與謝野晶子 晶子詩篇全集









第一の陣痛





わたしは今日(けふ)病んでゐる、

生理的に病んでゐる。

わたしは黙つて目を開(あ)いて

産前(さんぜん)の床(とこ)に横になつてゐる。



なぜだらう、わたしは

度度(たびたび)死ぬ目に遭つてゐながら、

痛みと、血と、叫びに慣れて居ながら、

制しきれない不安と恐怖とに慄(ふる)へてゐる。



若いお医者がわたしを慰めて、

生むことの幸福(しあはせ)を述べて下された。

そんな事ならわたしの方が余計に知つてゐる。

それが今なんの役に立たう。



知識も現実で無い、

経験も過去のものである。

みんな黙つて居て下さい、

みんな傍観者の位置を越えずに居て下さい。



わたしは唯(た)だ一人(ひとり)、

天にも地にも唯(た)だ一人(ひとり)、

じつと唇を噛(か)みしめて

わたし自身の不可抗力を待ちませう。



生むことは、現に

わたしの内から爆(は)ぜる

唯(た)だ一つの真実創造、

もう是非の隙(すき)も無い。



今、第一の陣痛……

太陽は俄(には)かに青白くなり、

世界は冷(ひや)やかに鎮(しづ)まる。

さうして、わたしは唯(た)だ一人(ひとり)………







アウギユストの一撃





二歳(ふたつ)になる可愛(かは)いいアウギユストよ、

おまへのために書いて置く、

おまへが今日(けふ)はじめて

おまへの母の頬(ほ)を打つたことを。

それはおまへの命の

自(みづか)ら勝たうとする力が――

純粋な征服の力が

怒りの形(かたち)と

痙攣(けいれん)の発作(ほつさ)とになつて

電火(でんくわ)のやうに閃(ひらめ)いたのだよ。

おまへは何(なに)も意識して居なかつたであらう、

そして直(す)ぐに忘れてしまつたであらう、

けれど母は驚いた、

またしみじみと嬉(うれ)しかつた。

おまへは、他日(たじつ)、一人(ひとり)の男として、

昂然(かうぜん)とみづから立つことが出来る、

清く雄雄(をを)しく立つことが出来る、

また思ひ切り人と自然を愛することが出来る、

(征服の中枢は愛である、)

また疑惑と、苦痛と、死と、

嫉妬(しつと)と、卑劣と、嘲罵(てうば)と、

圧制と、曲学(きよくがく)と、因襲と、

暴富(ぼうふ)と、人爵(じんしやく)とに打克(うちが)つことが出来る。

それだ、その純粋な一撃だ、

それがおまへの生涯の全部だ。

わたしはおまへの掌(てのひら)が

獅子(しし)の児(こ)のやうに打つた

鋭い一撃の痛さの下(もと)で

かう云(い)ふ白金(はくきん)の予感を覚えて嬉(うれ)しかつた。

そして同時に、おまへと共通の力が

母自身にも潜(ひそ)んでゐるのを感じて、

わたしはおまへの打つた頬(ほ)も

打たない頬(ほ)までも※(あつ)[#「執/れんが」、U+24360、127-上-12]くなつた。

おまへは何(なに)も意識して居なかつたであらう、

そして直(す)ぐに忘れてしまつたであらう。

けれど、おまへが大人になつて、

思想する時にも、働く時にも、

恋する時にも、戦ふ時にも、

これを取り出してお読み。

二歳(ふたつ)になる可愛(かは)いいアウギユストよ、

おまへのために書いて置く、

おまへが今日(けふ)はじめて

おまへの母の頬(ほ)を打つたことを。



猶(なほ)かはいいアウギユストよ、

おまへは母の胎(たい)に居て

欧羅巴(ヨオロツパ)を観(み)てあるいたんだよ。

母と一所(いつしよ)にしたその旅の記憶を

おまへの成人するにつれて

おまへの叡智が思ひ出すであらう。

ミケル・アンゼロやロダンのしたことも、

ナポレオンやパスツウルのしたことも、

それだ、その純粋な一撃だ、

その猛猛(たけ/″\)しい恍惚(くわうこつ)の一撃だ。[#「一撃だ。」は底本では「一撃だ、」]



(一九一四年十一月二十日)









日曜の朝飯





さあ、一所(いつしよ)に、我家(うち)の日曜の朝の御飯。

(顔を洗うた親子八人(はちにん)、)

みんなが二つのちやぶ台を囲みませう、

みんなが洗ひ立ての白い胸布(セルツト)を当てませう。

独り赤さんのアウギユストだけは

おとなしく母さんの膝(ひざ)の横に坐(すわ)るのねえ。

お早う、

お早う、

それ、アウギユストもお辞儀をしますよ、お早う、

何時(いつ)もの二斤(にきん)の仏蘭西麺包(フランスパン)に

今日(けふ)はバタとジヤムもある、

三合の牛乳(ちち)もある、

珍しい青豌豆(えんどう)の御飯に、

参州(さんしう)味噌の蜆(しゞみ)汁、

うづら豆、

それから新漬(しんづけ)の蕪菁(かぶ)もある。

みんな好きな物を勝手におあがり、

ゆつくりとおあがり、

たくさんにおあがり。

朝の御飯は贅沢(ぜいたく)に食べる、

午(ひる)の御飯は肥(こ)えるやうに食べる、

夜(よる)の御飯は楽(たのし)みに食べる、

それは全(まつた)く他人(よそ)のこと。

我家(うち)の様な家(いへ)の御飯はね、

三度が三度、

父さんや母さんは働く為(ため)に食べる、

子供のあなた達は、よく遊び、

よく大きくなり、よく歌ひ、

よく学校へ行(ゆ)き、本を読み、

よく物を知るやうに食べる。

ゆつくりおあがり、

たくさんにおあがり。

せめて日曜の朝だけは

父さんや母さんも人並に

ゆつくりみんなと食べませう。

お茶を飲んだら元気よく

日曜学校へお行(ゆ)き、

みんなでお行(ゆ)き。

さあ、一所(いつしよ)に、我家(うち)の日曜の朝の御飯。







駆け出しながら





いいえ、いいえ、現代の

生活と芸術に、

どうして肉ばかりでゐられよう、

単純な、盲目(めくら)な、

そしてヒステリツクな、

肉ばかりでゐられよう。

五感が七(しち)感に殖(ふ)える、

いや、五十(ごじつ)感、百感にも殖(ふ)える。

理性と、本能と、

真と、夢と、徳とが手を繋(つな)ぐ。

すべてが細かに実(み)が入(い)つて、

すべてが千千(ちぢ)に入(い)りまじり、

突風(とつぷう)と火の中に

すべてが急に角(かく)を描(か)く。

芸も、思想も、戦争も、

国も、個人も、宗教も、

恋も、政治も、労働も、

すべてが幾何学的に合(あは)されて、

神秘な踊(をどり)を断(た)えず舞ふ

大(だい)建築に変り行(ゆ)く。

ほんに、じつとしてはゐられぬ、

わたしも全身を投げ出して、

踊ろ、踊ろ。

踊つて止(や)まぬ殿堂の

白と赤との大理石(マルブル)の

人像柱(クリアテイイド)の一本に

諸手(もろて)を挙げて加はらう。

阿片(あへん)が燻(いぶ)る……

発動機(モツウル)が爆(は)ぜる……

楽(がく)が裂ける……







三つの路





わが出(い)でんとする城の鉄の門に

斯(か)くこそ記(し)るされたれ。

その字の色は真紅(しんく)、

恐らくは先(さ)きに突破せし人の

みづから指を咬(か)める血ならん。

「生くることの権利と、

其(そ)のための一切の必要。」

われは戦慄(せんりつ)し且(か)つ躊躇(ため)らひしが、

やがて微笑(ほゝゑ)みて頷(うなづ)きぬ。

さて、すべて身に著(つ)けし物を脱ぎて

われを逐(お)ひ来(きた)りし人人(ひとびと)に投げ与へ、

われは玲瓏(れいろう)たる身一つにて逃(のが)れ出(い)でぬ。

されど一歩して

ほつと呼吸(いき)をつきし時、

あはれ目に入(い)るは

万里一白(いつぱく)の雪の広野(ひろの)……

われは自由を得たれども、

わが所有は、この刹那(せつな)、

否(いな)、永劫(えいごふ)[#ルビの「えいごふ」は底本では「えいがふ」]に、

この繊弱(かよわ)き身一つの外(ほか)に無かりき。

われは再び戦慄(せんりつ)したれども、

唯(た)だ一途(いちづ)に雪の上を進みぬ。

三日(みつか)の後(のち)

われは大いなる三つの岐路(きろ)に出(い)でたり。

ニイチエの過ぎたる路(みち)、

トルストイの過ぎたる路(みち)、

ドストイエフスキイの過ぎたる路(みち)、

われは其(そ)の何(いづ)れをも択(えら)びかねて、

沈黙と逡巡(しゆんじゆん)の中に、

暫(しばら)く此処(ここ)に停(とゞ)まりつつあり。

わが上の太陽は青白く、

冬の風四方(よも)に吹きすさぶ……







錯誤





両手にて抱(いだ)かんとし、

手の先にて掴(つか)まんとする我等よ、

我等は過(あやま)ちつつあり。



手を揚げて、我等の

抱(いだ)けるは空(くう)の空(くう)、

我等の掴(つか)みたるは非我(ひが)。



唯(た)だ我等を疲れしめて、

すべて滑(すべ)り、

すべて逃(のが)れ去る。



いでや手の代りに

全身を拡げよ、

我等の所有は此内(このうち)にこそあれ。



我を以(もつ)て我を抱(いだ)けよ。

我を以(もつ)て我を掴(つか)め、

我に勝(まさ)る真実は無し。







途上





友よ、今ここに

我世(わがよ)の心を言はん。

我は常に行(ゆ)き著(つ)かで

途(みち)の半(なかば)にある如(ごと)し、

また常に重きを負ひて

喘(あへ)ぐ人の如(ごと)し、

また寂(さび)しきことは

年長(とした)けし石婦(うまずめ)の如(ごと)し。

さて百千の段ある坂を

我はひた登りに登る。

わが世の力となるは

後ろより苛(さいな)む苦痛なり。

われは愧(は)づ、

静かなる日送りを。

そは怠惰と不純とを編める

灰色の大網(おほあみ)にして、

黄金(わうごん)の時を捕(とら)へんとしながら、

獲(う)る所は疑惑と悔(くい)のみ。

我が諸手(もろて)は常に高く張り、

我が目は常に見上げ、

我が口は常に呼び、

我が足は常に急ぐ。

されど、友よ、

ああ、かの太陽は遠し。







旅行者





霧の籠(こ)めた、太洋(たいやう)の離れ島、

此島(このしま)の街はまだ寝てゐる。

どの茅屋(わらや)の戸の透間(すきま)からも

まだ夜(よる)の明りが日本酒色(いろ)を洩(もら)してゐる。

たまたま赤んぼの啼(な)く声はするけれど、

大人は皆たわいもない[#「たわいもない」は底本では「たはいもない」]夢に耽(ふけ)つてゐる。



突然、入港の号砲を轟(とゞろ)かせて

わたし達は夜中(よなか)に此処(ここ)へ著(つ)いた。

さうして時計を見ると、今、

陸の諸国でもう朝飯(あさはん)の済んだ頃(ころ)だ、

わたし達はまだホテルが見附(みつ)からない。

まだ兄弟の誰(た)れにも遇(あ)はない。



年(ねん)ぢゆう[#「年ぢゆう」は底本では「年ぢう」]旅してゐるわたし達は

世界を一つの公園と見てゐる。

さうして、自由に航海しながら、

なつかしい生れ故郷の此島(このしま)へ帰つて来た。

島の人間は奇怪な侵入者、

不思議な放浪者(バガボンド)[#ルビの「バガボンド」は底本では「バカホンド」]だと罵(のゝし)らう。



わたし達は彼等を覚(さま)さねばならない、

彼等を生(せい)の力に溢(あふ)れさせねばならない。

よその街でするやうに、

飛行機と露西亜(ロシア)バレエの調子で

彼等と一所(いつしよ)に踊らねばならない、

此島(このしま)もわたし達の公園の一部である。







何かためらふ





何(なに)かためらふ、内気なる

わが繊弱(かよわ)なるたましひよ、

幼児(をさなご)のごと慄(わなゝ)きて

な言ひそ、死をば避けましと。



正しきに就(つ)け、たましひよ、

戦へ、戦へ、みづからの

しあはせのため、悔ゆるなく、

恨むことなく、勇みあれ。



飽くこと知らぬ口にこそ

世の苦しみも甘からめ。

わがたましひよ、立ち上がり、

生(せい)に勝たんと叫べかし。







真実へ





わが暫(しばら)く立ちて沈吟(ちんぎん)せしは

三筋(みすぢ)ある岐(わか)れ路(みち)の中程(なかほど)なりき。

一つの路(みち)は崎嶇(きく)たる

石山(いしやま)の巓(いたゞき)に攀(よ)ぢ登り、

一つの路(みち)は暗き大野の

扁柏(いとすぎ)の森の奥に迷ひ、

一つの路(みち)は河に沿ひて

平沙(へいしや)の上を滑(すべ)り行(ゆ)けり。



われは幾度(いくたび)か引返さんとしぬ、

来(こ)し方(かた)の道には

人間(にんげん)三月(さんぐわつ)の花開き、

紫の霞(かすみ)、

金色(こんじき)の太陽、

甘き花の香(か)、

柔かきそよ風、

われは唯(た)だ幸ひの中に酔(ゑ)ひしかば。



されど今は行(ゆ)かん、

かの高き石山(いしやま)の彼方(かなた)、

あはれ其処(そこ)にこそ

猶(なほ)我を生かす路(みち)はあらめ。

わが願ふは最早(もはや)安息にあらず、

夢にあらず、思出(おもひで)にあらず、

よしや、足に血は流るとも、

一歩一歩、真実へ近づかん。






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