ビクトル・ユーゴー レ・ミゼラブル 第三部 マリユス


   第四編 ABCの友

     一 歴史的たらんとせし一団

 外見は冷静であったがこの時代には、一種の革命的な戦慄(せんりつ)が漠然(ばくぜん)と行き渡っていた。一七八九年および一七九二年の深淵(しんえん)から起こった息吹(いぶき)は、空気の中に漂っていた。こういう言葉を用いるのが許されるならば、青年は声変わりの時期にあったのである。人々はほとんど自ら知らずして、当時の機運につれて変化しつつあった。羅針盤(らしんばん)の面(おもて)を回る針は、同じく人の心の中をも回っていた。各人はその取るべき歩みを前方に進めていった。王党は自由主義者となり、自由主義者は民主主義者となっていた。

 それは多くの引き潮を交錯した一つの上げ潮のごときものであった。引き潮の特性は混和をきたすものである。そのためにきわめて不可思議な思想の結合を生じた。人々は同時にナポレオンと自由とを崇拝した。われわれは今ここに物語の筆を進めているが、この物語は実に当時の映像なのである。当時の人々の意見は多様な面を通過していた。ヴォルテール的勤王主義はずいぶんおかしなものであるが、ボナパルト的自由主義も同じく不可思議なもので、まったく好一対であった。

 その他の精神的団体には、いっそうまじめなものがあった。それらの人々は原則を探究し、権利に愛着していた。絶対なるものに熱狂し、無限の実現をのぞき見ていた。絶対なるものはその厳酷さによって、人の精神を蒼空(そうくう)に向かわしめ、無限なるもののうちに浮動せしむる。夢想を生むには、独断に如(し)くものはない。そして未来を生み出すには、夢想に如(し)くものはない。今日の空想郷も、明日はやがて肉と骨とをそなうるに至るであろう。

 進んだ思想は二重の基調を持っていた。秘奥が見えそめて来ると、疑わしい狡猾(こうかつ)な「打ち建てられたる秩序」は脅かされるに至った。それは最高の革命的徴候である。権力の下心は対濠(たいごう)のうちにおいて民衆の下心と相見(あいまみ)ゆる。暴動の孵化(ふか)はクーデターの予謀に策応する。

 当時フランスには、ドイツのツーゲンドブンドやイタリーのカルボナリのごとき、広汎(こうはん)な下層の結社組織はまだ存していなかった。しかし所々に、秘密な開発が行なわれ、枝をひろげつつあった。クーグールド結社はエークスにできかかっていた。またパリーにはこの種の同盟が多くあったが、なかんずくABCの友なる結社があった。

 ABCの友とは何であったか? 外見は子供の教育を目的としていたものであるが、実際は人間の擡頭(たいとう)を目的としていたものである。

 彼らは自らABCの友と宣言していた。ABC(アーベーセー)とは、Abaiss(アベッセ) にして、民衆の意であった(訳者注 両者の音が共通なるを取ったもので、アベッセは抑圧されたるものという意)。彼らは民衆を引き上げようと欲していた。駄洒落(だじゃれ)だと笑うのはまちがいである。駄洒落はしばしば政治において重大なものとなることがある。その例、ナルセスを一軍の指揮官たらしめたカストラトスはカストラへ(去勢者は陣営へ)。その例、バルバリとバルベリニ(野蛮とバルベリニ)。その例、フエロスとフエゴス(法典とフエゴス)。その例、汝はペトロスなり、我このペトラムの上に(汝はペテロなり、我この石の上に我が教会を建てん)

 ABCの友はあまり大勢ではなかった。それは芽ばえの状態にある秘密結社だった。もし親しい仲間というものが英雄になり得るとすれば、ほとんど親しい仲間と言ってもいい。彼らは巴里の二カ所で会合していた。一つは市場の近くのコラントと呼ぶ居酒屋、これは後になって問題となるものである。それからも一つは、パンテオンの近くで、サン・ミシェル広場のミューザンという小さな珈琲(コーヒー)店、これは今日なくなっている。第一の集会の場所は、労働者の出入りする所で、第二の方は学生の出入りする所だった。

 ABCの友のふだんの秘密会は、ミューザン珈琲(コーヒー)店の奥室で催された。その広間は店からかなり離れていて、ごく長い廊下で店に通じ、窓が二つあり、グレー小路に面して秘密な梯子(はしご)がついてる出口が一つあった。人々はそこで煙草(たばこ)をふかし、酒を飲み、カルタ遊びをし、または笑い声をあげていた。ごく高い声であらゆることを語っていたが、あることは低い声で話し合っていた。壁には共和時代のフランスの古びた地図がかけられていたが、それだけでも警官の目を光らせるには十分だった。

 ABCの友の大部分は若干の労働者らと親しく意志が疎通してる学生らであった。重なる人々の名前をあげれば下のとおりで、ある程度まで歴史のうちにはいるものである。すなわち、アンジョーラ、コンブフェール、ジャン・プルーヴェール、フイイー、クールフェーラック、バオレル、レグルまたはレーグル、ジョリー、グランテール。

 それらの青年は、友情のあまり一種の家庭的な親しみを互いに持っていた。すべての人々は、レーグルは別として、南部生まれの者だった。

 それは顕著なる一団であった。しかもわれわれの背後にある目に見えない深淵(しんえん)の中に消えうせてしまった。しかしその青年等が悲壮なる暴挙の影のうちに没してしまうのを見る前に、われわれがたどりきたった物語のこの所で、彼らの頭上に一条の光をさし向けてみることは、おそらく無益なことではないだろう。

 われわれはアンジョーラを第一にあげたが、その理由は後にわかるだろう。彼は富裕なひとり息子であった。

 アンジョーラは、魅力のあるしかも恐ろしいことをもやり得る青年だった。彼は天使のように美しかった。野蛮なるアンチノオス(訳者注 ハドリアヌス皇帝の寵臣たりし非常に美しきビシニヤ人のどれい)であった。彼の目の瞑想的(めいそうてき)なひらめきを見れば、過去のある生活において、既に革命の黙示録を渉猟したもののように思われるのだった。彼は親しく目撃でもしたかのように革命の伝説を知っていた。偉大なる事物の些細(ささい)な点まですべて知っていた。青年には珍しい司教的なまた戦士的な性質だった。祭司であり、戦士であった。直接の見地から見れば、民主主義の兵士であり、同時代の機運を離れて見れば、理想に仕える牧師であった。深い瞳(ひとみ)と、少し赤い眼瞼(まぶた)と、すぐに人を軽蔑しそうな厚い下脣(したくちびる)と、高い額とを持っていた。顔に広い額があることは地平線に広い空があるようなものである。時々青ざめることもあったが、十九世紀の始めや十八世紀の終わりに早くから名を知られたある種の青年らのように、若い娘のようないきいきした有り余った若さを持っていた。既に大きくなっていながら、まだ子供のように見えた。年は二十二歳であるが、十七歳の青年のようだった。きわめてまじめで、この世に女性というものがいることを知らないかのようだった。彼の唯一の熱情は、権利であり、彼の唯一の思想は、障害をくつがえすことであった。アヴェンチノ山に登ればグラックスとなり、民約議会(コンヴァンシオン)におればサン・ジュストともなったであろう。彼はほとんど薔薇(ばら)を見たことがなく、春を知らず、小鳥の歌うのを聞いたことがなかった。エヴァドネの露(あら)わな喉(のど)にも、アリストゲイトンと同じく彼は心を動かされなかったであろう。彼にとってはハルモディオスにとってと同じく、花は剣を隠すに都合がよいのみだった。彼は喜びの中にあっても厳格だった。共和以外のすべてのものの前には、貞操を守って目を伏せた。彼は自由の冷ややかな愛人であった。彼の言葉は痛烈な霊感の調を帯び、賛美歌の震えを持っていた。彼は思いもよらない時に翼をひろげた。彼のそばにあえて寄り添わんとする恋人こそ不幸なるかなである。もしカンブレー広場やサン・ジャン・ド・ボーヴェー街の浮わ気女工らにして、中学から抜け出たばかりのような彼の顔、童(わらべ)のような首筋、長い金色の睫毛(まつげ)、青い目、風にそよぐ髪、薔薇色の頬(ほお)、溌剌(はつらつ)とした脣(くちびる)、美しい歯並み、などを見て、その曙(あけぼの)のごとき姿に欲望をそそられ、アンジョーラの上におのが美容を試みんとするならば、意外な恐ろしい目つきが、突如として彼女に深淵(しんえん)を示し、ボーマルシェーの洒落者(しゃれもの)の天使とエゼキエルの恐るべき天使とを混同すべからざることを、教えてやったであろう。

 革命の論理を代表せるアンジョーラと相並んで、コンブフェールは、革命の哲学を代表していた。革命の論理とその哲学との間には、次のような差異があった。すなわち、論理は戦争に帰結され得るが、哲学はただ平和に到達するのみが可能である。コンブフェールはアンジョーラを補い訂正していた。彼の方がより低くそしてより広かった。彼は人の精神に、一般的観念の広い原則を注ぎ込まんと欲した。彼は言っていた、「革命だ、しかし文明だ。」そしてつき立った山の回りに、広い青い地平線を開いた。それゆえ、コンブフェールの見解のうちには近づき得る実行し得るものがあった。コンブフェールを以ってする革命は、アンジョーラをもってする革命よりもいっそうのびのびとしていた。アンジョーラは革命の神聖なる権利を表現し、コンブフェールはその自然なる権利を表現していた。前者はロベスピエールに私淑し、後者はコンドルセーに接近していた。コンブフェールはアンジョーラよりも多くあらゆる世界の生活に生きていた。もしこのふたりの青年にして歴史に現われることが許されたならば、一方は正しき人となり、一方は賢き人となったであろう。アンジョーラはより男性的であり、コンブフェールはより人間的であった。人間と男性、実際そこに彼らの色合いの差異があった。天性の純白さによって、アンジョーラがきびしかったごとくコンブフェールは優しかった。彼は市人と言う言葉を愛したが、人間と言う言葉をいっそう好んでいた。彼はスペイン人のように、ホンブル(訳者注 人間という意味でまた一種のカルタ遊びの名)と喜んで言ったであろう。彼はあらゆるものを読み、芝居に行き、公開講義を聞きに行き、アラゴから光の分極の理を学び、外頸動脈(がいけいどうみゃく)と内頸動脈との二重作用を説明して、一つは顔面に行き一つは脳髄に行っているという、ジョフロア・サン・ティレールの説に熱中した。彼は時勢に通暁し、一歩一歩学問を研究し、サン・シモンとフーリエを対照し、象形文字を読み解き、小石を見つけて砕いては地質学を推理し、記憶だけで蚕の蛾(が)を描き、アカデミー辞典のフランス語の誤謬(ごびゅう)を指摘し、ピュイゼギュールやドルーズを研究し、何物をも、奇蹟であろうとも、これを肯定せず、何物をも、幽霊であろうともこれを否定せず、機関紙のとじ込みをめくり、よく思いを凝らし、未来は学校教師の手にあると断言し、教育問題を心にかけていた。知的および道徳的水準の向上、知識の養成、思想の普及、青年時代における精神の発育、などのために社会が絶えず努力することを欲した。また現在の研究法の貧弱さ、いわゆるクラシックと称する二、三世紀に限られた文学的見解のみじめさ、官界衒学者(げんがくしゃ)の暴君的専断、スコラ派の偏見、旧慣、などがついにはフランスの大学をして牡蠣(かき)(愚人)の人工培養場たらしむるに至りはしないかを気づかっていた。彼は学者で、潔癖で、几帳面(きちょうめん)で、多芸で、勉強家で、また同時に、友人らのいわゆる「空想的なるまでに」思索的であった。彼は自分のすべての夢想を信じていた、すなわち、鉄道、外科手術における苦痛の減退、暗室中の現象、電信、軽気球の操縦など。のみならず、人類に対抗して迷信や専断や偏見によって至る所に建てられた要塞(ようさい)には、あまり恐れをいだかなかった。学問はついに局面を変えるに至るであろうと考えてる者のひとりだった。アンジョーラは首領であり、コンブフェールは指導者であった。一方は共に戦うべき人であり、一方は共に歩くべき人であった。とは言え、コンブフェールとても戦うことを得なかったのではない。彼は障害と接戦し、溌剌(はつらつ)たる力と爆発とをもって攻撃することを、あえて拒むものではなかった。しかしながら、公理を教え着実なる法則を流布して、しだいに人類をその運命と調和させて行くこと、それが彼の喜ぶところのものだった。そして二つの光の中で、彼の傾向は、焼き尽す光よりもむしろ輝き渡る光の方にあった。火事は疑いもなく曙(あけぼの)を作ることができるであろう。しかし何ゆえに太陽の登るのを待ってはいけないか。火山は輝き渡る、しかし暁の光はいっそうよく輝き渡るではないか。コンブフェールは崇高の炎よりも、美の純白の方をおそらく好んだであろう。煙に悩まされたる光、暴力によってあがなわれたる進歩は、この優しくまじめなる精神を半ばしか満足せしめなかった。一七九三年のように、民衆がまっさかさまに真理の中に飛び込むことは、彼を恐れさした。しかし彼にとっては、停滞はなおいっそう嫌悪(けんお)すべきものであった。彼はそこに腐敗と死滅とを感じた。全体として言えば、彼は瘴癘(しょうれい)の気よりも泡沫(ほうまつ)を愛し、下水よりも急流を愛し、モンフォーコンの湖水よりもナイヤガラ瀑布(ばくふ)を愛した。要するに彼は、止まることをも急ぐことをも欲しなかったのである。騒々しい友人らが、絶対なるものに勇ましく心ひかれて、輝かしい革命的冒険を賛美し、それを呼び起こさんとしている中にあって、コンブフェールはただ、進歩をして自然に進ませようと欲した。それは善良な進歩であって、おそらく冷ややかではあろうがしかし純粋であり、方式的ではあろうがしかし難点なきものであり、平静ではあろうがしかし揺るがし得ないものであったろう。コンブフェールは自らひざまずいて手を合わせ、未来が純潔さをもって到来せんことを祈り、何物も民衆の広大有徳なる進化を乱すものなからんことを祈ったであろう。「善は無垢(むく)ならざるべからず、」と彼は絶えず繰り返していた。そしてたとい革命の偉大さは、眩惑(げんわく)せしむるばかりの理想を見つむることであり、血潮と猛火とを踏みにじりつつ雷電の中を横ぎって、理想に向かって飛びゆくことであるとしても、進歩の美は、無垢なることに存するに違いない。そして一方を代表するワシントンと、他方の化身たるダントンとの間には、白鳥の翼を持った天使と鷲(わし)の翼を持った天使とをへだてる差違がある。

 ジャン・プルーヴェールは、コンブフェールよりもなおいっそう穏やかなはだ合いの人物だった。彼は自らジュアン(訳者注 ジャンを中世式にしたもの)と呼んでいた。それは中世紀の非常に有用な研究が生まれ出た強く深い機運に立ち交じっているという、あのつまらぬ一時の空想からであった。ジャン・プルーヴェールは情緒(じょうちょ)深く、鉢植(はちう)えの花を育て、笛を吹き、詩を作り、民衆を愛し、婦人をあわれみ、子供のために泣き、未来と神とを同じ親しみのうちに混同し、気高き一つの首を、すなわちアンドレ・シェニエの首をはねたことを、革命に向かって難じていた。平素は繊細であるが突如として雄々しくなる声を持っていた。博学と言えるほど学問があり、ほとんど東方語学者であった。またことに善良であった。善良さがいかに偉大に近いものであるかを知っている人にはごくわかりきったことであるが、詩の方面において彼は広大なるものを愛していた。彼はイタリー語、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語を知っていた。しかもそれはダンテとユヴェナリスとアイスキロスとイザヤの四詩人を読むことに使われたのみだった。フランス人ではラシーヌよりもコルネイユを、コルネイユよりもアグリッパ・ドービネを好んでいた。燕麦(からすむぎ)や矢車草のはえている野を喜んで散歩し、世の中の事件とほとんど同じくらいに雲のことを気にしていた。彼の精神は人間の方面と神の方面と、二つの態度を有していた。あるいは研究し、あるいは静観していた。終日彼は社会問題を探究していた。すなわち、給料、資本、信用、婚姻、宗教、思想の自由、恋愛の自由、教育、刑罰、貧窮、組合、財産、生産、分配、すべて人類の群れを暗き影でおおう下界の謎(なぞ)を探究していた。そして夜になると、あの巨大なる存在者たる星辰(せいしん)をながめた。アンジョーラのごとく、彼は金持ちでひとり息子であった。彼はもの柔らかに話をし、頭を下げ、目を伏せ、きまり悪るげにほほえみ、ぞんざいな服装をし、物なれない様子をし、わずかなことに赤面し、非常に内気だった。それでもまた勇敢であった。

 フイイーは、扇作りの職工で、父も母もない孤児で、一日辛うじて三フランをもうけていた。そして彼は世界を救済するという一つの考えしか持たなかった。それからなおも一つの仕事を持っていた、すなわち学問をすることで、それを彼はまた自己を救済することと呼んでいた。彼は独学で読むこと書くことを学んだ。彼のあらゆる知識はただひとりで学んだのだった。彼は寛大な心を持っていた。広大な抱擁力を持っていた。この孤児は民衆を自分の養児としていた。母がいなかったので、祖国の事を考えていた。祖国を持たぬ人間の地上にいることを欲しなかった。民衆の人たる深い洞察力(どうさつりょく)をもって、われわれが今日|民族観念と呼ぶところのものを心の中にはぐくんでいた。悲憤慷慨(こうがい)もよくその原因を知悉(ちしつ)した上のことでありたいというので、特に歴史を学んだ。ことにフランスのことのみを考えている若々しい夢想家らの寄り合いの中にあって、彼はフランス以外を代表していた。そして専門として、ギリシャ、ポーランド、ハンガリー、ルーマニヤ、イタリー、などのことを知っていた。彼は権利としてのような執拗(しつよう)さをもって、場合の適当不適当をかまわず、以上の国名を絶えず口にしていた。クレート島およびテッサリーにおけるトルコ、ワルソーにおけるロシヤ、ヴェニスにおけるオーストリヤ、などの暴行は彼を憤慨さした。なかんずく、一七七二年の大暴逆(訳者注 ポーランドの分割)は彼を激昂(げっこう)さした。憤りの中に真実を含むほどおごそかな雄弁はない。彼はそういう雄弁を持っていた。一七七二年という汚れたる日付、裏切りによって覆滅されたるすぐれた勇敢な民衆、あの三国の罪悪、あの奇怪きわまる闇撃(やみうち)、などのことを彼はあくまでも論じていた。それは実に、その後多くのすぐれた国民を襲い、言わばその出生証書を塗抹(とまつ)したる、あの恐るべき国家的抑圧の典型となり標本となったのである。現代のあらゆる社会的加害は、ポーランドの分割より胚胎(はいたい)する。ポーランドの分割は一つの定理であり、それより現代のあらゆる政治的罪悪が導き出される。最近一世紀以来のすべての専制君主とすべての反逆人とは皆、不可変更のポーランド分割調書を作り、確認し、署名し、花押(かおう)したのである。近世の大逆の史を閲すると、右の事がらが第一に現われてくる。ウィーン会議はおのが罪悪を完成する前に、その悪事を相談したのである。一七七二年は猟の勝閧(かちどき)であり、一八一五年は獲物の腐肉である。とそういうのがフイイーのいつもの文句であった。このあわれな労働者は正義の擁護者となり、正義は彼を偉大ならしめて彼にむくいた。実際正当の権利の中には無窮なるものがあったからである。ワルソーを韃靼(ダッタン)化せんとするのは、ヴェニスをゼルマン化せんとするよりもはなはだしい。いかなる国王もそういうことをする時には、ただ労力と名誉とを失うのみである。うち沈められたる祖国も、やがては水面に浮かび上がって再び姿を現わすであろう。ギリシャは再びギリシャとなり、イタリーは再びイタリーとなる。事実に対する権利の抗議は永久に残存する。一民衆を盗むの罪は、時効にかかって消滅するものではない。それら莫大なる詐欺取財は、未来に長く続くものではない。国民はハンカチのように模様を抜き去られるものではない。

 クールフェーラックは、ド・クールフェーラック氏と言われる父を持っていた。王政復古の中流階級が貴族または華族ということについていだいている愚かな考えの一つは、実にこの分詞のドという一字を貴重がったことである。人の知るとおり、この分詞には何らの意味もない。しかし、ミネルヴ時代(訳者注 王政復古の初期)の市民らはこの下らないドの文字をあまりに高く敬っていたので、それを廃止しなければならないと思われるほどになった。かくてド・ショーヴラン氏はただショーヴランと呼ばせ、ド・コーマルタン氏はコーマルタンと、ド・コンスタンド・ルベック氏はバンジャマン・コンスタンと、ド・ラファイエット氏はラファイエットと呼ばせるに至った。クールフェーラックもそれにおくれを取るまいとして、ただ簡単にクールフェーラックと自ら呼んだのである。

 クールフェーラックについては、それだけでほとんど十分である。そしてただ、クールフェーラックならばまずトロミエスを見よ、と言うだけに止めておこう。

 実際クールフェーラックは、機才めの美とも称し得る若々しい元気を持っていた。ただ後になるとそういうものは、小猫のやさしさがなくなるように消え失せてしまい、その優美さも二本の足で立てば市民となり、四本の足で立てば牡猫(おすねこ)となるものである。

 かかる種類の精神は、代々の学生に、代々の若々しい芽に、相次いで伝えられ手から手へ渡りゆき、競争者のごとくに走り回り、そして常に何らの変化をもほとんど受けないものである。かくして、前に述べたとおり、一八二八年のクールフェーラックの言うことを聞く者は、一八一七年のトロミエスの言うことを聞く思いがするであろう。ただクールフェーラックは善良な男であった。見たところ外部的の精神は同じであるが、彼とトロミエスとの間には大なる差違があった。彼らのうちに潜在している人間は、前者と後者とではひどく異なっていた。トロミエスのうちには一人の検事があり、クールフェーラックのうちには一人の洒落武士(しゃれぶし)があった。

 アンジョーラは首領、コンブフェールは指導者、クールフェーラックは中心であった。他の二者がより多く光明を与えたとすれば、彼はより多く温熱を与えた。実際、彼は中心たるすべての特長、丸みと喜色とを持っていたのである。

 バオレルは一八二二年六月の血腥(ちなまぐさ)い騒動の時、若いラールマンの葬式のおりに顔を出したことがあった。

 バオレルはいつも上きげんで、悪友で、勇者で、金使いが荒く、太っ腹なるまでに放蕩者(ほうとうもの)で、雄弁なるまでに饒舌(じょうぜつ)で、暴慢なるまでに大胆であった。最も善良なる魔性の者であった。大胆なチョッキをつけ、まっかな意見を持っていた。偉大なる騒擾者(そうじょうしゃ)、言いかえれば、騒乱のない時には喧嘩(けんか)ほど好きなものはなく、革命のない時には騒乱ほどの好きなものはなかった。いつでも窓ガラスをこわしたり、街路の舗石(しきいし)をめくったり、政府を顛覆(てんぷく)したりすることをやりかねない男で、そういうことをして結果を見たがっていた。十一年間も大学にとどまっていた。法律のにおいをかいだが、それを大成したことはなかった。「決して弁護士にならず」というのをモットーとし、寝床側のテーブルを戸棚とし、その中に角帽が見えていた。法律学校の前に現れることはまれだったが、そういう時はいつも、ラシャ外套(がいとう)はまだ発明されていなかったので、フロックのボタンをよくかけて衛生上の注意をしていた。学校の正門について、「何というひどい老いぼれ方だ!」と言い、校長のデルヴァンクール氏について、「何という記念碑だ!」といっていた。講義のうちに歌の材料を見つけたり、教授らのうちに漫画の種を見いだしたりしていた。かなり多額な学資、年に三千フランほども、くだらないことに費やしてしまった。彼には田舎者(いなかもの)の両親があったが、その親たちに自分を深く尊敬させるような術を心得ていた。

 彼は両親のことをこう言っていた。「彼らは田舎者で、市民ではない。だからいくらか頭があるんだ。」

 気まぐれなバオレルは、多くのカフェーに出入りした。他の者はどこかなじみの家を持っていたが、彼はそんなものを持たなかった。彼はやたらに彷徨(ほうこう)した。錯誤は人間的で、彷徨はパリーっ児的である。彼の奥底には洞察力があり、見かけによらぬ思索力があった。

 彼はABCの友と、未だ成立しないが早晩形造られるべき他の団体との間の、連鎖となっていた。

 それら青年の集会所のうちには、ひとり禿頭(はげあたま)の会員がいた。

 ルイ十八世が国外に亡命せんとする日、それを辻馬車(つじばしゃ)の中に助け入れたので公爵となされたアヴァレー侯爵が、次のような話をした。一八一四年、フランスに戻らんとして王がカレーに上陸した時、ひとりの男が王に請願書を差し出した。「何か望みなのか、」と王は言った。「陛下、郵便局が望みでござります。」「名は何という?」「レーグルと申します。」

 王は眉(まゆ)をひそめ、請願書の署名をながめ、レグルと書かれた名を見た。このいくらかボナパルト的でない綴字(つづりじ)(訳者注 レーグルとは鷲の意にしてナポレオンの紋章)王は心を動かされて、微笑を浮かべた。「陛下、」と請願書を差し出した男は言った、「私には、レグール(訳者注 顎の意)という綽名(あだな)を持っていました犬番の先祖がありまして、その綽名が私の名前となったのであります。私はレグールと申します。それをつづめてレグル、また少しかえてレーグルと申すのであります。」それで王はほほえんでしまった。後に、故意にかあるいは偶然にか、王は彼にモーの郵便局を与えた。

 禿頭(はげあたま)の会員は、実にこのレグルもしくはレーグルの息子で、レーグル(ド・モー)と署名していた。彼の仲間は、手軽なので彼をボシュエと呼んでいた。

 ボシュエは、不幸を有する快活な男であった。彼の十八番(おはこ)は、何事にも成功しないことだった。それでかえって彼は何事をも笑ってすましていた。二十五歳にして既に禿頭だった。彼の父は一軒の家屋と一つの畑とを所有するに至った。しかしその息子たる彼は、投機に手を出したのがまちがいの元で、まっさきにその家と畑とをなくしてしまった。それでもう彼には何物も残っていなかった。彼は学問があり才があったが、うまくゆかなかった。すべての事がぐれはまになり、すべてのことがくい違った。自分でうち立てるすべての物が、自分の上にくずれかかった。木を割れば指を傷つける、情婦ができたかと思えばその女には他にいい人があるのを間もなく発見する。始終何かの不幸が彼に起こってきた。そういうところから彼の快活が由来したのである。彼は言っていた、「僕は瓦(かわら)がくずれ落ちる屋根の下に住んでいるんだ。」驚くことはまれで、なぜなら事変が起こるのがあらかじめわかっているのだから、いけない時でも平気に構えており、運命の意地悪さにも笑っていて、まるで冗談をきいてる人のようだった。貧乏ではあったが、彼の上きげんのポケットはいつも無尽蔵だった。すぐに一文なしになってしまうが、笑い声はいつまでも尽きなかった。窮境がやってきても彼はその古馴染(なじみ)に親しく会釈した。災厄をも親しく遇した。不運ともよく馴染み、その綽名(あだな)を呼びかけるほどになっていた。「鬼門(きもん)さん、今日は、」と彼はいつも言った。

 その運命の迫害が、彼を発明家にしてしまった。彼は種々の妙策を持っていた。少しも金は持たなかったが、気が向くと「思うままの荒使い」をする術(すべ)を知っていた。ある晩、彼はある蓮葉女(はすはおんな)と夜食をして、ついに「百フラン」を使い果たしてしまった。そしてそのばか騒ぎのうちに、次のようなすてきな言葉を思いついた。「サン・ルイの娘よ、僕の靴をぬげ。」(訳者注 サン・ルイは百フラン、そしてまたルイ王にかけた言葉)

 ボシュエは弁護士職の方へ進むのに少しも急がなかった。彼はバオレルのようなやり方で法律を学んだ。ボシュエはほとんど住所を持っていなかった。ある時はまったくなかった。方々を泊まり歩いた、そしてジョリーの家へ泊まることが一番多かった。ジョリーは医学生だった。彼はボシュエよりも二つ若かった。

 ジョリーは、若い神経病みだった。医学から得たところのものは、医者となることよりむしろ病人となることだった。二十三歳で彼は自分を多病者と思い込み、鏡に舌を写して見ることに日を送っていた。人間は針のように磁気に感ずるものだと断言して、夜分血液の循環が地球の磁気の大流に逆らわないようにと、頭を南に足を北にして牀(とこ)を伸べた。嵐のある時は自分で脈を取って見た。その上連中のうちで一番快活だった。若さ、病的、気弱さ、快活さ、すべてそれら個々のものは、うまくいっしょに同居して、それから愉快な変人ができ上がって、それを仲間らは、音をたくさん浪費して、ジョリリリリーと呼んでいた。「君は四り(四里)も飛び回れるんだ」とジャン・プルーヴェールは彼に言っていた。

 ジョリーはステッキの先を鼻の頭につける癖があった。それは鋭敏な精神を持ってるしるしである。

 かようにそれぞれ異なってはいるが、全体としてはまじめに取り扱うべきであるこれらの青年は、同じ一つの信仰を持っていた。それは「進歩」ということである。

 すべての人々は、フランス大革命から生まれた嫡子であった。最も軽佻(けいちょう)な者でも、一七八九年という年を言うときはおごそかになった。彼らの肉身の父は、中心党で王党で正理党で、あるかまたはあった。しかしそれはどうでもいいことである。若い彼らの雑多な前時代は彼らには少しも関係を及ぼさなかった。主義という純潔な血が、彼らの血管には流れていた。彼らは何ら中間の陰影もなく直接に、清純なる権利と絶対なる義務とに愛着していた。

 その主義にいったん加盟入会した彼らは、ひそかに理想を描いていた。

 すべてそれら燃えたる魂のうちに、確信せる精神のうちに、ひとりの懐疑家があった。彼はどうしてそこにはいってきたのであるか。あらゆる色の取り合わせによってであった。その懐疑家をグランテールと呼び、いつもその判じ名のRを署名した(訳者注 グランテールという音は大字Rという意を現わす)。グランテールは何事をも信じようとはしなかった男である。それに彼は、パリー学問の間に最も多く種々なことを知った学生のひとりだった。最もよい珈琲(コーヒー)はランブラン珈琲店にあり、最もよい撞球台(たまつきだい)はヴォルテール珈琲店にあることを知っていた。メーヌ大通りのエルミタージュにはよい菓子とよい娘とがあること、サゲーお上さんの家にはみごとな鶏料理ができること、キュネットの市門にはすばらしい魚料理があること、コンバの市門にはちょっとした白葡萄酒(しろぶどうしゅ)があること、などを知っていた。あらゆるものについて、彼は上等の場所を知っていた。その上、足蹴術を心得ており、舞踏をも少し知っており、また桿棒術に長じていた。そのほかまた非常な酒飲みだった。彼は極端に醜い男だった。当時の最もきれいな靴縫(くつぬ)い女であったイルマ・ボアシーは、彼の醜さにあきれて、「グランテールはしようがない」という判決を下した。しかしグランテールのうぬぼれはそれを少しも意としなかった。彼はいかなる女でもやさしくじっと見つめ、「俺が思いさえしたら、なあに」と言うようなようすをして、一般に女にもてると仲間たちに信じさせようとしていた。

 民衆の権利、人間の権利、社会の約束、仏蘭西(フランス)革命、共和、民主主義、人道、文明、宗教、進歩、などというすべての言葉は、グランテールにとってはほとんど何らの意味をもなさなかった。彼はそれらを笑っていた。懐疑主義、この知力のひからびた潰瘍(かいよう)は、彼の精神の中に完全な観念を一つも残さなかった。彼は皮肉とともに生きていた。彼の格言はこうであった、「世には一つの確かなることあるのみ、そはわが満ちたる杯なり。」兄弟であろうと父であろうと、弟のロベスピエールであろうとロアズロールであろうと、すべていかなる方面におけるいかなる献身をも彼はあざけっていた。

「死んだとはよほどの進歩だ。」と彼は叫んでいた。十字架像のことをこう言っていた、「うまく成功した絞首台だ。」彷徨(ほうこう)者で、賭博(とばく)者で、放蕩(ほうとう)者で、たいてい酔っ払ってる彼は、絶えず次のような歌を歌って、仲間の若い夢想家らに不快を与えていた。「若い娘がかわいいよ、よい葡萄酒がかわいいよ。」節(ふし)は「アンリ四世万々歳」の歌と同じだった。

 それにこの懐疑家は、一つの狂的信仰を有していた。それは観念でもなく、教理でもなく、芸術でもなく、学問でもなかった。それはひとりの人間で、しかもアンジョーラであった。グランテールはアンジョーラを賛美し、愛し、尊んでいた。この無政府的懐疑家が、それら絶対的精神者の一群の中にあって、だれに結びついたかというに、その最も絶対的なるものにであった。いかにしてアンジョーラは彼を征服したか。思想をもってか。否。性格をもってである。これはしばしば見られる現象である。信仰者に懐疑家が結びつくということは、補色の法則の示すとおり至って普通なことである。われわれに欠けているものはわれわれを引きつける。盲人ほど日の光を愛するものはない。侏儒(しゅじゅ)は連隊の鼓手長を崇拝する。蟇(がま)は常に目を空の方に向ける、なぜであるか、鳥の飛ぶのを見んがためである。心中に懐疑のはい回ってるグランテールは、アンジョーラの中に信仰の飛翔(ひしょう)するのを見るのを好んだ。彼にはアンジョーラが必要だった。彼は自らそれを明らかに意識することなく、自らその理由を解こうと考えることなく、ただアンジョーラの清い健全な確固な正直な一徹な誠実な性質に、まったく魅せられてしまった。彼は本能的にその反対のものを賛美した。彼の柔軟なたわみやすいはずれがちな病的な畸形(きけい)な思想は、背骨にまといつくがようにアンジョーラにまといついた。彼の精神的背景は、アンジョーラの確固さによりかかった。グランテールもアンジョーラのそばにいれば、一個の人物のようになった。また彼自身は、外見上両立し難い二つの要素から成っていた。彼は皮肉であり、信実であった。彼の冷淡さは愛を持っていた。彼の精神は信仰なくしてもすますことができたが、彼の心は友情なくしてすますことができなかった。それは深い矛盾である。なぜなれば愛情は信念であるから。彼の性質はそういうものだった。世には物の裏面となり背面となり裏となるために生まれた人々がある。ポルークス、パトロクロス、ニソス、エウダミダス、エフェスチオン、ペクメヤ、などはすなわちそれである(訳者注 皆献身的友情を以って名ある古代の人物)。彼らは他人によりかかるという条件でのみ生きている。彼らの名は扈従(こじゅう)である、そして接続詞のとという字の次にしか書かれることがない。彼らの存在は彼ら自身のものではない。自分のものでない他の運命の裏面である。グランテールはそういう人物のひとりだった、彼はアンジョーラの背面であった。

 それらの結合はほとんどアルファベットの文字で始まってると言うこともできるであろう。一続きになす時はOとPとが離すべからざるものとなる。もしよろしくばOとPと言うがいい、すなわちオレステスとピラデスと(訳者注 物語中のオレステスとその友人ピラデス。彼らの頭字はOとP。またアンジョーラとグランテールとの頭字はEとG)

 アンジョーラの本当の従者であったグランテールは、この青年らの会合のうちに住んでいた。彼はそこに生きていた。彼の気に入る場所はそこのみだった。彼は彼らの後にどこへでもついて行った。酒の気炎の中に彼らの姿がゆききするのを見るのが彼の喜びだった。人々は彼の上きげんのゆえに彼を仲間に許していた。

 信仰家なるアンジョーラは、その懐疑家を軽蔑していた。自分が節制であるだけにその酔っ払いをいやしんでいた。また昂然(こうぜん)たる憐憫(れんびん)を少しはかけてやっていた。グランテールは少しも認められないピラデスであった。常にアンジョーラに苛酷に取り扱われ、てきびしく排斥され拒絶されていたが、それでもまたやってきて、アンジョーラのことをこう言っていた。「何という美しい大理石のような男だろう。」

     二 ブロンドーに対するボシュエの弔辞

 ある日の午後、前に述べておいた事件とちょうど一致することになるが、レーグル・ド・モーはミューザン珈琲(コーヒー)店の戸口の枠飾(わくかざ)りの所によりかかってうっとりとしていた。彼は浮き出しにされた人像柱のようなありさまをしていた。ただ自分の夢想にふけっていた。彼はサン・ミシェル広場をながめていた。よりかかることは立ちながら寝ることで、夢想家にとっては少しもいやなことではない。レーグル・ド・モーは前々日法律学校でふりかかったくだらない失策のことを考えていたが、別に憂わしいふうもなかった。それは彼一個の将来の計画、もとよりずいぶんぼんやりしたものではあったが、その計画を変化させてしまったのである。

 夢想していても馬車は通るし、夢想家とても馬車は目につく。ぼんやりとあちらこちらに目をさ迷わせていたレーグル・ド・モーは、その夢現(ゆめうつつ)のうちに、広場にさしかかってきた二輪馬車を認めた。馬車は並み足でどこを当てともなさそうに進んでいた。あの馬車はだれの所へ行こうとするのだろう。どうして並み足でゆっくり行くのだろう。レーグルはそれをながめた。馬車の中には、御者のそばに一人の青年が乗っていた。そして青年の前には、かなり大きな旅行鞄(りょこうかばん)が置いてあった。鞄に縫いつけられた厚紙には、大きな黒い文字の名前が見えていた、「マリユス・ポンメルシー。」

 その名前を見てレーグルの態度は変わった。彼はぐっと身を起こして、馬車の中の青年を呼びかけた。

「マリユス・ポンメルシー君!」

 呼びかけられた馬車は止まった。

 その青年もやはり深く考え込んでるようだったが、目を上げた。

「えー?」と彼は言った。

「君はマリユス・ポンメルシー君だろう。」

「もちろん。」

「僕は君をさがしていたんだ。」とレーグル・ド・モーは言った。

「どうして?」とマリユスは尋ねた。彼はまさしく祖父の家を飛び出してきたばかりのところだった。そして今眼前に立ってるのはかつて見たこともない顔だった。「僕は君を知らないが。」

「僕だってそのとおり。僕は君を少しも知らない。」とレーグルは答えた。

 マリユスは道化者にでも出会ったように思い、往来のまんなかでまやかしを初められたのだと思った。彼はその時あまりきげんのいい方ではなかった。眉(まゆ)をひそめた。レーグル・ド・モーは落ち着き払って言い続けた。

「君は一昨日学校へこなかったね。」

「そうかも知れない。」

「いや確かにそうだ。」

「君は学生なのか。」とマリユスは尋ねた。

「そうだ。君と同じだ。一昨日、ふと思い出して僕は学校へ行ってみた。ねえ君、ときどきそんな考えだって起こるものさ。教師がちょうど点呼をやっていた。君も知らないことはないだろうが、そういう時奴(やつ)らは実際滑稽(こっけい)なことをするね。三度名を呼んで答えがないと、名前が消されてしまうんだ。すると六十フラン飛んでいってしまうさ。」

 マリユスは耳を傾け初めた。レーグルは言い続けた。

「出席をつけたのはブロンドーだった。君はブロンドーを知ってるかね、ひどくとがったずいぶん意地悪そうな鼻をしている奴さ。欠席者をかぎ出すのを喜びとしてる奴さ。あいつ狡猾(こうかつ)にホという文字から初めやがった。僕は聞いていなかった。そういう文字では僕は少しも損害をうける訳がないんだからね。点呼はうまくいった。消される者は一人もなかった。皆出席だったんだ。ブロンドーの奴悲観していたね。僕はひそかに言ってやった、ブロンドー先生、今日は少しもいじめる種がありませんねって。すると突然ブロンドーは、マリユス・ポンメルシーと呼んだ。だれも答えなかった。ブロンドーは希望にあふれて、いっそう大きな声でくり返した、マリユス・ポンメルシー。そして彼はペンを取り上げた。君、僕には腸(はらわた)があるんだからね。僕は急いで考えたんだ。これは豪(えら)い奴だぞ、名を消されようとしている。待てよ。ずぼらなおもしろい奴に違いない。善良な学生ではないな。床の間の置き物みたいな奴ではないな。勉強家ではないな。科学や文学や神学や哲学を自慢する嘴(くちばし)の黄色い衒学者(げんがくしゃ)ではないな。くだらぬことにおめかししてる愚物ではないな。敬すべきなまけ者に違いない。そこらをうろついてるか、転地としゃれ込んでるか、浮わ気女工とふざけてるか、美人をつけ回してるか、あるいは今時分俺(おれ)の女のもとへでも入り浸ってるかも知れないぞ。よし助けてやれ。一つブロンドーの奴をやっつけてやれ! その時ブロンドーは抹殺(まっさつ)の黒ペンをインキに浸して、茶色の目玉で聴講者を見回して、三度目に繰り返した、マリユス・ポンメルシー! 僕は答えた、はい! それで君は消しを食わなかったんだ。」

「君!……」とマリユスは言った。

「そしてそれで、僕の方が消しを食っちゃった。」とレーグル・ド・モーは言い添えた。

「君の言うことはわからない。」とマリユスは言った。

 レーグルは言った。

「わかってるじゃないか。僕は返事をするために講壇の近くにいて、逃げ出すために扉(とびら)の近くにいたんだ。教師は僕を何だかじっと見つめていた。するとブロンドーの奴(やつ)、ボアローが説いた意地悪の鼻に違いない、突然レの字へ飛び込んできやがった。それは僕の文字なんだ。僕はモーの者で、レグルと言うんだ。」

「レーグル!」とマリユスは言葉をはさんだ、「いい名だね。」(訳者注 レーグルすなわち鷲はナポレオンの紋章で、彼はナポレオン崇拝家である)

「ブロンドーはそのいい名前の所へやってきたんだ。そして叫んだ、レーグル! 僕は答えた。はい! するとブロンドーの奴、虎(とら)のようなやさしさで僕をながめ、薄ら笑いをして言いやがった。君はポンメルシーなら、レーグルではあるまい。この一言は君にとってあまり有り難くないようだが、実はそのいまいましい味をなめたのは僕だけさ。彼奴(あいつ)はそう言って、僕の名を消してしまった。」

 マリユスは叫んだ。

「それは実に……。」

「まず何よりも、」とレーグルはさえぎった、「何とかうまい賛辞のうちにブロンドーをお陀仏(だぶつ)にしてやりたいんだ。奴を死んだ者と仮定する。元来やせてはいるし、顔色は青白いし、冷たいし、硬(こわ)ばってるし、変な臭(にお)いがするし、死んだところで大した変わりはないだろう。そこで僕はこう言ってやろう。――爾(なんじ)地を裁く者よ思い知れ。この所にブロンドー横たわる、鼻のブロンドー、ブロンドー・ナジカ(鼻ブロンドー)、規則の牡牛(おうし)、ボス・ディシプリネ(規則牛)、命令の番犬、点呼の天使、彼は実にまっすぐであり、四角であり、正確であり、厳正であり、正直であり、嫌悪(けんお)すべきものなりき。わが名を彼が消したるがごとく、彼の名を神は消したまえり。」

 マリユスは言った。

「僕はまったく……。」

「青年よ、」とレーグル・ド・モーは続けて言った、「これは汝の教えとならんことを。以来は必ずきちょうめんなれ。」

「何とも申し訳がない。」

「汝の隣人をして再び名を消さるるに至らしむることなかれ。」

「僕は何とも……。」

 レーグルは笑い出した。

「そして僕は愉快だ。も少しで弁護士になるところだったが、その抹殺で救われたわけだ。弁護士などという月桂冠(げっけいかん)はおやめだ。これで後家の弁護もしなくていいし、孤児を苦しめることもしなくてすむ。弁護士服もおさらばだ、見習い出勤もおさらばだ。いよいよ除名が得られたわけだ。そして皆君のおかげだ。ポンメルシー君。改めて感謝の訪問をするつもりでいる。君はどこに住んでるんだ。」

「この馬車の中だよ。」とマリユスは言った。

「ぜいたくなわけだね。」とレーグルは平気で答えた。「君のために祝そう。そこにいたら年に九千フランは家賃を払わなきゃなるまいね。」

 その時クールフェーラックが珈琲(コーヒー)店から出てきた。

 マリユスは寂しげにほほえんだ。

「僕は二時間前からこの借家にいるんだが、もう出ようと思ってる。だがよくあるような話で、どこへ行っていいかわからないんだ。」

「君、」とクールフェーラックは言った、「僕の家にきたまえ。」

「僕の方に先取権はあるんだが、」とレーグルは言葉をはさんだ、「悲しいかな自分の家というのがないからな。」

「黙っておれよ、ボシュエ。」とクールフェーラックは言った。

「ボシュエだと、」とマリユスは言った、「君はレーグルというんじゃなかったかね。」

「そしてド・モーだ。」とレーグルは答えた。「変名ボシュエ。」

 クールフェーラックは馬車にはいってきた。

「御者、」と彼は言った、「ポルト・サン・ジャックの宿屋だ。」

 そしてその晩、ポルト・サン・ジャックの宿屋の一室に、クールフェーラックの隣室に、マリユスは落ち着いた。

     三 マリユスの驚き

 数日のうちに、マリユスはクールフェーラックの親友となってしまった。青年時代にはすぐに親密になり、受けた傷もたちまちなおるものである。マリユスはクールフェーラックのそばにいて自由な空気を呼吸した。それは彼にとってまったく新奇なことだった。クールフェーラックは彼に何も尋ねはしなかった。そんなことは考えもしなかった。そのような年ごろでは、顔つきを見れば直ちにすべてが看取されるものである。言葉なぞは無用である。顔がおしゃべりをするという青年が世にはいる。互いに顔を見合わせれば、互いに心がわかってしまう。

 けれどもある朝、クールフェーラックは突然彼にこういう問いを発した。

「時に君は何か政治的意見を持ってるかね。」

「何だって!」とマリユスはその問に気を悪くして言った。

「君は何派だと言うんだ。」

「民主的ボナパルト派だ。」

「鼠色(ねずみいろ)のおとなしい奴(やつ)だな。」とクールフェーラックは言った。

 翌日、クールフェーラックはマリユスをミューザン珈琲(コーヒー)店に導いた。それから彼は、微笑を浮かべてマリユスの耳にささやいた、「僕は君を革命に巻き込んでやらなけりゃならない。」そして彼をABCの友の室(へや)へ連れて行った。彼はマリユスを仲間の者らに紹介して、低い声で「生徒だ」とただ一言言った。マリユスにはそれが何の意味だかわからなかった。

 マリユスは多くの精神の蜂(はち)の巣の中に落ち込んだ。もとより彼は無口で沈重であったが、飛ぶべき翼もなく戦うべき武器も持たない人間ではなかった。

 マリユスはその時まで孤独で、習慣と趣味とによって独語と傍白とに傾いていたので、まわりに飛び回ってる青年らにいささか辟易(へきえき)した。それら種々のはつらつたる若者は、同時に彼を襲い彼を引っ張り合った。自由と活動とのうちにあるそれら精神の入り乱れた騒ぎを見ては、彼の思想は旋風のように渦(うず)をまいた。時とするとその思想は混乱して、遠く逃げ去って再び取り戻し得ないかとも思われた。哲学、文学、美術、歴史、宗教、すべてが思い設けないやり方で語られるのを彼は聞いた。彼は不思議な境地を瞥見(べっけん)した。そして適当な視点に置いてそれらを見なかったので、何だか渾沌界(こんとんかい)を見るような心地だった。彼は父の意見に従うために祖父の意見をすてて、自ら心が定まったと思っていた。しかるに今や、まだ心が定まってはいないのではないかという気がして、不安でもあるがまたそう自認もできかねた。今まですべてのものを見ていた角度は、再びぐらつき初めた。一種の震動が彼の頭脳の全世界を動揺さした。内心の不可思議な動乱であった。彼はそれにほとんど苦悩を覚えた。

 その青年らには、「神聖にされたるもの」は一つもないがようだった。あらゆることについて独特な言をマリユスは聞いた。それはまだ臆病(おくびょう)な彼の精神にはわずらいとなった。

 いわゆるクラシックの古い興行物の悲劇の題が書いてある芝居の広告が出ていた。「市民らが大事にしてる悲劇なんぞやめっちまえ!」とバオレルは叫んだ。するとコンブフェールが次のように答えるのをマリユスは聞いた。

「バオレル、君はまちがってる。市民階級は悲劇を愛するものだ。この点だけはほうっておくがいい。鬘(かつら)の悲劇にも存在の理由がある。僕はアイスキロスを持ち出してその存在の権利を否定する輩(やから)ではない。自然のうちには草案があるんだ。創造のうちにはまったく擬作の時代があるんだ。嘴(くちばし)でない嘴、翼でない翼、蹼(みずかき)でない蹼、足でない足、笑いたくなるような悲しい泣き声、そういうもので家鴨(あひる)は成り立ってる。そこで、家禽(かきん)が本当の鳥と並び存する以上は、クラシックの悲劇も古代悲劇と並び存していけないはずはない。」

 あるいはまた偶然、マリユスはアンジョーラとクールフェーラックとの間にはさまって、ジャン・ジャック・ルーソー街を通った。

 クールフェーラックは彼の腕をとらえた。

「いいかね。これはプラートリエール街だ。しかるに六十年ほど前に一風変わった家族が住んでいたために、今日ではジャン・ジャック・ルーソー街と名づけられてる。その家族というのは、ジャン・ジャックとテレーズだった。時々そこでは赤ん坊が生まれた。テレーズがそれを生むと、ジャン・ジャックがそれを捨ててしまった。」

 すると、アンジョーラはクールフェーラックを肱(ひじ)でつっついた。

「ジャン・ジャックに対しては黙っていたまえ。僕はその男を賛美しているんだ。彼は自分の子を打ち捨てはしたさ。しかし彼は民衆を拾い上げたじゃないか。」

 その青年らはだれも、「皇帝」という言葉を口にしなかった。一人ジャン・プルーヴェールだけは時々ナポレオンと言った。ほかの者らは皆ボナパルトと言っていた。アンジョーラはブオナパルトと発音していた。

 マリユスは漠然(ばくぜん)と驚きを感じた。知恵のはじめなり。(訳者注 神を―帝王を―恐るるは知恵のはじめなり)

     四 ミューザン珈琲(コーヒー)店の奥室

 それらの青年らの会話には、マリユスもい合わしまた時々は口出しをしたが、そのうちの一つは、彼の精神に対して真の動揺を及ぼした。

 それはミューザン珈琲店の奥室で行なわれた。その晩、ABCの友のほとんど全部が集まっていた。燈火は煌々(こうこう)とともされていた。人々は激せずしかも騒々しく、種々なことを話していた。沈黙してるアンジョーラとマリユスとを除いては、皆手当たりしだいに弁じ立てていた。仲間同士の話というものは、しばしばそういう平和な喧騒(けんそう)をきたすものである。それは会話であると同時にカルタ遊びであり混雑であった。人々は言葉を投げ合っては、その言葉じりをつかみ合っていた。人々は方々のすみずみで話をしていた。

 だれも女はこの奥室に入るのを許されていなかった。ただルイゾンという珈琲皿を洗う女だけは許されていて、時々洗い場から「実験室」(料理場)へ行くためにそこを通っていた。

 すっかりいい気持ちに酔ってるグランテールは、一隅(いちぐう)に陣取ってしゃべり立てていた。彼は屁理屈(へりくつ)をこね回して叫んでいた。

「ああ喉(のど)がかわいた。諸君、僕には一つの望みがあるんだ。ハイデルベルヒの酒樽(さかだる)が中気にかかって、蛭(ひる)を十二匹ばかりそれにあてがってやりたいというんだ。僕は酒が飲みたい。僕は人生を忘れたい。人生とはだれかが考え出したいやな発明品だ。そんなものは長続きのするものではない、何の価もあるものではない。生きることにおいて人は首の骨をくじいている。人生とは実際の役に立たない飾り物だ。幸福とは片面だけ色を塗った古額に過ぎない。伝道之書は言う、すべて空(くう)なり。おそらくかつて存在しなかったかも知れないその善人と、僕は同様の考えを持っている。零(ゼロ)はまっ裸で歩くことを欲しないから、虚栄の衣をまとうのだ。おお虚栄! 仰山な言葉ですべてに衣を着せたもの、台所は実験室となり、踊り児は先生となり、道化者は体育家となり、拳闘家(けんとうか)は闘士となり、薬局の小僧は化学者となり、鬘師(かつらし)は美術家となり、泥工は建築師となり、御者は遊猟者となり、草鞋虫(わらじむし)は翼鰓虫となる。虚栄には表裏両面がある。表面は愚で、ガラス玉をつけた黒人(くろんぼ)だ。裏面はばかで、ぼろをつけた哲学者だ。僕は前者を泣き、後者を笑う。名誉とか威厳とか言われるもの、名誉および威厳そのものも、一般に人造金でできてるに過ぎない。国王は人間の自尊心を玩具(おもちゃ)にしてるんだ。カリグラは馬を督政官にした。シャール二世は牛肉を騎士にした。ゆえに諸君は、督政官インシタツスと従男爵ローストビーフ(訳者注 前者は馬、後者は焼き肉)との間をいばり歩くべしだ。人間の真価に至っては、もはやほとんど尊敬さるる価値がなくなってる。隣同士の賛辞をきいてみたまえ。白に白を重ねるとひどいことになる。白百合(しろゆり)が口を開くとすれば、いかに鳩(はと)のことを悪口するだろうか。狂信者をそしる盲信者は、蝮蛇(まむし)や青蛇(あおへび)よりももっと有害な口をきく。僕が無学なのは残念なわけだ。種々たくさん例をあげたいが、僕は何にも知らない。だが僕は常に機才を有していたんだ。グロの弟子(でし)になっていた時には、雑画を書きなぐるよりも林檎(りんご)を盗んで日を送ったものだ。ラパン(下手画工)はラピーヌ(奪略)の男性だ。僕はそれだけの人間だ。しかし君らだって僕と同じようなものさ。僕は諸君の完全無欠や優越や美点を何とも思わない。すべての美点は欠点のうちに投げ込まれるものだ。倹約は吝嗇(りんしょく)に近く、寛大は浪費に接し、勇気はからいばりに隣する。きわめて敬虔(けいけん)なことを云々(うんぬん)する者は、多少迷信的な言葉を発するものだ。ディオゲネスの外套(がいとう)に穴があると同じく、徳の中にもまさしく悪徳がある。諸君はいずれを賛美するか、殺されたる者と殺したる者と、すなわちシーザーとブルツスとを。一般に人は殺した者の方に味方する。ブルツス万歳、彼は人殺しをした。すべて徳とはそんなものさ。徳というか、それもいい、しかしそれはまた狂気だ。そういう偉人には不思議な汚点がある。シーザーを殺したブルツスは、小さな男の児の像に惚(ほ)れ込んだ。その像はギリシャの彫刻家ストロンジリオンの作ったものだ。彼はまた美しき脚(あし)と呼ばるる女傑エウクネモスの姿を刻んだ。するとネロが旅行中にそれを持ち去ってしまった。そしてこのストロンジリオンは、ブルツスとネロとを一致せしめた二つの彫像しか後世に残さなかった。ブルツスは一方に惚れ込み、ネロは他方に惚れ込んだ。歴史なるものは長たらしいむだ口に過ぎない。一つの世紀は他の世紀の模倣にすぎない。マレンゴーの戦いはピドナの戦いの模写であり、クロヴィスのトルビアックの戦いとナポレオンのアウステルリッツの戦いとは、二滴の血潮のように似通っている。僕は戦勝を尊敬しはしない。戦いに勝つというほどばかげたことはない。真の光栄は信服せしむることにある。まあ何か証明せんと努めてみたまえ。諸君は成功して満足するが、それも何というつまらないことだ。諸君は打ち勝って満足するが、それは何というみじめなことだ。ああ至る所、虚栄と卑怯(ひきょう)とのみだ。すべては成功にのみ臣事している。文法までがそうだ。万人成功を欲す、とホラチウスは言った。だから僕は人類を軽蔑(けいべつ)する。全から部分へ下れと言うのか。諸君は僕に民族を賛美し初めよと言うのか。乞(こ)うまずいかなる民族をやだ。ギリシャなのか。昔のパリー人たるアテネ人らは、あたかもパリー人らがコリニーを殺したようにフォキオンを殺し、アナセフォラスがピシストラッスのことを、彼の尿は蜜蜂(みつばち)を呼ぶと言ったほどに、暴君に媚(こ)びていたのだ。五十年間ギリシャで最も著名な人物は、文法家のフィレタスだった。きわめてちっぽけなやせ男だから、風に吹き飛ばされないようにと靴(くつ)に鉛をつけておかなければならなかった。コリントの大広場には、シラニオンが彫刻しプリニウスが類別した像が立っていた。それはエピスタテスの像だ。ところがエピスタテスという男は何をしたか。彼は足がらみを発明したにすぎない。ギリシャとその光栄とは、それだけのうちにあるんだ。それから他の例に移ってみよう。僕はイギリスを賞賛すべきなのか。フランスを賛美すべきなのか。フランスだって? そしてその理由もパリーがあるためなのか。しかし昔のパリーたるアテネについての意見は今述べたとおりだ。またイギリスの方は、ロンドンがあるためなのか。僕は昔のロンドンたるカルタゴがきらいだ。それからロンドンは、華美の都だがまた悲惨の首府だ。チャーリング・クロス教区だけでも、年に百人の餓死者がある。アルビオン(訳者注 古代ギリシャ人がイギリスに付せし名称)とはそういう所だ。なおその上、薔薇(ばら)の冠と青眼鏡(あおめがね)とをつけて踊ってるイギリスの女を見たこともあると、僕はつけ加えよう。イギリスなどはいやなことだ。しからば、ジョンブルを賛美しないとすれば、その弟のジョナサンを賛美せよと言うのか。僕はこの奴隷(どれい)ばかりの弟は味わいたくない。時は金なりという言葉を除けば、イギリスには何が残るか。綿は王なりという言葉を除けば、アメリカには何が残るか。またドイツは淋巴液(りんぱえき)であり、イタリーは胆汁(たんじゅう)だ。あるいはロシアを喜ぶべきであるか。ヴォルテールはロシアを賛美した、また支那をも賛美した。僕とても、ロシアは美を有している、なかんずくすぐれたる専制政治を有している、ということは認むる。だが僕は専制君主を気の毒に思うものだ。彼らの生命は弱々しいものだ。ひとりのアレキシスは斬首(ざんしゅ)され、ひとりのピーターは刺殺され、ひとりのポールは絞殺され、もひとりのポールは靴の踵(かかと)で踏みつぶされ、多くのイワンは喉を裂かれ、数多のニコラスやバジルは毒殺されたのだ。そしてそれらのことは、ロシア皇帝の宮殿が明らかに不健康な状態にあることを示すものだ。開化せるあらゆる民族は、戦争という一事を持ち出して思想家に賛美させる。しかるに戦争は、文明的戦争は、ヤクサ山の入り口における強盗の略奪より、パス・ドートゥーズにおけるコマンシュ土蛮の劫掠(ごうりゃく)に至るまで、山賊のあらゆる形式を取り用い寄せ集めたものである。諸君は僕に言うだろう、なあに、ヨーロッパはそれでもアジアよりはすぐれたる価値を持ってるではないかと。僕もアジアは滑稽(こっけい)であることに同意する。しかし僕は諸君は達頼喇嘛(ダライラマ)を笑い得るの権利があるとは認めない。西欧民族たる諸君は、イサベラ女王のきたない下着からフランス皇太子の厠椅子(かわやいす)に至るまで、威厳の箔(はく)をつけたあらゆる汚物を、流行と上品とのうちに混入せしめたではないか。人類諸君、僕は諸君に、ああ止(や)んぬるかなと言いたい。ブラッセルでは最もよく麦酒(ビール)を飲み、ストックホルムでは最もよく火酒(ウォッカ)を飲み、マドリッドでは最もよくチョコレートを、アムステルダムでは最もよくジン酒を、ロンドンでは最もよく葡萄酒(ぶどうしゅ)を、コンスタンチノーブルでは最もよく珈琲(コーヒー)を、パリーでは最もよくアブサントを、人は飲むんだ。そして有用な観念はそういう所にこそ存する。全体としてはパリーが一番すぐれている。パリーでは、屑屋(くずや)に至るまで遊蕩児(ゆうとうじ)である。ディオゲネスも、ピレウスで哲学者たるよりは、パリーのモーベール広場で屑屋たる方がいいと思うに違いない。それからなお、こういうことを学びたまえ。屑屋の酒場はこれを一口屋と称するんだ。その最も有名なのはカスロールとアバットアールとである。そこで、葉茶屋(はじゃや)、面白屋、一杯屋、銘酒屋、寄席(よせ)亭、冷酒屋、舞踏亭、曖昧屋(あいまいや)、一口屋、隊商亭よ、僕こそまさしく快楽児だ。リシャールの家で一人前四十スーの食事をしたこともある。クレオパトラを裸にしてころがすには、ペルシャの絨毯(じゅうたん)がなくてはいけない。クレオパトラはどこにいるんだ。ああお前か、ルイゾン、今日は。」

 酩酊(めいてい)を通り越してるグランテールは、ミューザン珈琲(コーヒー)店の奥室の一隅(いちぐう)で、通りかかった皿洗いの女を捕えて、そんなふうにしゃべり散らした。

 ボシュエは彼の方へ手を差し出して、彼を黙らせようとした。するとグランテールはますますよくしゃべり立てた。

「エーグル・ド・モー、手をおろせ。アルタクセルクセスの古衣を拒むヒポクラテスのようなまねをしたって、僕は何とも思やしない。僕は君のために黙りはしない。その上僕は悲しいんだ。君は僕に何を言ってもらおうというのか。人間というものは悪い奴(やつ)だ、見っともない奴だ。蝶々(ちょうちょう)が勝ちで、人間が負けだ。神はこの動物をつくりそこなった。一群の人間を取ってみるとまったく醜悪の選り抜きとなる。どいつもこいつもみじめなものだ。女(ファンム)は破廉恥(アンファーム)と韻が合うんだ、そうだ、僕は憂鬱病(ゆううつびょう)にかかっている。メランコリーにかき回され、ノスタルジーにかかり、その上ヒポコンデリアだ。そして僕は腹が立ち、憤り、欠伸(あくび)をし、退屈し、苦しみ、いや気がさしてるんだ。神なんか悪魔に行っちまえだ。」

「大文字R(グランテル)、まあ黙っておれったら。」とボシュエは言った。彼はまわりの仲間と権利ということを論じていて、半ば以上裁判の専門語に浸りきっていたが、その結末はこうであった。

「……僕はほとんど法律家とは言えず、たかだか素人(しろうと)検事というくらいのところだが、その僕をして言わしむれば、こういうことになるんだ。ノルマンディーの旧慣法の条項によれば、サン・ミシュルにおいては、毎年、所有者ならびに遺産受理者の全各人によって、他の負担は別として、当価物が貴族のために支払われなければならない、しかしてこれは、すべての永貸契約、賃貸契約、世襲財産、公有官有の契約、抵当書入契約……。」

「木魂(こだま)よ、嘆けるニンフよ……。」とグランテールは口ずさんだ。

 グランテールのそばには、ほとんど黙り返ったテーブルの上に、二つの小さなコップの間に一枚の紙とインキ壺(つぼ)とペンとがあって、小唄(こうた)ができ上がりつつあることを示していた。その大事件は低い声で相談されていて、それに従事しているふたりの者は頭をくっつけ合っていた。

「名前を第一に見つけようじゃないか。名前が出てくれば事がらも見つかるんだ。」

「よろしい。言いたまえ。僕が書くから。」

「ドリモン君としようか。」

「年金所有者か。」

「もちろん。」

「その娘は、セレスティーヌ。」

「……ティーヌと。それから。」

「サンヴァル大佐。」

「サンヴァルは陳腐だ。僕はヴァルサンと言いたいね。」

 小唄を作ろうとしてる人々のそばには他の一群がいて、混雑にまぎらして低い声で決闘を論じていた。年上の三十歳くらいの男が年若の十八歳くらいの男に助言して、相手がどんな奴(やつ)だか説明してやっていた。

「おい気をつけろよ。剣にはあいつかなりな腕を持ってるんだ。ねらいが確かだ。攻撃力があり、すきを失わず、小手と、奇襲と、早術(はやわざ)と、正しい払いと、正確な打ち返しとに巧みなんだ。そして左利(き)きだ。」

 グランテールの向こうの角(すみ)には、ジョリーとバオレルとがドミノ遊びをやり、また恋愛の話をしていた。

「君は幸福だね、」とジョリーは言った。「君の女はいつも笑っている。」

「それがあれの悪いところなんだ。」とバオレルは答えた。「女が笑うというのはいけないものだ。そんなことをされるとだましてやりたくなる。実際、快活な女を見ると後悔するという気は起こらなくなるものだ。悲しい顔をされてると良心が出て来るからね。」

「義理を知らない奴だな。笑う女は非常にいいじゃないか。そして君たちは決してけんかをしたこともなしさ。」

「それは約束によるんだ。僕らはちょっと神聖同盟を結んで互いに国境を定め、それを越えないことにしている。寒風に吹きさらされてる方はヴォーに属し、軟風の方はジェックスに属するというわけだ。そこから平和が生まれるんだ。」

「平和、それは有り難い仕合わせだね。」

「だがね、ジョリリリリー、君はどうしてまた御令嬢とけんかばかりしてるんだ。……御令嬢と言えばわかるだろう。」

「あいつはいつもきまってふくれっ面(つら)ばかりしてるんだ。」

「だが君は、かわいいほどやせほおけた色男だね。」

「ああ!」

「僕だったらあの女をうまく扱ってやるがね。」

「言うはやすしさ。」

「行なうもまた同じだ。ムュジシェッタというんだったね。」

「そうだ。だが君、りっぱな女だぜ。非常に文学が好きで、足が小さく手が小さく、着物の着つけもいいし、まっ白で、肉がよくついていて、カルタ占女(うらない)のような目をしている。僕はすっかり打ち込んじゃった。」

「それじゃあ、ごきげんを取り、上品に振る舞い、膝(ひざ)の骨を働かせなくちゃいかんよ。ストーブの家から毛糸皮のいいズボンを買ってきたまえ。それでうまくいくよ。」

「いくらくらいだ。」とグランテールが叫んだ。

 第三番目のすみでは、夢中になって詩が論ぜられていた。多神教の神話はキリスト教の神話とぶつかり合っていた。オリンポスが問題となっていたが、ジャン・プルーヴェールはロマンティシズムからその味方をしていた。ジャン・プルーヴェールは静かな時しか内気ではなかった。一度興奮しだすとすぐに爆発し、一種の快活さがその熱烈の度を強め、嬉々(きき)たると同時に叙情的になった。

「神々を悪く言いたもうな。」と彼は言った。「神々はおそらく消滅してはしない。ジュピテルは僕にとっては死んだとは思えない。神々は夢にすぎないと君らは言うのか。だが今日のような自然のうちにも、その夢が消え去った後にもまた、あらゆる偉大な多神教的神話が出て来るんだ。たとえば、城砦(じょうさい)の姿をしてるヴィニュマル山(訳者注 ピレーネー山脈の高峰)は、僕にとってはなおキベーレ神の帽子なんだ。またパンの神が夜ごとにやってきて、柳の幹の空洞(くうどう)の穴を一つ一つ指でふさいで笛を吹かないとは限らない。ピスヴァーシュの滝には何かのためにイオの神がやってきてるに違いないと、僕はいつも思ったものだ。」

 最後の第四すみでは、政事が論ぜられていた。人々は特許憲法を酷評していた。コンブフェールは穏やかにそれに賛成していたが、クールフェーラックは忌憚(きたん)なく攻撃の矢を放っていた。テーブルの上には折悪しく有名なトゥーケ法の一部が置いてあった。クールフェーラックはそれをつかんで打ち振り、その紙の音を自分の議論に交じえていた。

「第一に、僕は王を好まない。経済の点から言っても好ましくない。王とは寄食者だ。王を養うには費用がかかるんだ。聞きたまえ。王というものは高価なものなんだ。フランソア一世が死んだ時、フランスの公債利子は年に三万リーヴルだった。ルイ十四世が死んだ時は、配当二十八リーヴルのものが二十六億あった。それはデマレーの言によると、一七六〇年の四十五億に相当し、今日では百二十億に相当する。第二に、コンブフェールにははなはだ気の毒の至りだが、特許憲法は文明の悪い手段だ。過渡期を救う、推移を円滑にする、動揺をしずめる、立憲の擬政を行なって国民を王政から民主政に自然に転ぜしむる、そういう理屈はすべて唾棄(だき)すべきものだ。否々、偽りの光でもって民衆を啓発すべきではない。そういう憲法の窖(あなぐら)の中では、主義は萎靡(いび)し青ざめてしまう。廃退は禁物である。妥協は不可である。王が民衆に特許憲法を与えるなどとは断じていけない。すべてそういう特許憲法には卑劣な第十四条というのがある。与えんとする手の傍(かたわら)には、つかみ取らんとする爪がある。僕は断然君のいわゆる憲法を拒絶する。憲法というのは仮面だ。裏には虚偽がある。憲法を受くるには民衆は譲歩しなければならない。法とは全き法のみである。否、憲法なんかはだめだ。」

 時は冬であった。二本の薪(まき)が暖炉の中で音を立てて燃えていた。いかにも人を誘うがようで、クールフェーラックはそれにひかされた。彼は手の中で哀れなトゥーケ法をもみくちゃにして、火中に投じた。紙は燃えた。コンブフェールはルイ十八世の傑作が燃えるのを哲学者のようにながめた。そしてただこう言って満足した。

「炎に姿を変えた憲法だ。」

 かくして、譏刺(きし)、客気、悪謔(あくぎゃく)、活気と呼ばるるフランス気質、ユーモアと呼ばるるイギリス気質、善趣味と悪趣味、道理と屁理屈(へりくつ)、対話のあらゆる狂気火花、それが室(へや)の四方八方に一時に起こり乱れ合って、一種の快活な砲戦のありさまを人々の頭上に現出していた。

     五 地平の拡大

 青年の間の精神の衝突は驚嘆すべきものであって、その火花を予測しその輝きを解くことはできないものである。忽然(こつぜん)として何がほとばしり出るか、それはまったく測り知るを得ない。悲しんでいるかと思えば呵々(かか)大笑し、冗談を言っているかと思えば突然まじめになる。その導火線は偶然に発せらるる一言にかかっている。各人の思いつきはその主人となる。無言の所作さえも意外な平野を展開させるに足りる。たちまちにして視界の変化する急激な転向を事とする対話である。偶然がかかる会話の運転手である。

 言葉のかち合いから妙なふうに起こってきた一つの厳粛な思想が、グランテール、バオレル、プルーヴェール、ボシュエ、コンブフェール、クールフェーラックらの入り乱れた言葉合戦の中を、突如としてよぎっていった。

 対話の中にいかにして一つの文句が起こってくるか。いかにしてその文句が突然聞く人々の注意をひくに至るのか。今述べたとおり、それはだれにもわからないことである。ところで、喧囂(けんごう)の最中に、ボシュエはふいにコンブフェールに何か言いかけて、次の日付でその言葉を結んだ。

「一八一五年六月十八日、ワーテルロー。」

 そのワーテルローという言葉に、水のコップをそばにしてテーブルに肱(ひじ)をついていたマリユスは頤(おとがい)から拳(こぶし)をはずして、じっと聴衆をながめ初めた。

「そうだ、」とクールフェーラックは叫んだ、「この十八という数は不思議だ。実に妙だ。ボナパルトに禁物の数だ。前にルイという字を置き後に霧月という字を置いて見たまえ(訳者注 ルイ十八世およびナポレオンがクーデターを断行した十八日霧月共和八年、――また六月十八日のワーテルロー)。始めと終わりとがつきまとう意味深い特質をもったこの人間の全宿命が、そこにあるんだ。」

 アンジョーラはその時まで黙っていたが、沈黙を破ってクールフェーラックに言った。

「君は贖罪(しょくざい)という語をもって、罪悪を意味させるんだろう。」

 突然ワーテルローという語が現われたので既にいたく激していたマリユスは、この罪悪という語を聞いてもうたえ切れなくなった。

 彼は立ち上がって、壁にかかってるフランスの地図の方へおもむろに歩み寄った。地図の下の方を見ると、一つの小さな島が別に仕切りをして載っていた。彼はその仕切りの上に指を置いて言った。

「コルシカ島、これがフランスを偉大ならしめた小島だ。」

 それは凍った空気の息吹(いぶき)のようだった。人々は皆口をつぐんだ。何か起こりかけていることを皆感じた。

 バオレルはボシュエに何か答えながら、いつもやる半身像めいた姿勢をとろうとしていたが、それをやめて耳をそばだてた。

 だれをも見ないでその青い眼をただ空間に定めてるようなアンジョーラは、マリユスの方をも顧みないで答えた。

「フランスは偉大となるためには何もコルシカ島などを要しない。フランスはフランスだから偉大なんだ。我の名は獅子(しし)なればなりだ。」

 マリユスはそれで引っ込もうとしなかった。彼はアンジョーラの方を向き、内臓をしぼって出て来るようなおののいた声で叫んだ。

「僕はあえてフランスを小さくしようとするのではない。ナポレオンをフランスに結合することは、フランスを小ならしむる所以(ゆえん)とはならない。この点を一言さしてくれたまえ。僕は君らの中では新参だ。しかし僕は君らを見て驚いたと言わざるを得ない。いったいわれらの立脚地はどこにあるのか。いったいわれらは何者なのか。君らは何人(なんぴと)か。僕は何人(なんぴと)か。まず皇帝のことを説こう。僕の聞くところでは、君らは王党のようにウに力を入れてブゥオナパルトと言っている。が僕の祖父はもっとうまく発音していると君らに知らしてやりたい。祖父はブオナパルテと言っているんだ。僕は諸君を青年だと思っていた。しかるに諸君は熱情をどこにおいてるのか。そしてその熱情を何に使おうとしてるのか。もし皇帝を賛美しないとしたら、だれを賛美しようとするのか。それ以上に、諸君は何を欲するのか。かかる偉大を欲しないとしたら、いかなる偉人を欲するのか。彼はすべてを持っていたのだ。彼は完璧(かんぺき)であった。彼はその頭脳の中に、人間の能力の全量を収めていた。彼はユスチニアヌスのように法典を作り、シーザーのように命令し、タキツスの雷電とパスカルの閃光(せんこう)とを交じえた談話をし、自ら歴史を作り自らそれを書き、イリヤッドのような報告をつづり、ニュートンの数理とマホメットの比喩(ひゆ)とを結合し、ピラミッドのように偉大な言葉を近東に残した。ティルシットでは諸皇帝に威厳を教え、学芸院ではラプラスに応答し、参事院ではメルランに対抗し、一方では幾何学に他方では訴訟に魂を与え、検事らとともにあっては法律家であり、天文学者らとともにあっては星学家だった。クロンウェルが二本の蝋燭(ろうそく)の一本を吹き消したように、彼はタンブルの殿堂へ行って窓掛けの総(ふさ)に難癖をつけた。彼はあらゆることを見、あらゆることを知っていた。しかもなお赤児の揺籃(ゆりかご)に対しては人のいい笑いを浮かべた。そしてたちまちにして、ヨーロッパは色を失い耳をそばだて、軍隊は行進を初め、砲車は回転し、船橋は河川に渡され、雲霞(うんか)のような騎兵は颶風(ぐふう)の中を駆けり、叫喚の声、ラッパの響き、至る所王位は震動し、諸王国の境界は地図の上に波動し、鞘(さや)を払った超人の剣の音は鳴り渡り、そして人々は、彼が手に炎を持ち、目に光を帯び、大陸軍と老練近衛軍との二翼を雷鳴のうちに展開して、地平にすっくと立ち上がるのを見た。それは実に戦いの天使だったのだ。」

 皆は沈黙していた。そしてアンジョーラは頭を下げていた。沈黙は多くの場合、承認かあるいは一種の屈服の結果である。マリユスはほとんど息もつかずに、ますます熱烈さを増して言い続けた。

「諸君、正しき考えを持とうではないか。そういう皇帝の帝国たるは、一民衆にとっていかにも光輝ある運命ではないか。そしてこの民衆が実にフランスであり、この民衆はその才能をこの人物の才能に結合したのだ。出現し君臨し、進み行き、勝利を博し、あらゆる国都を宿場とし、自分の擲弾兵(てきだんへい)を取って国王となし、諸王朝の顛覆(てんぷく)を布告し、一蹴(いっしゅう)してヨーロッパを変造し、攻め寄せる時には神の剣の柄(つか)を執れるかの感を人にいだかしめ、ハンニバル、シーザー、シャールマーニュを一身に具現した者、そういう者に従い、目ざむる曙(あけぼの)ごとに光彩陸離たる戦勝の報知をもたらす者の民となり、アンヴァリードの砲声を起床の鐘となし、マレンゴー、アルコラ、アウステルリッツ、イエナ、ワグラムなど、永久に赫々(かくかく)たる驚嘆すべき戦勝の名を光明の淵(ふち)に投じ、幾世紀の最高天に毎瞬時戦勝の星座を開かしめ、フランス帝国をローマ帝国と比肩せしめ、大国民となり大陸軍を生み出し、山岳が四方に鷲(わし)を飛ばすがように、地球上にその軍隊を飛躍せしめ、戦勝を博し、征服し、撃ち砕き、ヨーロッパにおいて光栄の黄金をまとう唯一の民衆となり、歴史を通じて巨人のラッパを鳴り響かし、勝利と光耀(こうよう)とによって世界を二重に征服すること、それは実に崇高ではないか。およそこれ以上に偉大なるものは何があるか。」

「自由となることだ。」とコンブフェールは言った。

 こんどはマリユスの方で頭をたれた。その簡単な冷ややかな一語は、鋼鉄の刃のように彼の叙事詩的な激語を貫き、彼はその激情が心の中から消えてゆくのを覚えた。彼が目を上げた時、コンブフェールはもうそこにいなかった。彼の賛美に対するにその一言の返報でおそらく満足して、出て行ってしまった。そしてアンジョーラを除くのほか、皆その後についていった。室(へや)の中はむなしかった。アンジョーラはマリユスのそばにただ一人居残って、その顔をおごそかに見つめていた。けれどもマリユスは、再び思想を少し建て直して、自分を敗北した者とは思わなかった。彼のうちにはなお慷慨(こうがい)のなごりがさめず、まさにアンジョーラに向かって三段論法の陣を展開せんとした。その時ちょうど立ち去りながら階段の所で歌う声が聞こえた。それはコンブフェールであった。その歌はこうである。

よしやシーザーこのわれに

(な)と戦を与うとも、

母に対する恩愛を

打ち捨て去るを要しなば、

われシーザーにかく言わん、

(しゃく)と輦(くるま)は持ちて行け、

われは母をばただ愛す、

われは母をばただ愛す。

 コンブフェールが歌うそのやさしい粗野な調子は、歌に一種の不思議な偉大さを与えていた。マリユスは考え込んで、天井を見上げ、ほとんど機械的にくり返した。「母?……」

 その時、彼は自分の肩にアンジョーラの手が置かれたのを感じた。

「おい、」とアンジョーラは彼に言った、「母とは共和のことだ。」

     六 逼迫(ひっぱく)

 その晩のことは、マリユスに深い動揺を残し、彼の心のうちに悲しい暗黒を残した。麦の種を蒔(ま)くために鉄の鍬(くわ)で掘り割られる時に、地面が受くるような感じを、彼もおそらく感じたであろう。その時はただ傷をのみ感ずる。芽ぐみのおののきと実を結ぶ喜びとは、後日にしかやってこない。

 マリユスは陰鬱(いんうつ)になった。彼はようやく一つの信仰を得たばかりだった。それをももう捨ててしまわなければならないのか。彼は自ら否と断言した。疑惑をいだくを欲しないと自ら宣言した。それでもやはり疑い初めた。二つの宗教、一つはいまだ脱し得ないもの、一つはいまだ入り込み得ないもの、その中間にあるはたえ難いことである。かかる薄暮の薄ら明りは、蝙蝠(こうもり)のような心をしか喜ばせない。マリユスははっきりした眸(ひとみ)であった。彼には真の光明が必要だった。懐疑の薄明は彼を苦しめた。彼は今あるがままの場所にとどまりたいと願い、そこに固執していたいと願った。しかしうち勝ち難い力によって、続行し、前進し、思索し、思考し、いっそう遠く進むべく余儀なくされた。どこに彼は導かれんとするのであろうか。かくばかり前方に踏み出して父に近づいた後になって、更にこんどは父より遠ざかる歩みを続けてゆくこと、それを彼は恐れた。新たに起こってきたあらゆる反省によって、彼の不安は増していった。嶮崖(けんがい)が彼の周囲に現われてきた。彼は祖父とも友人らとも融和していなかった。一方の目から見れば彼は無謀であり、他方の目から見れば彼はおくれていた。そして彼は一方に老年と他方に青年と、両方から二重に孤立していることを認めた。彼はミューザン珈琲(コーヒー)店に行くことをやめた。

 本心がかく悩まされて、彼は生活のまじめなる方面はほとんど少しも考えていなかった。しかし人生の現実は、忘れ去らるるを許さない。現実は突然彼に肱(ひじ)の一撃を与えにきた。

 ある日、宿の主人はマリユスの室(へや)へはいってきて、彼に言った。

「クールフェーラックさんが、あなたのことを引き受けて下さるんですね。」

「そうです。」

「ですが私は金がいるんですが。」

「クールフェーラック君に、話があるからきてくれと言って下さい。」とマリユスは言った。

 クールフェーラックはやってき、主人は去って行った。マリユスは彼に、今まで口にしようとも思わなかったことを、自分は世界に孤独の身で親戚もないということを語った。

「君はいったい何になるつもりだい。」とクールフェーラックは言った。

「わからないんだ。」とマリユスは答えた。

「何をするつもりだい。」

「わからない。」

「金は持ってるのか。」

「十五フランだけだ。」

「では僕に貸せというのか。」

「いや決して。」

「着物はあるのか。」

「あれだけある。」

「何か金目(かねめ)のものでも持ってるのか。」

「時計が一つある。」

「銀か。」

「金(きん)だ。このとおり。」

「僕はある古着屋を知っている。君のフロックとズボンを買ってくれるだろう。」

「そいつは好都合だ。」

「ズボンとチョッキと帽子と上衣(うわぎ)とを一つずつ残しておけばたくさんだろう。」

「それから靴(くつ)と。」

「何だって! 跣足(はだし)で歩くつもりじゃないのか。ぜいたくな奴(やつ)だね。」

「それだけで足りるだろう。」

「知ってる時計屋もある。君の時計を買ってくれるだろう。」

「それもいいさ。」

「いやあまりよくもない。ところでこれから先(さき)君はどうするつもりだ。」

「何でもやる。少なくも悪いことでさえなければ。」

「英語を知ってるか。」

「いや。」

「ドイツ語は?」

「知らない。」

「困ったね。」

「なぜだ?」

「僕の友人に本屋があるんだが、百科辞典のようなものを作るので、ドイツ語か英語かの項でも翻訳すればいいと思ったのさ。あまり報酬はよくないが、食ってはいける。」

「では英語とドイツ語を学ぼう。」

「その間は?」

「その間は着物や時計を食ってゆくさ。」

 彼らは古着屋を呼びにやった。古着屋は古服を二十フランで買った。彼らは時計屋へ行った。時計屋は四十五フランで時計を買った。

「悪くはないね。」と宿に帰りながらマリユスはクールフェーラックに言った。「自分の十五フランを加えると八十フランになる。」

「そして宿の勘定は?」とクールフェーラックは注意した。

「なるほど、すっかり忘れていた。」とマリユスは言った。

 宿の主人は勘定書を持ってきた。すぐに払わねばならなかった。七十フランになっていた。

「十フラン残った。」とマリユスは言った。

「大変だぞ、」とクールフェーラックは言った、「英語を学ぶ間に五フランを食い、ドイツ語を学ぶ間に五フランを食ってしまう。語学を早くのみ込んでしまうか、百スーをゆっくり食いつぶすかだ。」

 そうこうするうちに、悲しい場合になるとかなり根が親切なジルノルマン伯母(おば)は、マリユスの宿をかぎつけてしまった。ある日の午前、マリユスが学校から帰って来ると、伯母の手紙と、密封した箱にはいった六十ピストルすなわち金貨六百フランとが、室(へや)に届いていた。

 マリユスはうやうやしい手紙を添えて、三十のルイ金貨を伯母のもとへ返してやった。生活の方法を得たし今後決してさしつかえない程度にはやってゆけると彼は書いた。その時彼にはただ三フラン残ってるのみだった。

 伯母(おば)は祖父をますます怒らせはしないかを気づかって、その拒絶を少しも知らせなかった。その上祖父は言っておいたのである、「あの吸血児のことは決して私の前で口にするな。」

 マリユスはそこで借金をしたくなかったので、ポルト・サン・ジャックの宿を引き払った。

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