼその理由を推考することができまするが、少しく普通人の考えをもって解し難いと思うのは、人の吉凶禍福を卜(ぼく)することである。これは、一つには夢によってその運命いかんを知ると申します。しかしてこの法は、ひとり人事に関する吉凶禍福のみならず、また、よくすべて未来に起こる事柄を、夢によって卜し得るということである。けだし、その理由に至りては一朝一夕に解し得べきことにてはありませんが、よく世間で、夢に見たとおりのことが千里も二千里も隔たった遠方に起こったとか、あるいは、かつて夢みたことが今日現れたるとかいうことを申し伝えております。私はこれらの事実も集めておりまするから、いずれ機会をまって後日お話し申します。あるいはまた、夢でなく突然感ずることがあります。例えば、なにか気障りがしたと思うと、それと同一の事実が起こったということも、しばしば聞くところであります。あるいは、突然目の前に人の姿が見えたりすることがあって、よくそれを探索すると、ちょうどその時刻に当たって、なにかその人の身の上に事が起こったということがあります。その一例を挙ぐれば、ここにいないところの兄弟が突然目に触れると、ちょうどその時分に国元で、その兄弟が死亡したというようなことが、世上に間々あるところであります。
 それで、私が諸君に対して妖怪の事実を御報道下さる際に、あわせて知らしていただきたいと思いまするのは、前申しましたごときマジナイ、食い合わせの類、例えば「おこり」のごとき、今日といえども日本の慣習として、到底医師の力に及ばんものとして、これをいろいろマジナイをもって治しておりまするが、そういう事柄について御記憶になっておることがあったならば、その方法等もあわせて御報道を願いたいのであります。その他、つまらんようなことですが、足にマメができたとか、あるいは頭に腫物(くさ)ができたとかいうときには、俗に「馬」という字を三つ書くとなおると申します。これらは、多少の理由があって起こったことであろうと思われる。すなわち、足にマメができたときに「馬」の字を書くというのは、馬は豆を食するということに原因したもので、また、頭に腫物のできたるときも、これと同理によって、馬は草を食うというところから起こったものであろうと思われます。(喝采)
 右のごとき事実を集めてこれを研究してみると、なるほどと悟るところがあります。しかし、いちいちこれを説明するということは、一朝一夕にでき得べきことではありませんが、まずこれらは、まず偶然と必然の二者に区別することができようと思います。すでにこれを区別し得るならば、偶然と必然なるものは、果たしてはじめよりその区別が存するものであるか、あるいはその区別は元来存しておらないものであろうか、もし果たして区別がないならば、すべてのことが偶然もしくは必然の一方に帰着しなければならん。しかるに、右のごとき事実をあまた集めてみまするというと、その区別が判然と分かりません。中には、はじめは偶然であると思ったものが、だんだん考えてみると必然であることを見いだすことがある。すなわち、偶然の必然たるゆえんは、あるたしかなる理由があり、ある立派なる原因があって起こったものであるということを発見することがあります。しからば、偶然なるものは全くなくして、単に必然のみであるかという疑点が、一つここに起こって参ります。もし、偶然と必然なるものが異なるものであるならば、その間に判然たる区画があるべきはずである。しかるに、その区別が一定しない以上は、同一物の上に二個の区別の存すべき道理がない。必ず、いずれかその一方に帰着しなければなりません。また、偶然といい偶中というものが、十が十ながらことごとく適中すれば実に奇態であるが、よく調査を遂げてみると、その適中するものは極めてまれである。ことに偶中するものといえども、全くなんらの原因もなくしてあたるにはあらずして、多少基づくところがあってしかるわけである。たとい、いかに巧妙なる予言者といえども、少しも事情の見るべきものなくして、よく予言するということはできません。また、人相を見るにしても、一応事情を質問し、もしくはその人の容貌を見て、はじめて分かるのであって、もし他人に代理を命じて自己の身上を占わせようとなしたならば、いかに卜筮(ぼくぜい)に長ずる人といえども、これを知ることはできません。ゆえに、もしただちにある事柄が偶然に暗合し、想像ができるものであるならば、たとい事情がなくとも知り得べきものであろうという疑いが起きてきます。
 今、その事情の二、三を列挙してみますると、例えば、人の死する時刻をはかってみると、夜半以後に多いようである。また、天気の方から言ってみても、今日のごとき曇天もしくは雨天の日に多い。そのわけは、少しく考えをめぐらしたならば、ただちに分かる話である。なぜ、人の死することが天気や時刻に関係を有しておるかと申すと、かかる天気や時刻というものは、病人にとってもっとも不適当なる時刻であり、かつもっとも不愉快なる天気でありて、平素強健なる人といえども、自然気分が悪くなるくらいであるから、まして病み疲れたるものは、なおさら不快を増すに違いない。それで、多く人が死ぬのである。また、世間で烏(からす)や犬が人の死を前知するということを申しますが、烏や犬が人の死を知るべき理由はありません。しからば、なぜ烏や犬の鳴き声が人の死に関係を有しておるかと申しますると、それはちょうど人の死するときに出あうのであって、彼らが鳴くのは、なにかほかにしかるべき理由があるのであります。例えば、烏というものは天気の悪いとき、もしくは日中でも曇天にて暗くなると鳴きます。人間もちょうどそういうときに、多く命を失うものである。また、今まで晴朗であった天気が、にわかにかき曇ったというように、気候の上に変動をきたしたときには、多く病人は生命を失うものである。ゆえに、烏は気候に鳴き、人はその気候に死するも、烏は人の死を知るものなりといって、ただちにこれを人に結ぶことはできない、なにかその間に一つの事情があることなるに、通俗の人はその事情を見いだすことができないから、まず今日では、烏が鳴くのと人間が死するのと出あうときには、これを称して偶然であるといいます。
 また、かのマジナイのごとき、食い合わせ法のごとき、いずれもそのもの自身が必ず人をなおす力があるのではなくして、そのものが人に信仰力を与えて、その信仰力によって平癒するのであります。また、かの人相見もしくは売卜者が、その人相を見てその吉凶禍福を予知するというごときものも、およそ人の思想と顔色とは関係を有するものであるゆえに、なにか人の意想上に変化を生ずるときは、それがただちに顔色にあらわれる。もっとも、人によって現れる度は違いましょうが、とにかく多少現れるには相違ありません。それゆえに、かの人相見のごときものは、人の顔色を相して、その思想の変化を知るところの観察力に富んでおるものである。すなわち、素人のわれわれが見ては分かりませんけれども、彼らの目をもって見れば、その人の顔を見て、その心のいかんを知ることができるのであります。ゆえに、これらの人が予想すると、たいてい十中の八九は適中するのである。また、世間ではよくめぐり合わせということを申します。すなわち、一つの不幸が重なると、しきりに不幸が続き、また幸いがあると、むやみに幸福がつづきます。これにも多少理由があるのです。あまり不幸が続きますと、ついには妄想を起こして、天罰のなすところにあらざるかと疑わしめ、幸福が打ち続くと、天帝の加護に出ずるものにあらざるかと思わしめ、前者は不安の念を起こし、後者は安心の思いをなすに基づくものである。不安の思いをなして事を処するから、自分は十分に思考をめぐらしたつもりでも、ほかよりこれを見れば、往々その考えが間違っております。ゆえに、いったん不幸をこうむったものは、失敗を重ぬることが多い。これに反して、幸福を受くるものは、心がたしかになる。心がたしかになるから、すべて事物を判断する上についても、その目的、方法をあやまることが少ない。ゆえに、たとい商業をなすにしても、一度利益を得ると引き続いて仕合わせよくなるというのは、畢竟(ひっきょう)、安心をなして、心の判断がたしかになるからである。これに反して、何度商業をなしても失敗に終わるというのは、畢竟、心に弱味があるからである。それゆえに、俗にいわゆるめぐり合わせには、かかる事情が加わっておるから、これを差し引きしなければなりません。(喝采)
 その他、夢の中で見たことが事実起こったり、あるいは気障りがしたと思うとそれがある事実と暗合をなし、あるいは夢中で未来に起こることを見たというごときことは、いまだ私が取り調べ中でござりまするから、いずれ調べ上げた後に、ゆっくり御報道いたしたいと思います。今日は時間がありませんから、それらの点は申し上げません。ただ今申し上げましたごとく、時間上の偶合と空間上の偶合は、学問上研究しなければならんことでありまして、これは果たして必然の理があって起こるもので、全く偶合ではないとしてこれを研究するのは、実に学術の力である。しかし、今日は学術が進歩してきたとは申しながら、その範囲が極めて狭小にして、妖怪のごときは多少心理学において研究しておったけれども、いまだ一科の学問とはなりません。畢竟、学者が多忙にして、実際、手を下すひまもなかったのであります。しかるに、私は心理学を研究する間に、このことを思い出したのでありまして、心理学なるものは今日立派な一科の学問であるが、ひとり妖怪のことに至りては、一般に世人が、ただこれは鬼神の所為である、偶然に出ずるものであるとなし、全くこれを道理の外において顧みるものがないようであるが、果たしてこれは道理の外に存するものであるかどうかということに疑いを起こし、従来道理の外に存しておったものが、漸次学術の進歩に従ってだんだんこれを研究し、今日はすでにこれを道理の中に加えて、一科の学問となりたるもの多々あるをもってこれを見れば、この妖怪のごときもまた、十分に研究を尽くしたならば、必ず一つの学科となすことができるであろうと思います。(喝采)
 畢竟(ひっきょう)、今日その道理を発見することができんというのは、全くわれわれが十分これを研究しないからでありましょう。それゆえに、まず自分よりこれを試みんと欲し、七、八年前よりその事実を集めておりましたが、そればかりを専門にいたしておるわけでもありませんから、今日までに思うように研究が進みません。また、実際そのことに当たってみると、いろいろな差し障りができて、なにぶん急速にはできません。しかし、いつかは必ずこのことを果たしたい存念でござります。かかる次第でありますから、どうか諸君方よりも、なるべく確実なる事実の御報道にあずかりたいと思います。私も地方を巡回するについては、実際その地方地方について研究いたす考えでござりますが、諸君方の御報道と、私が見聞したところと、双方相まって研究いたしたならば、大いに研究を助くることであろうと思います。それらのことについては、ずいぶん教育上に及ぼす影響も少なからざることでございまするから、後日再び諸君の御集会の席へまかり出て、お話し申そうと思います。(大喝采)



出典 『教育報知』第二七一号、明治二四(一八九一)年七月四日、二―七頁、尾張捨吉郎速記。








底本:「井上円了 妖怪学全集 第6巻」柏書房
   2001(平成13)年6月5日第1刷発行
底本の親本:「教育報知 第二七一号」
   1891(明治24)年7月4日
※〔〕内の編集者による注記は省略しました。
入力:門田裕志
校正:Juki
2010年12月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。








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