フランツ・カフカ 城 (1〜5章)


 彼が立ち去ったすぐあと、――ドアが開く前に、Kはなお少し肩でドアによりかかり、もはやだれにということもないまなざしで部屋じゅうを見わたしていたのだ――Kは二人の助手にいった。
「部屋から私の書きものをもってくる。それからさしあたって仕事のことを話そう」
 二人はいっしょにいこうとした。
「ここにいろ!」と、Kはいった。それでもなお二人はいっしょにいこうとした。Kはもっときびしくその命令をくり返さなければならなかった。玄関口にはバルナバスはもういなかった。しかし、彼はちょうど今、出かけていったばかりであった。しかし、家の前にも――また雪が降っていた――バルナバスは見つからなかった。Kは叫んだ。
「バルナバス!」
 答えはなかった。まだ家のなかにいるのだろうか。ほかの可能性はないように思われた。それでもKはなお、力の限り名前を叫んだ。その名前を呼ぶ声が夜を通して高々と響いた。すると、遠くから微かな返事が聞こえてきた。こうやってみると、バルナバスはあんなに遠くへいっているのだ。Kは彼にもどってこいと叫び、自分のほうからも同時に彼のほうへ歩いていった。二人が出会ったところでは、二人の姿は宿屋からはもう見えなくなっていた。
「バルナバス」と、Kはいった。声のふるえを抑えることができなかった。「まだ君にいいたいことがあったんだよ。私が城に何か用事があるとき、ただ君が偶然やってくるのにたよっているだけでは、どうもまずい、と気がついたんだよ。もし今、偶然、君に追いついていなかったなら――君はまるで飛ぶようだね。まだ家にいると思ったんだが――君がこのつぎ現われるまで、どれほど長いあいだ待たねばならなかったことだろう」
「そうそう」と、バルナバスはいった。「あなたがきめたきまった時期に私がやってくるように、官房長に頼んだらいいですよ」
「それでもまだ十分じゃないだろう」と、Kはいった。「おそらく一年ぐらい私は何もいってやりたくないんだ。ところが、君が出かけてから十五分もたつと、何か延ばせない急用が起こるだろうよ」
「それでは、私を通じるほかに、官房長とあなたとのあいだにもう一つ別な連絡方法をつくるように、官房長へお伝えしましょうか?」
「ちがうんだ、ちがうんだ」と、Kはいった。「全然そうじゃない。このことはただついでにいっただけなんだよ。今日は君に運よく会えたからね」
「宿屋へもどりましょうか?」と、バルナバスはいった。「そこであなたが私に用事をいいつけて下さることができますから」彼は早くも宿屋のほうへ一歩進んでいた。
「バルナバス」と、Kはいった。「その必要はないよ。君と少しばかりいっしょに歩こう」
「なぜ宿屋へいらっしゃりたくないんですか」と、バルナバスがたずねた。
「あそこの連中がうるさくてね」と、Kはいった。「農夫たちの厚かましさを君も自分で見たろう」
「私たち二人だけで、あなたのお部屋へいくことができます」と、バルナバスはいう。
「あれは女中たちの部屋だ」と、Kはいった。「汚なくて、うっとうしい。あんなところにいなくてすむように、君といっしょに少し歩きたいんだ。ただ、頼むが」と、Kはためらいをきっぱり捨て去るために、つけ加えていった。「君と腕を組ませてくれたまえ。なにしろ君のほうが歩きかたがしっかりしているからね」そして、Kは相手の腕にすがった。すっかり暗くなっていて、Kには相手の顔がまったく見えず、その姿もおぼろげであった。Kはその少し前に、相手の腕を探ってつかもうとしたのだった。



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