歩くこと 三好十郎








 自分の頭が混乱したり、気持がよわくなったり、心が疲れたりしたときには、私はよく歩きに出かけます。

 それはたいがいのばあい、そういう自分の状態をなおそうとハッキリ思ってすることではなく、本能的にすることです。ほとんど無意識のうちに私は立ちあがり、かんたんな身支度をして家を出て、外を歩いています。それはまず、私が外気の中にいることが好きなこと、風景を見ることが好きなこと、知らない人びとの姿や顔を眺めることが好きなことなどのせいもあるらしいが、それだけではないようです。また、ふつうの言う意味の散歩ともすこしちがいます。

 まず、いちばん最初にくるのは、それまで自分をしばっていたいろいろのキズナからときはなれた感じです。かならずしも家または家族とのキズナだけでなく、自分の仕事や、その仕事の継続、私的なまた公的な人間関係、それからいっさいの社会的な関係のキズナからときはなれた感じ。それが切れてしまったとは思えないが、すっと長く伸ばされ、やわらかい、自由なものになったような気がするのです。そして、そのようなキズナにつきまとっている重量感が消えて、いっとき気楽になったような気がする。自分が自分からぬけだしてきた感じとでもいうか。つまり自分がそれまでにしてきた、そして現に持っている気苦労だとか、努力だとか、思索だとか、論理的な追求だとかを、自分の机の上などに置きざりにしてぬけだしてきたといったような実感です。

 そして私の目は、空を見たり地面を見たり樹木を見たり、花が咲いていれば、「ああ、そうだっけ、その季節だったな。去年もこうだったかな? きれいだな。」とシミジミと思いながら見てすぎていきます。むこうから人がくる。近所の人だと挨拶をする。見知った子どもがいると、「元気そうだ。急にまた大きくなった。」と思ったり。だんだん家を遠ざかるにしたがって、行きあう人は見知らぬ人が多くなり、二十分も歩くと私は挨拶をする必要がなくなる。車がとおる。犬が走る。電車・家々・店屋・人びとのいろいろの姿と声ごえ・空地・草・川・それにいろいろのものの匂い……そのころには私はまったく自由で孤独な人間になって歩いているのです。

 私の感覚は外気と運動のために鋭敏になっていて自分が見たり聞いたり、ふれるものの色や匂いや触感を、ひじょうにゆたかに受け入れ、味わっています。同時に、同じ理由のために、私の感受性は、私が家にすわっていたときのような神経質的な過敏さや不均衡を払いおとしていて、ずっと落ちついた健全なものになっているのです。

 私は歩きながら、自分が今している仕事のことや思想のことや生活上のいろんなことを、論理のじゅんを追って考えたりは、ほとんどしません。歩きながらの見聞やそれの引きおこす感覚を味わうのにいっぱいで、チャンとしたものを考えることは私に不可能なのです。まず、犬が歩いている状態に似ているのではないかと思う。ただ仕事や思想や生活のことが、ときどきチラリチラリと頭にきます。その断片や、またはその基調になっている色あいや調子のようなものが、フッと頭にきては、しばらくとどまっている。そのうちに、目が美しい木のシルエットをとらえたり、耳が思いがけない響きをとらえたりすると、その瞬間に、さきほどの思いは完全にどこかへ飛びさっています。

 そのようなことをつづけながら、私は二時間三時間と歩きます。つづけて歩くと疲れすぎるので、そのあいだ、一度か二度は乗りものに乗ります。歩くよりも乗りものに乗っている時間の方が多いかもしれません。それでよいのです。乗りものに乗っているときも、私にとっては、じつは歩いているのと同じことが起きているのです。自然と人びとの中に立ちどまり、そしてそのあいだを通りすぎていくということです。

 そのようにして二三時間をすごしたあとで、ヒョイと気がつくことは、自分のうちのそれまでの混乱がしずまったり、心の疲れが癒(いや)されたりしているということです。何かが整理され、何かが立ちなおっている。もちろん、あまりたくさん歩いて疲れすぎると、かえっていけないばあいもあるが、しかしそのばあいも、その疲れがいったんおさまれば、同じことが自分のうちに起きたことに気づく。

 こんなことは私だけなのでしょうか? 君にはそういうことはありませんか?

 私にとっては、旅行というものも、同様な意味があります。自分がいま作品を書こうとしている。何をどんなふうに書いてよいか、いろいろに考えまよっている。または思想的なことでわからないことにぶちあたって、いくら研究したり思索したりしても混乱して、結論が見いだせない。または、生きていくうえでの難問題に出あって、迷いに迷い、気がよわまってどうにも処置がつかぬ。そういうときに、旅行に出て、あちこち歩き、電車に乗りバスに乗り汽車に乗ったりして、みじかくて三四時間、ながくて三四日すると、そういう迷いや混乱や衰弱が、全部とはいえなくとも、その大半がひとりでに自分から剥(は)げおちているのです。

 それは、そのあいだに、それらの問題についてセッセと考えつめたからではない。ほとんど考えはしないのです。ただそれらの問題を自分のうちにたたえ持っているだけなのです。ただなんとなく、たたえ持ちながら、自然を見たり人びとを見たり、自然の中へふみこんだり、人びとと話しあったりしているあいだに、私自身にもよくわからない微妙な作用が起きていて、自分のたたえ持っている問題の中心のようなもの、本質のようなものが、ハッキリした形になって、自分の手のひらの上にのっているのです。

 私は、敗戦後はじめて旅行したときのことを思いだします。旅行といってもホンの小旅行で、中央線の列車に半日乗っている程度のものです。じつは私は敗戦と同時に、何をどう考え、何をどうしたらよいか、まるでわからなくなってしまって、ウツウツとしてその夏から秋をすごしたのですが、思い疲れたすえにヒョイとどこかへ行ってみる気になったのでした。

 そのころの例にもれず、列車はおそろしく混んでいて、もちろんすわれはせず、窓のそばに押しつけられて身動きもできないので、息ぐるしく不快でした。しかし発車して一時間もすると、それはそれなりに、身辺が落ちつきなごんできて、小仏(こぼとけ)のトンネルを越えたころからは窓の外を眺め入る余裕もできてきました。二時間ばかりたち、勝沼(かつぬま)から塩山(えんざん)あたりの山村が窓の外をユックリと走りすぎていきます。それまでに幾度も見てすぎたり、ところどころには列車をおりて滞在したところもあるし、別に目新しい景色でもありません。だのに私の目は、山や川や、ボツボツと光っている農家の白壁や、ことにそれらのあいだに、歩いたり働いたりしてユックリと動いている小さい人間の姿を、食いいるように見ていました。

 そのうちに、私のうちに自分でもびっくりしたくらいに出しぬけに、そして、はげしい一種の気持が突きあげてきました。それは観念ではないから、言葉にして説明はできません。感動とか啓示とかいうものかもしれません。それは、ひじょうに深く、澄みとおって、鳴りひゞくような調子を持ちながら静かな静かな音楽のようなものでした。私はほとんど呆然として、しばらく何も考えず、われを忘れていました。「ああ、日本はここにあった。日本はいぜんとしてここにいる。自分がこれがこんなに好きなのだ。これさえあれば自分はなんとかやっていける。」といったようなことを思ったのは、しばらくたって我れにかえってからでした。そして、それをキッカケにして、私の中の混乱が整理されはじめました。

 これはホンの一例です。もし私という人間の中に、少しでもすぐれたものがあるとしたら、また、もし私という作家の仕事の中に少しでもよいものがあるとしたら、それらが皆、歩くことや旅することと無関係に生れたりできたりしたものは一つもないような気がします。

 他の人びとはどうでしょうか? 君はどうですか?

 歴史をふりかえってみても、西洋でも日本でも、えらい思想家や宗教家や芸術家や政治家や科学者などは、たいがい他の人たちよりも、ひじょうによく歩いている。あちこちと旅行しています。ことに、思想や宗教や芸術や政治や科学が勃興する直前のときと、また、それらがおとろえきったすえに復興される直前のときに、それらの担当者である人たちはセッセと歩いているのです。

 国のはじまりや文化や宗教のはじまりのころを思いえがいてみましょう。それらが衰えきって、こんどまた復興したときの、それらの復興者たちの姿を思いだしてみましょう。それは歩いている姿です。あちらへ行き、こちらへ行きしている姿です。キリストもシャカも老子(ろうし)も孔子(こうし)も空海(くうかい)も日蓮(にちれん)も道元(どうげん)も親鸞(しんらん)もガンジイも歩いた。ダヴィンチも杜甫(とほ)も芭蕉(ばしょう)も歩いた。科学者たちや医者たちも皆よく歩いています。えらい創始者や復興者たちを一人ひとり思い出してください。ほとんど全部がふつうの人よりよく歩いています。現代でもそうです。その国やその地方やその事業やその仕事を、さかえさせたり、統一したり、強めたり、育てたり、創りだしたり、生きかえらせたりすることにあずかって力のある人は、みんなよく歩いています。

 いま日本はひじょうに混乱し、衰弱しています。これは日本の歴史はじまって以来、いちばんひどいいちばん根ぶかい混乱と衰弱だろうと思われます。悪くすると、日本はこれまでの日本とは違ったものになってしまうかもわからないし、また考えようで、もしかすると、新しい日本が生まれるかもしれない。そういう時期にわれわれはいると思うのです。これをわれわれ自身の力だけで、よいほうへむけることができるとは思われません。しかし、多小でもその方へむかってつとめなければならぬだろうし、つとめたい。われわれは、いずれにせよ、理屈からではなく、われわれ自身とわれわれの国を自ら救いたいという欲望を捨てさるわけにはいかないのです。

 それには、何はともあれ、まず歩くことです。国の中を、ここからかしこへ行ってみることです。かしこからここへ戻ってきてみることです。それがわれわれにとって、苦しくつらいだけだったら、つまり私どもにとってそうすることが不幸になることだけだったら、われわれ小さいよわい人間にはかならずしもやれないし、またそんなことはしない方がよいという考えもありうると思います。しかし歩くことは、それ自体としてたくさんの楽しさや喜びをともなうものです。苦しいことよりも、たのしいことのほうが、たぶん多いことです。われわれにも、たやすくできることなのです。

 そこで、歩くということは、どういうことだろう?

 まずそれは、現在自分がかかずらっていることやもののいっさいを捨てて、自分の身体ひとつでそこから抜けだしていくということです。

 そのときの自分は、歩いていくということに必要のない、ムダなものは一つも持たないが、必要な最小限のものだけはかならず持っているということです。つぎに、はきものその他の足ごしらえをしっかりするということです。それから、健康状態にある程度自信が持てるということだし、飲食物や気温や天候に気をくばって健康をたもつための注意を怠らぬということです。それから、しだいに歩み進むにしたがって、自分にとっての親しい者を失い、見知られぬ人として見知らぬ人びとのあいだに自分を投げだし、孤絶し、さびしくなっていくということです。そのさびしさの中で、いやでもあなたは見知らぬ人びとや見知らぬものや自然を見てすぎながら、その人たちやものや自然から、言葉や形や色でもって語りかけられるということだし、つぎに、あなたのほうでもそれらに語りかけないわけにはいかないということです。

 それから、歩いていると、しぜんにあなたの血行がよくなると同時に、歩行のリズムがあなたの心身に快感をあたえるということだし、しかし同時に速度が早すぎたり距離が遠くなってくるとあなたは疲労して不快になり、休まなければならぬということです。そして休んでいるあいだも、疲労が去ればふたたびあなたは歩かなければならないことを知っているということです。したがって、あなたが気持よく遠くの道を歩くためには、疲れすぎないうちに休み、休みすぎないうちに歩きだすのが、いちばんかしこい方法であることを知るということです。

 それから、食物や飲物をとるときには、たずさえているものの全部を飲んだり食ったりしてはならない、かならず少しずつ残して進まなければならぬし、同時に、食物や水を手に入れうるところを通りかかったら、それらをいくらかずつでも手に入れるようにしなければならないということです。

 さて、そのようにして歩いていくうちに、歩いていく当人のうえにも、その旅人に接触する土地々々の人びとのうえにも、いろいろのことが起きます。まず歩いていくわれわれは、日本という国の自然が美しいことがわかってくる。

 それから、あんがいに広い国だということがわかってくる。そして、あの山もこの川も人の手がくわえられ、あの野原もこの岡もよく耕されていることから、ながいあいだにわたって、日本人たちは日本の土地を愛撫してきたことがわかってくる。そしてさらに歩みすすんでいくうちに、日本がじつにせまい国であることがわかってくる。そして、どちらへ進んでいっても、まもなく海に出るということがわかってくる。

 それから、通りすぎていく村や町で耳にするその土地々々の人びとの言葉から、日本語というものが、ひじょうに豊富なニュアンスと変化を持った国語であることがわかってくる。

 それから、日本の山河や人びとの気分や暮しが、敗戦のために崩れこわれて、ひじょうに荒れてしまったということがわかってくる。にもかかわらず日本と日本人は、あいかわらずそこにあり、そのよいものの基盤はほとんどゆるがないで残っていることがわかってくる。

 そして、悲しくさびしくなると同時に、根源のところでは、シッカリとした自信や自尊心などを抱くことができてくる。それから、この地方の日本人と、かの地方の日本人の姿のあらゆる要素や面や質の異なる点と同一の点とを見くらべ、それらの一時性と恒久性を区別したり、それらの全体を統一的につかんだりすることができる。それから、その土地々々の暮しかたや産物や食物や景色などの特色を味わうことによって「日本」という観念の中身をゆたかに深く複雑なものにすることができる。

 その旅人に通りすぎていかれる側の、その土地々々の人びとのうえに起きることは、見知らぬ日本人の自分たちとはどこか違う姿や表情や動作を見ることで、日本はこの土地だけでなく、もっと広くて、そこにはまだ自分たちの知らぬいろいろのものがあることを感ずることができる。

 その旅人に話しかけられたり話しかけることによって、他の町や村の事件や事情や、日本全体の現在おかれている情況や空気を知ったり察したりすることができる。そして、それらの知識や推測や感じに照らしあわせて、自分たちの暮しや生活や考えを修正したり、いきいきとしたものにしたり、もっと広がりのあるものにしたり、喜びのあるものにしたりすることができる。つまり、いろいろの意味で、その旅人をとおして、他の多くの日本人とつながることができるのである。

 そうなんです。歩く人は歩く人自身、歩くことによって貴重なものをうるのと同時に、歩いていく土地々々の人びとを、横につなげていくことになるのです。そして、そのことが、さらに貴重なことがらだと私は思う。ことにいま、日本がこのように混乱し衰弱しているさなかでは、まず日本人全体が横につながることほど大事なことはないと思います。

 愛国のことを言うことは、言いたい人にまかせておいて、私はただなるべく歩いてみるようにしたいと思っています。私などがいくら歩いても、たいしたことが起きないことは知っているが、しかし私でさえも歩かないよりも歩くほうがマシなことを私は知っている。

 君はどうですか?
(一九五二・九)


底本:「三好十郎の仕事 第三巻」學藝書林


   1968(昭和43)年9月30日第1刷発行

入力:伊藤時也

校正:伊藤時也・及川 雅

2008年12月12日作成

青空文庫作成ファイル:

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