原爆回想 原民喜




 私の父は四十年前に一度、家を建てたのだが、たま/\地震があって、少し壁や柱にすき間が出来ると、神経質の父は早速その新築の家をとり壊して、今度は根底から細心の吟味を重ねて非常に岩乗な普請にした。二階建の家だが、下の間数が多いのに、上はたった二間しかなく、遠くから眺めるとちょこんと二階が屋根の上にのっかっているような家だった。私は子供の時から、母にこのことをきかされると、いつも亡父の眼ざしが家の隅に残っているような感じがしたものだ。

 ところが、この亡父の細心さが四十年後、私の命を救ったのだ。私と妹とはあの八月六日の朝、家のなかにいたため、軽い傷だけで助った。附近の家屋はすべて倒壊したのに、あの家ばかりは二階も落ちず、床もそのまゝ残っていたのである。

 私は前から空襲が非常に怖かったので、爆撃の瞬間には気絶か発狂でもしはすまいかと心配だったところが、あれはまるで思いがけない瞬間にやって来た。その朝、私が便所にいると突然、頭上に暗黒が滑り墜ちたのだった。やがて眼の前の暗闇が薄れて、あたりの様子が見えてくると、すぐに私の気持ははっきりして来た。壁の落ちて畳の散乱した床の上をのそのそ歩いていると、そこへ妹が駈けつけて来た。妹はかなり興奮していたようだが、気丈夫なところがあった。この元気な姿を見て私は一層気持がはっきりした。

 私は自分が全裸体でいるのに気づいて苦笑した。何か着るものはないかと妹を顧ると、妹は壊れた押入から、うまくパンツを見つけて渡してくれた。それから彼女は鋏や布きれを忙しげにとりだしていた。妹はその布きれで店員たちの負傷を手当してやったのだそうだ。

 私は身につけるものや、持って逃げるものを見つけ出そうとしていろんな品物の滅茶苦茶に散乱しているなかを探しまわった。上衣や帽子や水筒は見つかったが、ずぼんは出て来なかった。女下駄が一足あったので手にとってみたがそれはすぐ捨てた。昨夜まで読みかけていた書物も見つかったが、それも見捨てた。座蒲団は一枚小わきにかかえた。これはその日、川の水に浸して頭にかぶり、火炎の熱さを防ぐのに役立った。

 縁側の畳をはねあげてみると、持逃げ用カバンが見つかったので私は吻とした。ふとその時私は何か幸運にでもありついたように嬉しかった。それは肩からかける雑嚢なのだが、そのなかには緊急な品々が手際よく詰めてあった。その頃、私はもう逃亡の訓練には馴れていたが、こんな細心な準備ができていたのは、これは一年前に死別れた妻の細心なやり方が絶えず私に作用していたためだろう。

 その雑嚢のなかに詰めておいた品物の名をここに列挙すると

 繃帯、脱脂綿、メンソレータム、ヒロポン、ズルファミン剤、オートミイルの缶入、炒米、万年筆、小刀、鉛筆、手帳、夏シャツ、手拭、縫糸、針、ちり紙、煙草、マッチ、郵便貯金通帳、ハガキ、印鑑

 これだけが、うまく詰めこんであった。かねて私は水の中に飛込んだりすることも計算に入れて、タバコは湿らないために味の素の小缶のなかにマッチと一緒に密閉しておいた。家の附近が燃えだしたので、私は川の方へ逃げて行った。泉邸の裏の川岸へ来てみると兄も妹も来ていた。近所の知った人の顔もかなり見かけられた。私はタバコをとりだして、前に悄然と立っている隣組長にすすめた。彼はさきほど自宅で長男の死体を見とどけて来たばかりのところだった。向岸はさかんに燃えつづけていた。私は川岸に腰をおろすとヒロポンを五粒飲んでおいた。

 上流から玉葱の函が流れて来た。鉄橋の上で転覆した貨車から放り出されたものである。私は水際へおりて行って、函を引よせては、中の玉葱を岸の上の人に手渡した。夕方になると、こちらの岸が燃えだしたので、火の鎮まっている向岸の砂原に私たちは移って行った。ここでは、もう焚火をして夕餉の米を煮いているものもあった。私の拾った玉葱も、瓦の上で焼いて食べられた。私の雑嚢のなかの品物がここでも役立った。腕を怪我している近所の老人の手当に、私はメンソレータムや繃帯をとり出した。

 次兄の家の女中は顔にひどく火傷していたが、私はその姿を見ると、オリイブ油の瓶を雑嚢に入れておかなかったのが残念だった。前から私はオリイブ油の小瓶をいつも上衣のポケットに入れていた。上衣はその朝拾えたのだが、瓶はあの瞬間どこかへ飛んでしまったのだろう。

 私たちはその翌日、東照宮の境内に避難して行つた。妹は私がズルファミン剤をもっていることを知ると、それを今服用しておいた方がいいのではないかと頻りにすすめる。そこで、私たちは念のためにそれを飲んでおいた。これも後になって考えてみると、原子爆弾症の予防になったのかもしれないようだ。

 私たちはその日の夕刻頃には、みんなもう精魂つきて、へとへとになっていた。私はオートミイルの缶をあけて、それを妹に焚かせて、みんなに一杯ずつ配らせた。すると次兄は、「ああ、こんなにおいしいものが世の中にあるのか」と長嘆息した。このミルクと砂糖の混っているオートミイルの缶は、用意のいい亡妻がずっと以前に買って非常用にとっておいた秘蔵の品である。この宝が衰えきった六人の人間を一とき慰めてくれたのである。


底本:「日本の原爆文学1」ほるぷ出版


   1983(昭和58)年8月1日初版第一刷発行

入力:ジェラスガイ

校正:大野晋

2002年9月20日作成

2003年5月21日修正

青空文庫作成ファイル:

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