ランボオ詩集 中原中也訳



 ジャンヌ・マリイの手


ジャンヌ・マリイは丈夫な手してる、

だが夏負けして仄かに暗く、

蒼白いこと死人の手のやう。

――ジュアナの手とも云ふべきだ?

この双つの手は褐の乳脂を

快楽(けらく)の池に汲んだのだらうか?

この双つの手は月きららめく

澄めらの水に浸つたものか?

太古の空を飲むだのだらうか?

可愛いお膝にちよんと置かれて。

この手で葉巻を巻いただらうか、

それともダイヤを商(あきな)つたのか?

マリアの像の熱き御足に

金の花をば萎ませたらうか?

西洋莨(はしりどころ)の黒い血は

掌(てのひら)の中で覚めたり睡(ね)たり。

双翅類をば猟((か))り集め

まだ明けやらぬ晨(あした)のけはひを

花々の密(ママ)の槽へと飛ばすのか?

それとも毒の注射師か?

如何なる夢が捉へたのだらう?

展伸(ひろ)げられたるこの手をば、

亜細亜((アジア))のかカンガールのか

それともシオンの不思議な夢か?

――密柑((ママ))を売りはしなかつた、

神々の足の上にて、日に焼けたりもしなかつた。

この手はぶざまな赤ン坊たちの

襁褓((むつき))を洗つたことはない。

この手は背骨(せぼね)の矯正者、

決して悪くはしないのだ、

機械なぞより正確で、

馬よりも猶強いのだ!

猛火とうごめき

戦((をのの))き慄ひ、この手の肉は

マルセイェーズを歌ふけれども

エレーゾンなぞ歌はない!

あらくれどもの狼藉((らうぜき))は

厳冬の如くこの手に応(こた)へ、

この手の甲こそ気高い暴徒が

接唇(くちづけ)をしたその場所だ!

或時この手が蒼ざめた、

蜂起した巴里((パリ))市中の

霰弾砲((さんだんはう))の唐銅(からかね)の上に

托された愛の太陽の前で!

神々しい手よ、甞てしらじらしたことのない

我等の脣(くち)を顫はせる手よ、

時としておまへは拳(こぶし)の形して、その拳(こぶし)に

一連(ひとつら)の、指環もがなと叫ぶのだ!

又時としてその指々の血を取つて、

おまへがさつぱりしたい時、

天使のやうな手よ、それこそは

我等の心に、異常な驚き捲き起すのだ。





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