養生の心得 福沢諭吉




総論


一、人間生涯の内、体ほど大切なるものはなし。諺に云ふ通り命の物だねなれば、何職何商買に限らず、先第一己の体を養生し、病気に懸らぬよう注意て、其上病む時は早く医治を受けて、天寿を終るの道を知る事、人間要用の心得なるべし。


一、医は病気を治す計りの職業に非ず。其病気の出来ぬように養生法を吟味し人に伝へて、千人病むものは五百人にてすみ、五百人は二百にてすむように致し、其上病むものは早く治るように療治致し、総て人体を強壮にし、長命させるように心を用ゆる事、是医道の根本なり。


一、世人、養生と思ふて不養生をなし、不養生と思ふ事返て養生になる事あり。或は知らずに不養生をなす事沢山有り。故に今平常素人の心得置くべき養生の事を有増爰に載するものなり。


婦人妊娠中心得の事


一、婦人妊娠して子孫を永続するは天道の大本にして婦人第一の職業なれば、先妊娠する時は身持を大切にし、小児生れて後は無事に成人せん事を願ふ。是人間一般の人情なり。されば胎内に有る時、成丈け胎子に障らぬよう万事注意ねばならぬ筈なり。依て其有増の心得を次にしるさん。


一、懐妊中は別して五体を大切にし病気に罹らぬ様注意ねばならぬ故に、先食餌を吟味し精々栄養のものを用ひ、むら喰せぬよふに心懸べし。尤も人に寄りて悪咀の為に二、三ヶ月目に嘔気強くして思わしく喰ふ事の出来ぬものあり。此時には強て喰ふ可からず。随意に少々宛度々喰ふをよしとす。勿論非常に悪咀の強き婦人は薬用せねばならぬなり。


一、是まで日本国中為す事なれ共、腹帯を強く (しめ)るは大にわろく、親子共に不為なる事なり。月重りて後、少々腹ごたへの為に木綿巾のまゝにて二重三重軽く腹を巻く事は差したる障りもなし。


一、懐妊中はは(〔ママ〕)成丈寝起を柔にし、月重りて後は一入転ばぬように気を付けるべし。転びたり落たりする時は、胎内の子の位置を動し難産の恐れあり。故に高き所へ登らず深かき所へ臨ぬよにし、椽の上り下りも精々慎むに如かず。


一、臨月に至りて腹痛起り弥催しのある時は、産蓐につき心を静に保ち分娩は勿論なれども、万一少し手間取れるとも決して心配する事なく、成丈心を静めるべし。


一、産後に坐りて幾日も暮す事、是又日本の悪風なりて、此為に起る悪しき事色々あり。追々に止まる様に致し度事なり。尤も蒲団の頭の方を足の方より少々高くし、一面に少し坂になるように床を拵ひ、安楽に臥せる事、大によし。


一、懐妊中の心得を精しく咄す時は、此一、二枚の紙に載せがたく且平常の婦人に守り難きを以て、只其旨を挙るのみ。


小児養育の法


一、小児生れて後二、三日の間マクリを呑せ其母の乳を吸せぬ事、今までの風俗なれども、是は返てわろし。生湯すまして後、間もなく其母の乳を吸せるに如ず。何なれ生乳は少しく稀薄くして酸味を持ち極緩き下剤となる故に、生子の  (かにばゝ)を下すに丁度よきものにて、是天然神の授け給ふ誠に都合よき事なり。決してマクリ抔とて薬用するに及ばず。


一、生毛を剃り取る事、是又日本の風俗なれ共、大にわろし。全体人の頭は脳髄と云ふ極大切なるものゝ有る所なる故に、頭骨有りて其脳髄を囲み守護するなれども、猶其上風熱を防ぐ為に自然備たる毛髪なれば、剃落す道理なし。別して小児の頭は頭骨極弱き故に、剃らず其儘捨置き禿にて育てる事、是天然の道理なり。


一、前条の如く頭は大切なるもの故に、小供を誡むるに頭を打つは甚だわろし。西洋人は小供教に背く時は尻を打つ風なり。尻には大切なるものなくして実によき打ち場なり。


一、痘瘡は百人の内九十九人までは是非とも一度病むべき大病なれども、近年種痘追々開けて斯る大病を遁れるように成りたるは、誠に有がたき一妙事なり。然るに頑固しき愚民は未だ種痘を信ぜずして夫の大病を病ませ、愛かる小児を遂に殺ろし或は盲目禹歩にするもの有り。誠に笑ふ可き事なり。早く種痘するに如ず。


一、此養育法も精しく論ずる時は種々箇条有りて一朝一夕の論に非ず。故に今をもだつたる世間の悪弊を避ぬが為、斯に数条を挙るのみ。


飲食の事


一、誰れも知る通り飲食は一日も止める事の出来ぬ大切なるものにて、先始め食餌を歯にて噛み嚥下めば直に胃の腑に入り、夫れより色々様々の働を受けて体を養ふ正味と滓と別れ、滓は大小便となり、正味は血と混じりて五体を養ふ。依て食餌悪しきときは滓多くして正味少なく、五体を養ふに不足出来る道理なれば、食餌は精々良きものを心懸け、悪しきものを喰わぬよふにせねばならぬ筈なり。其栄養正味の多きものは肉類魚類鳥卵の類にして、野菜類には正味少なし。故に西洋諸国の人は肉類魚類類(〔ママ〕)を喰ふ事多し。然るに日本人は是まで野菜類を喰ふ事多くして肉類を喰ふもの少なし。是日本人は西洋人より体力弱き所以なり。体力弱ければ智恵の開けもわろく、病気にも危き勘定なり。故に人々身分惣応に成丈善き食餌を心懸くべし。


一、肉類魚類は勿論、其外の食物に至るまで、少しにても味ひ変りふるき様子のものは決して喰ふ可からず。又時節ならざるものを珍らしきとて喰ふべからず。人に寄りては此食物は少々経日くなりたれ共、捨るはもつたいなし、早く喰ふべしとて、人にも進め自身にも喰ふもの世間に間々あり。誠に大なる心得違なり。食物を略にするはもつたいなしと云ふ諺は、大切なる体を養ふが為に云たるなり。されば経日くなりたるときは最早体の害となりて敵なり。喰ふのがもつたいなしといふべし。


一、漬物干魚塩漬の類は栄養の正味少く胃の腑にて消化れ悪しきものなれば、身を大切にする人は喰ふ可きものに非ず。全体日本人は箇様なる品を喰ふもの多し。是れ日本に溜飲病多き所以なり。


一、食餌は三度の定期を違へぬようにし、定期間の喰物を成丈為ぬようにすべし。殊に寝る前に喰ふは大にわろし。


一、酒は身を大切にする智者の飲むべきものに非ず。下戸に生れ付たるものは誠に仕合なり。決して上戸を羨むこと勿れ。上戸の人も身の大切なるに着眼け追々に飲量を減らすべし。遂には止めて居れるものなり。又菓子類も多く喰ふときは胃病を起して大害あり。下戸の人は菓子を多く喰わぬように慎むべし。就中蒸菓子汁粉の類はわろし。


一、食餌は余り熱つきを好むは宜からず。総て冷食の方宜ろし。されども日本人の如きは熱きに馴たるを以て、一概に強て冷食するときは又わろし。追々に冷食に馴れるよう心懸べし。


衣服の事


一、衣服は五体を守る肝要なるものなれば、成丈清浄に保つを以て第一の主意とす。垢着て穢れたる衣服は蒸発気といふ体より始終出る気を押さへて体中に嵌める故に終に病気を起すに至る。依て衣服は精々清潔に心懸、殊に膚着繻絆は度々洗濯して着替るを良しとす。


一、垢染たる着物を寝巻に用ゆるもの間々あり。誠に心得違なり。夜分寝て居るとき夫の蒸発気閉塞されて病を起す事多きものなれば、寝巻は猶更清潔にして着ねばならぬ筈なり。夜具もまた精々清潔にし度々干して用ゆるよう心懸べし。木綿か金巾にて蒲団の (をい)を拵い置き、其 (をい)を時々洗濯し取替用ゆれば一入よし。


一、総て衣服類の湿つたるは悪し。よく乾かして用ゆべし。


一、膚着類は染物より白地を用ひ、絹ものより木綿を用ゆるを良しとす。白のフラネル繻絆は最もよし。


一、紐帯の類を固く (しめ)るときは血の循還を妨げる故に大にわろし。総てゆるく結ぶにしかず。


住所居宅の事


一、人の棲は高かき乾燥たる地に家作し、精々清潔に棲ふを養生の大旨とす。先づ人間今日活きて居る為め第一大切なるものは空気に越すものなし。一と通り小供の考を以て云ふ時は、食餌ほど大切なるものは無しと思へるなれど、空気無きときは毎日三度の食餌を充分に喰ふとも片時も生活て居る事は出来ぬものにて、其空気を今日我々の吸ふて生活て居る事は、丁度魚の水を吸て生活て居ると同じ理合にて、魚、水なき時は餌有りても生活て居らぬが如し。又魚は清潔なる流れ川に居る時は肥て勢ひよけれども、腐敗たる水の中へ移す時は直に勢ひ弱り遂に死ぬる通り、人も清潔なる空気を吸ふて居れば強壮なれども、悪しき空気を吸ふなれば遂に病気を起すに至る。総て卑くき地は湿気を生じ空気を穢がす事多く、掃除不行届なれば種々のものより腐敗気を出し又空気を濁らす故に、高き地面に家作し懇に掃除して清潔に棲ふを以て養生の第一とす。


一、家作は窓多くして風の通暢りよく明るきように心懸くべし。風の通暢り悪しき所に多人数住むは大に害あり。何なれば先づ人の肺の臓へ善良き空気を吸込み、吹出すときは最早炭酸瓦斯と云ふ毒気となる。其毒気を多人数の口より吹出すに由て、遂に部屋の中に満渡り、善き空気と交りて是非とも再び肺の臓に入る故に毒となるなり。此道理にて、よせ芝居抔の如き多人数込合場所に居続る時は、遂に逆上て頭痛を催ふし気分悪しくなるなり。夫れに由て、よせ芝居其外他人数集る席は、窓を沢山明けて風の通暢りを容易くするをよしと云ふ。


一、竈は煙箇をつけ家の内に煙の散らぬように心懸べし。煙の為に眼病を生ずる事多し。


一、寝室は殊更に清潔に掃除し、決して飲量食物を室中に置く事なく、洗濯物小道具迄も精々取片付置べし。寝室の内に寝台を置き其上に寝れば猶更よし。


一、両便所は別段に注意け、折々清浄に掃除し、夏向は殊更、流行病などあるときは糞小便を日々取らせ置くべし。最一層入念するには、カルボリックアッシードか又はコロレードポットアスと云ふ薬を求め、便所に入れ置く可し。


一、貧富に由り又は商買職業によりて住居は一概に論じがたし。されども各其身分其職業惣応に清潔を心懸け棲ふときは、自然不潔事少くなりて養生にもなり立派にもなりて誠に快よき事ならずや。


流行病預防法


一、流行病気ある時は別して食餌に注意け、縦令ひ急用あるとも三度の時刻を違へず喰ひて、馴れぬものを喰わぬようにし、夜は早く臥て充分に寐ね、着物は時節相応にし、日々浴場をいりて体を清潔にし、家の内は隅から隅までよく掃除し穢れを除き、熱つき時節なれば家の中の風通りをよくし、家の外までもよく/\掃除して腐敗気の蒸発ぬように心懸べし。折節は山か森か草木の繁たる所へ行き、処々歩行きる事大によし。寒きせつにても折々家の内へ風を入れて部屋の空気を取替るべし。もし家内に流行病を受たるもの有ば、猶更右の箇条に気を付、病人の部屋を一入清潔にし、両便所を度々掃除し、糞小便を成る丈折々取らせ置くべし。病人の大便は別に  (おかわ)に取り一々外へ捨れば猶更よし。


一、病気によりて預防法種々あれども、右等の事は総ての流行病を避ける要用の心得なれば、今其大略を斯に示す。


病中心得の事


一、世間の人、病気を受け悩むときは、医者を頼みて療治を受ける事を知らぬものなし。されども充分に療治介抱を仕遂るもの少なし。先病気に罹りたるせつは、人々の眼力を以て医を撰む。其医に万事隔意なく問合、其差図に随ふて少しも違わぬよう精々気付べし。さなくてはいかなる名医にても充分なる療治を仕遂る事は出来ぬものなり。尤医術は甚だ六箇敷ものにて大に上手下手のあるものなれども、其上手下手を素人の目にて見弁ける事は中々出来ぬものなり。依て人々其信仰する医に万事任せて療治し必らず惑を起す事なかれ。世間に医を撰ぶに方角を定め或は神妓巫点祈祷などゝ様々の事をする人あり。是皆惑にして療治介抱の本意を忘るゝものなり。誠に笑ふべきの至りならずや。


一、大病に臨みては介抱ほど大切なるものなし。昼夜病人の傍に不断代々看病し、少しの事も覚置き、医者の見舞たるせつ一々咄し、又医者の云ふ事をつゝしみて聞置、薬の用法を始め万事差図に違わぬよう懇に注意ける事、是※[#「てへん+介」、U+6274、47-16]者の業なり。尤も多人数病人の側に集り居るは悪し。精々静に看病し、親類縁者のものたりとも病床へ近寄り病人と咄しすべからず。少しの事にても病人に気遣するときは病気に障るものなり。依て病気見舞の人は可成は勝手にて饗応し返すべし。医※[#「てへん+介」、U+6274、47-18]者の外、病人の側に寄りて少しも益なし。


一、病気見舞の人、病家に於て何にも噺す事なければ、世間の医の咄しを為し、医を換させ又は点祈祷などを進めて、心切の積りなれども、病家に惑を起させ、遂に療治の妨となりて、見舞の心切、返て不深切となる事あり。病家も見舞人も此旨篤と心得置くべきことなり。


一、薬用、飲食、衣服、病床、病室等のようすは、病症と時候とに随ひ種々の都合ある事にて、皆医の預り知る事なれば、今斯に記さず。宜しく医の差図に従ふべし。


一、病症に由りて度々見わねば療治の行届かぬも有り、又は三日目五目或は七日目に一度診察してよき病人もあれども、病症のよしあしに係わらず、黄金家の病人は度々見舞、貧家の病人を遂おろかにする医も、世間には稀れに有るようすなれども、是は甚だ医の心得違と云ふべし。先病人は貧富貴賤に係らず、重き危篤のものを第一等の病人となし、万事注意けて精々見舞診察せねば療治は出来ぬものなり。由りて世間の良医は固疾難症を第一の病人として療治する故に、貧富の差別有る事なし。此旨素人の方にて能心得置き、黄金家にても医を職人あんまの如く出入医抔と云ふ可からず。貧者にても遠慮する事なく大病のせつは良医を頼みて療治を受くべし。全快の後己の不都合を医に咄し、少しの謝義するとも言の礼云ふとも、其心に誠に有難き真実を以て礼する貧人の心底は、医の方でも黄金家の百両の礼にもあたる心持なれば、鰥寡孤独の不仕合病人も、遠慮なく名医の療治を請ひ、大切なる一命助かりし上は、時せつを待て大恩を報ふべし。療治後無沙汰するものは甚だ悪きものなり。


一、医者の方にても預りたる病人は兎角心に懸るゆへ、折ふしは見舞なれども、病家にても病人のよしあしを度々医へ注進し沙汰せねばならぬ筈なり。


一、是まで一人の医に療治を受たる病人、外の医に転へ度き事は、人情沢山ある事なり。決して遠慮なく心のまゝに医を転へてよし。されども始の医に沙汰せずに外の医を頼は心得違なり。転へるせつ始の医に其旨を挨拶するなれば、医の方にて必らず不平ある筈なし。兎角病気のせつは義理不義理などゝつまらぬ事を思わず、医に云い度事を一々噺すべし。云い度事を隠してするときは惣方不都合多し。


一、医見舞たるせつ、酒肴飯菓子抔と種々心配するものあれども、病人に少しも益なく、医も病家も空しく時を費すなれば、心ある人は止めるべし。


一、全体医業は甚だ六箇敷物にて、始終書物をよみて学問せねば出来ぬものなり。由て暇あるせつは学問して時を費さぬよう心懸る故に、家を出る事の出来る病人は、成る丈医の家に来りて療治を受くべし。









底本:「福沢諭吉全集 第20巻」岩波書店
   1963(昭和38)年6月5日初版発行
   1971(昭和46)年5月13日再版発行
※底本編集時に付されたルビは、入力しませんでした。
※空白に振り仮名だけあるものは原文のままにしました。
入力:田中哲郎
校正:小林繁雄
2011年5月8日作成
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