與謝野晶子 晶子詩篇全集






森の大樹





ああ森の巨人、

千年の大樹(だいじゆ)よ、

わたしはそなたの前に

一人(ひとり)のつつましい自然崇拝教徒である。



そなたはダビデ王のやうに

勇ましい拳(こぶし)を上げて

地上の赦(ゆる)しがたい

何(な)んの悪を打たうとするのか。

また、そなたはアトラス王が

世界を背中に負つてゐるやうに、

かの青空と太陽とを

両手で支へようとするのか。



そしてまた、そなたは

どうやら、心の奥で、

常に悩み、

常にじつと忍んでゐる。

それがわたしに解(わか)る、

そなたの鬱蒼(うつさう)たる枝葉(えだは)が

休む間(ま)無しに汗を流し、

休む間(ま)無しに戦(わなゝ)くので。

さう思つてそなたを仰ぐと、

希臘(ギリシヤ)闘士の胴のやうな

そなたの逞(たくま)しい幹が

全世界の苦痛の重さを

唯(た)だひとりで背負つて、

永遠の中に立つてゐるやうに見える。



或(ある)時、風と戦つては

そなたの梢(こづゑ)は波のやうに逆立(さかだ)ち、

荒海(あらうみ)の響(ひゞき)を立てて

勝利の歌を揚げ、

また或(ある)時、積む雪に圧(お)されながらも

そなたの目は日光の前に赤く笑つてゐる。



千年の大樹(だいじゆ)よ、

蜉蝣(ふいう)の命を持つ人間のわたしが

どんなにそなたに由(よ)つて

元気づけられることぞ。

わたしはそなたの蔭(かげ)を踏んで思ひ、

そなたの幹を撫(な)でて歌つてゐる。



ああ、願はくは、死後にも、

わたしはそなたの根方(ねがた)に葬られて、

そなたの清らかな樹液(セエヴ)と

隠れた※(あつ)[#「執/れんが」、U+24360、137-下-2]い涙とを吸ひながら、

更にわたしの地下の

飽くこと知らぬ愛情を続けたい。



なつかしい大樹(だいじゆ)よ、

もう、そなたは森の中に居ない、

常にわたしの魂(たましひ)の上に

爽(さわ)やかな広い蔭(かげ)を投げてゐる。







我は雑草





森の木蔭(こかげ)は日に遠く、

早く涼しくなるままに、

繊弱(かよわ)く低き下草(したくさ)は

葉末(はずゑ)の色の褪(あ)せ初(そ)めぬ。



われは雑草、しかれども

猶(なほ)わが欲を煽(あふ)らまし、

もろ手を延(の)べて遠ざかる

夏の光を追ひなまし。



死なじ、飽くまで生きんとて、

みづから恃(たの)むたましひは

かの大樹(だいじゆ)にもゆづらじな、

われは雑草、しかれども。







子供の踊(唱歌用として)





踊(をどり)、

踊(をどり)、

桃と桜の

咲いたる庭で、

これも花かや、紫に

円(まる)く輪を描(か)く子供の踊(をどり)。



踊(をどり)、

踊(をどり)、

天をさし上げ、

地を踏みしめて、

みんな凛凛(りゝ)しい身の構へ、

物に怖(おそ)れぬ男の踊(をどり)。



踊(をどり)、

踊(をどり)、

身をば斜めに

袂(たもと)をかざし、

振れば逆(さか)らふ風(かぜ)も無い、

派手に優しい女の踊(をどり)。



踊(をどり)、

踊(をどり)、

鍬(くは)を執(と)る振(ふり)、

糸引く姿、

そして世の中いつまでも

円(まる)く輪を描(か)く子供の踊(をどり)。







砂の上





「働く外(ほか)は無いよ、」

「こんなに働いてゐるよ、僕達は、」

威勢のいい声が

頻(しき)りに聞(きこ)える。

わたしは其(その)声を目当(めあて)に近寄つた。

薄暗い砂の上に寝そべつて、

煙草(たばこ)の煙を吹きながら、

五六人の男が[#「男が」は底本では「男か」]

おなじやうなことを言つてゐる。



わたしもしよざいが無いので、

「まつたくですね」と声を掛けた。

すると、学生らしい一人(ひとり)が

「君は感心な働き者だ、

女で居ながら、」

斯(か)うわたしに言つた。

わたしはまだ働いたことも無いが、

褒(ほ)められた嬉(うれ)しさに

「お仲間よ」と言ひ返した。



けれども、目を挙げると、

その人達の塊(かたまり)の向うに、

夜(よる)の色を一層濃くして、

まつ黒黒(くろぐろ)と

大勢の人間が坐(すわ)つてゐる。

みんな黙つて俯(うつ)向き、

一秒の間(ま)も休まず、

力いつぱい、せつせと、

大きな網を編んでゐる。







三十女の心





三十女(さんじふをんな)の心は

陰影(かげ)も、煙(けぶり)も、

音も無い火の塊(かたまり)、

夕焼(ゆふやけ)の空に

一輪真赤(まつか)な太陽、

唯(た)だじつと徹(てつ)して燃えてゐる。







わが愛欲





わが愛欲は限り無し、

今日(けふ)のためより明日(あす)のため、

香油をぞ塗る、更に塗る。

知るや、知らずや、恋人よ、

この楽しさを告げんとて

わが唇を君に寄す。







今夜の空





今夜の空は血を流し、

そして俄(には)かに気の触れた

嵐(あらし)が長い笛を吹き、

海になびいた藻(も)のやうに

断(た)えずゆらめく木の上を、

海月(くらげ)のやうに青ざめた

月がよろよろ泳ぎゆく。







日中の夜





真昼のなかに夜(よる)が来た。

空を行(ゆ)く日は青ざめて

氷のやうに冷えてゐる。

わたしの心を通るのは

黒黒(くろぐろ)とした蝶(てふ)のむれ。







人に





新たに活(い)けた薔薇(ばら)ながら

古い香りを立ててゐる。

初めて聞いた言葉にも

昨日(きのふ)の声がまじつてる。

真実心(しんじつしん)を見せたまへ。







寂寥





ほんに寂(さび)しい時が来た、

驚くことが無くなつた。

薄くらがりに青ざめて、

しよんぼり独り手を重ね、

恋の歌にも身が入(い)らぬ。







自省





あはれ、やうやく我心(わがこゝろ)、

怖(おそ)るることを知り初(そ)めぬ、

たそがれ時の近づくに。

否(いな)とは云(い)へど、我心(わがこゝろ)、

あはれ、やうやくうら寒し。







山の動く日





山の動く日きたる、

かく云(い)へど、人これを信ぜじ。

山はしばらく眠りしのみ、

その昔、彼等みな火に燃えて動きしを。

されど、そは信ぜずともよし、

人よ、ああ、唯(た)だこれを信ぜよ、

すべて眠りし女、

今ぞ目覚(めざ)めて動くなる。







一人称





一人称にてのみ物書かばや、

我は寂(さび)しき片隅の女ぞ。

一人称にてのみ物書かばや、

我は、我は。





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