魔の退屈 坂口安吾







 戦争中、私ぐらゐだらしのない男はめつたになかつたと思ふ。今度はくるか、今度は、と赤い紙キレを覚悟してゐたが、たうとうそれも来ず、徴用令も出頭命令といふのはきたけれども、二三たづねられただけで、外の人達に比べると驚くほどあつさりと、おまけに「どうも御苦労様でした」と馬鹿丁寧に送りだされて終りであつた。

 私は戦争中は天命にまかせて何でも勝手にしろ、俺は知らんといふ主義であつたから、徴用出頭命令といふ時も勝手にするがいゝや何でも先様の仰有(おっしゃ)る通りに、といふアッサリした考へで、身体の悪い者はこつちへ、と言はれた時に丈夫さうな奴までが半分ぐらゐそつちへ行つたが、私はさういふジタバタはしなかつた。けれども、役人は私をよほど無能といふよりも他の徴用工に有害なる人物と考へた様子で、小説家といふものは朝寝で夜ふかしで怠け者で規則に服し得ない無頼漢だと定評があるから、恐れをなしたのだらうと思ふ。私は天命次第どの工場へも行くけれども、仰有る通り働くかどうかは分らないと考へてゐた。私が天命主義でちつともヂタバタした様子がないので薄気味悪く思つたらしいところがあつた。

 さういふわけであるから、日本中の人達が忙しく働いてゐた最中に私ばかりは全く何もしてゐなかつたので、その代り、三分の一ぐらゐ死ぬ覚悟だけはきめてゐた。

 尤も私は日本映画社といふところのショクタクで、目下ショクタクといふ漢字を忘れて思ひだせないショクタクだから、お分りであらう。一週間に一度顔をだしてその週のニュース映画とほかに面白さうなのを見せてもらつて、それから専務と会つて話を十五分ぐらゐしてくればよいので、そのうちに専務もうるさがつて会はなくともいゝやうな素振りだから、こつちもそれを幸に、一ヶ月に一度、月給だけを貰ひに行くだけになつてしまつた。尤も、脚本を三ツ書いた。一つも映画にはならなかつた。三ツ目の「黄河」といふのは無茶なので、この脚本をたのまれたのは昭和十九年の暮で、もう日本が負けることはハッキリしてをり支那の黄河のあたりをカメラをぶらさげて悠長に歩くことなど出来なくなるのは分りきつてゐるのに、脚本を書けと言ふ。思ふに専務は私の立場を気の毒がつたのだらうと思ふ。何もせず、会社へも出ず、月給を貰ふのはつらい思ひであらうと察して、こゝに大脚本をたのんだ次第に相違なく、小脚本ではすぐ出来上つて一々面倒だからといふ思ひやりであつたに相違ない。専務と私には多少私事の関係があるのだが、それは省くことにしよう。

 黄河ををさめる者は支那ををさめると称されて黄河治水といふことは支那数千年の今に至るも解決しない大問題だ。支那事変の初頭に作戦的に決潰(けっかい)して黄海にそゝいでゐた河口が揚子江へそゝいでゐる。これを日本軍が大工事を起してゐるのだが、これが映画の主題で、この方は私に関係はない。私のやるのはその前編で、黄河とは如何なる怪物的な性格をもつた独特な大河であるかといふ、歴史的地理的な文化映画の脚本なのである。

 おかげで私は黄河に就ては相当の勉強をした。本はたいがい読んだ。立教大学の構内に亜細亜(アジア)研究所とかいふものがあり、こゝに詩人で支那学者の、これが又、名前を忘れた、私は三好達治のところで一度会つたことのある人で、信頼できる支那学者であることをきいてをり、亜細亜研究所にこの詩人がつとめてゐるときいたので、訪ねて行つて教へを乞うた。支那学者が他に数人ゐて、あいにく黄河に就て特に調べてゐるといふ専門家はゐなかつたが、ともかくこゝで懇切な手引を受けて、それから教はつてきた本を内山に山本といふこれも教はつた二軒の支那専門の本屋で買つて読みだしたのである。

 又、会津八一先生が、たぶん創元杜の伊沢君からきいてのことゝ思ふが、私が黄河を調べてゐることをきいて、私を早稲田の甘泉園といふところへ招いて、こゝには先生の支那古美術の蒐集があるのだが、黄河に関する支那の文献に就て教へていたゞいた。尤もこの方は支那の本だから、私には読む学力もないので、本の名を承つたといふだけで敬遠せざるを得なかつた。

 実現の見込みのない仕事、つまり全然無意味なことをやれと云つても無理である。私はつくづく思ひ知つた。これが小説なら敗戦後も十年二十年たつたあとでは出版の見込もあるかも知れず、死んだあとでもといふ考へも有りうるけれども、支那の映画などゝは全然無意味で、敗戦と共に永遠に流れて消える水の泡にすぎない。水の泡をつくれと云つても無理だ。尤も黄河の読書はたのしかつた。殆ど毎日のやうに私は神田、本郷、早稲田、その他至るところの古本屋を廻り歩いて本をさがし、黄河以外の支那に就ても書く為には読みすぎるほど読んだけれども、まつたく脚本を書く気持にはならない。硫黄島が玉砕し、沖縄が落ち、二ヶ月に一度ぐらゐ専務に会ふと、そろそろ書いてくれ、と催促されるが、もとより専務は会社内の体裁だけを気にしてゐるので、撮影が不可能なことは分りきつてゐる。けれども専務の関心が専ら会社内の形式だけであることが一さう私にはつらいので、ともかく月給を貰つてるのだから書かねばならぬと考へるが、さういふ義務によつて全然空虚な仕事をやりうるものではない。月給の半分は黄河の文献を買つてるのだからカンベンしてくれ、と私は内心つぶやいて私の怠慢を慰めてゐた。

 私の住居は奇妙に焼残つてゐた。私は焼残るとは考へてゐなかつたので、なぜなら私の住居は蒲田にあり、近くに下丸子の大工場地帯があつて、こゝはすでに大爆撃を受けてゐた。受けたけれども被害はたつた一つの大工場とそのそれ弾の被害だけで、まだその外に十に余る大工場がある。一つの工場が二時間の爆撃だから、先づザッと二十時間かと私は将来の爆撃にうんざりしてをり、そのそれ弾の一つや二つは私の家に落ちるものだと思つてゐた。

 したがつて私は昼間の編隊爆撃がこの工場地帯と分つたら五百米(メートル)でも千米でも雲を霞と逃げだす算段にしてをり、兼々(かねがね)健脚を衰へさせぬ訓練までつんでをり、四米ぐらゐの溝は飛びこすことも予定してゐた。それほど死ぬことを怖れながら、私は人の親切にすゝめてくれる疎開をすげなく却(しりぞ)けて東京にとゞまつてゐたが、かういふ矛盾は私の一生の矛盾であり、その運命を私は常に甘受してきたのである。一言にして云へば、私の好奇心といふものは、馬鹿げたものなのだ。私は最も死を怖れる小心者でありながら、好奇心と共に遊ぶといふ大いなる誘惑を却けることができなかつた。凡そ私は戦争を咒つてゐなかつた。恐らく日本中で最も戦争と無邪気に遊んでゐた馬鹿者であつたらうと考へる。

 私は然し前途の希望といふものを持つてゐなかつた。私の友人の数名が麻生鉱業といふところに働いてをり(これは例の徴用逃れだ)私は時々そこを訪ねて荒正人と挨拶することがあつたが、この男は「必ず生き残る」と確信し、その時期が来たら、生き残るためのあらゆる努力を試みるのだと力み返つてゐる。これほど力みはしなかつたが平野謙もその考へであり、佐々木基一もさうで、彼はいち早く女と山奥の温泉へ逃げた。つまり「近代文学」の連中はあの頃から生き残る計画をたて今日を考へてをつたので、手廻しだけは相当なものであるが、現実の生活力が不足で、却々(なかなか)予定通りに行かない。手廻しの悪い人間でも、現実に対処する生活力といふものは、知識と別で、我々文学者などゝいふものはイザとなると駄目なものだ。蒲田が一挙に何万といふ強制疎開のときは箪笥が二十円で売られたもので、これを私からきいた荒正人はすぐにも蒲田へ駈けつけて箪笥を買ひたさうな顔だつた。つまり彼は生き残る確信に於て猪の鼻息のやうに荒かつた。

 私には全くこの鼻息はなかつた。私は先見の明がなかつたので、尤も私は生れつき前途に計画を立てることの稀薄なたちで、現実に於て遊ぶことを事とする男であり、窮すれば通ず、といふだらしない信条によつて生きつゞけてきたものであつた。佐々木君や荒君は思想犯で警察のブタバコ暮しを余儀なくされて出てきたばかりであつたから、生きぬいて自分の世界をつくりたいといふ希願が激しいのは当然でもあり、荒君は「石にかぢりついても」どんな卑劣な見苦しいことをしてでも必ず生き残つてみせるのだと満々たる自信をもつて叫んでゐた。荒君は元来何事によらず力みかへつてしか物の言へないたちなのだが、空襲の頃から特別力みだしたのは面白い。空襲に吠える動物の感じで、然しあんまり凄味のある猛獣ではなささうで、取りすまして空襲を見物してゐる私自身の方がよつぽどたちの悪い、毒性のある動物のやうな気がしてゐた。

 平野謙が兵隊にとられたのもその頃のことで、彼も亦どんなことをしても玉砕しないで生きて帰つてくるよと育つてゐたが、私が彼を東京駅前で見送つて、くだらん小説を読むより戦争に行く方が案外面白いぜ、と言つたら、人のことだと思つて! と横ッ腹をこづかれた。尤も彼は要領よく軍医をごまかして十日目ぐらゐで兵営から放免されてきた。

 ともかく彼等はそのころから言ひ合して敗戦後の焦土の日本でどんな手段を弄し奇策悪策を弄してでも生き残つて発言権をもつ立場に立たうといふことを考へてゐたやうである。尤も彼等は特に意識的にそれを言つてゐるだけで、国民酒場に行列してゐるヨタ者みたいの連中でも内心はみな自分だけ生き残ることを確信し、それぞれの秘策をかくしてゐる様子でもあつだ。

 私は生き残るといふ好奇心に於ては彼等以上であつた。たいがい生き残る自信があつた。然し私はトコトンまで東京にふみとゞまり、東京が敵軍に包囲されドンドンガラガラ地軸をひつかき廻し地獄の騒ぎをやらかした果に白旗があがつたとき、モグラみたいにヒョッコリ顔をだしてやらうと考へてゐた。せつかく戦争にめぐり合つたのだから、戦争の中心地点を出外れたくなかつたのである。これも亦好奇心であつた。色々の好奇心が押しあひへしあひしてゐたが、中心地点にふみとゞまることゝいふ好奇心と、そこで生き残りたいといふ好奇心と、この二つが一番激しかつたのである。死んだらそれまでだといふ諦めはもつてゐた。

 私は書きかけの小説を全部燃した。このためにあとで非常に困つたけれども、私はすくなくとも十年ぐらゐは小説などの書けない境遇になるだらうと漠然と信じてゐたので、燃した方があとくされなく、あつちこつち身軽に逃げて廻れると思つたのである。真夏ではあつたが、二度、原稿抵の反古(ほご)だけで風呂がわいた。

 私は空襲のさなかで三日にあげず神田などで本を買つてきた。友人達は呆れて、どうせ焼けるぢやないか、と言つたが、私は浪費せずにゐられぬ男なので、酒がのめなくなり、女遊びもできなくなり、本でも読む以外に仕方がないから本を読んでゐたので、私は然しどんな空襲のときでもその本を持ちだしたことはない。何一つ持ちだしたことがない。人から預つた人の物だけ出してゐた。

 実際よく本を読んだ。みんな歴史の本だつた。ところが、その歴史が全く現実とひどく近くなつてゐた。見たまへ、第一、夜の光がないではないか。交通機関の主要なものが脚になつた。けれども、さういふことよりも、人間の生活が歴史の奥から生れださうとする素朴な原形に還つてゐた。酒だのタバコで行列する。割込む奴がある。隣組から代表をだして権利を主張する奴がある。権利とか法律といふものは、かうしてだんだん組織化されてきたのだらうと思つた。むかし「座」といふものがあつた。職業組合のやうなものであるが、さういふ利益をまもるための、個人が組合をつくつたり、権利を主張したりするその最も素朴な原形が、我々の四周に現に始まつてゐるのだ。空襲下の日本はすでに文明開化の紐はズタズタにたち切られて応仁の乱の焦土とさして変らぬ様相になつてゐる。供出といふ方法も昔の荘園に似てきたが、やつぱり百姓は当時から米を隠したに相違ない。原形に綺麗なものは何もない。我利々々の私慾ばかりで、それを組合とか団体の力で自然にまもらうとするやうになる。

 歴史の流れの時間は長いが、しかしその距離はひどく短いのだといふことを痛感したのである。行列だの供出の人の心の様相はすでに千年前の日本であつた。今に至る千年間の文化の最も素朴な原形へたつた数年で戻つたのである。然し、又、あべこべに、と私は考へた。組み立てるのも早いのだ。千年の昔の時間をまともに考へる必要はない。十年か二十年でたくさんなのだ、と。だから私は敗戦後の日本がむしろ混乱しうる最大の混乱に落ちて、精神の最大のデカダンスが来た方がいゝと思つた。中途半端な混乱は中途半端なモラルしか生みだせない。大混乱は大秩序に近づく道で、そして私は最大の混乱から建設までに決して過去の歴史の無意志の流れのやうな空虚な長い時間は必要でない、と信じることができたからであつた。

 それにしても、これほど万事につけて我利々々の私慾、自分の都合ばかり考へるやうになりながら、この真の暗闇の中で泥棒だのオイハギの殆どないのは、どういふわけだらう、私の関心の最大のこと、むしろ私の驚異がそれであつた。最低生活とは云へ、みんなともかく食へるといふことが、この平静な秩序を生んでゐるのだと思はざるを得なかつた。又、金を盗んでも、遊びといふものがないから、泥棒の要もないのだ。

 働く者はみんな食へる、貧乏はない、といふことは此の如く死の如く馬鹿阿呆の如く平穏であることを銘記する必要がある。人間の幸福はそんなところにはない。泥棒し、人殺しをしても欲しいものが存在するところに人間の真実の生活があるのだ。

 戦争中の日本人は最も平和な、恐らく日本二千何百年かの歴史のうちで最も平穏な日本人であつた。必ず食ふことができ、すべての者が働いて金を得ることができ、そして、たつた一人のオイハギすらもゐなかつた。夜は暗闇であり、巡査は殆どをらず、焼跡だらけで逃げれば捕まる恐れはなく、人間はみんな同じ服装をして特徴を見覚えられる恐れもなく、深夜の夜勤の帰りで不時の歩行が怪しまれず、懐中電燈の光すら後を追うてくる心配がない。あらゆる泥棒人殺しの跳梁する外部条件を完備してをりながら、殆ど一人の泥棒もオイハギも人殺しもなかつたのである。それで人々は幸福であつたか。つまり我々は虚しく食つて生きてゐる平和な阿呆であつたが、人間ではなかつたのである。

 完全な秩序、犯罪に関する限りほゞ完全な秩序が保れてゐた。愛国の情熱がたかまり、わいてゐるやうだつた。なんといふ虚しい美であらうか。自分の家が焼けた。何万何十万の家が焼け、さして悲しみもせず、焼跡をほじくつてゐる。横に人間が死んでゐる、もう、振りむきもしない。鼠の屍体に対すると同様の心しか有り得なくなつてゐた。かやうに心が痲痺して悪魔の親類のやうに落ぶれた時がきてゐても、食ふことができて、そしてとりわけ欲しい物もないときには、人は泥棒もオイハギもしないのだ。欲しいものはせい/″\シャツか浴衣ぐらゐで、まるで自分の物と同じ気持でちよつと風呂屋で着かへて出てくるくらゐのことはするが、本心は犯罪に麻痺し落ちぶれきつてゐながら、泥棒もオイハギもやらない。単なる秩序道徳の平静のみすぼらしさ、虚しさ、つまらなさ。人間の幸福はそこにはない。人間の生活がそこにない。人間自体がないのである。

 もとより私自身が完全にその阿呆の一人であつた。最も虚しい平静な馬鹿者だつた。女を口説きもした。恋らしいものを語りもした。女自体が、どうせ戦争でめちやくちやになるのだと私よりもヤケクソに考へて、その魂は荒廃の最後のものにきてをりながら、彼女はそれを気付かない。彼女はアヒビキのときは晴着のモンペをきてきたが、その魂の荒廃は凡そ晴着には似合はぬものだ。

 私が日映へたまにでかけると、専務の部屋は四階にあるのだが、エレベーターがなくなつたので三尺ぐらゐの幅の細い階段を登つて行くと、ブルースをだらしなく着て下駄をガチャ/\ひきずつた男の事務員が、これも汚いモンペに下駄の女事務員と肩を組み、だらしなく抱きあひながら私の前を登つて行く。三尺後から私が歩いてゐることなどは平気であつた。それが荒廃した魂の実相なのであり、虚しい平和の実相なのである。凡そ晴着などとは縁のない魂で、そして、明日の希望といふものゝ一つのかすかな光の影の裏打も有り得ない。

 私の毎日々々の妙に熱のこもつた読書は、その魂の読書であつた。晴着のない魂に、然し、私はたゞ冷かな鬼の目で、歴史といふもの、人間の実相の歩いた跡を読んでゐた。女と会ひ、抱きあふ時も、冷やかな鬼の目だけで、その肉体をむさぼつてゐるばかりであつた。鬼はむさぼるだけだ。奇妙に情熱的ではあつた。すると女の方がまた私よりも一そう情熱的で、冷やかであつた。一そう荒廃した鬼であつた。

 なんといふことだらう、と私は思つた。けれども、それはこの女だけには限らない。国民酒場ではギャング共が先頭を占領してゐるのだが、そのかみのタバコの行列では、隣組のオカミサン共がさらに悪どく先頭を占領して権利の独占を当然としてをり、ギャングの魂も良民の魂も変りはなく、地の利を得ない人間が行列の後でブツ/\言ふだけで、地の利を得ず天の時を得ないだけが相違であつて、魂は日本中なべて変るところなくギャングの相を呈してゐた。底をわれば、すべてがギャングであつた。

 私は蒲田が焼野原になるまで毎日碁会所へ通勤してゐた。虱のうつる難はあつたが、ともかく、私は、読書と、碁会所だけが生活で、たまに女とあひびきしたといふだけだ。

 二十三四の青年で、見るから病弱さうなのが毎日この碁会所へきてゐたが、田町(たまち)辺の工場の事務員で、ひどい反戦思想をもち、徹底的に軍の潰滅と敗北を信じ、共産主義を愛してゐた。純真な青年で、自分の利慾よりも、人を愛す魂をもつてゐた。いつかドシャ降りの雨のとき、自分の外套をどうしても私にきせ、自分は濡れて帰らうとするのである。人を疑らず、人の苦しみを救ふために我身の犠牲を当然とするこの青年の素直な魂は私は今も忘れることができない。

 焼野原になつた後で、偶然、駅で会つた。青年は食事が充分でないらしく、顔はひどく蒼ざめてをり、暁跡のたつた一軒のバラックの行列が寿司屋の行列であることが分ると、私に別れてその行列に加はりに去つた。青年の家は焼けたのである。私はそのときよほどこの青年に私の家へきたまへ。部屋もたくさんあるし家賃などもいらないから、と言はうと思つた。青年には一人の年老いた母があるのである。私はそれも知つてゐた。けれども言ふことができなかつた。この青年の魂が美しすぎ、私を信じすぎてをり、私はそれを崩すに忍びなかつたからである。

 私自身がギャングであつた。私の魂は荒廃してゐた。私の外貌は悠々と読書に専念してゐたが、私の心は悪魔の国に住んでをり、そして、悪魔の読書といふものは、聖人の読書のやうに冷徹なものだと私は沁々(しみじみ)思ひ耽つてゐたのである。

 悪魔といふものは、たゞ退屈してゐるものなのである。なぜなら、悪魔には、希望がなくて、目的がないのだ。悪魔は女を愛すが、そのとき、女を愛すだけである。目的らしいものがあるとすれば、破壊を愛してゐるだけのことだ。

 私は美しいものは好きである。あるとき食堂の前で行列してゐたら工場からの帰りの上品なお嬢さんが「食券がいるのでせうか」と私にきいた。戦争といふものがなければこんな苦しみを知る筈のない娘であつた。私は困惑する娘に食券を渡して逃げてきたが、私は時々かういふオッチョコチョイなことをやる。何も同情する必要はないではないか。一人の人への同情は不合理なものであり、一人の人へ向けられる愛情は男と女の二人だけの生活のためにのみ向けられるべきである筈である。さもなければ、あらゆる女に食券をやるべきだ。あの可愛い娘は空襲で死んだかも知れず、淫売になつたかも知れない。それはあの娘自体が自らやりとげ裁かねばならぬ自分だけの人生なので、私の生活とその人の生活と重なり合ふものでない限り、路傍の人であるのが当然で、キザな同情などは止した方がよろしいのだ。気の毒なのは人間全部で、どこに軽重がある筈もない。

 けれども私は駄目なので、これは私の趣味であつた。人は骨董や美術や風景を愛すけれども、私は美しい人間を趣味的に愛してゐるので、私は人間以外の美しさに見向きもしないたちなのだ。

 そして、さういふ美しさを愛す私も、やつぱり単に悪魔的で、悪魔的に感傷的であるにすぎなかつた。私はあとは突き放してゐるのだ。どうにでも、なりたまへ。私はたゞ私の一瞬の愉快のために、あなたを喜ばせ、びつくりさせ、気に入られようとしてゐるだけだ。尤も、気に入られる代りに薄気味悪く思はれるかも知れないが、それはどうでも構はないので、私はたゞ私自身の満足があるだけでいゝのである。

 私は全然無意味な人にオゴつてやつたり、金をやつたり、品物をやつたりする。さういふ気持になつたとき、その気持を満足させてゐるだけのもので、底でこれぐらゐ突き放してゐることはないのである。これはまつたく悪魔の退屈なので、あの青年に宿をかし得なかつた如き、私は元来、時間的にやゝ永続する関係には堪へられないといふ意味も根強いのであつた。

 女は晴着のモンペをつけてアヒビキにでかけてくるくせに、魂には心棒がなく、希望がなく、たゞその一瞬の快楽以外に何も考へてゐないだらしなさだつた。何のハリアヒも持つてゐなかつた。そしてたゞ快楽のまゝに崩れて行く肉体だけがあつた。

「あなたはむづかしい人だから、あなたと結婚できないわ」

 と女はいつも言つた。さうだらう、女にはハリアヒといふものが心にないのだから、多分、多少とも物を考へる男の心が、みんなむづかしく見えて、なじみ得ないのであらう。女はひどく別れぎはが悪くて、停車場まで送つてやると、電車がきても何台もやりすごして乗らず、そのくせ、ニヤ/\してゐるばかりで、下駄でコツ/\石を蹴つたり包みをクル/\廻したりしながら、まつたくとりとめのないことを喋つてゐる。さうかと思ふと、急にサヨナラと云つて電車に乗つてしまふ。何も目的がないのだ。

 この女はたゞ戦争に最後の大破壊の結末がきて全てが一新するといふことだけが願ひであり、破壊の大きさが、新たな予想し得ない世界への最大の味覚のやうであつた。

 女は私の外に何人の恋人があるのか私は知らなかつた。私一人かも知れなかつた。時々風のやうに現れた。私は訪ねなかつた。

「あなたのところ、赤ガミが来ないのね」

「こないね」

「きたら、どうする」

「仕方がないさ」

「死ねる」

「知らないね」

 凡そ愚劣な、とりとめのない話ばかりである。第一、女自身、何を喋つてゐるのだか、鼻唄をうたつてゐるのと変りがなくて、喋らないわけにも行かないから、何となく喋つてゐるだけのことなのである。私が又、まつたく同様であつた。むしろ言葉の通じない方がどれくらゐアッサリしてよろしいか分らないのだ。

 女の顔はいつも笑つてゐる。ひどく優雅で上品な顔なのだが、よくまアこんなにハリアヒのない心なのだらう、と、私は女の笑ひ顔を見ていつもそればかりしか考へないが、女は又馬耳東風でたゞ笑つてゐるだけのことである。

「黄河の脚本、かいた?」

「書かないよ」

「なぜ?」

「書く気にならないからさ」

「私だつたら、書く気になるけどな」

「あたりまへさ。君はムダなことしかやれない女なのだ」

 女は馬耳東風だ。たゞ、相変らず微笑をうかべてゐるだけ。人の言葉など、きいてやしないのだ。何も考へてゐないのだ。

 私は然しその魂をいぢらしいと思つてゐた。どん底を見つめてしまつた魂はいぢらしい。それ以外には考へられない当時の私であつた。

 だから私は荒正人や平野謙を時々ふいに女の笑顔を眺めながら思ひだしてゐた。特別私が忘れないのは荒正人の「石に噛(かじ)りついても」といふまるで歯ぎしりするやうな口に泡をためた表現と、二十円の箪笥のいくつかを今にも蒲田へ駈けだして買ひたさうな精力的な様子とで、荒君はほんとにさういふものが後日役に立つ生活を自信をもつて信じてゐる。この女のハリアヒのない微笑とは全く逆で、それは全く、私にとつては思ひがけない世界であつた。

 私はかう思つた。荒君、平野君らはどうも小説の中の人物に良く似てゐる。だいたい、小説を読みすぎる連中である。あゝいふ考へ方や言ひ方は、現実的であるよりも、小説的で、彼等の足は土をふんでゐるのでなしに、トルストイとかドストエフスキーとかを踏んでゐるのではないのか。彼等はいつたい女房とどんな話をし、私には彼等が女房に言ふ言葉は分るけれども、女房の方の返事はどうだらう?

 尤も、荒君、平野君ばかりではない。小説家、批評家、インテリの多くは地方へ疎開して、日本の最後の運命を待ち、自分の生命を信じてゐる。

 けれども狭い日本のことで、どこへ逃げてみても、第一どこから敵が上つてくるのだか、それすらもしかとは分らない。私には、どうも荒君の確信が不思議でならなかつた。あんなに口に泡をため歯ぎしりのやうに力をこめて「石に噛りついても」といふ確信の根拠が信じられないのだ。つまり荒君は非常に現実家のやうだが、根柢的には夢想児なので、平野君とて、やつぱりさうだ。俺だけは玉砕せずに手をあげて助かつて帰つてくる、といふ、ひどく現実的な確信のやうだが、戦争といふ全く盲目的、偶然的、でたとこ勝負の破壊性のこの強烈巨大な現実性を正当に消化してゐない観念的な言葉のやうな気がした。こつちの意志だけではどうすることも出来ない現実である。

 戦争の場合だけではない。だいたいに荒君らが考へてゐる人間への映像が甘すぎるのだと私は思ふ。つまり魂のデカダンスと無縁なのであり、人のことを考へるが、自分自身の魂と争ふことがないのだと私は思つた。先のことを考へても、本当に今の現実と争ふこと、つまり現実と魂とが真実つながる関係がないのである。

 私は女のハリアヒのない微笑の上から、いつも荒君の歯ぎしりを思ひだし、敵が上陸して戦争が始つてから、荒君がどんなことをやるか、をかしくて仕方がなかつた。幸ひ上陸が行はれず思ひがけない結末がきて、荒君は予定通りの計画に乗りだしたけれども、この結末の方が偶然で、本当の現実は「石に噛りついても」生きられる性質のものであつたかどうか疑問だと思つてゐる。そして現実をむしろ夢想をもつて眺めて、どんな卑劣なことをしても生きぬいてみせると悪魔の如く吠えることを好んだ荒君は、私にはハリアヒのない女の笑ひ顔よりも却つて現実の凄味や厳しさが感じられなかつた。女のハリアヒのない笑顔の中には、悪魔の楽天性と退屈とがひそんでゐたやうに思ふ。

 私は六月の中頃だらうか、もう東京が焦土になつてのち、勇気をふるつて「黄河」の脚本を書いた。脚本などとは名ばかりの荒筋のやうなもので、半年以上数十冊の読書の果にたつた二十枚の走り書であつた。もちろん一夜づけであつた。たゞ厄をのがれるといふだけの、然し、この厄をのがれるためにその半年如何に重苦しく過したか、私は新聞で日映の広告のマークを見ただけでゾッとした。

 人間は目的のない仕事、陽の目を仰ぐ筈がないと分りきつた仕事をすることが如何に不可能なものであるか、厭といふほど思ひ知つた。

 まつたく不可能なのである。私は遂に脚本を書いたが、これは正当な仕事ではないので、たゞ重苦しさの厄をのがれるためといふだけの全然良心のこもらぬ仕事であつた。だいたい、あの戦争の荒廃した魂で、私に仕事のできる筈はない。書きかけの原稿を焼いた私は、私自身の当然な魂を表現してゐたのである。私はたゞ退屈しきつた悪魔の魂で、碁にふけり、本を読みふけり、時々一人の女のハリアヒのない微笑を眺めて、ただ快楽にだらしなくくづれるだけの肉体をもてあそんだりしてゐただけだつた。


底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房


   1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行

底本の親本:「太平 第二巻第一〇号」時事通信社

   1946(昭和21)年10月1日発行

初出:「太平 第二巻第一〇号」時事通信社

   1946(昭和21)年10月1日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。

入力:tatsuki

校正:深津辰男・美智子

2009年7月8日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。






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