ゲーテ詩集 生田春月訳








〜〜 物語


    物語どんなに不思議でも
    詩人の伎倆(うで)はそれを真実にする





ミニヨン


レモンの樹の花咲く国を御存知ですか?
暗い茂みの中には黄金(こがね)色に柑子がみのり
青い空からはやはらかな風が吹き
ミルテの樹は静かに月桂樹(ラウレル)は高く聳えてゐる
あの国を御存知ですか?
    あちらへ!あちらへ
ねえ、いとしいいお方、わたしはあなたと参りませう

円い柱に屋根を支へてゐるあの家を御存知ですか?
広間はきらびやかね、部屋も輝いてゐて
大理石像はぢつとわたしを眺めて言ふ
『可哀想に、おまへはどうかしたのかい』と
あの家を御存知ですか?
    あちらへ!あちらへ
ねえ、いとしいいお方、わたしはあなたと参りませう

あの雲に聳えた山路を御存知ですか?
驢馬は霧の中に路を求めて行き
洞窟(ほらあな)の中には年とつた竜が棲まつてゐて
くづれ落ちた岩の上に波のうち寄せる
あの路を御存知ですか?
    あちらへ!あちらへ
ねえ、小父さま、ふたりで一緒に参りませう





楽人


『城門の前に聞えるのは何だ?
橋の上に響くのは何だ?
その歌を広間のなかに
耳元ちかく歌はせろ!』
王の言葉に小姓は走つた
小姓は来た、王は叫んだ
『此方(こちら)へ連れて来い、その老人(としより)を!』

『御機嫌うるはしう、殿様がた
御機嫌よろしう、奥様がた!
綺羅星のあやうに輝いてゐられまする!
誰れかは御名を知り申さう?
光り輝くこの立派な広間の中で
眼よ、閉づてしまへ、今は驚いて
ただ見廻してゐる時ではない』

楽人はおもむろに眼を閉ぢて
調べを高く歌ひ出した
騎士等は鋭く目を見張り
美しい貴婦人逹は膝の上に眼を落した
王はその歌をいたく喜びたまひ
楽人の技を賞せんとて
黄金の鎖を持つて来させた

『黄金の鎖はわたくしに下さいまするな
鎖は騎士様がたにお授けなされませ
その勇ましいお顔を見ると
敵の槍さへひるんでしまふ騎士様がたに
また君のお仕へになる大臣様に
ほかにいろいろ重荷をお持ちになりまするが
なほその黄金の重荷をもお授けなされませ

わたくしは枝に巣くうてゐる
小鳥のやうに歌ふばかりでございます
喉から出て来るこの歌が
わたくしには何よりの報酬(むくひ)でございます
けれど若しお許し下さるなら一つお願ひがあります
どうぞ一番上等の酒を黄金(きん)の杯に
なみなみついで下さいませ』

楽人は杯を口に持つて行き、ぐつと飲み乾した
『おお、生命(いのち)も若がへる甘露の味!
おお!この尊い酒も物の数ならぬ
神の恵み溢るる君が館(やかた)よ、いや栄えませ!
栄えましまさば、卑しきこの身を偲びなされて
神様にあつく御礼を申しなされませ
この酒のためにわたくしが殿様に御礼を申上げますやうに』








野原に菫が咲いてゐた
葉かげに隠れて人知れず
ほんに可愛うしほらしう
すると羊飼ひの娘がやつて来た
足取り軽く心も軽く
すたすたと
歌ひながら牧場をやつて来た

『ああ!』と菫が考へるには
『この世で一番きれいな花でありたいな
ああ、ただほんの一寸でも
さうして愛する人の手に摘まれ
その胸に押附けられて萎れたい!
ああ、ただほんの
ほんの十五分間でもいいんだから!』

ああ!ところがああ!娘はやつて来て
菫の花には気も附けないで
あはれな菫を踏み附けた
菫は折れて息が絶えながらも喜んだ
「わたしは死んでも恨みはない
あの娘さんのために
あの娘さんの足に踏まれて死ぬんだもの』





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