フランツ・カフカ 城 (11〜15章)


 ずっと前からKはハンスを生徒用の長椅子から教壇へ呼び、膝のあいだに引きよせて、ときどきなだめながらなでてやっていた。こうして二人が近づいたことは、ハンスがときどき反対したにもかかわらず、ある一致を見出すことに役立った。ついに次のように意見がまとまった。ハンスがまず母親にほんとうのことをすっかり話す。けれども、母親の同意を得ることをやさしくするために、Kがブルンスウィック自身とも話したいと思っている、といってもそれは母親のためでなく、K自身の用事のためだ、とつけ加えることにする。この申し合せはまた正しくもあった。話をしているうちにKは思いついたのだった。ブルンスウィックはふだんは危険で悪い人間であるかもしれないが、もうほんとうは自分の敵ではありえない。少なくとも村長が語ったところによれば、ブルンスウィックはたとい政治的な理由からにもせよ、測量技師を招くことを要求した人びとの指導者であった。だから自分が村へやってきたことは、ブルンスウィックにとって歓迎すべきことにちがいないのだ。とすると、どうも最初の日の怒ったような挨拶のしかたと、ハンスがいっているような嫌悪はほとんど理解しがたいものではあった。だが、おそらくブルンスウィックが気を悪くしたのは、自分がまず彼に助けを求めていかなかったからなのだ。おそらくそのほかの誤解もあるのかもしれない。だが、そんな誤解も一こと二こと話せば解くことができるはずだ。ところで、もしこういうことであったのなら、自分はブルンスウィックによって、ほんとうに教師に対して、そればかりでなく村長に対しても、いいうしろだてを手に入れることになるのだ。役所のあらゆるまやかし――いったい、まやかし以外のなんだろう――、つまり、村長と教師とが自分を城の役所にいかせないようにし、無理に小使の職につけてしまったまやかしが、暴露されるはずだ。もし自分をめぐって改めてブルンスウィックと村長とのあいだに争いが起こることになれば、ブルンスウィックは自分を彼の味方にするにちがいない。そうすれば、自分はブルンスウィックの家の客になるだろう。ブルンスウィックがもっているさまざまな権力手段は、村長に対抗して、自分のために使われることになるだろう。それによって自分がどういうことになるかはわかったものではないが、ともかくしょっちゅう細君の近くにいることになるだろう。――こんなふうに彼はいろいろと夢想をもてあそび、また夢想のほうも彼をもてあそぶのだった。一方、ハンスはただ母のことだけを考えて、Kが黙っているのを心配そうにながめていた。まるでむずかしい病気の治療方法を見つけ出そうと考えにふけっている医者に対しているようなものだった。土地測量技師の地位についてブルンスウィックと話し合いたいというKの提案にハンスは同意したが、そうはいってもその理由はただ、それによって自分の母親を父親に対して守ってやれるし、その上それは、おそらくは起こるまいと期待されるまさかの場合のことだからだった。少年はなお、Kが夜遅く訪問したことを父親にどう説明するのか、とたずねたが、我慢のならない小使の地位と教師による侮辱的な取扱いとが突然の絶望のなかで自分にいっさいの顧慮を忘れさせたのだ、ということにするというKの説明に、少し顔を曇らせはしたが、満足した。
 今やこうして、いっさいのことが気のつく限りあらかじめ考えられ、成功の望みが少なくとももう全然ないわけでないということになったとき、ハンスはあれこれ考えめぐらすという重荷から解放されて、前よりも朗らかになり、はじめはKと、次にフリーダとも、しばらくのあいだ子供らしくしゃべっていた。フリーダは長いあいだ別なもの思いにふけっているようにそこに坐っていたが、やがてようやくまたこの対話に加わり始めた。ことに、あなたはなんになりたいの、とハンスにたずねた。少年はたいして考えもしないで、Kのような人になりたい、と答えた。次にその理由をたずねられると、彼はむろん答えることができなかった。小使のようなものになりたいのか、という問いに対しては、はっきりとそうではないといった。さらにいろいろたずねていってはじめて、どういう廻り道をたどってこの少年がそんな望みをもつことになったか、ということがわかった。現在のKの状態はけっしてうらやむにたるものではなくて、悲しい、軽蔑すべきものだ、ということはハンスもよく見ていて、それを知るためには何もほかの人びとを観察する必要はなかった。ハンス自身、Kが母親に会ったり、母親に話したりすることをどうか避けたい、と思っているのだ。それにもかかわらず、ハンスはKのところへやってきて、彼に助力を頼み、Kがそれに同意してくれたとき、うれしく思った。ほかの人びとにおいてだってKと似たところが見られるように思ったのだが、何よりもまず母親自身がKのことを口にしたのだ。こんな矛盾から、ハンスの心のなかには次のような信念が生まれたのだった。つまり、なるほど今はKはまだ身分が低くひどい状態にあるが、ほとんど想像もつかないような遠い未来のことではあるとしても、ゆくゆくはほかのすべての人をしのぐようになるだろう、というのである。そして、まさにこのまったくばかげたような遠い未来のことと、その未来に通じるはずの誇らしい発展とが、ハンスの心をそそったのだった。この未来の値打のために彼は現在のみすぼらしいKさえも買おうと思ったのだ。この願いのとくに子供らしくてしかも大人っぽい点は、ハンスはKをまるで年下の者のように見おろし、この年下の者の未来が小さな子供である自分の未来よりもはるかに先があるように思っている、というところにあった。そして、フリーダの質問につぎつぎに答えることをしいられながらこうしたことを語るハンスの調子には、ほとんど打ち沈んだようなまじめさがこもっていた。Kが次のようにいったとき、やっとまたハンスは朗らかさを取りもどした。君がなぜ私のことをうらやむのか、知っているよ。ふしのついた私の美しいステッキのためだ。(そのステッキは机の上にのっており、ハンスは話をしながらぼんやりとそれをいじっていた。)ところで、こんなステッキなんか、自分はつくりかたを知っている。もしわれわれの計画がうまくいったら、君のためにもっと美しいのをつくってあげよう。今はもう、ハンスがほんとうにただステッキのことだけしか考えていたのではないかどうか、あまりはっきりしなくなっていた。それほど少年はKの約束をよろこび、うれしそうに「さよなら」をいったが、Kの手を固くにぎって、「では、あさってね」と、いうのだった。



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