與謝野晶子 晶子詩篇全集





男の胸





名工(めいこう)のきたへし刀

一尺に満たぬ短き、

するどさを我は思ひぬ。

あるときは異国人(とつくにびと)の

三角の尖(さき)あるメスを

われ得(え)まく切(せち)に願ひぬ。

いと憎き男の胸に

利(と)き白刄(しらは)あてなん刹那(せつな)、

たらたらと我袖(わがそで)にさへ

指にさへ散るべき、紅(あか)き

血を思ひ、我(わ)れほくそ笑(ゑ)み、

こころよく身さへ慄(ふる)ふよ。

その時か、にくき男の

云(い)ひがたき心宥(ゆる)さめ。

しかは云(い)へ、突かんとすなる

その胸に、夜(よる)としなれば、

額(ぬか)よせて、いとうら安(やす)の

夢に入(い)る人も我なり。

男はた、いとしとばかり

その胸に我(わ)れかき抱(いだ)き、

眠ること未(いま)だ忘れず。

その胸を今日(けふ)は仮(か)さずと

たはぶれに云(い)ふことあらば、

我(わ)れ如何(いか)に佗(わび)しからまし。







鴨頭草(つきくさ)





鴨頭草(つきくさ)のあはれに哀(かな)しきかな、

わが袖(そで)のごとく濡(ぬ)れがちに、

濃き空色の上目(うはめ)しぬ、

文月(ふづき)の朝の木(こ)のもとの

板井のほとり。







月見草





はかなかる花にはあれど、

月見草(つきみさう)、

ふるさとの野を思ひ出(い)で、

わが母のこと思ひ出(い)で、

初恋の日を思ひ出(い)で、

指にはさみぬ、月見草(つきみさう)。







伴奏





われはをみな、

それゆゑに

ものを思ふ。



にしき、こがね、

女御(にようご)、后(きさき)、

すべて得(え)ばや。



ひとり眠る

わびしさは

をとこ知らじ。



黒きひとみ、

ながき髪、

しじに濡(ぬ)れぬ。



恋し、恋し、

はらだたし、

ねたし、悲し。







初春(はつはる)





ひがむ気短(きみじ)かな鵯鳥(ひよどり)は

木末(こずゑ)の雪を揺りこぼし、

枝から枝へ、甲高(かんだか)に

凍(い)てつく冬の笛を吹く。

それを聞く

わたしの心も裂けるよに。

それでも木蔭(こかげ)の下枝(しづえ)には

あれ、もう、愛らしい鶯(うぐひす)が

雪解(ゆきげ)の水の小(こ)ながれに

軽く反(そり)打つ身を映し、

ちちと啼(な)く、ちちと啼(な)く。

その小啼(ささなき)は低くても、

春ですわね、春ですわね。







仮名文字





わが歌の仮名文字よ、

あはれ、ほつほつ、

止所(とめど)なく乱れ散る涙のしづく。

誰(たれ)かまた手に結び玉(たま)とは愛(め)でん、

みにくくも乱れ散る涙のしづく。

あはれ、この文字、我が夫(せ)な読みそ、

君ぬらさじと堰(せ)きとむる

しがらみの句切(くぎり)の淀(よど)に

青き愁(うれひ)の水渋(みしぶ)いざよふ。







子守





みなしごの十二(じふに)のをとめ、

きのふより我家(わがいへ)に来て、

四(よ)つになる子の守(もり)をしぬ。

筆と紙、子守は持ちて、

筋(すぢ)を引き、環(くわん)をゑがきて、

箪笥(たんす)てふ物を教へぬ。

我子(わがこ)らは箪笥(たんす)を知らず、

不思議なる絵ぞと思へる。







寂しき日





あこがれまし、

いざなはれまし、

あはれ、寂(さび)しき、寂(さび)しき此(この)日を。

だまされまし、賺(すか)されまし、

よしや、よしや、

見殺(みごろ)しに人のするとも。







煙草





わかき男は来るたびに

よき金口(きんくち)の煙草(たばこ)のむ。

そのよき香り、新しき

愁(うれへ)のごとくやはらかに、

煙(けぶり)と共にただよひぬ。

わかき男は知らざらん、

君が来るたび、人知れず、

我が怖(おそ)るるも、喜ぶも、

唯(た)だその手なる煙草(たばこ)のみ。







百合の花





素焼の壺(つぼ)にらちもなく

投げては挿せど、百合(ゆり)の花、

ひとり秀(ひい)でて、清らかな

雪のひかりと白さとを

貴(あて)な金紗(きんしや)の匂(にほ)はしい

エルに隠す面(おも)ざしは、

二十歳(はたち)ばかりのつつましい

そして気高(けだか)い、やさがたの

侯爵夫人(マルキイズ)にもたとへよう。

とり合せたる金蓮花(きんれんくわ)、

麝香(じやかう)なでしこ、鈴蘭(すゞらん)は

そぞろがはしく手を伸べて、

宝玉函(はうぎよくいれ)の蓋(ふた)をあけ、

黄金(きん)の腕環(うでわ)や紫の

斑入(ふいり)の玉(たま)の耳かざり、

真珠の頸環(くびわ)、どの花も

※(あつ)[#「執/れんが」、U+24360、106-上-6]い吐息を投げながら、

華奢(くわしや)と匂(にほ)ひを競(きそ)ひげに、

まばゆいばかり差出せど

あはれ、其等(それら)の楽欲(げうよく)と、

世の常の美を軽(かろ)く見て、

わが侯爵夫人(マルキイズ)、なにごとを

いと深げにも、静かにも

思ひつづけて微笑(ほゝゑ)むか。

花の秘密は知り難(がた)い、

けれど、百合(ゆり)をば見てゐると、

わたしの心は涯(はて)もなく

拡がつて行(ゆ)く、伸びて行(ゆ)く。

我(わ)れと我身(わがみ)を抱くやうに

世界の人をひしと抱き、

※(ねつ)[#「執/れんが」、U+24360、106-下-5]と、涙と、まごころの

中に一所(いつしよ)に融(と)け合つて

生きたいやうな、清らかな

愛の心になつて行(ゆ)く。

[#ここで段組み終わり]





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