若菜集 島崎藤村

若菜集
島崎藤村



こゝろなきうたのしらべは
ひとふさのぶだうのごとし
なさけあるてにもつまれて
あたゝかきさけとなるらむ

ぶだうだなふかくかゝれる
むらさきのそれにあらねど
こゝろあるひとのなさけに
かげにおくふさのみつよつ

そはうたのわかきゆゑなり
あぢはひもいろもあさくて
おほかたはかみてすつべき
うたゝねのゆめのそらごと

一 秋の思


  秋

秋は来(き)
  秋は来ぬ
一葉(ひとは)は花は露ありて
風の来て弾(ひ)く琴の音に
青き葡萄(ぶどう)は紫の
自然の酒とかはりけり

秋は来ぬ
  秋は来ぬ
おくれさきだつ秋草(あきぐさ)
みな夕霜(ゆふじも)のおきどころ
笑ひの酒を悲みの
(さかづき)にこそつぐべけれ

秋は来ぬ
  秋は来ぬ
くさきも紅葉(もみぢ)するものを
たれかは秋に酔はざらめ
智恵(ちえ)あり顔のさみしさに
君笛を吹けわれはうたはむ

  初恋

まだあげ初(そ)めし前髪(まへがみ)
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の実(み)
人こひ初(そ)めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃(さかづき)
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな

林檎畑の樹(こ)の下に
おのづからなる細道(ほそみち)
(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

  狐のわざ

庭にかくるゝ小狐の
人なきときに夜(よる)いでて
秋の葡萄の樹の影に
しのびてぬすむつゆのふさ

恋は狐にあらねども
君は葡萄にあらねども
人しれずこそ忍びいで
君をぬすめる吾(わが)

  髪を洗へば

髪を洗へば紫の
小草(をぐさ)のまへに色みえて
足をあぐれば花鳥(はなとり)
われに随(したが)ふ風情(ふぜい)あり

目にながむれば彩雲(あやぐも)
まきてはひらく絵巻物(えまきもの)
手にとる酒は美酒(うまざけ)
若き愁(うれひ)をたゝふめり

耳をたつれば歌神(うたがみ)
きたりて玉(たま)の簫(ふえ)を吹き
口をひらけばうたびとの
一ふしわれはこひうたふ

あゝかくまでにあやしくも
熱きこゝろのわれなれど
われをし君のこひしたふ
その涙にはおよばじな

  君がこゝろは

君がこゝろは蟋蟀(こほろぎ)
風にさそはれ鳴くごとく
朝影(あさかげ)(きよ)き花草(はなぐさ)
(を)しき涙をそゝぐらむ

それかきならす玉琴(たまごと)
一つの糸のさはりさへ
君がこゝろにかぎりなき
しらべとこそはきこゆめれ

あゝなどかくは触れやすき
君が優しき心もて
かくばかりなる吾(わが)こひに
触れたまはぬぞ恨(うら)みなる

  傘(かさ)のうち

二人(ふたり)してさす一張(ひとはり)
傘に姿をつゝむとも
(なさけ)の雨のふりしきり
かわく間(ま)もなきたもとかな

顔と顔とをうちよせて
あゆむとすればなつかしや
梅花(ばいか)の油黒髪(くろかみ)
乱れて匂(にほ)ふ傘のうち

恋の一雨(ひとあめ)ぬれまさり
ぬれてこひしき夢の間(ま)
染めてぞ燃ゆる紅絹(もみ)うらの
雨になやめる足まとひ

歌ふをきけば梅川よ
しばし情(なさけ)を捨てよかし
いづこも恋に戯(たはぶ)れて
それ忠兵衛(ちゅうべえ)の夢がたり

こひしき雨よふらばふれ
秋の入日の照りそひて
傘の涙を乾(ほ)さぬ間(ま)
手に手をとりて行きて帰らじ

  秋に隠れて

わが手に植ゑし白菊の
おのづからなる時くれば
一もと花の暮陰(ゆふぐれ)
秋に隠(かく)れて窓にさくなり

  知るや君

こゝろもあらぬ秋鳥(あきどり)
声にもれくる一ふしを
        知るや君

深くも澄(す)める朝潮(あさじほ)
底にかくるゝ真珠(しらたま)
        知るや君

あやめもしらぬやみの夜に
(しづか)にうごく星くづを
        知るや君

まだ弾(ひ)きも見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の音(ね)
        知るや君

  秋風の歌
さびしさはいつともわかぬ山里に
    尾花みだれて秋かぜぞふく

しづかにきたる秋風の
西の海より吹き起り
舞ひたちさわぐ白雲(しらくも)
飛びて行くへも見ゆるかな

暮影(ゆふかげ)高く秋は黄の
(きり)の梢(こずゑ)の琴の音(ね)
そのおとなひを聞くときは
風のきたると知られけり

ゆふべ西風(にしかぜ)吹き落ちて
あさ秋の葉の窓に入り
あさ秋風の吹きよせて
ゆふべの鶉(うづら)巣に隠(かく)

ふりさけ見れば青山(あをやま)
色はもみぢに染めかへて
霜葉(しもば)をかへす秋風の
(そら)の明鏡(かがみ)にあらはれぬ

(すず)しいかなや西風の
まづ秋の葉を吹けるとき
さびしいかなや秋風の
かのもみぢ葉(ば)にきたるとき

道を伝ふる婆羅門(ばらもん)
西に東に散るごとく
吹き漂蕩(ただよは)す秋風に
(ひるがへ)り行く木(こ)の葉(は)かな

朝羽(あさば)うちふる鷲鷹(わしたか)
明闇(あけくれ)(そら)をゆくごとく
いたくも吹ける秋風の
(はね)に声あり力あり

見ればかしこし西風の
山の木(こ)の葉をはらふとき
悲しいかなや秋風の
秋の百葉(ももは)を落すとき

人は利剣(つるぎ)を振(ふる)へども
げにかぞふればかぎりあり
舌は時世(ときよ)をのゝしるも
声はたちまち滅ぶめり

高くも烈(はげ)し野も山も
息吹(いぶき)まどはす秋風よ
世をかれ/″\となすまでは
吹きも休(や)むべきけはひなし

あゝうらさびし天地(あめつち)
(つぼ)の中(うち)なる秋の日や
落葉と共に飄(ひるがへ)
風の行衛(ゆくへ)を誰か知る

  雲のゆくへ

庭にたちいでたゞひとり
秋海棠(しゅうかいどう)の花を分け
空ながむれば行く雲の
(さら)に秘密を闡(ひら)くかな

  小詩二首

    一

ゆふぐれしづかに
     ゆめみんとて
よのわづらひより
     しばしのがる

きみよりほかには
     しるものなき
花かげにゆきて
     こひを泣きぬ

すぎこしゆめぢを
     おもひみるに
こひこそつみなれ
     つみこそこひ

いのりもつとめも
     このつみゆゑ
たのしきそのへと
     われはゆかじ

なつかしき君と
     てをたづさへ
くらき冥府(よみ)までも
     かけりゆかん

    二

しづかにてらせる
     月のひかりの
などか絶間なく
     ものおもはする
さやけきそのかげ
     こゑはなくとも
みるひとの胸に
     忍び入るなり

なさけは説(と)くとも
     なさけをしらぬ
うきよのほかにも
     朽(く)ちゆくわがみ
あかさぬおもひと
     この月かげと
いづれか声なき
     いづれかなしき

  強敵

一つの花に蝶(ちょう)と蜘蛛(くも)
小蜘蛛は花を守(まも)り顔
小蝶は花に酔ひ顔に
舞へども/\すべぞなき

花は小蜘蛛のためならば
小蝶の舞(まひ)をいかにせむ
花は小蝶のためならば
小蜘蛛の糸をいかにせむ

やがて一つの花散りて
小蜘蛛はそこに眠れども
羽翼(つばさ)も軽き小蝶こそ
いづこともなくうせにけれ

  別離
人妻をしたへる男の山に登り其
女の家を望み見てうたへるうた

(たれ)かとゞめん旅人(たびびと)
あすは雲間(くもま)に隠るゝを
誰か聞くらん旅人の
あすは別れと告げましを

(きよ)き恋とや片(かた)し貝(がひ)
われのみものを思ふより
恋はあふれて濁(にご)るとも
君に涙をかけましを

人妻(ひとづま)恋ふる悲しさを
君がなさけに知りもせば
せめてはわれを罪人(つみびと)
呼びたまふこそうれしけれ

あやめもしらぬ憂(う)しや身は
くるしきこひの牢獄(ひとや)より
罪の鞭責(しもと)をのがれいで
こひて死なんと思ふなり

(たれ)かは花をたづねざる
誰かは色彩(いろ)に迷はざる
誰かは前にさける見て
花を摘(つ)まんと思はざる

恋の花にも戯(たはむ)るゝ
嫉妬(ねたみ)の蝶(ちょう)の身ぞつらき
二つの羽(はね)もをれ/\て
(つばさ)の色はあせにけり

人の命を春の夜の
夢といふこそうれしけれ
夢よりもいや/\深き
われに思ひのあるものを

梅の花さくころほひは
(はす)さかばやと思ひわび
蓮の花さくころほひは
(はぎ)さかばやと思ふかな

待つまも早く秋は来(き)
わが踏む道に萩さけど
(にご)りて待てる吾(わが)恋は
清き怨(うらみ)となりにけり

  望郷
寺をのがれいでたる僧のうたひ
しそのうた

いざさらば
これをこの世のわかれぞと
のがれいでては住みなれし
御寺(みてら)の蔵裏(くり)の白壁(しらかべ)
眼にもふたたび見ゆるかな

いざさらば
住めば仏のやどりさへ
火炎(ほのほ)の宅(いへ)となるものを
なぐさめもなき心より
流れて落つる涙かな

いざさらば
心の油濁るとも
ともしびたかくかきおこし
なさけは熱くもゆる火の
こひしき塵(ちり)にわれは焼けなむ




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