フランツ・カフカ 城 (1〜5章)


「外は寒すぎるんです」
「だれだね?」と、村長は驚いてきいた。
「私の助手たちですよ」と、Kはいった。「どこに待たせたらいいのか、私にはわからないんです。外では寒すぎますし、ここではじゃまになりますしね」
「私はかまいません」と、村長は親切にいった。「入れてやりなさいよ。それに、あの人たちは知っていますし。昔からの知人ですよ」
「でも、私にはじゃまなんです」と、Kは率直にいった。眼を助手たちから村長へと向け、また助手たちのほうへ走らせたが、三人とも、区別ができないほど同じように薄笑いを浮かべているのを見て取った。そこで彼は、ためしにいってみた。
「君たちはもう部屋へ入ってきたんだね。それなら、ここにいて、奥さんが書類を探すのを手伝いたまえ。その書類の上には〈測量技師〉という字に青くアンダーラインがしてあるんだよ」
 村長は反対しなかった。Kがしてはならないことを、助手たちはしてもよいというわけだ。二人はすぐ書類へ飛びかかっていったが、探すというよりもむしろ紙の山をほじくり返しているのだった。そして、一人がまだ表紙の文字を一字一字読みあげているうちに、きまって早くも一人がそれを相手の手から奪い取るのだった。それに反して細君は空(から)になった箱の前にひざまずいて、もう全然探してはいないようだった。ともかく蝋燭は彼女からずっと遠いところに立っていた。
「それでは、助手さんたちはあなたのじゃまになるんですね。でもあなた自身の助手なのに」村長は満足げな微笑を浮かべながらそういった。まるでいっさいのことは自分の指図によって行われているのだが、だれもそれを察することさえできないでいる、とでもいうようであった。
「いや」と、Kは冷やかにいった。「あの二人は私がこの土地にきてからはじめて、私のところへ押しかけてきたのです」
「なんですって! 押しかけてきたなんて。割り当てられてきた、といわれるんでしょう」と、村長がいう。
「それなら、割り当てられてきたということにします」と、Kはいった。「でも、まるで天から降ってきたようなものなんです。この割当てはひどく思慮を欠いたものです」
「思慮を欠いたことなんか、ここでは一つだって起こりませんよ」と、村長はいったが、足の痛みさえ忘れてしまって、身体をまっすぐに起こした。
「一つだって、ですか」と、Kはいった。「それでは、わたしの招聘(しょうへい)のことはどうなっているんです?」
「あなたの招聘の件も十分に検討されてあるんですよ」と、村長はいった。「ただ附帯的な事情がごたごた入りこんできているのです。そのことを書類によって立証して上げましょう」
「書類は見つからないようですね」と、Kはいった。
「見つからない?」と、村長は叫んだ。「ミッツィ、どうかもう少し急いでくれ! でも、さしあたり書類なしでもあなたに話はして上げられます。さきほどお話ししたあの命令書に対してわれわれは、ありがたいが測量技師はいらない、と返事をしました。ところが、この返事は、本来の課――それをAと呼んでおきましょう――にはもどっていかないで、まちがって別なB課へいってしまったのです。そこで、A課は返事を受け取らなかったし、残念なことにB課もわれわれの返事の全部は受け取らなかったのです。書類の中身がわれわれのところに残ってしまったのであれ、途中で紛失してしまったのであれ、――課のなかでなくなったのではありません。それは保証します――ともかくB課でも書類の封筒だけしかとどきませんでした。その封筒の上には、そのなかに封入してあるはずの、しかし残念なことにほんとうはなくなっている書類は、測量技師の招聘に関するものである、ということ以外には書かれていません。そうしているうち、A課はわれわれの返事を待っていました。A課はこの件についての記録をもってはいましたが、こういうことはたしかによく起こり、万事の決済に正確を期しても起こりがちなことですが、照会係は、われわれが返事するのを当てにし、それによって測量技師を呼ぶことにするか、または必要に応じてさらにこの件に関してわれわれと文書を交わすことにするか、どちらかにしよう、と考えていたのです。そのために照会係はメモをとっておくことをおこたって、そこでいっさいが忘れられてしまったのです。ところが、B課ではその書類の封筒が、良心的なことで有名なある照会係の手に入りました。その男はソルディーニという名前でイタリア人です。事情に通じている私のような者にも、彼ほどの能力をもつ男がどうしてほとんど下僚同然の地位にほっておかれるのか、わかりません。ところで、このソルディーニが、むろん中身を入れて送れ、といって空の封筒を送り返してきました。ところが、A課の最初の文書以来、何年とはいわないにしても、何カ月かはたっていました。よく理解できることですが、規定どおり書類が正しい道を経てくるならば、おそくも一日のうちに相手の課にとどき、その日のうちに片づけられてしまいます。だが、一度道に迷ったとなると、――役所の組織が優秀であるだけにいよいよそのまちがった道を熱心に探さなければならないのですが――そうなると、もちろんひどく長い時間がかかります。そこで、われわれがソルディーニの覚え書を受け取ったときには、その一件をただまったく漠然(ばくぜん)としか思い出せませんでした。そのころはまだわれわれ二人だけ、つまりミッツィと私とだけで仕事をしていました。学校の先生はまだ私のところへ割り当てられてきてはいませんでした。で、書類の写しは重要な件だけについてしか保管しておかなかったんです。要するに、われわれはそんな招聘のことは全然知らないし、また測量技師の必要なんか全然ない、ときわめて漠然とした返事しかできませんでした」
「でも」と、村長はここで話を中断した。まるで話に熱中しすぎて度を超(こ)した、あるいは少なくとも、自分が度を超したということはありうることだ、といわんばかりであった。「こんな話はあなたにはご退屈でしょうな」
「いや」と、Kはいった。「なかなか面白いです」
 すると、村長がいった。
「なにもおなぐさみに話をしているわけではありませんよ」
「面白いというのは、事情によっては一人の人間の生活を決定するようなばかばかしいもつれかたがあるものだ、ということをさとらせられるからなんです」
「あなたはまださとってなんかいませんよ」と、村長はまじめにいった。「で、さらに話をつづけましょう。われわれの返事では、もちろんソルディーニのような男は満足しませんでした。あの男ときたら私にとっては頭痛のたねですが、私はあの男に感心しています。つまり、あの男はだれのいうことも信用しないのです。たとえばだれかと何回となく機会を重ねて知り合い、信用のできる者だとわかっても、次の機会にはもうまるで全然知らないかのように、あるいはもっと正確にいうと、その人間がやくざなことはわかっているとでもいうかのように、信用しないのです。これは正しいことだと思いますね。役人はそういうふうにやるべきです。残念ながら、私は性分でこの原則に従うことができないのです。ごらんのように、他国者のあなたにも、すべて打ち明けてしゃべってしまいます。私にはこういうふうにしかできないのです。ところがソルディーニときたら、われわれの返事に対してただちに不信を向けました。そこで大変な文書往復が始ったのでした。どうして突然、測量技師は呼ばなくてもよい、という気になったのだ、とソルディーニはたずねてきました。私はミッツィのすばらしい記憶の助けを借りて、最初の発議は役所の職務上から出ているのだ、と答えてやりました。発議をしたのは別な課なのだということは、われわれはもちろんずっと前から忘れてしまっていました。それに対してソルディーニは、なぜこの役所の書簡のことを今になってやっといい出したのか、といってきました。私はふたたび、今になってやっとそのことを思い出したからだ、と答えてやりました。ソルディーニが、それはきわめて変だ、といいます。私は、こんなに長びいている件についてはちっとも変なことではない、と応酬しました。ソルディーニ――それでも変だ。というのは、お前が思い出したという書類は存在していないじゃないか。私――もちろん存在はしていない。なぜなら、書類全体が紛失したのだから。ソルディーニ――それでも、その最初の書簡に関して何かメモが取ってあるはずだ。ところが、そんなものはないではないか。そこで私は返答につまってしまいました。というのは、ソルディーニの課にまちがいがあったなどとは、私もあえて主張できないし、またそんなことは信じられなかったのです。測量技師さん、あなたはおそらく頭のなかでソルディーニを非難していらっしゃるんでしょう、私のいうところを考慮して、少なくとも別な課にその件を照会してみる気になってもよかったはずだ、とね。だが、そんな非難こそ正しくないでしょう。たといあなたの頭のなかだけにしろ、この男のことで一つの汚点が残ることを、私は欲しません。まちがいがありうるなどということはおよそ計算には入れないというのが、役所の仕事の原則なのです。この原則は、全体の優秀な組織によって正当なものとされますし、事の処理が極度に速やかになされなければならないときには、どうしても必要なのです。そこで、ソルディーニはほかの課に照会することはまったく許されていなかったのです。それに、ほかの課にしても全然返事はしなかったことでしょう。なにせ、これはまちがいがあったのではないかと調べようとしているのだ、とすぐに気づいたことでしょうからね」
「村長さん、お話の途中なのに失礼ですが、ちょっとおたずねしたいのですが」と、Kはいった。「さきほどあなたは監督の役所のことをいわれませんでしたか? 役所の仕事は、あなたのお話からいうと、統制がない場合のことを考えただけでも気持が悪くなるほど正確なものであるはずですね」
「あなたはなかなか厳密でいらっしゃる」と、村長はいった。「しかし、あなたがその厳密さを千倍にしても、役所が自分自身に対して課している厳密さに比べるなら、まだまだなんでもないものです。まったく事情に暗い人だけがあなたの問いのようなのを出せるのです。監督の役所があるかっていうんですか? およそあるのは監督の役所だけなんです。もちろん、普通ありふれた意味でのまちがいを見つけ出すためにそれらの役所があるのではありません。というのは、まちがいなんか起こらないのです。そして、たといあなたの場合のようにまちがいが起ったとしても、いったいだれがそれをまちがいだと決定的にいえますかね」
「それはまったく耳新しいお考えですね」と、Kは叫んだ。
「いや、私にとってはまったくありふれたことです」と村長はいった。「私も、まちがいが起ったのだ、と確信している点では、あなた自身とたいして変わらないのです。ソルディーニはそれに絶望するあまり、重い病気にかかってしまいました。われわれのためにまちがいの根源を明らかにしてくれる第一のいろいろな役所も、この件でまちがいをみとめているのです。しかし、第二の監督の役所も同じような判断を下すし、第三の役所やさらにそのほかの役所も同じような判断を下すとは、だれがいえるでしょうか」
「そうかもしれません」と、Kはいった。「私はむしろ首を突っこんでそんなことを考えたりしたくはないのです。そういう監督の役所のことなど聞くのははじめてですし、まだそれらのことがわかってはいないのですから。ただ、ここでは二つのことを区別しなければならない、と思います。つまり、第一はいろいろな役所の内部で起っていることです。それはまた、お役所式にあれやこれやと考えられるわけです。第二は、私という現にいる人間のことで、その私は役所の外にいて、いろいろな役所から害をこうむろうとしているのですが、その害があんまりばかげているものですから、私はまだ今でもその危険の深刻さというものを信ずることができないでいるのです。第一のほうにあたるのはおそらく、村長さん、あなたがあきれるほどの途方もない知識を傾けて私に話して下さったことなのでしょう。でも次に、私は自分のことについても一言お聞きしたいと思います」
「そのことも申しましょう」と、村長はいった。「だが、あらかじめもう少し説明しませんと、あなたにはおわかりにならないでしょう。私が今、監督の役所についていったことさえ、どうも早すぎたんでしてね。そこで、ソルディーニとのくいちがいのことに話をもどしましょう。すでに申しあげたとおり、私の防戦はだんだん勢いが弱くなりました。ところで、ソルディーニがたといどんなに小さな利点でも両手に握ったとなると、もう彼の勝ちなのです。というのは、そうなると彼の注意力、エネルギー、精神の落ちつきというものまで増すのです。そして、彼という人間をながめることは、彼から攻撃される者にとっては、おそろしいものであり、彼に攻撃される者の敵にとってはすばらしいものなのです。別な機会にこの後者の例を私は体験しましたが、今こうやって彼のことをお話しできるのも、まったくそのためです。ところで、私はまだ彼をこの眼で見ることはできないでいます。彼は城から下りてくることができないんです。仕事にあまりに忙殺されているんです。人の話によると、彼の部屋はこんなふうだということです。どの壁面も積み重ねられた柱のような大きな書類束で被われており、しかもそれがソルディーニのちょうど取りかかっている仕事分の書類だけだというのです。そして、いつでもその束のなかから書類が引き出されたり、またそれにさしこまれたりされ、しかもすべて大変な速さでやられるので、その柱のような書類の山がいつもくずれてしまい、まさにこのたえまのない、あとからあとからつづく物音が、ソルディーニの執務室の特徴となってしまった、ということです。まったく、ソルディーニは仕事屋で、どんな小さな用件に対しても、きわめて重大な用件に対するのと同じくらいの慎重さを向けるのですからね」
「村長さん、あなたは」と、Kはいった。「私の件を依然としてきわめてつまらぬものの一つと呼んでおられますが、それでもこの件はたくさんのお役人にとっての大変な仕事となったのです。そして、この件はおそらく最初のうちはきわめて小さなものだったのでしょうが、ソルディーニ氏のようなお役人たちの熱心さによって、大きなものとなってしまいました。残念なことですし、まったく私の意に反することです。というのは、私の野心は、私に関する大きな書類の柱をできあがらせ、音を立ててそれをくずれさせるということではなくて、ささやかな土地測量技師として小さな製図机の前に静かに坐って仕事をするということなのです」
「いや」と、村長がいった。「けっして重大な件なんかではありません。この点であなたは苦情をいう理由はありません。つまらぬ件のうちでもいちばんつまらぬものの一つなのです。仕事の量によって、用件の重要度がきまるのではないのです。そんなことを信じられるなら、あなたはまだまだ役所のことがわかるのにはほど遠いのです。だが、たとい仕事の量が問題だとするにしても、あなたの件などはいちばん小さなものの一つです。さまざまな普通の件、つまりいわゆるまちがいのない用件のことですが、それらのほうがもっとずっと大変な仕事になります。もちろん、このほうはずっと実のある仕事ですがね。ともかく、あなたはあなたの件がひき起こしたほんとうの仕事について、全然ご存じないのです。そのことについて、これからお話ししましょう。はじめソルディーニは私に構いつけないでいたのですが、彼の部下がやってきて、毎日、村の有力者たちの喚問が紳士荘で行われ、調書を取っていきました。たいていは私の味方で、ただ、何人かが頑固な態度を見せました。測量の問題は農夫にも痛切なので、その頑固な役人たちは何か秘密の申し合せとか不正とかでもあるのではないかとかぎ廻り、その上、一人の指導者を見つけ出したのでした。そして、ソルディーニは、彼らの報告からこういう確信を得たのにちがいありません。つまり、もし私がこの問題を村会へ提出したならば、みんながみんな測量技師の召聘に反対ではなかったのではなかろうか、と。そこで、わかりきったことが――つまり、測量技師なんか必要ではないということですが――ともかく少なくとも疑問の余地あることとされてしまったのです。その際、ブルンスウィックという男がとくに目立ちました。――この男のことはあなたはご存じありますまい。――この男はおそらく悪い人間ではないのですが、ばかで空想的なのです。ラーゼマンの義理の兄弟ですがね」
「あのなめし革屋のですか?」と、Kはたずね、ラーゼマンのところで会ったあの鬚面の男のことをいって聞かせた。
「そうです。その男ですよ」と、村長はいった。
「私は彼の細君のことも知っています」と、Kは少し当てずっぽうにいってみた。
「それはありうることです」と、村長はいって、口をつぐんだ。
「きれいな人ですね」と、Kはいった。「でも、ちょっと顔色が悪く、病身ですね。城の出なのでしょうね?」これは半分、たずねるようにいった言葉だった。



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