ゲーテ詩集 生田春月訳



忘れぬ為めに(二章)


    その一

運命に抵抗することは出来る
だが打撃はどうしてもやつて来る
もし運命の方で避けないならば
よし!おまへの方で避けてやれ!

    その二

運命に抗てはならない
またそれを逃避してもならない!
汝がそれにむかつて行つたなら
運命はやさしく汝を引寄せるだらう





広くても長くても


謙遜なものは我慢しなけりやならぬ
厚顔なものは苦しまなきやならぬ
こんなにどのみち罰を受ける
厚顔だらうと謙遜だらうと





処世法


生き甲斐のある生活をしようと思ふなら
過ぎ去つた事に屈托してはならない
極くつまらない事さへ腹立たしくするから
始終現在を楽んで行くがよい
とりわけ何人をも憎んではならない
そして未来は神にまかしておけ





墓碑銘


少年(こども)の時は含羞家(はにかみや)で我儘で
青年の時はお洒落で尊大で
中年になると仕事に身が入り
老人になると気軽で気まぐれで! –
おまへの墓碑の上にはかう読める
これは真に一個の人間だつた!





世のならはし


わたしが愉快な快活な
若者であつたとき
画家(ゑかき)に肖像(すがた)を描(か)かせたら
なんにもない顔だと言つた
その代り美しい娘がたくさんに
わたしを真実に愛してくれた

今ではかうして名誉ある老人になつて
街路(とほり)で逢つた人はみな挨拶する
老フリッツのやうに何処へ行つても
煙草やお茶をすすめてくれる
だが美しい娘さんは一人も寄り附かぬ
おお青春の夢よ!おお黄金の星よ!





好例


わたしは我慢が出来なくなると
地球の辛抱強さを考へて見る
地球は毎日廻転するさうな
おれだつて我慢の外に何が出来る?
おれもこのお母様の例に傚はる





あべこべに


我々の愛するものが不幸に陥つたなら
此上もなく悲しい気がするだらう
わが我々の憎んでゐるものが幸福ならば
どうしたことやらわけがわからない
若しこれが反対(あべこべ)ならば大喜びだ
こんなに我々は親切者だし意地悪だ





 (同等)


飛び離れて大きいと手の届かないものと諦めて
みな自分と同等なものを嫉むばかり
そこでこの世で一番たちのよくない嫉妬家(やきもちやき)
誰でも自分と同じやうに思ふ人間だ





そちがそちならこちもこち


衣嚢(ポケツト)の口をふさいでばつかりゐる男
おまへには誰だつていい事をしちやくれぬ
手はただ手からして洗はれる
取らうと思ふならまづ出すがよい!





そのうち何とかなる


何処に直ぐ何でも究めようと思ふものがある!
雪が溶けたらあらはれよう

どんなに骨を折らうと今は駄目!
薔薇なら花が咲くであらう





土間の客曰く


厳格なお嬢さんには声かけるのも
遠慮をせずにをられない
自堕落ものの美人なら
ふざけた気持で相手が出来る

まはりくどい言廻しは
舞台の上でも大嫌ひ
結局わけのわからぬことを
なんで賞めねばならないか?

よく筋の通つた軽い身の振りは
おれの心を迷はせる
いつそ趣味の堕落をした方がよい
退屈をしてしまふより





かはいいもの


いま逃げるやうに通つて行つた
あの娘を君は見たか?
あれがおれの花嫁だつたなら!

ああ見たよ!あのブロンドの色白の娘だらう!
燕のやうにかはゆく飛ぶね
巣をこしらへる燕のやうに



おまへはわたしのものだよ、かはいい娘(こ)
おまへはわたしのものだよ、きれいな娘(こ)
だがまだ何だかおまへにや欠けてゐる
ちやうど鳩が水をすする時のやうに
(くち)をとがらせて接吻してくれたなら
おまへは一番かはいいものになる





相も変らず


市場を歩いてゆくときに
人ごみに
かはいい娘を
見附けると
娘の方でもやつて来る
近よれぬけれど
誰もふたりを見てゐない
ふたりの恋を

『おとしより、まだお止めにならぬ気か?
いつも娘、娘と!
若い時分に仲よしだつたその娘は
ケエトヘンとかいひましたね
それが今でも楽しい気持をさせますか?
はつきり言ひなさい』
まあ見ろ、あの女がおれに挨拶するよ
あれは真理といふ女だ





今日と永遠と


日を日に示すことは不可能だ
それはただ紛糾を紛糾に映すだけだ
人はみな自分を無類の正しい人間だと思ふ
自分を鞭(むちう)つ代りに他人を鞭(むちう)
精神が絶えず飛翔してゐる時には
脣は黙つてゐる方がいい
昨日から今日は来ない、だが時代は
絶えず衰へたり盛んになつたりするであらう





痴者のエピログ


たくさんのいい仕事をおれはした
君たちが賞めてくれれば悪い気はしない
この世ではすべてのものがやがてまた
うまい工合になるだらうとおれは思ふ
おれが馬鹿げた事をした為めに賞めるなら
おれは腹の底から笑つてやる
おれが立派な事をしたのに罵るならば
おれは全く愉快な気持で聞いてやる
強い者がおれを痛い程打(ぶ)つならば
おれはそれがほんの冗談だつたやうなふりをする
だがそれがおれと同じ位なものの一人なら
おれは思ふさま打ちのめしてやる
幸福がおれに笑つて見せればおれは喜んで
dulci Jubilo(快哉快哉)を歌ふ
その車輪がめぐつておれを轢き倒せば
きつとまた引き上げるだらうと考へる!

夏の日かげの下では心配しない
やがてまた冬になることを
さうして真白な吹雪がやつて来ると
たのしく橇を走らせる
何でも好き放題におれはしたい
だが太陽はおれのためにぢつとしてゐない
いつも昔どほりの道を行く
長い一生の終るまで
家の主人も下男とともに
毎日出たり入つたり
彼等は互に身分の高下を争ひながら
寝たり起きたり飲んだり食つたりしてくらす
そんなことにおれはついぞ煩されない
痴者のやうにやりたいならおまへ逹は悧巧でなくちやならぬ!





—- ゲエテ詩集了 —-



底本:ウォルフガング・ゲエテ(Johann Wolfgang von Goethe,1749-1832年)
生田春月(1892-1930年)訳『ゲエテ詩集』
新潮社
大正八年五月二十日印刷
大正八年五月廿三日発行
大正十一年四月十二日廿四版






この本を、全文縦書きブラウザで読むにはこちらをクリックしてください。
【明かりの本】のトップページはこちら

 
 
 
以下の「読んだボタン」を押してツイッターやFacebookを本棚がわりに使えます。
ボタンを押すと、友人にこの本をシェアできます。
↓↓↓ 

Facebook Twitter Email
facebooktwittergoogle_plusredditpinterestlinkedinmailby feather

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">