フランツ・カフカ 城 (1〜5章)


 Kはまず村長のところで、ここの役所に対する自分の見解が裏書きされるのを見た。村長は、親切げな、ふとった、髭をきれいにそった男だが、病気で、ひどい痛風の発作にかかっており、ベッドに寝たままでKを迎えた。
「これはこれは、われわれの測量技師さんがおいでというわけですな」と、村長はいって、挨拶のために起き上がろうとしたが、それができないで、詑びながら両脚を指さして、またふとんのなかに身を投げた。部屋は窓が小さく、おまけにカーテンがかかっているためいっそう暗くなっていたが、その薄暗がりのなかで影のように見えるもの静かな一人の女が、Kのために椅子をもってきて、それをベッドのそばに置いた。
「おかけ下さい、おかけ下さい、測量技師さん」と、村長がいった。「で、どうかあなたのご希望をおっしゃって下さい」
 Kはクラムの手紙を読みあげ、それにいくつかの言葉をつけ加えた。ふたたび彼は、役所との交渉が非常にやさしいものなのだという感情をもった。役所は明らかにどんな重荷でも担ってくれているのであり、いっさいを役所に背負わせることができ、自分ではそんなものに関係しないで、自由でいられるのだ。村長もそのことを彼なりに感じているかのように、不快そうにベッドのなかで寝返った。ついに村長がいった。
「測量技師さん、あなたもお気づきのように、私はこの件をすべて知っていました。私自身がまだ何も手をつけていない理由は、まず第一に私が病気であるためで、その次にはあなたがこんなにも長いあいだおいでにならなかったからですよ。私はもう、あなたがこのことにけりをつけてしまわれたのだ、と思いました。ところが、あなたはご親切にもご自分で私を訪ねて下すったのですから、私としてもむろん、不愉快ではあってもほんとうのところをみんな申し上げなければなりません。あなたのおっしゃるように、あなたは測量技師に採用されました。しかし、残念なことに、われわれは測量技師はいらないのです。測量技師のやる仕事なんか少しもないでしょう。われわれの小さな管理地域の境界は杭で標識をつけてあり、いっさいがきちんと登記されてあります。所有者の変動はほとんど起こらないし、小さい境界争いなどは自分たちで片づけます。そうだとしたら、測量技師なんかわれわれにとってなんだというんです?」
 Kは、むろんその前にそんなことを思いめぐらしていたわけでなかったが、それに類した言葉を予期していたのだ、と心の奥底では確信していた。それだからこそ、彼はすぐいうことができた。
「それはひどく驚きました。これで私の計算はすっかりひっくり返ってしまいました。ただおそらく誤解があるのではないでしょうか」
「残念ながら、誤解ではありません」と、村長がいう。「私が申し上げているとおりです」
「でも、どうしてそんなことが!」と、Kは叫んだ。「私がこんな果てしのないような長旅をしたのは、これでまた追い返されるためではないんですよ!」
「それは別問題です」と、村長はいった。「私が決定できることではありませんが。だが、どうしてそういう誤解がありえたのかということは、私からあなたに説明して上げることができます。伯爵の役所のような大きな役所では起こりうることですが、一つの課がこのことをきめ、別な課があのことをきめるというふうで、どちらもほかの課のことは知らないのです。上の監督はなるほどひどく正確ではあるけれど、その性質からいってあとになってから下の役所へとどくのです。それでいつでも小さな混乱が起こりうるのです。むろん、それはほんの小さな取るにたらぬことで、たとえばあなたの場合のようなものです。大きな事柄ではまだ私が知っているまちがいなんかあったためしがありません。しかし、こまかなことがしばしばひどく面倒なものです。ところで、あなたの場合ですが、私はあなたに対して公務上の秘密なんかなしで――私はそれほどの役人ではないんですよ。私は農夫でして、今もそのことには変りがないのです――事の経過を打ち明けてお話ししましょう。ずっと前、私はそのころ村長になってまだ二、三カ月でしたが、一つの命令が私のところへきました。もうどの課から出たものかおぼえていませんが、その命令のなかで、役所の偉い人たち独特の断言的なやりかたで、測量技師が呼ばれることになっている、といい、村に対して、技師の仕事に必要な図面や書類を用意しておくように、と命令が下されたのでした。この命令はもちろんあなたに関することであったはずがありません。というのは、もう何年も前のことですからね。私も、今こうやって病気になり、寝床のなかでばかばかしい事柄をいろいろと考える暇がなかったら、そんなことを思い出さなかったことでしょうよ」そして、突然、言葉を中断して、細君に向って「ミッツィ」といった。細君はまだわけのわからぬほどせわしげな様子で部屋のなかを通り過ぎていくところだった。「そこの戸棚のなかを見てくれないか。たぶん命令書が見つかるだろう」
「それがつまり」と、村長はKに説明していった。「私が村長になったころのもので、あのころは私もまだあらゆる書類をしまっておいたんです」
 細君がすぐに戸棚を開けた。Kと村長とはそれをながめていた。戸棚は書類がいっぱいつまっていた。開けたときに、二つの大きな書類束がころがり出た。よく薪(まき)を束ねるときにやるように丸くくくってあった。細君は驚いてわきへ飛びのいた。
「下にあるかもしれない、下だ」と、村長はベッドから指揮するようにいった。細君はおとなしく、両腕で書類を抱えてあらゆるものを戸棚から投げ出し、下の書類を見つけ出そうとした。書類がたちまち部屋の半分を埋めてしまった。
「大変な仕事になってしまったな」と、村長はうなずきながらいった。「で、これはほんの小部分にすぎないのです。主な部分は納屋(なや)にしまったのですが、大部分はなくなってしまいました。だれが全部をまとめてしまってなんかおけるものですか。でも、納屋にはまだきわめてたくさんの書類があります」
「おい、命令書を見つけられるかね?」と、彼はふたたび細君のほうを振り向いた。「上に〈測量技師〉って文字に青くアンダーラインしてあるのを探すんだよ」
「ここは暗すぎるのよ」と、細君がいった。「蝋燭(ろうそく)をもってきましょう」彼女は散らばった書類の上をまたいで部屋を出ていった。
「女房はこういうむずかしい公務上の仕事にはとても役に立つんです」と、村長がいった。「でも、そんな仕事はただ片手間にやらねばならないのですがね。書きものの仕事には、助手がいます。学校の先生ですが、それでも片づきません。いつでも、片づかない仕事が残っていて、それがあの箱のなかに集められているんです」そして、もう一つの戸棚を指さした。「それに、私が今は病気なものですから、増えていくばっかりでしてね」と、いうと、疲れてはいるが、得意そうにまた身体を横たえた。
 細君が蝋燭をもってもどり、箱の前にひざまずいて命令書を探しているときに、Kはいった。
「奥さんが探されるのをお手伝いしましょうか?」
 村長は微笑しながら頭を振った。
「すでに申し上げたように、あなたに対しては職務上の秘密なんてありません。でも、あなたにご自分で書類を探していただくなんて、そんなことまではとても」
 今は部屋のなかは静まり返っていた。ただ書類が立てるかさかさいう音だけが聞こえていた。村長はおそらく少し居眠りしているようであった。ドアを軽くノックする音が、Kを振り返らせた。それはむろん二人の助手であった。これまでに少しはしつけられていたので、すぐ部屋のなかへ押しよせてはこないで、まず少しばかり開かれたドアを通してささやくのだった。



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