楠山正雄 たにしの出世
















 むかしあるところに、田を持って、畑を持って、屋敷やしきを持って、くらを持って、なにひとつ足りないというもののない、たいへんお金持ちのお百姓ひゃくしょうがありました。それで村いちばんの長者ちょうじゃとよばれて、みんなからうらやましがられていました。

 この長者とおなじ村に、これはまた持っているものといっては、ふるいすきくわかまがいっちょうずつあるばかりという、たいへん貧乏びんぼうなお百姓の夫婦ふうふがありました。長者の田をりて、お米やひえをつくって、その日その日のかすかなくらしを立てていました。

 夫婦はだんだん年をとって、毎日はたらくのが苦しくなりました。それでもじぶんたちのあとをついで、かわりにはたらいてくれる子どもがないので、あいかわらず夏も冬もなしに、水田すいでんのなかにつかって、ひるぶよにくわれながら汗水あせみずたらしてはたらいて、それでもひまがあると、水にえんのある神様だというので、水神すいじんさまのおやしろに、夫婦しておまいりしては、

「神さま、神さま、どうぞ子どもをひとりおさずけくださいまし。子どもでさえあれば、かえるの子でも、つぶの子でもよろしゅうございます」

といって、一生いっしょうけんめいいのりました。

 するとある日、きゅうにおかみさんは、からだじゅうがむずむずして、赤ちゃんが生みたくなりました。

「そらこそ水神すいじんさまのごりやくだぞ。さあ、早く神だなにお燈明とうみょうを上げないか」

 こういってさわいでいるうちに、おぎゃあともいわずに赤ちゃんが、それこそころりと、往来おうらいさきに、まるい石ころがころげ出すようにして生まれました。

 まったくの話、この子は、石ころのようにちいさく、まるっこいので、つぶつぶとよばれている、たにしの子であったのです。

つぶの子でもと申しあげたら、ほんとうに水神さまがたにしの子をくださった」

 夫婦ふうふはこういって、でも、水神さまのおもうだからというので、ちいさなたにしの子をおわんに入れて、水を入れて、そのなかでだいじにそだてました。

 五年たっても、十年たっても、つぶの子はやはりつぶの子で、いつまでもちいさくころころしていて、ちっとも大きくはなりませんでした。毎日、毎日、たべるだけたべてあとは一日ねてくらして、ああとも、かあとも、声ひとつ立てません。

 お百姓ひゃくしょうのおとうさんは、やはりいつまでも貧乏びんぼうで、あいかわらず長者ちょうじゃの田をたがやして、ねんじゅう休みなしに、かせいでいました。

「やれやれ、きょうもこしがいたいぞ」

と、ある日、おとうさんは背中せなかをたたきながら、地主じぬしの長者屋敷やしきへ納める小作米こさくまいたわらを、せっせとくらにつけていました。

 するうち、ふとあたまの上で、

「おとうさん、おとうさん、そのお米はわたいが持って行くよ」

と、いう声がしました。

 ふしぎにおもって、おとうさんがあおむいて見ると、のきさきの高いたなの上にのせられて、たにしの子が日向ひなたぼっこしていました。

 たにしの子が口をきくはずがない、なにかの空耳そらみみだろうとおもって、かまわずしごとをしていますと、また耳のはたで、

「おとうさん、おとうさん。わたいが持ってくってば」

とよぶ声がしました。口をきいたのは、やはりつぶの子だったのです。

「おとうさん、わたいはちいさいから馬をひいて行くことはできないけれど、米俵こめだわらの上にわたいをのせてくれれば地主じぬしさまのお屋敷やしきまで馬をつれてってきてあげるよ」

 たにしの子がずんずんそういって口をきくと、おとうさんも、おかあさんも、ほんとうにびっくりしてしまいました。でも、この子はなにしろ水神すいじんさまのおもうだから、きっとかわったことができるのかもしれないとおもって、そういわれるままに、たにしの子を、三俵さんびょう米俵こめだわらと米俵とのあいだに、しっかり落ちないようにのせてやって、

「じゃあ行っておいで」

といって、馬のおしりをたたきました。

「おとうさん、おかあさん、では行ってまいります」

 たにしの子は、人間の子とちっともちがわない言葉で、そうはっきりこたえて、

「さあ出かけよう。はい、しい、しい」

 と、じょうずに声をかけました。馬はひひんといなないて、ぱっか、ぱっか、あるき出しました。

 でも心配しんぱいなので、おとうさんがうしろからそっとついて行きますと、たにしの子は馬の上から、馬方うまかたのするとおりかけ声ひとつで、きように馬を進めて行きました。林のまがかどやせまいやぶのなかにかかると、はいどう、はいどう馬を止めて、ゆっくりあるかせます。あぶないはしの上でも溝川どぶがわのふちでも、ほい、ほい、いいながら、ぶじに通りぬけました。そうして、ひろい田んぼみちに出ると、よくすんだ、うつくしい声で、馬子まごうたをうたい出すので、馬もいい気持ちそうに、シャン、シャン、すずらしながら、げんきよくかけ出して行きました。

 田のなかで草をとっていたお百姓ひゃくしょうたちは、馬方うまかたのかげも見えないのに、たわらをつけた馬だけが、のこのこ、畑道はたけみちをあるいて行くうしろ姿すがたを、みんなふしぎそうに見送っていました。







 だれも人のついていない馬が、ひとりであるいてきて、小作こさくのお米を三俵さんびょうもはこび込んできたというので、長者屋敷ちょうじゃやしきの人たちはびっくりしました。するとそれがじつはひとりでなく、ちいさなたにしが、米俵こめだわらのあいだにはさまってついてきて、俵のなかから人間のような声で、

「お米を持ってきたからおろしてください」

と、どなっているのがわかると、よけいびっくりしてしまいました。

「だんなさま、たにしが馬を引いてお米を持ってきました」

と、みんながいってさわぐので、主人の長者ものこのこ出てきました。そのあいだに、たにしの子はひとりではきはき、下男げなんたちにさしずをして、お米を馬からおろして、くらみこませました。そうしてすすめられると、ずんずんお屋敷やしきのまんなかに通って、――といいたいところですがじつはころころころがって行って、ごちそうのおぜんのまえにすわりました。

「どうも、今日はおもてなし、ありがとうございます」

 こういって、ちいさなたにしが、りっぱに、ごあいさつの口上こうじょうをのべたので、長者ちょうじゃ屋敷の人たちも、ほんとうにびっくりしてしまいました。

「いくら水神すいじんさまのおもうでも、こんなりこうな口をきくたにしはめずらしい」

 こうおもって、長者はこのたにしを、いつまでもうちの宝物たからものにしておきたくなりました。そこで、たにしのごきげんをとるつもりで、

「たにしどの、たにしどの、お前さんをうちのむすめのむこにとりたいが、どうだね」

といいました。すると、たにしはまじめな声で、

「それはどうもありがとうございます。ではうちへ帰って、おとうさんとおかあさんに話してみましょう」

といって、さもうれしそうに帰って行きました。

 たにしは帰るとさっそく、両親の百姓夫婦ひゃくしょうふうふにこの話をしました。お百姓ひゃくしょうはおどろいて、長者ちょうじゃところへほんとうかどうか、たずねにきました。長者もいまさら、それはじょうだんだともいえないので、

「ああ、ほんとうだとも。では、ふたりのむすめをよんで、どちらがむすこさんのおよめになるかきいてみよう」

といって、まずあねのむすめをよび出しました。

「かわいいたにしどのを、お前はむこにとりたいか」

 こういうと、姉のむすめは半分もきかずに、

「まあ田のなかのきたない虫っけらなんか」

と、おこった声でいって、たたみをけ立てて出て行きました。

 そこで、こんどは、いもうとのむすめをよび出しました。

「かわいいたにしどのを、お前はむこにとりたいか」

 こういうと、妹のむすめは、

「おとうさんのお約束やくそくなさったことなら、そのとおりにいたしましょう」

と、すなおにこたえたので、とうとう、たにしの子は長者のむこになることになりました。







 長者のむすめは、たにしのおむこさんをだいじにして、その上、たにしのおとうさんやおかあさんにもしんせつにしてやりました。でもこのおむこさんはあまりちいさいので、一緒いっしょに里のおとうさんおかあさんの家へ行くときにはおよめさんはおむこさんをじぶんのおびのあいだに、ちょこなんとはさんで、なかよく話しながら行きました。でも往来おうらいの人には、帯の上におむこさんのいることがわからず、およめさんがぶつぶつひとりごとをいってあるいているように見えるので、みんなふりかえって、ふしぎそうな顔をしました。

 ある日、お天気がいいので、いつものように、帯のあいだにおむこさんをはさんで、およめさんは、お里の両親をたずねに行きました。

 水神すいじんのおやしろの前までくると、たにしのおむこさんは、

「どうも帯のあいだにのせられてばっかりいるのも、きゅうくつになった。すこしおりて休んでいこう」

と、およめさんにいいました。

「ではこの上がきれいで、ひろくっていいでしょう」

と、およめさんはいって、石の鳥居とりいの上に、おむこさんを休ませました。

「ああ、ひろい田んぼが見えて、青青あおあおした空がながめられて、ひさしぶりでいい心持こころもちだ。わたしはここでしばらく日向ひなたぼっこをしているから、そのあいだにお前はお社へおまいりしてくるといいよ」

「それでは、いそいで行ってまいります」

 およめさんは、それから石段をのぼって、おやしろにおさいせんをあげて、ていねいに神さまにおじぎをして、またいそいで、石段をおりて帰って行きました。

 ところで、もとの石の鳥居とりいところまできてみると、そこにちゃんとのっていたはずの、たにしのおむこさんの姿すがたが見えません。鳥居の台石だいいしからころげ落ちたのかとおもって、そこらをきょろきょろ見まわしましたが、それらしいもののかげもかたちも見えません。

 もしやからすが、ついくちばしのさきでつばんで、持って行ったのではないか、どうかしてそこらの田のなかへでも、ころがって行ったのであればいいがとおもって、およめさんは田んぼのなかにはいってみました。春さきのことで田のなかは、水がじくじくわき出していて、田の草のなかから、すみれやげんげの花が、顔を出していました。

 およめさんはよそ行きのきれいな着物が、どろでよごれるのもわすれて、水田すいでんのなかへはいって行きました。そうして、

「つぶ、つぶ、お里へまいらぬか。

 つぶ、つぶ、むこどの、どこへた、

 お彼岸ひがんまいりにさそわれて、

 からすのくちにつつかれな、

 犬の足にふまれるな」

といいながら、田から田へとさがしてまわりました。どこへ行ってもたにしはかずしれずうじゃうじゃころがっていますが、それがあんまりおおすぎて、どれがおむこさんのたにしなのか、かいもく、わけがわからなくなってしまいました。

 およめさんは、それでもあきらめきれないので、あいかわらず、

「つぶ、つぶ、お里へまいらぬか。

 つぶ、つぶ、むこどの、どこへた」

といいいい、さがしてまわるうちに、春の日はいつかれて、もう田んぼのなかはよく見えないのに、からだはどろまみれになってしまいました。すっかりくたびれて、がっかりしきって、泣き顔になって、およめさんは、深い深いどろ田のなかに、いまにもずるずる引きこまれそうになったとき、

「これ、これ、こんなところで、いつまでもなにをしているのだね」

といいながら、いつどこからあらわれたか、光るようなうつくしいわかものが、なみだでかすんでいるおよめさんの目の前に、にっこりわらって立っていました。

 水神すいじんさまのもうでありながら、わけがあって、十年ものながいあいだ、たにしのからのなかにふうじ込められていたのが、きょう、およめさんが水神すいじんさまのおやしろ参詣さんけいして、まごころをこめておいのりしてくれたおかげで、ふうじがとけて、このとおりりっぱなわかものの姿すがたに、かわることができたのです。

 あたりまえの人間同士のおむこさんとおよめさんになったふたりは、あらためて水神さまのお社に、おれいまいりをして、めでたくうちへ帰りました。

 こうして、ちいさなたにしから出世しゅっせしたおむこさんは、たにしの長者ちょうじゃとよばれて、やさしいおよめさんと一緒いっしょに、すえながくさかえましたと、さ。











底本:「むかし むかし あるところに」童話屋

   1996(平成8)年6月24日初版発行

   1996(平成8)年7月10日第2刷発行

底本の親本:「日本童話宝玉集(上中下版)」童話春秋社

   1948(昭和23)~1949(昭和24)年発行

入力:鈴木厚司

校正:林 幸雄

2001年12月19日公開

2011年10月22日公開

青空文庫作成ファイル:

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