與謝野晶子 晶子詩篇全集





朝顔の花





朝顔の花うらやまし、

秋もやうやく更けゆくに、

真垣(まがき)を越えて、丈(たけ)高き

梢(こづゑ)にさへも攀(よ)ぢゆくよ。



朝顔の花、人ならば

匂(にほ)ふ盛りの久しきを

世や憎みなん、それゆゑに

思はぬ恥も受けつべし。



朝顔の花、めでたくも

百千(もゝち)の色のさかづきに

夏より秋を注(つ)ぎながら、

飽くこと知らで日にぞ酔(ゑ)ふ。







晩秋





路(みち)は一(ひと)すぢ、並木路、

赤い入日(いりひ)が斜(はす)に射(さ)し、

点、点、点、点、朱(しゆ)の斑(まだら)……

桜のもみぢ、柿(かき)もみぢ、

点描派(ポアンチユリスト)の絵が燃える。



路(みち)は一(ひと)すぢ、さんらんと

彩色硝子(さいしきガラス)に照(てら)された

廊(らう)を踏むよな酔(ゑひ)ごこち、

そして心(しん)からしみじみと

涙ぐましい気にもなる。



路(みち)は一(ひと)すぢ、ひとり行(ゆ)く

わたしのためにあの空も

心中立(しんぢゆうだて)[#ルビの「しんぢゆうだて」は底本では「しんぢうだて」]に毒を飲み、

臨終(いまは)のきはにさし伸べる

赤い入日(いりひ)の唇か。



路(みち)は一(ひと)すぢ、この先に

サツフオオの住む家(いへ)があろ。

其処(そこ)には雪が降つて居よ。

出て行(ゆ)ことして今一度

泣くサツフオオが目に見える。



路(みち)は一(ひと)すぢ、秋の路(みち)、

物の盛りの尽きる路(みち)、

おお美(うつ)くしや、急ぐまい、

点、点、点、点、しばらくは

わたしの髪も朱(しゆ)の斑(まだら)……







電灯





狭い書斎の電灯よ、

紐(ひも)で縛られ、さかさまに

吊(つ)り下げられた電灯よ、

わたしと共に十二時を

越してますます目が冴(さ)える

不眠症なる電灯よ。



わたしの夜(よる)の太陽よ、

たつた一つの電灯よ、

わたしの暗い心から

吐息と共に込み上げる

思想の水を導いて

机にてらす電灯よ。



そなたの顔も青白い、

わたしの顔も青白い。

地下室に似る沈黙に、

気は張り詰めて居ながらも、

ちらと戦(わなゝ)く電灯よ、

わたしも稀(まれ)に身をゆする。



夜(よる)は冷たく更けてゆく。

何(なに)とも知らぬ不安さよ、

近づく朝を怖(おそ)れるか、

才(さい)の終りを予知するか、

女ごころと電灯と

じつと寂(さび)しく聴き入(い)れば、



死を隠したる片隅の

陰気な蔭(かげ)のくらがりに、

柱時計の意地わるが

人の仕事と命とに

差引(さしひき)つけて、こつ、こつと

算盤(そろばん)を弾(はじ)く球(たま)の音(おと)。







腐りゆく匂ひ





壺(つぼ)には、萎(しぼ)みゆくままに、

取換(とりか)へない白茶色(しらちやいろ)の薔薇(ばら)の花。

その横の廉物(やすもの)の仏蘭西皿(フランスざら)に

腐りゆく林檎(りんご)と華櫚(くわりん)の果(み)。

其等(それら)の花と果実(このみ)から

ほのかに、ほのかに立ち昇る

佳(よ)き香(にほひ)の音楽、

わたしは是(こ)れを聴くことが好きだ。

盛りの花のみを愛(め)でた

青春の日と事変(ことかは)り、

わたしは今、

命の秋の

身も世もあらぬ寂(さび)しさに、

深刻の愛と

頽唐(たいたう)の美と

其等(それら)に半死の心臓を温(あた)ためながら、

常に真珠の涙を待つてゐる。







十一月





昨日(きのふ)も今日(けふ)も曇つてゐる

銀灰色(ぎんくわいしよく)の空、冷たい空、

雲の彼方(かなた)では

もう霰(あられ)の用意が出来て居よう[#「居よう」は底本では「居やう」]。

どの木も涙つぽく、

たより無げに、

黄なる葉を疎(まば)らに余(あま)して、

小心(せうしん)に静まりかへつてゐる。

みんな敗残の人のやうだ。

小鳥までが臆病(おくびやう)に、

過敏になつて、

ちよいとした風(ふう)にも、あたふたと、

うら枯(が)れた茂みへ潜(もぐ)り込む。

ああ十一月、

季節の喪(も)だ、

冬の墓地の白い門が目に浮(うか)ぶ。

公園の噴水よ、

せめてお前でも歌へばいいのに、

狐色(きつねいろ)の落葉(おちば)の沈んだ池へ

さかさまに大理石の身を投げて、

お前が第一に感激を無くしてゐる。







冬の木





十一月の灰色の

くもり玻璃(がらす)の空のもと、

唸(うな)りを立てて、荒(あら)らかに、

ばさり、ばさりと鞭(むち)を振る

あはれ木枯(こがらし)、汝(な)がままに、



緑青(ろくしやう)の蝶(てふ)、紅(あか)き羽(はね)、

琥珀(こはく)と銀の貝の殻(から)、

黄なる文反古(ふみほご)、錆(さ)びし櫛(くし)、

とばかり見えて、はらはらと

木(こ)の葉は脆(もろ)く飛びかひぬ。



あはれ、今はた、木(こ)の間(ま)には

四月五月の花も無し、

若き緑の枝も無し、

香(か)も夢も無し、微風(そよかぜ)の

囁(さゝや)くあまき声も無し。



かの楽しげに歌ひつる

小鳥のむれは何処(いづこ)ぞや。

鳥は啼(な)けども、刺す如(ごと)き

百舌(もず)と鵯鳥(ひよどり)、しからずば

枝を踏み折る山鴉(やまがらす)。



諸木(もろき)は何(なに)を思へるや、

銀杏(いてふ)、木蓮(もくれん)、朴(ほゝ)、楓(かへで)、

かの男木(おとこぎ)も、その女木(めぎ)も

痩(や)せて骨だつ全身を

冬に晒(さら)してをののきぬ。



やがて小暗(をぐら)き夜(よる)は来(こ)ん、

しぐるる雲はここ過ぎて

白き涙を落すべし、

月はさびしく青ざめて

森の廃墟(はいきよ)を照(てら)さまし。



されど諸木(もろき)は死なじかし。

また若返る春のため

新しき芽と蕾(つぼみ)とを

老いざる枝に秘めながら、

されど諸木(もろき)は死なじかし。







落葉





ほろほろと……また、かさこそと……

おち葉(ば)……おち葉(ば)……夜(よ)もすがら……

庇(ひさし)をすべり……戸に縋(すが)り……

土に頽(くづ)るる音(おと)聞けば……

脆(もろ)き廃物……薄き滓(かす)……

錆(さ)びし鍋銭(なべせん)……焼けし金箔(はく)……

渋色(しぶいろ)の反古(ほご)……檀(だん)の灰……

さては女のさだ過ぎて

歎く雑歌(ざふか)の断章(フラグマン)……

うら悲(がな)しくも行毎(ぎやうごと)に

「死」の韻を押す断章(フラグマン)……







冬の朝





空は紫

その下(もと)に真黒(まくろ)なる

一列の冬の並木……

かなたには青物の畑(はた)海の如(ごと)く、

午前の日、霜に光れり。

われらが前を過ぎ去りし

農夫とその荷車とは

畑中(はたなか)の路(みち)の涯(はて)に

今、脂色(やにいろ)の点となりぬ。

物をな云(い)ひそ、君よ、

味(あぢは)ひたまへ、この刹那(せつな)、

二人(ふたり)を浸(ひた)す神妙の

黙(もく)の趣(おもむき)……







腐果





白がちのコバルトの

うす寒き師走(しはす)の夜(よ)、

書斎の隅なる

セエヴルの鉢より

幾つかのくわりんの果(み)は身動(みじろ)げり。



あはれ百合(ゆり)よりも甘し、

鈴蘭(すゞらん)よりも清し、

あはれ白き羽二重の如(ごと)く軽(かる)し、

黄金(きん)の針の如(ごと)く痛し、

熟したるくわりんの果(み)のかをり。



くわりんの果(み)に迫るは

つれなき風、からき夜寒(よさむ)、

あざ笑ふ電灯のひかり、

いづこぞや、かの四月の太陽は、

かの七月の露は。



されど、今、くわりんの果(み)には

苦痛と自負と入りまじり、

空(むな)しく腐らじとする

その心(しん)の堪(こら)へ力(ぢから)は

黄なる蛋白石(オパアル)の[#「蛋白石の」は底本では「胥白石の」]肌を汗ばませぬ。



ああ、くわりんの果(み)は

冬と風とにも亡(ほろぼ)されず、

心と、肉と、晶液(しやうえき)と、

内なる尊(たふと)き物皆を香(か)として

永劫(えいごふ)[#ルビの「えいごふ」は底本では「えいがふ」]の間(あひだ)にたなびき行(ゆ)く。







冬の一日





雪が止(や)んだ、

太陽が笑顔を見せる。

庭に積(つも)つた雪は

硝子(がらす)越しに

ほんのりと薔薇(ばら)色をして、

綿のやうに温かい。



小作(こづく)りな女の、

年よりは若く見える、

髷(まげ)を小さく結(ゆ)つた、

品(ひん)の好(い)い[#「好い」は底本では「如い」]お祖母(ばあ)さんは、

古風な糸車(いとぐるま)の前で

黙つて紡(つむ)いでゐる。



太陽が部屋へ入(はひ)つて、

お祖母(ばあ)さんの左の手に

そつと唇を触れる。

お祖母(ばあ)さんは何時(いつ)の間(ま)にか

美(うつ)くしい薔薇(ばら)色の雪を

黙つて紡(つむ)いでゐる。







冬を憎む歌





ああ憎き冬よ、

わが家(いへ)のために、冬は

恐怖(おそれ)なり、咀(のろ)ひなり、

闖入者(ちんにふしや)なり、

虐殺なり、喪(も)なり。



街街(まちまち)の柳の葉を揺(ゆ)り落して、

錆(さ)びたる銅線の如(ごと)く枝のみを慄(ふる)はしめ、

園(その)の菊を枝炭(えだずみ)の如(ごと)く灰白(はいじろ)ませ、

家畜の蹄(ひづめ)を霜の上にのめらしめて、

ああ猶(なほ)飽くことを知らざるや、冬よ。



冬は更に人間を襲ひて、

先(ま)づわが家(いへ)に来(きた)りぬ。

冬は風となりて戸を穿(うが)ち、

縁(えん)よりせり出し、

霜となりて畳に潜(ひそ)めり。



冬はインフルエンザとなり、

喘息(ぜんそく)となり、

気管支炎となり、

肺炎となりて、

親と子と八人(はちにん)を責め苛(さいな)む。



わが家(いへ)は飢ゑと死に隣(となり)し、

寒さと、※(ねつ)[#「執/れんが」、U+24360、225-下-11]と、咳(せき)と、

※(ねつ)[#「執/れんが」、U+24360、225-下-12]の香(か)と、汗と、吸入(きふにふ)の蒸気と、

呻吟(しんぎん)と、叫びと、悶絶(もんぜつ)と、

啖(たん)と、薬と、涙とに満(み)てり。



かくて十日(とをか)……猶(なほ)癒(い)えず

ああ我心(わがこゝろ)は狂はんとす、

短劔(たんけん)を執(と)りて、

ただ一撃に刺さばや、

憎き、憎き冬よ、その背を。







白樺





冬枯(ふゆがれ)の裾野(すその)に

ひともと

しら樺(かば)の木は光る。

その葉は落ち尽(つく)して、

白き生身(いきみ)を

女性(によしやう)の如(ごと)く

師走(しはす)の風に曝(さら)し、

何(なに)を祈るや、独り

双手(もろで)を空に張る。



日は今、遥(はる)かに低き

うす紫の

遠山(とほやま)に沈み去り、

その余光(よくわう)の中に、

しら樺(かば)の木は

悲しき殉教者の血を、

その胸より、

たらたらと

落葉(おちば)の上に流す。







雪の朝





夜(よ)が明けた。

風も、大気も、

鉛色(なまりいろ)の空も、

野も、水も

みな気息(いき)を殺してゐる。



唯(た)だ見るのは

地上一尺の大雪……

それが畝畝(うね/\)の直線を

すつかり隠して、

いろんな三角の形(かたち)を

大川(おほかは)に沿うた

歪形(いびつ)な畑(はたけ)に盛り上げ、

光を受けた部分は

板硝子(いたがらす)のやうに反射し、

蔭(かげ)になつた所は

粗悪な洋紙(やうし)を撒(ま)きちらしたやうに

鈍(にぶ)く艶(つや)を消してゐる。



そして所所(ところどころ)に

幾つかの

不格好(ぶかくかう)な胴像(トルソ)が

どれも痛痛(いたいた)しく

手を失ひ、

脚(あし)を断たれて、

真白(まつしろ)な胸に

黒い血をにじませながら立つてゐる。



それは枝を払はれたまま、

じつと、いきんで、

死なずに春を待つてゐる

太い櫟(くぬぎ)の幹である。

たとへば私達のやうな者である。







雪の上の鴉





鴉(からす)、鴉(からす)、

雪の上の鴉(からす)、

近い処に一羽(いちは)、

少し離れて十四五羽(は)。



鴉(からす)、鴉(からす)、

雪の上の鴉(からす)、

半紙の上に黒く

大人(おとな)が書いた字のやうだ。



鴉(からす)、鴉(からす)、

雪の上の鴉(からす)、

「かあ」と一羽(いちは)が啼(な)けば

寂(さび)しく「かあ」と皆が啼(な)く。



鴉(からす)、鴉(からす)、

雪の上の鴉(からす)、

餌(ゑさ)が無いのでじいつと

動きもせねば飛びもせぬ。







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