与謝野晶子 みだれ髪


蓮の花船



漕ぎかへる夕船(ゆふぶね)おそき僧の君紅蓮(ぐれん)や多きしら蓮(はす)や多き

あづまやに水のおときく藤の夕はづしますなのひくき枕よ

御袖ならず御髪(みぐし)のたけときこえたり七尺いづれしら藤の花

夏花のすがたは細きくれなゐに真昼(まひる)いきむの恋よこの子よ

肩おちて経(きやう)にゆらぎのそぞろ髪をとめ有心者(うしんじや)春の雲こき

とき髪を若枝(わかえ)にからむ風の西よ二尺に足らぬ[#「二尺に足らぬ」は初出では「二尺足らぬ」]うつくしき虹

うながされて汀(みぎは)の闇(やみ)に車おりぬほの紫の反橋(そりはし)の藤(ふぢ)

われとなく梭(をさ)の手とめし門(かど)の唄(うた)姉がゑまひの底はづかしき

ゆあがりのみじまひなりて姿見に笑みし昨日(きのふ)の無きにしもあらず

人まへを袂すべりしきぬでまり知らずと云ひてかかへてにげぬ

ひとつ篋(はこ)にひひなをさめて蓋(ふた)とぢて何となき息(いき)桃にはばかる

ほの見しは奈良のはづれの若葉宿(わかばやど)うすまゆずみのなつかしかりし

(あけ)に名の知らぬ花さく野の小道(こみち)いそぎたまふな小傘(をがさ)の一人(ひとり)

くだり船昨夜(よべ)月かげに歌そめし御堂(みだう)の壁も見えず見えずなりぬ

師の君の目を病みませる庵(いほ)の庭へうつしまゐらす白菊の花

文字ほそく君が歌ひとつ染めつけぬ玉虫(たまむし)ひめし小筥(こばこ)の蓋(ふた)

ゆふぐれを籠へ鳥よぶいもうとの爪先(つまさき)ぬらす海棠の雨

ゆく春をえらびよしある絹袷衣(きぬあはせ)ねびのよそめを一人(ひとり)に問ひぬ

ぬしいはずとれなの筆の水の夕そよ墨足らぬ撫子(なでしこ)がさね

母よびてあかつき問ひし君といはれそむくる片頬柳にふれぬ

のろひ歌かきかさねたる反古(ほご)とりて黒き胡蝶をおさへぬるかな

(ぬか)しろき聖よ見ずや夕ぐれを海棠に立つ春夢見姿(はるゆめみすがた)

笛の音に法華経うつす手をとどめひそめし眉よまだうらわかき

白檀(びやくだん)のけむりこなたへ絶えずあふるにくき扇をうばひぬるかな

母なるが枕経(まくらぎやう)よむかたはらのちひさき足をうつくしと見き

わが歌に瞳(ひとみ)のいろをうるませしその君去りて十日たちにけり

かたみぞと風なつかしむ小扇のかなめあやふくなりにけるかな

春の川のりあひ舟のわかき子が昨夜(よべ)の泊(とまり)の唄(うた)ねたましき

泣かで急げやは手にはばき解くえにしえにし[#「えにしえにし」は初出では「ゑにしゑにし」]持つ子の夕を待たむ

燕なく朝をはばきの紐(ひも)ぞゆるき柳かすむやその家(や)のめぐり

小川われ村のはづれの柳かげに消えぬ姿を泣く子朝(あさ)(み)

鶯に朝寒からぬ京の山おち椿ふむ人むつまじき

道たま/\蓮月が庵のあとに出でぬ梅に相行く西の京の山

君が前に李青蓮[#「李青蓮」は初出では「李春蓮」]説くこの子ならずよき墨なきを梅にかこつな

あるときはねたしと見たる友の髪に香の煙のはひかかるかな

わが春の二十姿(はたちすがた)と打ぞ見ぬ底くれなゐのうす色牡丹

春はただ盃にこそ注(つ)ぐべけれ智慧あり顔の木蓮や花

さはいへど君が昨日(きのふ)の恋がたりひだり枕の切なき夜半よ

人そぞろ宵の羽織の肩うらへかきしは歌か芙蓉といふ文字

琴の上に梅の実おつる宿の昼よちかき清水に歌ずする君

うたたねの君がかたへの旅づつみ恋の詩集の古きあたらしき

戸に倚りて菖蒲(あやめ)(う)る子がひたひ髪にかかる薄靄(うすもや)にほひある朝

五月雨(さみだれ)もむかしに遠き山の庵通夜(つや)する人に卯の花いけぬ

四十八寺(じ)[#ルビの「じ」は初出では「ぢ」]そのひと寺(てら)の鐘なりぬ今し江の北雨雲(あまぐも)ひくき

人の子にかせしは罪かわがかひな白きは神になどゆづるべき

ふりかへり許したまへの袖だたみ闇(やみ)くる風に春ときめきぬ

夕ふるはなさけの雨よ旅の君ちか道とはで宿とりたまへ

(いは)をはなれ谿(たに)をくだりて躑躅(つゝじ)をりて都の絵師と水に別れぬ

春の日を恋に誰れ倚るしら壁ぞ憂きは旅の子藤たそがるる

(あぶら)のあと島田のかたと今日(けふ)知りし壁に李(すもゝ)の花ちりかかる

うなじ手にひくきささやき藤の朝をよしなやこの子行くは旅の君

まどひなくて経ずする我と見たまふか下品(げぼん)の仏(ほとけ)上品(じやうぼん)の仏(ほとけ)

ながしつる四つの笹舟(さゝぶね)紅梅を載せしがことにおくれて往きぬ

奥の室(ま)のうらめづらしき初声(うぶごゑ)に血の気のぼりし面(おも)まだ若き

人の歌をくちずさみつつ夕よる柱つめたき秋の雨かな

小百合さく小草がなかに君まてば野末にほひて虹あらはれぬ

かしこしといなみにいひて我とこそその山坂を御手に倚らざりし

鳥辺野は御親の御墓あるところ清水坂(きよみづざか)に歌はなかりき

御親まつる墓のしら梅中(なか)に白く熊笹(くまざさ)小笹(をざさ)たそがれそめぬ

(をとこ)きよし載するに僧のうらわかき月にくらしの蓮(はす)の花船(はなぶね)

経にわかき僧のみこゑの片明(かたあか)り月の蓮船(はすぶね)兄こぎかへる

浮葉きるとぬれし袂の紅(あけ)のしづく蓮(はす)にそそぎてなさけ教へむ

こころみにわかき唇ふれて見れば冷かなるよしら蓮の露

明くる夜の河はばひろき嵯峨の欄(らん)きぬ水色の二人(ふたり)の夏よ

藻の花のしろきを摘むと山みづに文がら濡(ひ)ぢぬうすものの袖

牛の子を木かげに立たせ絵にうつす君がゆかたに柿の花ちる

誰が筆に染めし扇ぞ去年(こぞ)までは白きをめでし君にやはあらぬ

おもざしの似たるにまたもまどひけりたはぶれますよ恋の神々(かみ/″\)

五月雨に築土(ついぢ)くづれし鳥羽殿(とばどの)のいぬゐの池におもだかさきぬ

つばくらの羽(はね)にしたたる春雨をうけてなでむかわが朝寝髪

しら菊を折りてゑまひし朝すがた垣間みしつと人の書きこし

八つ口をむらさき緒もて我れとめじひかばあたへむ三尺の袖

春かぜに桜花ちる層塔(そうたふ)のゆふべを鳩の羽(は)に歌そめむ

憎からぬねたみもつ子とききし子の垣の山吹歌うて過ぎぬ

おばしまのその片袖ぞおもかりし鞍馬を西へ流れにし霞

ひとたびは神より更ににほひ高き朝をつつみし練(ねり)の下襲(したがさね)



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