フランツ・カフカ Franz Kafka 原田義人訳 審判 DER PROZESS


第九章 伽藍(がらん)


 Kは、銀行にとってたいへん大切な、そして初めてこの町に滞在したあるイタリア人の顧客にいくつかの芸術上の旧跡を見せるように、という命を受けた。この命令は、ほかのときならばきっと名誉に感じたでもあろうが、今では、大いに努力してやっと銀行での信用を保てるという有様なので渋々引受けた。事務室から引離される一刻一刻が、彼を心配させた。事務室にいる時間はとっくにもう以前のように利用できなくなっていたし、多くの時間はただほんとうに仕事をしているようにやっと見せかけて過すのだったが、それだけに、事務室にいないと心配が大きかった。出かけるとなると、しょっちゅう自分をうかがっていた支店長代理がときどき自分の事務室にやってきて、自分の机にすわり、書類をくまなく探り、多年この自分とほとんど友達同然になっている顧客に応接し、自分と疎隔させ、そればかりでなくさまざまな失策さえも暴露する有様が、眼に見えるように思えてしかたがなかった。そういう失策にはKは今では仕事をしているあいだしょっちゅう四方八方から脅やかされていることがわかっていたが、もう避けることができなくなっていた。そのため、こんな晴れがましい場合であっても、商用外出やちょっとした出張旅行を命じられると――またこんな命令が最近たまたまたび重なったのだが――しばらく自分を事務室から遠ざけて自分の仕事を調べあげるつもりなのだろうとか、あるいは少なくとも、自分は事務室ではいなくてもちっとも困らぬと思われているのだ、という想像をいつも持ちやすかった。こういう命令の多くは苦もなく断われるのであったが、あえて断わる気にはなれなかった。たとい恐れはほとんどまったく根拠がないものであるにせよ、命令を断わることは自分の不安な心持を告白することになるからであった。こうした理由から、このような命令を見かけはさりげなく受け、骨の折れる二日がかりの出張をしなければならなかったときも、よくない風邪(かぜ)のことを黙ってさえいた。このごろの雨模様の秋の時候を引合いに出されて出張をとめられる危険にさらされたくはない、というだけのためにだった。この出張から激しい頭痛をこらえて帰ってきたとき、次の日にはイタリア人の顧客のお供をするようきめられている、ということを聞き知った。少なくともこの一回だけは断わろうという誘惑は非常に大きかったし、何よりも、この場合自身に命じられることになっていることは、直接商売とは関係のない仕事だし、顧客に対してこういう社交的な義務を果すことはそれだけでは疑いもなく十分大切なことなのだが、Kにとっては大切なことではなかった。彼は、仕事の成果によって自分の地位を保ってゆけるのであって、それがうまくゆかなければ、このイタリア人を思いがけずほれこませることになってもまったく価値はないのだ、ということをよく知っていたのである。彼は一日でも職場から追い出されたくなかった。もうもどしてはもらえないのではあるまいかという恐怖があまりに大きかったからであるが、その恐怖は、思いすごしだと非常によくわかっていたが、彼の心をしめつけるものだった。もちろんこの場合には、うまい口実を設けることはほとんど不可能だった。Kのイタリア語の知識はたいして多くなかったが、ともかく役にたつ程度だった。しかし決定的なことは、Kが前からいくらか美術史の知識を持っているということだった。そのことは、Kがしばらく、もっともただ商売上の理由からだけだったのだが、この町の美術遺跡保存会のメンバーであったために、きわめて誇大に銀行に知れわたっていたのだった。ところがさて、噂(うわさ)に聞くとそのイタリア人は美術愛好家だということであり、それゆえ、Kがその案内役に選ばれたのは当然のことであった。
 雨の激しい、荒れ模様の朝だったけれども、Kはこれから控えている一日のことに腹をたてながら、七時にはすでに事務室に行ったが、イタリア人の訪問にかかりきりにさせられるまえに少なくともいくらかの仕事を片づけるためであった。少し準備しておこうとして、半夜をイタリア語の文法の勉強に過したので、非常に疲れていた。最近ではあまり頻繁(ひんぱん)に窓ぎわにすわりすぎる慣習になっていたが、その窓のほうが今朝(けさ)も机よりも彼をいっそう誘うのだったけれども、そんな気持に抗して仕事するために腰をおろした。ところが残念なことにちょうど小使がはいってきて、業務主任さんはもういらっしていないか見てくるように、支店長さんが自分をよこしたのだ、と言った。もしいらっしゃるなら、恐縮だが応接室に来ていただきたい、イタリア人の方はもう来ておられる、ということだった。
「すぐ行くよ」と、Kは言い、小さな辞書をポケットに入れ、外国人のために用意されている町の名所のアルバムを腕にかかえ、支店長代理の事務室を抜けて支店長室にはいっていった。誰もきっとまじめには期待していなかったはずだが、こんなに早く事務室にやってきて、すぐに求めに応じられることを彼はよろこんでいた。支店長代理の部屋はもちろんまだ深夜のようにがらんとしており、きっと小使は代理のことも呼ぶように命じられたのであろうが、それは果せなかったのだった。Kが応接室にはいってゆくと、二人の紳士は深い肘掛椅子(ひじかけいす)から身体(からだ)を起した。支店長は親しげに微笑し、Kが来たことを大いによろこんでいて、すぐに紹介の労をとったが、イタリア人はKの手を力強く握り、微笑しながら誰かのことを早起きだと言うのだった。Kは誰のことを言っているのかはっきりはわからず、そのうえそれは特別な言葉だったので、その意味はしばらくしてやっとわかった始末だった。彼は二、三のお世辞文句で応対したが、それをイタリア人はまた大きく笑いながら受取り、同時に何回か神経質そうな手で灰青色のもじゃもじゃな鬚(ひげ)をなでていた。この鬚は明らかに香水が振ってあり、近づいて嗅(か)ぎたいという誘惑を感じさせられた。三人が腰をおろし、ちょっとした前口上が始まったとき、Kは、イタリア人の言うことは自分には切れ切れにしかわからないと気づいて、大いに不快になった。まったくゆっくりと話してくれればほとんど完全にわかったが、そんなことはただまれな例外の場合であって、たいていはこの男の口から話がわき出てきて、それを興がるように頭を振るのだった。ところがこんな話をしているうちに周期的にどこかの方言に巻きこまれ、それはKにはもう全然イタリア語とは思えなかったが、支店長はそれがわかるばかりでなく、しゃべりさえした。それは、そのイタリア人が支店長も二、三年いたことのある南イタリア出身だったので、Kももちろん予想できることだった。ともかくKは、自分からはイタリア人と理解し合う可能性が大部分奪われてしまったことを、思い知ったのだった。この男のフランス語もまったくわかりにくく、唇の動きを見ればおそらく理解に役だったことだろうが、それも鬚に隠れて見えなかったからである。Kは、いろいろ不都合なことがこれから起ることを予想しはじめ、イタリア人の言うことをわかろうとすることはあらかじめあきらめてしまい、――相手の言うことがきわめて容易にわかる支店長の前では、そんなことは無益な努力と思われた――不快げにイタリア人の様子を観察するだけにきめた。イタリア人は、深々と、しかし気楽げに肘掛椅子におさまり、短い、きりっとした仕立ての上着を何回となく引っ張り、一度は腕を上げ、関節でぐらぐら動く両手で何かを描いてみせようとするのだった。Kは、前に乗り出してその両手を眼から離さなかったけれども、そのジェスチャーの意味はわからなかった。話のやりとりを機械的に視線で追うだけで、そのほかはまったく手持ちぶさたなKに、ついには前からの疲れが力を振いはじめ、ぼんやりしてまさに立ち上がり、向き直って立ち去ろうとするところで、はっと気づき、びっくりしたが、幸いにもまだ間に合った。とうとうイタリア人は時計を見て、とび上がった。支店長に別れを告げてから、Kのそばに押しかけてきたが、しかもあまりに身近にまでやってきたので、Kは身動きするためには自分の肘掛椅子を後ろへずらさなければならなかった。支店長は、Kの眼を見てこのイタリア語にぶつかってすっかり困り抜いているのをきっとさとったのであろうか、二人の対話に割りこんできたが、しかもそれがきわめて聡明(そうめい)で繊細なしかたであったので、外見上はただちょっとした助言を添えているように見えながら、実は、疲れることなく彼の言葉をさえぎってしゃべりかけるイタリア人の言うことを、きわめて手短かにKにわからせてくれるのだった。支店長からKが聞いたところによると、イタリア人はまだいくらかの仕事をあらかじめやらなければならないし、また残念なことに全体を通じてきわめてわずかしか時間がない、また自分としても急いで名所を全部駆けまわって見ようというつもりは全然なく、むしろ――といってもちろん、Kが賛成してくれるかぎりにおいてであって、その決定はただKの意見にだけかかっているが――ただ伽藍(がらん)だけを、しかしこれは徹底的に見物することに決心した。こんな学問もあり親切でもある方に――それはKのことを言っているのだが、Kはただイタリア人の言うことを聞きもらして、支店長の言葉を素早くつかみ取ることだけしかやってはいないのだった――ご案内いただいてこの見物を企てることを非常によろこんでいるが、もし時間がおよろしければ、二時間後、およそ十時に伽藍のほうにどうかお出ましねがいたい。自分はそのときにはかならずそこに行けると思う、ということだった。Kは適当なことをいくらか答えたが、イタリア人はまず支店長と握手し、次にKと握手し、もう一度支店長の手を握って、二人に見送られながら、半分だけ彼らに身体を向けるだけだが、おしゃべりは依然としてやめずに、扉(とびら)のほうに行った。その後、Kはなおしばらく支店長といっしょだったが、支店長は今日は特に傷心の様子だった。Kになんとかわびねばならぬと思いこんでいるらしく、――二人は親しげに身体を寄せていっしょに立っていた――初めは自分でイタリア人のお供をするつもりだったが、次に――詳しい理由は言って聞かせなかった――むしろKに行ってもらおうと決心した、と言った。イタリア人の言うことが初めからすぐわからなくても、それに呆然(ぼうぜん)としてしまう必要はないのだ、ほんのすぐにわかるようになるし、またたといたいしてわからないとしても、そんなにわるいことではない、なぜならイタリア人にとっては相手にわかってもらうことはそうたいして重要なことではないのだから。ところであなたのイタリア語は驚くほど上手だし、きっと用事を見事にすますことだろう、と言うのだった。
 それでKは支店長と別れた。まだ残っている時間は、伽藍への案内に必要な、日常語ではない言葉を辞書から書き抜いて過した。これはきわめて厄介な仕事だった。小使たちが郵便物を持ってくるし、行員がいろいろ問い合せに来て、Kが仕事をしているのを見て、扉のところで立ち止るが、Kが聞いてやるまでは立ち去ろうとしなかった。支店長代理はKの邪魔をしないではおらず、たびたびはいってきては彼から辞書を取上げ、明らかに全然意味もないのにそれをめくって見るのだった。扉があくと、控室の薄暗がりの中には顧客たちさえ浮び上がり、躊躇(ちゅうちょ)しながら会釈をして見せた――彼らはKの注意をひこうとするのだが、見てもらっているかどうか自信がないのだった。――こういうことのいっさいが、Kを中心としてのように彼のまわりで動いており、彼その人のほうは必要な言葉を組み立ててみて、次には辞書で言葉を捜し、書き抜き、また発音をやってみたり、最後には暗記しようと試みるのだった。ところが彼の昔のよい記憶力はすっかり彼を見捨てたらしく、自分にこんな骨折りをかけるイタリア人には何度も非常な憤りを覚えたので、もう準備などはすまいと固く心をきめて辞書を書類の中に埋めたが、次には、イタリア人と連れ立って伽藍の中で美術品の前を黙りこくってあちこちと歩くわけにもゆくまいとさとって、いよいよ憤慨しながら辞書をまた取出すのだった。
 ちょうど九時半に、彼が出かけようとすると、電話の呼び出しがあって、レーニがお早うを言い、どうしているかときいてきたので、Kは急いでありがとうと言い、伽藍へ行かねばならないので、今は話しているわけにはゆかないと言った。
「伽藍にですって?」と、レーニはきいた。
「そうだよ、伽藍に行くんだ」
「なぜ伽藍になんか行くの?」と、レーニは言った。
 Kは手短かに説明しようとしたが、それを始めるか始めないかのうちに、レーニが突然言った。
「あなたは追い立てられているのよ」
 自分が求めもせず、期待もしていなかったこんな同情は、Kには我慢がならず、たった二言三言ばかりで別れの挨拶(あいさつ)をしたが、受話器をその場所にかけながら、半ばは自分自身に、半ばはもう聞いてはいない遠くの娘に言うのだった。
「そうだ、おれは追い立てられているのだ」
 だがもう遅くなってしまい、約束の時間に間に合うように到着できないという危険がすでにあった。自動車で行ったが、出かけるまぎわにアルバムのことを思い出し、さっきそれを渡す機会がなかったので、今度持ってゆくことにした。膝(ひざ)の上にのせ、車中ずっと落着きなくその上をたたいていた。雨は弱まったが、湿っぽく、寒くて暗かったので、伽藍の中はほとんど見られないだろうが、きっとそこで、冷たい敷石の上に長いあいだ立たねばならないため、自分の風邪はきわめて悪化するだろう、と思われた。伽藍の前の広場は全然人けがなく、小さな子供のときすでに、この狭い広場の家々はいつもほとんどすべての窓掛けがおりているということが眼についたものだったのを、思い出した。今日のような天気の場合には、それはもちろん、平生よりは理解できることだった。伽藍の中も人けがないらしかったが、こんなときにやってこようという気に誰もならないのは当り前のことだった。両側の内陣を通ったが、暖かい布にくるまってマリアの像の前にひざまずき、それを見上げている老婆ただ一人に出会っただけだった。次に、もう一人の跛(びっこ)の寺男が壁の扉に消えてゆくのを遠くから見た。Kは時間きっかりに来て、ちょうどはいったとき十時が打ったのだったが、イタリア人はまだ来ていなかった。Kは正面口にもどって、決心がつきかねてそこにしばらく立っていたが、イタリア人がきっとどこかの横手の入口のところで待っているのではないか見ようとして、雨の中を伽藍のまわりを一まわりした。相手はどこにも見あたらなかった。支店長が時間の約束を取違えたのだろうか? だがおよそ誰であってもあんな人間の言うことを正しく理解できるものだろうか? だがそれはどうあろうと、ともかくKは少なくとも半時間は彼のことを待たねばならなかった。疲れていたので、すわろうと思い、また伽藍にはいってゆき、階段の上に小さな絨毯(じゅうたん)の端切れのようなものを見つけて、爪先でそれを近くの長椅子まで引っ張ってゆき、外套(がいとう)にしっかりとくるまって襟(えり)を高く立て、すわった。気晴しのためアルバムを開き、少しめくってみたが、非常に暗くて、眼を上げても身近の内陣の中の細かなところがほとんどひとつとして見分けることもできないくらいなので、すぐやめなければならなかった。
 はるかかなたの主祭壇の上には、大きな三角形を形づくった蝋燭(ろうそく)の火が燃えていた。さっきすでにそれを見たかどうかは、Kははっきりと断言はできなかった。おそらく今初めてつけられたものらしかった。寺男たちは商売柄忍び歩きの名人で、人に気づかれないものだ。Kが偶然振向くと、自分の背後の程遠からぬところで、背の高い、太い、柱に取りつけの蝋燭が同じように燃えているのを見た。これはきれいだったが、多く側祭壇の暗がりの中にかかっている祭壇画を照らすにはまったく不十分であり、むしろ暗さを増しているようなものだった。イタリア人がやってこなかったのは、無礼でもあるがしかし道理にかなった振舞いでもあったわけで、たといやってきたところで何も見られなかっただろうし、Kの懐中電燈で二、三の絵を一インチぐらいずつ探って見ることで満足せねばならなかったことだろう。そうやってどのくらいのことができるものかためそうとして、Kは近くの側礼拝堂へ行き、低い大理石の手すりまで、二、三段の階段を登り、それから身体を乗り出して、懐中電燈で祭壇の絵を照らした。万年燈が眼前にちらついて邪魔になった。Kが見て、一部分何だかわかった最初のものは、絵のいちばん端に描かれている、大柄な、甲冑(かっちゅう)を着けた騎士であった。――眼前の裸の地面に――ただ二、三本の草の茎がそこここに生(は)えているだけだった――突き立てた剣に、身体(からだ)をささえていた。眼前に演じられている事件を注意深く観察している様子だった。そうやって立ち止り、近づいてゆかないのは、不思議だった。おそらく、見張りをするよう命じられているのであろう。すでに久しく絵を見ていなかったKは、懐中電燈の青い光が耐えられないので、しょっちゅうまたたきをしなければならなかったが、その騎士の像をかなり長いあいだ見ていた。次に光を絵のほかの部分の上にかすめさせると、ありふれた解釈に基づいたキリスト埋葬図であり、そのうえそれは、比較的新しい絵であった。彼は懐中電燈をしまって、また元の場所へ帰った。
 イタリア人を待つことは今はもう不必要と思われたが、外は豪雨にちがいないし、この場所もKが予期したほど寒くはなかったので、しばらくここにいることに決心した。すぐ身近なところに大きな説教壇があり、その小さな、円(まる)い天蓋(てんがい)には、半ば横になって二つの黄金の素(す)の十字架がつけられてあり、そのいちばん尖端(せんたん)で相交わっていた。手すりの外側の壁と、それが支柱へつながる部分とは、緑の葉形模様でつくられていて、小さな天使たちがあるいは元気よく、あるいは静かに憩(いこ)いながら、その葉をつかんでいた。Kは説教壇の前に歩み寄って、八方から観察してみると、石の細工はきわめて念入りであり、葉形模様のあいだとその背後とには深い暗黒が、まるではめこまれ取りつけられたように見え、Kはこうした隙間(すきま)のひとつに手を置き、次に石に用心深くさわってみたが、この説教壇の存在はこれまで知らなかったのだった。そのとき、すぐ近くの椅子の並びの後ろに、一人の寺男が偶然見えた。だらりとした、襞(ひだ)の多い、真っ黒な上着を着て、左手には嗅(か)ぎ煙草入れを持ち、Kをじっとながめていた。あの男はどうしようというのだろう、とKは思った。おれはあの男にうさんくさく見えるのだろうか? 酒代(さかて)でももらいたいのか? ところが、寺男はKに見られているのに気がつくと、右手で、その二本の指にはまだ一つまみの煙草を押えていたが、どこか漠然(ばくぜん)とした方向をさした。その挙動はほとんど不可解なので、Kはなおしばらく待ってみたが、寺男は手で何かを示すことをやめず、そのうえうなずいてそれを裏づけるのだった。
「いったいどうしろというのだろう?」と、Kは低い声で言ったが、ここで叫ぶことはやらなかった。次に財布を取出し、いちばん近くのベンチを通り抜けてその男のところへ行った。ところが男はすぐ手で拒絶の動作を示し、肩をすくめると、跛(びっこ)で逃げだした。Kは子供のとき、この急ぎ足の跛と同じような歩きかたをしては、馬に乗る格好をまねようとしたものだった。
「子供みたいなやつだ」と、Kは考えた。「あの馬の頭では寺男の役目でも十分には勤まるまい。あの男はなんという格好で、おれが立ち止ると自分も立ち止り、おれが行こうとすると、様子をうかがっているんだろう」
 微笑しながらKはその老人に続き、内陣をすっかり通り抜けて祭壇の上にまで登っていったが、老人は何かを指さすことをやめず、Kは、その合図は自分を老人の足跡からそらそうという以外の目的がないと思われるので、わざと振向かなかった。ついにはほんとうに追いかけることをやめたが、相手をあまり恐ろしがらせたくはなかったし、イタリア人が万一来た場合のために、この化け物をすっかり追っ払ってしまいたくはなかったからだった。
 アルバムを置き忘れた場所を捜しに内陣の中央にはいってゆくと、祭壇合唱隊用のベンチにほとんどくっついているひとつの柱に、きわめて簡単に、飾りけのない蒼(あお)ざめた石でできた小さな副説教壇を見つけた。それは非常に小さいので、遠くからは聖人像を納めることになっている空(から)の壁龕(へきがん)のように見えた。説教者は手すりからまる一歩とさがれないにちがいなかった。そのうえ、説教壇の石の円天井は異常に低いところから始まり、装飾は全然ついてはいないがきわめて彎曲(わんきょく)して上へ昇っているため、中くらいの男でもそこにはまっすぐには立てず、しょっちゅう手すりの前に身体を乗り出していなければならないほどだった。すべてがまるで説教者を苦しめるためにつくったようなもので、ほかに大きな、りっぱに飾った説教壇が使えるのだから、この壇をなんのために必要とするのかわからなかった。
 説教の直前に用意することになっているランプが上のほうについていなかったなら、Kはこの小さな説教壇にもきっと気づかなかったことだろう。これで見ると今から説教でも行われるのだろうか? こんなからっぽの教会でやるのか? Kは階段を見下ろしたが、それは柱にからみつきながら説教壇へと続いており、非常に狭いので、人間が通るためではなく、ただ柱の装飾に使われているようだった。ところが説教壇の下のほうに、ほんとうに僧が立っていたので、Kは驚いて薄笑いしてしまったが、僧は登壇する身構えで手すりに手をかけ、Kのほうを見ていた。それから軽く頭でうなずいたので、Kは十字を切り、身体をかがめたが、そんなことはもっと前にやらなければならなかったのだ。僧はちょっととび上がって、短い、足早な歩みで説教壇を登っていった。ほんとうに説教が始まるのだろうか? きっと寺男は思ったほど頭がないわけではなく、Kを説教者のところへ狩り出そうとしたのだろうか? これはもちろん、からっぽの教会ではきわめて必要なことだったわけだ。さらにどこかのマリアの像の前に老婆がいたから、それも来なければならぬだろう。そして、ほんとうに説教だというなら、オルガンの序奏がなくてよいだろうか? しかしオルガンは静まりかえって、その見上げるように高い暗闇の中から、ただぼんやりとのぞいているだけだった。
 今のうちできるだけ早く出てしまうべきではないか、とKは考えた。今そうしなければ、説教のあいだに出てゆける見込みはなかったし、そうなると説教の続くかぎり居残らねばならない。イタリア人を待つために事務室でもかなりの時間を失ったし、もうとっくに自分の義務はないはずだ。時計を見ると、十一時だった。だがいったい、ほんとうに説教がやられるものだろうか? Kだけが聴衆となるわけだろうか? もし自分がただ教会を見物しようとするだけの外国人だったら、どうなのだろうか? 根本的には自分もそれと大差はないのだ。今は十一時で、ウイークデー、こんなすさまじい天気だというのに、説教があろうなどと考えることはばかげていた。僧は――疑いもなく僧だったが、平べったい、陰鬱(いんうつ)な顔をした若い男だった――誤ってつけられたランプを消そうとして登壇したにすぎぬことは明らかだ、と思われた。
 ところがそうではなく、僧はむしろランプを調べて、さらに燈心を少しねじり上げ、ゆっくりと手すりのほうに向き直って、角ばった前方の縁を両手で握った。そうやってしばらく立ち、頭は動かさずにあたりを見まわした。Kは相当の距離とびすさって、肘(ひじ)で一番前列の礼拝席ベンチに身をささえた。不安定な眼差(まなざし)で、場所をはっきりと見定めることはできないがどこかに例の寺男が、背を曲げ、もちろん仕事を終えたとでもいうような格好で、かがんでいるのを見た。なんという静けさが今の伽藍の中には支配していることだろう! しかし、Kはその静けさをかき乱さねばならなかった。ここに居続けようというつもりがなかったからである。きまった時間には、状況などはいっさいおかまいなしに説教するのが僧の義務であるならば、そうすればよいのだし、Kの助力などがなくてもりっぱにできるはずで、またKがいるからといって格別効果が高まるはずのものでもなかった。それゆえ、Kは歩きだし、爪立ちでベンチに沿って手探りで行き、広い中央通路まで来て、そこでも全然邪魔されずに歩いていったが、ただどんなに足音を殺してみても石造の床が響き、円天井は、かすかに、しかし絶え間なく、積み重なってゆく規則正しい歩みに合わせて、こだまするのだった。おそらく僧に見守られ、人けのないベンチのあいだをただひとり通り抜けてゆくとき、Kは少し見捨てられたような感じを味わい、また彼には、伽藍の大きさがまさしく人間にとってまだ耐えうるものの限界にあるように思われた。さっきの場所に来ると、それ以上とどまることもせずに、まっしぐらにそこにあったアルバムにつかみかかり、それを取上げた。彼がベンチのあたりを離れ、それと出口とのあいだにある空(あ)いた場所に近づくか近づかないかのうちに、初めて僧の声を聞いた。力強い、磨(みが)きのかかった声である。その声は、それを受取る用意のできた伽藍になんと響き渡ったことだろうか! ところが僧が呼びかけたのは聴衆ではなく、それはまったくはっきりとしていて、もう逃げ道は全然なかった。彼は叫んだのだった。
「ヨーゼフ・K!」
 Kはぴたりと立ち止り、眼前の床を見つめた。まだしばらくは自由であり、まだ歩み続け、彼のところから程遠からぬ三つの小さな黒ずんだ木の扉のどれかを通って逃げることもできた。そうすれば、それはまさに、自分には言うことがわからなかった、あるいは言うことは聞き取ったがそんなことを問題にはしたくない、という意味を表わすことになっただろう。しかし、もし振返ったならば、言うことはよくわかったし、自分はほんとうに呼びかけられた本人であって、言うことに従う、ということを告白したことになるのだから、しっかりとつかまれてしまう。僧がもう一度叫んだなら、Kはきっと立ち去ってしまっただろうが、Kが待っているのにいっさいが静かなままなので、僧が今何をやっているのかを見ようとして、少し頭を向けた。僧はさっきと同じように落着いて説教壇上に立っていたが、Kの頭の動きを認めたことははっきりとわかった。こうなってはKが完全に振向いてしまわないと、子供じみた隠れん坊遊びになってしまうだろう。Kは振返ると、僧に指の合図で、近くに来るよう呼び寄せられた。もはやいっさいは公然となったので、Kは――そうしたのは好奇心からでもあり、また用事を手短かにすませるためだったが――大股(おおまた)で飛ぶように説教壇に向って駆け寄った。最前列のベンチのところで立ち止ったが、僧には距離がまだ遠すぎるように思われるらしく、手を伸ばし、人差指を鋭く下に曲げて説教壇のすぐ前の場所を示した。Kもそのとおりにしたが、この場所では、僧を見るためには頭をよほど後ろへ曲げねばならなかった。
「君はヨーゼフ・Kだね」と、僧は言い、片手を漠然たる動作で手すりに上げた。
「そうです」と、Kは言ったが、以前にはいつも自分の名前をなんと公然と言えたことだろうかと思った。最近ではこの名前が重荷であって、今では初めて出会う人々さえも自分の名前を知っている。まず自己紹介をし、それから初めて知合いとなるのは、なんといいことだろう、と考えるのだった。
「君は告訴されているね」と、僧はことさら低い声で言った。
「そうです」と、Kは言った。「そう言われました」
「それじゃ、君が私の捜していた人だ」と、僧が言った。「私は教誨師(きょうかいし)だ」
「ああ、そうですか」と、Kは言った。
「君と話すために」と、僧が言った。「君をここまで呼ばせたのだ」
「それは知りませんでした」と、Kは言った。「私がここへ来たのは、あるイタリア人に伽藍を案内するためです」
「よけいなことは言わぬように」と、僧は言った。「手に持っているのはなんだ? 祈祷書(きとうしょ)かね?」
「いいえ」と、Kは答えた。「町の名所アルバムです」
「手から離しなさい」と、僧が言った。
 Kはアルバムを非常に激しく投げ捨てたので、それはぱらぱらと開き、ページがくしゃくしゃになって床の上を少しすべった。
「君の訴訟は旗色がわるいが、知っているかね?」と、僧はきいた。
「私にもそう思われます」と、Kは言った。「できるだけの努力をしてきましたが、これまでは効果がありません。確かに、願書をまだ仕上げておりません」
「結局どうなると思うかね?」と、僧がきいた。
「前にはきっとうまく片づくだろうと思っていましたが」と、Kは言った。「今ではときどき自分でもどうかと思います。どうなるかはさっぱりわかりません。あなたはおわかりですか?」
「いや」と、僧は言った。「しかし、おそらくうまくはゆくまい。人は君のことを罪があると考えているぞ。君の訴訟はおそらく下級裁判所を全然脱しえまい。人は、少なくともしばらくは、君の罪は立証されたものと考えているぞ」
「でも私には罪はないのです」と、Kは言った。「それは間違いです。いったいどうして、およそ一人の人間が有罪だなんてことがありえましょうか? ここにいる私たちは、あなただって私だって、みんな人間です」
「それはそうだが」と、僧は言った。「罪のある連中はいつでもそういうふうに言うものだ」
「あなたもまた私に対して偏見を持っているんですか?」と、Kがたずねた。
「偏見なんか持ってはいない」と、僧は言った。
「それはありがたいですが」と、Kは言った。「手続きに関係している人々はみな、私に対して偏見を持っているんです。彼らはまたそれを関係のない人々にも吹きこむんです。私の立場はいよいよむずかしくなるばかりです」
「君は事実を見誤っているんだ」と、僧は言った。「判決は一時に下るものではなく、手続きがだんだんに判決に移り変ってゆくんだ」
「それじゃ、そうですかね」と、Kは言い、頭を垂れた。
「さしあたって君の事件についてどうしようと思うのかね?」
「もっと助けを捜そうと思います」と、Kは言い、僧がそれをどう判断するか見ようとして、頭を上げた。「私が利用しつくしていないある種の可能性がまだあるんです」
「君はあまり他人の援助を求めすぎる」と、僧は不機嫌(ふきげん)そうに言った。「そして特に女にだ。いったい、そんなのはあてにならぬ援助だということがわからないのかね?」
「ときどきは、いやしばしば、あなたのおっしゃるとおりです」と、Kは言った。「しかし、いつもそうだとは申せません。女たちは大きな力を持っています。もし私が、自分の知っている二、三人の女たちを動かして、協力して私のために働かせたら、私は間違いなくやり抜くことでしょう。ことにこの裁判所ではそうです。ほとんど女の尻(しり)を追いかけまわす連中ばかりから成り立っているんですからね。予審判事に女を一人遠くから見せようものなら、ただもううまく追いつこうとして、机も被告も突き倒してゆきますよ」
 僧は頭を手すりのほうに曲げたが、今やっと説教壇の天蓋が彼を押えつけはじめたようだった。外はどんな荒天だろうか? もう陰鬱な日中ではなく、すでに夜もふけていた。いくつもの大窓のガラス絵は、暗い壁にほんの一筋の淡い光でも投げかけることはできなかった。そしてちょうど今、寺男は主祭壇の蝋燭をひとつひとつ消しはじめた。
「気をわるくされたんですか?」と、Kは僧にきいた。
 返事がなかった。
「どんな裁判所に勤めているか、あなたは知らないのです」と、Kは言った。
 上ではなお依然として森閑としていた。
「私はあなたを侮辱するつもりはないんです」と、Kが言った。
 そのとき、僧が下のKに向ってどなった。
「いったい君は二歩前方が見えないか?」
 怒りでどなったが、同時にまた、誰かが倒れるのを見た人が、自分も驚いてしまったので、不用意に、われ知らず叫んだようでもあった。
 二人は長いあいだ黙っていた。僧は下のほうを支配している暗闇の中でKをはっきりとは見られなかったらしいが、Kのほうは僧を小さなランプの光の中にはっきりと見た。なぜ僧は降りてこなかったのか? 彼は説教はせずに、Kに二、三のことを述べただけだったが、よく考えてみると、Kのためになるよりは害になるようなものに思われた。しかし、確かにKには僧の善意は疑いないように思われ、もし降りてきたら、意気投合することも不可能ではなく、またたとえば、どうやって訴訟は左右されるかというようなことではないが、どうやって訴訟から逃(のが)れるか、どうやってそれを避けるか、どうやって訴訟の外に生活できるか、ということを示すような決定的で承認できる忠告をもらうことも不可能ではなかった。こういう可能性はあるにちがいなく、Kは最近何回となくそのことを考えたのだった。しかし、僧がもしこういう可能性のひとつを知っているなら、彼自身裁判所の人間であるし、Kが裁判所を攻撃したときは、優しい本性を抑(おさ)えつけてKをどなりつけはしたけれども、頼めばきっと明かしてもらえるはずだ。
「降りてきませんか?」と、Kは言った。「説教をなさるわけでもないでしょう。降りていらっしゃい」
「もう降りてもいい」と、僧は言ったが、おそらくどなったことを後悔しているらしかった。ランプを鉤(かぎ)からはずしながら、彼は言った。
「初めは離れて君と話さなければならなかったんだ。そうでないとあまりに人に左右されやすくなって、役目を忘れてしまうんでね」
 Kは階段の下で僧を待った。僧は降りてきながら階段の上のほうからもうKに手を差出した。
「私と話してくださる時間が少しありませんか?」と、Kはきいた。
「要(い)るだけいくらでも」と、僧は言い、Kに持ってもらうため、小さなランプを渡した。近くにあっても、一種のいかめしさが彼の身体から消え去らなかった。
「たいへんご親切なことです」と、Kは言い、二人は並んで、暗い内陣の中をあちこちと歩いた。
「裁判所の人たち全部のうちで、あなただけは例外だ。たくさんの人を知っていますが、あなたをほかの誰よりも信頼しますね。あなたとなら打明けて話ができる」
「早まっちゃいけない」と、僧が言った。
「早まるってどういう点でですか?」と、Kがきいた。
「裁判所のことだよ」と、僧が言った。「法律の入門書には、君のような惑いについてこう書いてある。――
 掟(おきて)の前に一人の門番が立っていた。この門番のところへ一人の田舎(いなか)の男がやってきて、掟の中へ入れてくれと願った。しかし門番は、今ははいることを許せない、と言った。男は考えていたが、それでは後(あと)でならはいっていいのか、ときいた。『それはできる』と、門番は言った、『だが今はだめだ』掟へはいる扉はいつものようにあけっ放しだし、門番は脇(わき)へ行ったので、男は身体をかがめて、門越しに中をのぞこうとした。門番はそれを見て、笑って言った。『そんなにはいりたいなら、わしの禁止にそむいて中へはいろうとしてみるがいい。だがいいか。わしは力を持っている。それでもいちばん下(した)っ端(ぱ)の門番にすぎない。広間から広間へと門番が立っていて、だんだん力が大きくなるばかりだ。三番目の門番の顔を見ることだけでもわしにはもう我慢ができない』こんな困難は田舎の男の予期しなかったことだが、掟というのは誰にでもいつでも近寄れるはずだ、と考えた。しかし、毛皮の外套を着た門番、その大きな尖(とが)り鼻、長くて薄い、真っ黒な韃靼人(だったんじん)風の髯(ひげ)をよくよく見ているうち、はいる許可がもらえるまでむしろ待とうと決心した。門番は男に床几(しょうぎ)を与え、扉の脇ですわらせた。そこで何日も、何年も男はすわっていた。男は、入れてもらおうとさまざまな試みをし、うるさく頼んで門番をうんざりさせた。門番はときどき男をちょっと尋問し、男の故郷のことやそのほかさまざまなことをきいたが、いずれもお偉方のやるような無関心な質問で、最後にはいつもきまって、まだ入れることはできない、と言うのだった。旅のためにたくさん準備を整えてきた男は、門番を買収しようと思い、どんなに貴重なものであろうとすべてつかい果した。門番のほうはなんでももらうにはもらうが、『何か手を尽さなかったと君が思わないように、もらっておこう』と言うのだった。長年のあいだ、男はほとんど絶え間もなく門番を観察し続けた。ほかの門番のことなど忘れてしまい、この最初の門番こそ掟にはいる唯一の障害だと思うようになった。初めの頃は声を大にして不運な偶然を呪(のろ)っていたが、後に年をとってゆくと、ぶつぶつつぶやくだけであった。子供のようになってしまい、長年にわたって門番を観察していた結果、その毛皮の襟(えり)に蚤(のみ)たちがいることを知り、自分を助けてくれるように、そして門番を説き伏せてくれるように、と蚤たちに頼んだりした。ついに視力が弱まり、自分の周(まわ)りがほんとうに暗くなったのか、それとも自分の眼が錯覚を起しているのか、わからなくなった。しかし今や暗黒を通して、掟の幾重もの扉から消えることなくさし出てくる輝きをはっきりと認めた。もう長くは生きまい。死の前にあって、彼の脳中には全生涯のあらゆる経験が相集まって、これまで門番に投じたことのないひとつの質問となった。硬直しつつある身体をもう起すこともできないので、門番に目くばせの合図をした。門番は深く身体をかがめなければならなかった。なぜなら、背丈(せたけ)のちがいは、男のほうがずっと不利なように変ってしまっていたからである。『いったい、いまさら何を知りたいんだ』と、門番はきいた、『お前はよく飽きもしないな』『誰でもみな掟を求めているのに』と、男は言った、『私のほか誰も入れてくれと求める者がいなかったというようなことに、どうしてなったのですか?』門番は、男がすでに臨終にあるのを知り、薄らいでゆく聴力に届くように、大声でわめいた。『ここではほかの誰もが入れてもらえなかったのさ。なぜなら、この入口はただお前のためときまっていたからだ。どれ、わしも出かけよう。そして門をしめよう』」
「それじゃあ、門番は男をだましたんですね」と、その話に非常に強くひきつけられたKは、すぐ言った。
「先走っちゃいけない」と、僧が言った。「他人の意見を吟味しないで受取るもんじゃない。わしは君に、この話を本に書いてあるとおりに話したんだ。だますとかいうようなことについては全然書いてない」
「でもそれは明瞭(めいりょう)ですよ」と、Kは言った。「そしてあなたの最初の解釈がまったく正しかったんです。門番は解決の言葉を、それがもう男には役にたたなくなって初めて言い聞かせたんです」
「門番はその前にはきかれなかったんだ」と、僧は言った。「またよく考えてもらいたいが、彼は門番にすぎないんだし、門番としては義務を果したわけだ」
「義務を果したって、なぜそう思われるんですか?」と、Kはきいた。「果しはしませんね。彼の義務はおそらく、縁のない者はすべて追い払うということであったのでしょうが、その入口をはいることにきまっているその男は、入れてやるべきだったのでしょう」
「君はこの書物に十分敬意をはらっておらず、話をつくり変えているんだ」と、僧は言った。「この話は掟にはいるのを許すことについて、二つの重要な門番の言明を含んでいる。ひとつは冒頭、ひとつは結末にあるんだ。そのひとつの個所には、男に今ははいることを許せないと書いてあり、もう一個所には、この入口はお前だけのものだ、とある。この二つの言明のあいだに矛盾があれば、君の言うことが正しいのであって、門番は男をだましたことになろう。ところが全然矛盾がないんだ。反対に、第一の言明は第二のを暗示さえしている。門番は、男に将来ははいることを許す可能性があるという見込みを与えることによって、義務を逸脱したのだ、とほとんど言うことができよう。そのころには男を追い払うというだけが彼の義務であったらしく、事実この書物の多くの注釈者も、門番が厳密さというものを愛するように見え、厳格に自分の役目を守っているのに、およそそんな暗示をほのめかしたことについて、不思議に思っている。多年のあいだ自分の持場を離れず、まったく最後というときになって初めて門をしめるし、自分の役目の重大さというものをきわめて自覚しているんだ。なぜなら、『わしには力がある』と言うからだ。上役に対する尊敬というものを知っている。『わしはただいちばん低い門番だ』と言うからだ。多年のあいだ、この本に書いてあるように『無関心な質問』を投げるだけだったのだから、おしゃべりでもないし、贈り物については『何か手を尽さなかったと君が思わないように、もらっておこう』と言うのだから、賄賂(わいろ)のきくような男でもない。義務の遂行に関しては、動かされたり、泣き落しにかかったりはしない。なぜなら、この男について、『うるさく頼んで門番をうんざりさせた』と書いてあるからだ。最後に彼の外貌(がいぼう)もそのペダンチックな性格を暗示している。大きな尖り鼻、長くて薄い、真っ黒な韃靼人風の髯とある。これより義務に忠実な門番はまたとあるだろうか? さてところで、この門番にはさらに別の特徴もあって、それははいることを求める人間にきわめて好都合なものであり、ああいうように将来の可能性などをほのめかして自分の義務をいくらか逸脱したということも、それによればともかくうなずけるというものだ。つまり、この男は少し単純であり、またそれと関連して少し己惚(うぬぼ)れが強い、ということは否定できない。自分の力、ほかの門番たちの力、それからそういう門番たちを見ると彼には我慢できないということ、そういうことについての彼の言い分は――わしは思うんだが、これらの言い分はみなそれ自体として正しくはあるが、彼がこういうことを持ち出すやりかたは、彼のとらえかたが単純さと思い上がりとによって曇らされているということを示すものだ。注釈者たちはこの点に関して、『ある事柄の正しい把握(はあく)と同じ事柄の間違った解釈とは互いに完全に排除し合うものではない』と言っている。ともかく、あの単純さと思い上がりとは、おそらく微々たる現われかたしかしていないのであれ、入口を守るという仕事を損じていることは認めないわけにはゆかず、それが門番の性格にある隙(すき)なのだ。そのうえさらに、この門番は生れつき親切らしいということがある。彼はまったくのところいつも役人になりきっていたとは言えないのだ。男に対してはっきりと断固たる禁止をしているにもかかわらず、はいることをすすめてみるような冗談を、初めのころにやっているし、次に男を追い払うようなことをやらないで、この本の書いているところだと、床几を与え、扉の脇にすわらせている。多年を通じて男の懇願を我慢強く聞いてやった忍耐、ちょっとした尋問の数々、贈り物を受取ったこと、ここに門番を配置した不運な偶然を男が自分のそばで大声で呪うのを許していた高貴さ――こういうものはすべて、同情を働かしたものと結論できる。どんな門番でもこんなふうに振舞うとはかぎらぬはずだ。そして最後にまだ男の合図を見て深く彼のほうに身体をかがめ、最後の質問の機会を与えてやるのだ。ただちょっとしたいらだたしさが――門番は実に、万事がおしまいだということを知っているのだ――『お前はよく飽きもしないな』という言葉に現われているだけだ。多くの人はこの解釈のしかたをさらに押し進めさえして、『お前はよく飽きもしないな』という言葉は、一種の親しみを含めた感嘆を表わすものであるとしているが、もちろんこの感嘆は卑下の気持が全然ないわけではないとしている。いずれにせよ、門番の全貌は君が思いこんでいるのとは、全然ちがうように結論されるわけだ」
「そりゃあ、あなたはこの話を私より詳しく知っているし、またずっと前から知っているんですからね」と、Kは言った。
 二人はしばらく黙っていた。やがてKが言った。
「それじゃああなたは、男はだまされたんじゃない、と思うんですか?」
「私の言うことを誤解しちゃいけない」と、僧が言った。「わしは君にただ、この話について行われているいろいろな意見を教えているだけだ。君はいろいろな意見をあまり尊重してはいけない。書物は不変であって、いろいろな意見などはしばしばそれに対する絶望の表現にすぎないのだ。この場合についても、だまされたのはまさに門番のほうだ、とするような意見さえあるくらいだ」
「それは極端な意見ですね」と、Kは言った。「どういう根拠に基づいているんですか?」
「根拠は」と、僧は答えた。「門番の単純さというものから出ている。門番は掟の内部を知らないのであって、ただ道だけを知っているのだが、その道も入口の前でいつもやめなくてはならない、というのだ。彼が内部について持っているイメージは、子供らしいものと考えられるし、男を恐れさせようとするものを自分でも恐れているのだ、と認められる。まったく、彼のほうが男よりもそれを恐れているのだ。なぜならば、男は内部にいる恐ろしい門番たちの話を聞いてさえもただはいることだけを望んだのに、門番のほうははいろうとは思わず、少なくともそれについては何事もわかっていないからである。ほかの注釈者は、掟に仕えるよう採用されたのであるし、こういうことはかならず内部でだけ行われるはずであるから、門番は内部にいたことがあるにちがいない、と言ってはいる。それに対して答えられることは、内部からの呼び声で門番に命じられたのかもしれないが、三番目の門番を見てもう我慢ができないくらいだから、少なくとも内部の奥深くまで行ったことはありえないはずだ、ということだ。ところでそのうえ、多年のあいだに門番たちについて述べているほかに何か内部について語ったということが、書いてもない。それは禁じられていたのかもしれないが、その禁止についても語ってはいない。そういうことから結論されているのは、内部の有様や意味について何も知らないし、それについて錯覚している、ということだ。しかしまた、田舎(いなか)の男に対しても錯覚していたにちがいない。なぜなら、この男に対して下位にありながら、それを知らないからである。男を自分よりも下位の人間として取扱ったことは、君もまだ覚えているだろうが、多くの点からわかることだ。ところが、門番のほうが実は下位にあるということは、この論者の意見によると、同じようにはっきりと推論されるというのだ。何よりもまず、自由な人間というものは束縛された者よりも上位にあるものだ。さて、男のほうは事実自由であり、どこへでも行きたいところへ行けるし、ただ掟への入口だけが、彼には通行禁止になっているだけだが、そのうえ、門番というただ一人によって禁じられているにすぎない。門の脇の床几に腰をかけて、そこに一生涯とどまっていたのも、自由意志でやったことであり、この話はなんら強制ということを語ってはいない。それに反して門番はその役目によって持場に縛られており、外に離れることもならず、どうもいくら欲しても内へも行くこともならぬらしいのだ。そのうえ、掟に仕えているとはいえ、ただこの入口のために仕えているのであり、したがってただこの入口ばかりからはいれることになっているこの男だけのために仕えているわけだ。この理由からも門番は男の下位にある。彼は多年にわたって、壮年時代を通じてある意味ではただむなしい役目を果していたにすぎないと言いうる。なぜなら、一人の男がやってきたと書いてあるのだから、壮年の何者かが来たわけであり、したがって門番はその目的が果されるまで長いあいだ待たねばならず、しかも自由意志でやってきたその男の気の向きよう次第で待たねばならなかったからだ。ところがこの役目の終りもその男の生涯の終りに規定されていて、したがって最後まで男の下位に居続けるわけだ。そして、門番はそういうことについて何も知ってはいないようだ、ということが繰返し強調されている。しかしその点に関してなんら著しく着目すべきことは見られない。なぜなら、この見解によると門番はもっとずっと重い錯覚にいたのであって、その錯覚は役目に関することなのだからである。すなわち最後に入口のことをしゃべり、『わしも出かけよう。そして門をしめよう』と言っているが、冒頭には、掟への門はいつものように開いているとあり、もしいつも開いているのなら、いつもというのはこの門からはいってゆくべき男の生涯には関係ないという意味だから、門番もその門をしめることはできぬわけだ。門番が門をしめようと言って、ただ返答をしておこうというだけのものなのか、あるいは役目の義務を強調しようとしたのか、それともその男を最後の瞬間においても後悔と悲しみとにおとしいれようとしたのか、その点に関しては諸家の意見はいろいろに分れている。しかし、彼は門をしめることができないはずだ、という点では多くの人々は一致した意見である。これらの人々は、男が掟の入口からさしてくる輝きを見たのに、門番その人はきっと入口を背にして立っており、何か変化を認めたという素振りを全然示さなかったのであるから、少なくとも最後のときにおいては、その知においても門番は男の下位にあったのだ、とさえ信じている」
「りっぱに理由がつきましたね」と、僧の説明のところどころの個所を低声につぶやきながら繰返していたKは、言った。「りっぱに理由がつきましたね。そして私も今では門番がだまされたものと信じます。けれど、そうだからといって私の以前の意見をやめてしまったわけではありません。というのは、二つの意見は互いに部分的に重なり合うからです。門番がはっきり見ていたのか、あるいはだまされたのか、ということははっきりきまらないと思います。男はだまされた、と私は言いました。もし門番がはっきりと見ているのなら、それを疑ってみることもできましょうが、門番がだまされたのだとすれば、その錯覚は必然的に男へ移ってゆかねばなりません。そうなると門番は欺瞞者(ぎまんしゃ)ではないけれども、非常に単純なのですぐに役目からおはらい箱にされなければならぬでしょう。門番の陥っている錯覚は彼を少しも害しはしなかったが、男には千倍も害を与えたということを、あなたはよく考えるべきです」
「それにはこういう反対説があるんだ」と、僧は言った。「つまり多くの人々は、この話は誰にも門番について批判を下す権利を与えていない、と言うんだ。門番がわれわれにとってどう見えようとも、彼は掟に仕える者であり、したがって掟に属し、したがってまた人間の批判を超(こ)える。また、門番は男の下位にある、ということも信じてはならない。役目によってただ掟の入口に縛られているということは、自由に世間で生活するよりも比較にならぬくらいよいことだ。男は初め掟のところへ来るのだが、門番はすでにそこにいる、彼は掟によって役目につけられているのであり、その威厳を疑うことは、掟を疑うことを意味する」
「そんな意見に私は賛成しかねますね」と、Kは頭を振りながら言った。「なぜなら、もしこの意見に賛成するならば、門番の言ったことをすべて真実と考えなくてはなりません。ところが、そういうことはありえないということを、あなたご自身詳しく理由づけたんですからね」
「いや」と、僧は言った。「すべてを真実だなどと考えてはいけない、ただそれを必然だと考えなくてはならないのだ」
「憂鬱な意見ですね」と、Kは言った。「虚偽が世界秩序にされているわけだ」
 Kは結論的にそう言ったが、彼の終局の判断ではなかった。あまりに疲れていて、その話のあらゆる結論をことごとく見渡すことができなかったし、その話が彼を導いていったのは不慣れな思考法でもあった。彼にというよりも裁判所の役人の一味の論議にふさわしいような、非現実的な事柄だった。単純な話が形のゆがんだものとなってしまい、そんなものを自分から振落してしまいたかったが、今は大いに思いやりを見せるようになった僧は、それを見逃(みのが)してくれ、自分の意見とKの言葉とは確かに一致しないのだが、それを黙って受入れるのだった。
 二人はしばらく黙ったまま歩み続け、どこにいるのかわからないまま、僧のすぐそばにくっついていた。Kの手にしているランプはとっくに消えてしまっていた。一度、ちょうど彼の眼の前で聖人の銀の立像がただ銀の輝きだけできらめき、すぐまた暗闇へと消えていった。すっかり僧に頼(たよ)りきりになっているわけにもゆかないので、Kはきいた。
「もう正面入口の近くじゃありませんか?」
「いや」と、僧は言った。「まだだいぶ遠い。もう帰りたいのか?」
 Kはちょうどそのとき帰ることを考えていたわけではなかったが、すぐ言った。
「そうです、帰らなければなりません。私はある銀行の業務主任で、銀行では私を待っています。私がここにやってきたのはただ、外国人の顧客に伽藍を案内するためです」
「それじゃあ」と、僧は言い、Kに手を差出した。「行きたまえ」
「でも真っ暗でひとりでは見当がつきかねるのですが」と、Kは言った。
「左の壁のほうに行き」と、僧は言った。「それから壁に沿って壁を見失わないようにして行けば、出口が見つかるよ」
 僧が二、三歩離れるか離れないかのうちに、Kはきわめて大声で叫んだ。
「どうか待ってください!」
「待つよ」と、僧が言った。
「まだ何か私に用はありませんか?」と、Kがきいた。
「ない」と、僧が言った。
「前はたいへん親切にしてくれ」と、Kは言った。「私に万事を説明してくれたのに、今はもう私のことなんかどうでもいいというように私を見捨ててしまうんですね」
「だが、君は帰らねばならないんだろう」と、僧は言った。
「そうですが」と、Kは言った。「今言ったことをよく考えてください」
「まず君は、わしが誰かをよく考えることだ」と、僧は言った。
「教誨師です」と、Kは言い、僧のほうに近づいた。すぐ銀行に帰るということは、彼が言ったほど必要なことではなく、ここにとどまっていてもいっこうにさしつかえなかった。
「それだから私は裁判所の人間だ」と、僧は言った。「そうだとしたらなぜ君に用事があろう。裁判所は君に何も求めはしない。君が来れば迎え、行くなら去らせるまでだ」





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