フランツ・カフカ 城 (1〜5章)


「だれといっしょなの、バルナバス」と、その娘がきいた。
「測量技師さんだよ」と、彼がいった。
「測量技師さんですって」と、娘はテーブルに向ってもっと大きな声でくり返していった。すると、テーブルのところで老夫婦と、さらに一人の娘とが立ち上がった。みんなはKに挨拶した。バルナバスはみんなをKに紹介した。それは彼の両親と姉のオルガと妹のアマーリアとであった。Kは彼らをほとんど見なかった。家の者が、ストーブで乾かすために、Kのぬれた上衣を脱がせた。Kはされるままにしていた。
 これでは二人とも家にいるわけではない。バルナバスだけが家にいるのだ。でも、この人たちはどうしてここにいるのだろう。Kはバルナバスをわきへ呼んで、きいてみた。
「なぜ君は家へきたんだい? それとも、君たちは城の構内に住んでいるわけかい?」
「城の構内にですって?」と、バルナバスはまるでKのいうことがわからぬように、きき返した。
「バルナバス、だって君は宿屋から城へいこうとしたんだろう?」と、Kはいった。
「いいえ」と、バルナバスはいう。「私は家へいこうと思ったんです。城には朝早くいくんで、城に泊まることはありません」
「そうかい」と、Kはいった。「君は城へいこうとしたんじゃなくて、ただここへ来ようとしたんだね」――バルナバスの微笑は彼には前よりも弱々しく見えたし、バルナバスという人間そのものも前よりは見ばえがしないように見えた――「なぜ、そのことを私にいわなかったんだね」
「おたずねにならなかったものですから」と、バルナバスはいった。「あなたはしきりに用事をいいつけようとされましたが、食堂でもあなたの部屋でもしたくないようでしたので、私はこう思ったんです。この私の両親のところでならじゃまもなく私に用事をいいつけることができるだろう、って。ご命令とあれば、みんなはすぐに座をはずします。また、私どものところがお気に入りましたら、ここに泊って下すっていいのです。これでよかったのではないでしょうか」
 Kは返事ができなかった。それでは誤解だったのだ。ばかばかしい、つまらない誤解だったのだ。そして、Kはその誤解にすっかり身をまかせてしまったのだった。バルナバスのぴったりした、絹のように光沢のある上衣に心を奪われていたが、この男は今ではその上衣のボタンをはずしていて、上衣の下からは、下僕らしいたくましい角張った胸の上に、粗末な、汚れて灰色になった、つぎだらけのシャツが見えていた。そして、まわりのすべてがそのシャツにぴったり合っているばかりでなく、それを上廻ってさえいた。老いた、痛風を病んでいる父親。それは、ゆっくりと押し出すこわばった脚の力よりも、むしろ探るような手の助けで前へ歩いている。母親は、胸の上で手を組み、あまりふとりすぎてほんのちょっぴりしか歩くことができない。この父と母との二人は、Kがはいってきたとき以来、坐っていた部屋の片隅から彼のほうへ歩いているのだが、まだとても彼のところまではこられないでいる。二人の姉妹(きょうだい)はブロンドで、姉妹同士似ており、バルナバスにも似ているが、バルナバスよりもきつい顔つきをして、大柄でじょうぶそうであった。この二人が、やってきたKとバルナバスとを取り囲み、Kから何か挨拶の言葉を待っていた。しかし、Kは何一つ、いえなかった。この村ではだれもが自分にとって意味があるのだ、と彼は信じていたし、また実際にそうでもあったが、この家の人たちは全然彼の気にかからなかった。もしひとりで宿屋へいく道をいけるものなら、彼はすぐに出かけたことだろう。朝早くバルナバスといっしょに城へいけるという可能性は、彼の心をまったくひかなかった。今、この夜なかに、人目にもつかず、バルナバスの案内で城へ入っていきたかった。しかし、そのバルナバスは、これまでKに思われていたように、ここで出会っただれよりもKに近く、同時にまた、外見に表われている身分よりもはるかに城と関係が深いのだ、と信じていたようなバルナバスでなければならない。しかし、この家族の息子と――バルナバスは完全にこの家族の一員で、家族といっしょにすでにテーブルに坐っていた――つまり、注目すべきことだが、けっして城に泊ってはならない一人の男といっしょに、その腕にすがって真昼に城へいくということは不可能であり、滑稽なくらい望みのない試みなのだった。



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