ゲーテ詩集 生田春月訳





ツウレの王


むかしツウレに王様があつた
(じつ)ある夫であつたので
(きさき)は黄金(きん)の杯を
王に残してなくなられた

王はこよなくそれを愛で
(うたげ)の度に取り出され
その杯を乾すごとに
顔をそむけてほとりとされた

王は死ぬ日を悟られて
国や都をのこりなく
世継(よつぎ)の君にゆづられた
杯だけが別にして

海のほとりの城のうち
父祖の伝へた座について
王は宴(うたげ)を催した
あまたの騎士を侍(はべ)らせて

わが老酒客(らいしゆきやく)は立ち上り
生命(いのち)の終(はて)の火を盛つた
(きよ)い杯ぐつと乾し
海をめがけて投げ入れた

落ちて傾き底ふかく
沈む杯うち眺め
王は眼を閉ぢ一滴も
また飲まぬ身となつたとぞ





美しい花


    捕はれたる伯爵の歌

  伯爵

ほんとに美しい花をわたしは知つてゐる
その花をわたしは手に入れたい
たづねてゆきたいと思つても
捕はれの身の甲斐もなく
その苦しさはいかばかり
心のままであつた日は
つい手もとに咲いてゐたものを

嶮しい岩のこの城で
どんなにあたりを眺めても
この高い塔からなんとして
その花を見附けることが出来ようか
それをわたしの目の前に持つて来てくれたなら
騎士であらうと下僕(しもべ)だらうと
ながく恩顧の臣としようものを

  薔薇

わたしは美しい薔薇の花でございます
今この格子窓の下で聞きますと
あなたはわたしのことを仰しやつてゐられますね
お気の毒な気高い騎士(ナイト)さま!
あなたはまことに気高い心をお有(も)ちです
だからあなたのお胸に宿つてゐる花は
花の女王のわたくしに相違ありませぬ

  伯爵

緑いろの上着(うはぎ)を纒うたおまへの紅(くれなゐ)
まことに尊いものだから
黄金や尊い飾りとおなじやうに
世間の娘たちはおまへを慾しがつてゐる
おまへの花輪は美しい顔を一層美しくする
けれどもおまへはわたしがこつそりこの胸で
(うやま)つてゐるその花ではない

  百合

薔薇さんはまことに高慢な方ですから
ただもう人を凌がうとばかりなさいますが
やさしい心で人で[注:人をの誤り]愛する人は
百合の飾りを賞めてくれませう
わたくしのやうにまごころのある人でしたなら
心の清い方でしたなら
わたくしを一番好いて下さいませう

  伯爵

わたしは清浄潔白の身で
何の罪をも犯しはしなかつたが
ここにかうして押籠められて
一人寂しく悩んでゐる
おまへは清くやさしい少女(をとめ)たちの
美しい心をよくあらはしてゐるけれど
わたしはもつといい花を知つてゐる

  石竹

それはこのわたしではございませぬか
わたしは牢番の庭に咲いてゐる石竹です
どんなに心をつくしてあの老人(としより)
わたしの世話をしてゐますでせう?
わたしの花びらは美しい輪をつくり
生涯いい香(にほ)ひをはなつてゐます
その上一々数へられぬ位色さまざまに開きます

  伯爵

石竹は決して片隅に捨てて置ける花ではない
園丁(にはつくり)の誇りともし楽しみともする花で
あるひは日向(ひなた)に持ち出したり
あるひは日蔭に置いたりする
けれどもこの伯爵の身を幸福にするものは
ことさらめいた華美ではない
それは人知れず咲く小さな花だ

  菫

わたしは葉蔭にかくれて俯向いたまま
おしやべりなんかいたしたくはありませぬが
今は黙つてゐる時ではありませぬから
いつもの無言をやぶつて申します
もしもわたしがその花でしたらば、よいお方
この薫りをのこらずあなたに捧げませうに
それが出来ないことが悲しうございます

  伯爵

やさしい菫はわたしのまことに好きな花だ
おまへは大層謙遜にまた美しく匂つてゐる
だがこのはげしい悩みのある身には
もつといい花が慾しいのだ
今おまへ逹に本当のことを言つて上げるが
こんな岩山の瘠地には
あのかはいい花の見附かる筈がない
けれど彼方(あちら)の小川のほとりを
世にもまことある女はさまよひながら
わたしがこの牢屋から出て来るまで
いつもいつも悲しさうに嘆息(ためいき)ついてゐる
彼女が小さな青い花を手折りながら
『お忘れ遊ばすな!』(わすれなぐさ)と言ふ毎に
こんな遠方にゐてもそれが感じられる

さうだ、こんなに離れてゐても二人は
互におもつてをれば心強い
それだからこそこの暗い牢屋にゐても
わたしはかうして死なずにゐるのだ
胸も破れさうにおぼえる日でも
『忘れるな!』(わすれなぐさ)と呼びさへすれば
わたしはまた生きかへつたやうな気持になる





宝掘り


財布は空しく、心は痛み
長いその日を引きずつて行く
貧乏にまさる不運はない
財産にまさる福はない!
そこでこの苦しみを取除かうと
わたしは出かけた宝掘りに
『わたしの魂はおまへにやる!』と
わたしは自分の血で書いた

かうして幾重にも魔の圏(わ)を描いて
薬草と骨とを集めて来て
わたしは不思議な火を焚いた
そこで呪文も終へたので
習ひ覚えた術をもて
かねて覚えの場処に行き
古い宝を掘りかけた
夜は真闇(まつくら)で荒れてゐた

すると遠くに火が一つ現れた
空にかがやく星のやうに
そして遥か遠くからやつて来た
丁度十二時の打つたとき
もうどうすることも出来はしない
忽ちあたりはぱつと明るくなつた
美しい童子の持つてゐる
聖杯(さかづき)の酒の輝きに

ゆたかに編んだ花輪の下に
清らかな眼を輝かし
神酒(みき)の光を浴びながら
童子は魔の圏(わ)の中に入(い)
(ねんご)ろにその酒を奨(すゝ)める
わたしは思つた『この美しい
輝く酒を持つてゐるこの童子は
悪魔でありよう筈がない』

『この清い生命(いのち)の酒を飲め!
飲んでその教訓を悟つたなら
またとこの場にかへつて来て
覚束ない呪文を誦(よ)んではならぬ
この上無益に掘るのをやめよ
日毎の業務(つとめ)!夜毎の接待(もてなし)
仕事日の勤労(いそしみ)!休日の宴会(いはひ)
これこそおまへの未来の呪文に外ならぬ』





法廷で


わたしはおなかにゐる子が誰の子か
わたしは申し上げますまい
この淫売奴が!と唾をお吐きかけなさらうと
わたしは立派な女です

誰とねんごろしたかは申しますまい
わたしの大切(だいじ)なお方はまことにいい方で
金の鎖を頸に巻いてゐます
麦藁帽をかぶつてゐます

嘲りと侮りを受けねばならぬのなら
わたしが一人で受けますわ
わたしはあの方を知り、あの方もわたしをお知りです
このことは神様もよく御存知です

牧師さま、御役人さま方
どうぞわたしをうつちやつといて下さいまし
これはどこまでもわたしの子です
だからもうお止めなさいましよ





髑髏舞


真夜中ごろに塔守が
立ならぶ墓標を見下してゐると
月は隈なく照りわたり
墓場はまるで白昼(ひる)のやう
途端、一つ一つ墓が動き出し
女の、男の亡者が現れて来た
白い裳(もすそ)を引きずつて

亡者は骨と手で圏(わ)をつくり
愉快な踊りを直ぐに始めようとした
老人(としより)も若いものも貧しいものも富んだものも
けれど長い裳(もすそ)が邪魔になるので
もはや羞恥(はぢ)といふものも無い身ゆゑ
皆その着物をぬぎ捨てた
着物は丘の上に散り乱れた

さあ、脛があがる、脚が動く
身振り手振りのその不思議さ
骨はこつこつ打(ぶ)つ突かる
まるで拍子木でも打つやうに
もう塔守は可笑しくてならなくなつた!
その時悪魔が来てその耳に囁いた
『行つてあの経帷子(きやうかたびら)を一つ取つて来い!』

思案する間もなく直ぐ取つて来て
急いで聖堂の扉の後に隠れた
月はやつぱり明るく照つてゐた
物凄い亡者の踊りをば
だがたうとう月も隠れると
亡者はひとりひとりに着物を着て
たちまち草場の蔭にかくれてしまふ

ただ一人だけがいつまでもよろよろと
手探りしては墓の間をうろつきまはる
これまで彼をこんなひどい目に遭はせたものはないのだ
彼は大気の中に着物の匂ひを嗅ぎ附けて
塔の扉をゆすぶつたが、びくともしない
塔守の幸福(しあはせ)には、魔除けにと
その扉には金の十字架が光つてゐたのだ

着物を取返さなければ休まれぬので
亡者は何の思案もあらばこそ
ゴシック式の螺旋飾りをつかまへて
その突端(とつぱな)を一段一段攀ぢのぼる
あはれな塔守は既に運命窮つた!
亡者は螺旋飾りから螺旋飾りへ飛びうつる
まるで長い脚をした蜘蛛のやうに

塔守は色を失ひ、塔守は顫へ
その経帷子を返してやらうと思つたが
これが運の尽きといふものか
着物の裾が釘に引つかかツて離れない
月の名残りの光りもはやうすれて
鐘が喧(けたゝ)ましく一つ打つたかと思うと
忽ち骸骨は下に砕け散つた





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