わたしは刑務所を見にゆくと云うことは初めてのことです。早い朝の汽車のなかで、わたしは呆(ぼ)んやり色々のことを考えていました。
この刑務所をみにゆくと云うことは、本当は一ヶ月前からたのまれていたのですけれど、何だか自分の気持ちのなかに躊躇(ちゅうちょ)するものがあって、のびのびに今日まで待ってもらっていたのです。
朝の汽車はたいへん爽(さわや)かに走っています。野も山も鮮やかな緑に萌(も)えたって、つつじの花の色も旅を誘うように紅(あか)い色をしていました。わたしは、その一瞬の飛んでゆく景色にみとれながら、女囚のひとたちをみにゆく自分の気持ちを何だか残酷なものにおもいはじめているのです。わたし自身、人間的な弱点をたくさん持っていますせいか、ほんとうはこうした刑務所見学なんか困った気持ちになるのです、こうしたほのぼのとした景色から長い間別離されてしまって、ある運命の摂理のなかにいる女囚のひとたちのことを、わたしはどんな風にみればよいのかと、そんなことばかり不安に考えていました。
栃木の町には朝十一時頃着きました。
駅へは教誨師(きょうかいし)の方だと云う若い女のひとがわたしたちを迎えに来ていて下さったのですが、この方から貰った名刺には、栃木刑務所勤務、教誨師、大西ヤスエと書いてありました。こんな若いひとが教誨なさるのかと、わたしはちょっと明るい気持ちで、お迎えの自動車に乗ったのですけれど、自動車にゆられながらも、わたしは何か自分自身にも頼りないものを感じているのです。
白く反射した明るい栃木の町は、たいへん素朴な町におもえました。宿屋だの、バスの発着所だの、小さな飲食店だの、自働電話だの、わたしは自動車の窓から、これらの町の景色を眺めていましたが、案外なことには、駅から刑務所までは五分とかからないところにあって、刑務所の玄関は、まるで明治のころの弁護士の家でもみるようです。いわゆる刑務所の概念をもってきたわたしには、意外にもなごやかな門構えだったのに吃驚(びっくり)してしまいました。灰色の鉄門を這入(はい)ると、古い木造建ての建物があるのですけれど、正面の広い部屋には教誨師の方が沢山いられるようでした。─看守長の須田安太郎氏の御案内で、やがてわたしは二、三人の女の教誨師の方たちと、女囚の生活をみてまわったのですけれど、ここでもわたしは駅の前で眼をまぶしくした、あの太陽の白い反射をふっと獄窓(ごくそう)のなかに眺めることが出来たのです。お陽(ひ)さんが流れるように射しこんでいます。わたしは溢(あふ)れるような自然の愛情を感ぜずにはいられませんでした。
囚房の建物の入口は厚い板戸になっていて、大きな南京錠(なんきんじょう)がかかっています。なかへ這入ると、広い廊下を真中にして、左右二列に太い格子のはまった小さい独房(どくぼう)の部屋々々があって、わたしは何だかそれらの部屋々々をカナリヤ巣をみているようだとおもいました。どの部屋にも割合よく陽があたっていて、廊下より一段高くなっている房のなかは、どの部屋も畳敷(たたみじ)きで、三畳ばかりの部屋の隅(すみ)の小さい戸棚には、土瓶(どびん)だの茶碗だの、書籍なんかが置いてありました。如何(いか)にも女囚の部屋らしく、何もかもきちんと整理してあります。もうみんな仕事に出ているのらしく、わたしはここの独房の部屋では、子供をおぶったひとと二人連れでのしをつくっているおばあさんときりしかみませんでした。空(あ)いた部屋々々には、正信偈和讃(しょうしんげわさん)と云う小さい赤表紙の宗教書が置いてありました。広い廊下の四辻のところには、ラヂオが高い処に置いてあったし、小さい黒板には、涙は人生を救う、汗は貧を救うと云う文字が書いてあったりしました。
涙は人生を救うと云う文字をわたしは暫(しばら)くながめていましたが、このなかにいる女性たちは、自分の罪の前に、毎日々々どんなに泣いてあけくれを迎えていることだろうと、潸々(さんさん)と涙をながしている女囚のひとたちの深い傷痕(きずあと)がおもいやられて来るのです。いったい、女性が罪を犯すなんて、どうした罪をここでは問われているのだろうと、わたしはこの女性たちの犯罪を不思議に考えるのでした。男のするような、詐欺(さぎ)師だの、強盗だの、大山師だの、わたしは女性の犯罪としてこれらのことをすこしも考えることが出来ないのですけれども、ここでみせて貰った、現犯時の年齢と罪名(ざいめい)と云う統計書には、殺人が二十三人もあり、詐欺が十六人もあるのです。しかも一番多い犯罪としては、四十四人の放火と、六十八人の窃盗(せっとう)罪です。
幸福なあなたたちは、こんな罪のひとたちをどんなふうにお考えでしょう。わたしは、獄内をまわりながら、働いているその人たちを見るにしのびない苦しいものを感じました。同性の故かもしれません。これらのひとたちは、罪に服していると云う気持ちのせいか、案外明るい感じでしたけれど、そのひとたちと違う服装のわたくしを見て、そのひとたちは気持ちを悪くしやしないかしらと、わたしはそんな負目(おいめ)さえ感じて、みんなをじろじろみる事がどうしても出来ない気持ちなのです。
わたしがここで一番胸をうたれたのは、独房のなかで赤ん坊を背負ってのしをつくっている若い女のひとの姿でした。太い格子のなかは、頭と膝(ひざ)だけがみえる造りになっていて、真中の板戸には、ほんの眼だけみえる小窓がついていましたけれど、ここからちらと覗(のぞ)いた女のひとの眼の美しさに、わたしは暫くは誘われるように、その独房の前に立ちつくしていました。
透明な晴ればれした眼でした。わたしは近よって、ここだけは無作法にもその小窓から覗いてみたのですけれど、青い蒲団(ふとん)を重ねてある部屋のなかで、その女のひとは痩(や)せてしぼんだような赤ん坊を背負って、小さい台の上で赤いのしをたたんでいました。その女のひとは、わたしをじっと見上げているけれど、いまにも涙のたまってきそうな、何とも云えない淋しい眼色をしていました。わたしは自分で赧(あか)くなりながらも、わたしの感傷は、何だか、ここから去るにしのびないものを感じるのです。
皮膚(ひふ)は少女のように清純で、ひっつめに結(ゆ)った髪の色も黒くて、何よりも、その眼の美しさには、わたしはおもわず、このひとはいったい何の罪でこんなところへ坐っているのでしょうかと案内の方に尋ねました。教誨師のひとは、放火でここへ来ているのですけれど、もう一ヶ月もすれば出られるひとだと教えてくれました。
背中の赤ん坊は、老人のようにしぼんで小さくみえました。ここで生れた赤ん坊なのかしらと、わたしは、世間の赤ん坊のように、何の祝福も、何の歓待も享(う)けていない、淋しい赤ん坊のために、この若いお母さんは背中の赤ん坊にどんな償(つぐな)いでもしなければならないだろうと、わたしは、異常な生涯を持つ、この小さい赤ん坊の為に、ふっと、その女のひとに怒ってみるような気持ちも心に走って来ました。だけど、壁の黒板には、涙は人生を救うと書いてあります。
わたしは、一ヶ月ほどして出て行く、この淋しい親子が、もう社会でけっして不幸でないようにと祈る気持ちでした。
昔の八百屋(やおや)お七(しち)の世界から、女性の放火と云うものは、何となく激しい熱情的なものを感じさせますが、女の罪名にも、強盗なんて云うのは聞いても怖い感じです。統計のなかにも、二十歳未満の少女に強盗と云うのが一人ありました。わたしは吃驚して、どんな風な少女なのでしょうと訊(き)いてみました。
「まだ、ほんの子供みたいな娘で、由井正雪(ゆいしょうせつ)の講談本を読んで、何となく人を驚かしてみたく、夜明けに村の家へ庖丁を持ってはいったのですよ」
そんな風のことを教誨師の方が云っていましたけれど、わたしは、春のめざめの頃に感じる逞(たくま)しい空想力を、どんなにしても堪(た)え忍ぶことの出来なかった自分の少女の頃のことをふっとおもい出すのでした。
これから女の人生が始まろうとする、色々な不思議さのなかに、来潮と云うものが、どんなにわたしたちを吃驚させたことでしょう。来潮の来るころの年齢は、たいてい十七、八歳の頃でしょうけれど、このころの女の理性と云うものは、ずいぶん重たい花粉をつけて、重たい花べんとをのせているものだったとおもいます。貞操と云うことを、おぼろげに考え始めて来ます。そうして、理由のない苦痛が、この年齢にはきびしいほどおとずれて来ます。わたしは、その強盗をした少女のことも、罪は罪としても、何だか、ほほ笑(え)ましいものを感じるのでした。女の犯罪として、案外一番すくないのは治安維持法違反と、文書偽造、兌換(だかん)券偽造とか云った罪名でした。殺人の二十三人と云うのはいったいどうしたことかとわたしは暗然となるのです。
教誨師の方々の話をきいてみると、殺人をした女囚と云うのは、たいてい田舎のひとが多くて、しかも百姓の女のひとが多いのだと云うことでした。
いままで気を合せてせっせと働いていた百姓の夫婦者が、すこしばかり生活が楽になってくると、良人(おっと)が他に女をつくり、家を捨ててかえりみない場合、妻が逆上して殺人を犯す場合もあり得ると思います。よく世間では、男の犯罪の後にはかならず女があると云いますけれど、こうした場合、どう云う風に云えるものでしょうか。道徳はきびしいものです。女の犯罪は、何時(いつ)も自分の家庭に関係しているようです。わたしは、現犯時の年齢と罪名と云う統計の一つをここへ書いてみましょう。
年齢と罪名をてらしあわせてみますと、その年齢によって、年々の女の生活がよくわかって来るような気がします。
十八歳未満が、窃盗二人、嬰児(えいじ)殺し一人。
二十歳未満が、窃盗二人、強盗一人、放火二人。
二十五歳未満が、窃盗四人、詐欺二人、殺人一人、嬰児殺し二人、放火四人、治安維持法違反一人。
三十歳未満では、窃盗十一人、詐欺四人、殺人四人、放火五人。
三十五歳未満は、窃盗四人、詐欺二人、傷害一人、殺人六人、嬰児殺し三人、放火五人。
四十歳未満では、窃盗八人、詐欺二人、殺人一人、嬰児殺し三人、放火六人、治安維持法違反一人。
五十歳未満、窃盗十八人、詐欺五人、殺人四人、嬰児殺し五人、放火十人、賭博(とばく)一人。
六十歳未満は、窃盗十五人、詐欺一人、殺人六人、嬰児殺し三人、堕胎(だたい)一人、放火九人、贓物(ぞうぶつ)収受一人、文書偽造一人。
七十歳未満では、窃盗四人、殺人一人、嬰児殺し一人、放火三人、賭博一人、兌換券偽造一人。
こんなふうな統計ですけれど、十八歳から二十歳前後には、案外に犯罪がすくなくて、年をとるほど、生活的な犯罪が多くなっていっています。おもしろいことには、月経と犯罪と云う統計のなかには非月経の時の犯罪が案外多いのでした。平時の折の犯罪が八七とすると、月経時の犯罪が二一の割合です。
独房を見てから、わたしは講堂のようなところをみせて貰いましたが、ここは広い畳敷きの部屋で、オルガンが置いてあり、教壇の後には金色(こんじき)まぶしい仏壇が安置してありました。部屋の窓々から、明るい正午の陽の光が射しこんでいて、ここはまるで小学校の裁縫教室のようなところでした。ここでは訓話をきいたり、少年囚の学課の教室にもなるのだとうかがいました。
さすが女囚の刑務所だけあって、古い建物でしたけれど、四囲(あたり)は清潔な感じです。洗面所には、よく製糸工場でみるような細い長い鏡が横に張りつけてあって、窓の外に明るい庭がみえています。広い、道場のような工場の中には、赤い着物を着たひとだの、青い着物のひとだの、濃い縞(しま)の着物を着ているひとだのが、カアキ色のエプロンをして色々な作業についていました。
織り物をするところでは、輸出向きのタフタのようなものを、動力をつかった沢山の機(はた)で織っているのですが、ここは千紫万紅(せんしばんこう)色とりどりに美しい布の洪水(こうずい)です。わたしたちのパラソルにいいような、黄と青と黒の派手なチェック模様や、真夏の海辺に着たいような赤とブルウの大名縞(だいみょうじま)、そんな人絹(じんけん)のタフタが沢山出来ているそばでは地味な村山大島が、織られていたり、畳を敷いたところでは、娘やおばあさんたちが、派手な着物を縫っていたりしました。請負(うけお)い仕事なのでしょうが、とにかく、忙しく仕事をしている間と云うものは、この人たちの上に、何の暗さもかぶさっては来ないだろうとおもわれます。黒い上っぱりを着た若い女看守のひとが各部屋に一人ずつつきそっているようでした。虫除(よ)けの薬をいれる、ホドヂンと云うセロファンの薬の袋を貼(は)っているひとたちのなかに、眼鏡(めがね)をかけた赤い着物のおばあさんもいました。
のしを張っている人たち、軍需品だと云う白い小さい布にミシンをあてている人たち、どのひとも、罪を犯してここへ来ているひととはみえない、なごやかな表情ばかりです。
罪とは何なのだろうとおもえるような気がしてくるそんな明るい部屋のなかでした。この、栃木の女囚の刑務所は、男のひとの参観をゆるさないのだそうで、どこもここも文字通りの女護ヶ島(にょごがしま)なのです。明るい庭さきでは、洗い張り作業をしているひとたちもいました。――昔、何かで読んだ本に、刑務所の食事のことがありましたけれど、菜っぱのことを鳥またぎと云い、昆布のことをどぶ板と云うのだそうで、鳥またぎは鳥もまたいで通るような菜っぱの意味だそうですが、この刑務所はどんな食事をするのかと、わたしはたいへん興味がありました。
やがて炊事場もみせて戴き、これが今日の食事だと云う食卓もみましたが、やっぱり、何と云っても異常な場所だと云う気持ちだけは感じました。筒型にかためられた茶色の御飯と、味噌汁のようなものと胡麻塩(ごましお)、そんな風な食事でしたが、真面目に務めているひとたちには、時々お三時があると云うことです。不思議に、どのひとも元気そうに太っていて血色がよいのですけれど、どのような食事も実に愉(たの)しいのだそうです。赤い着物から順々に青とか縞(しま)とかによくなってゆくのだそうですが、縞の着物のひとなんか、まるで近所のおかみさんがちょっと手伝いに来たと云う感じでした。
ここには無期のひともいるのだそうですが、そのひとたちはどんな風な気持ちなのかとおもいます。たった一人で散歩する、金網を板囲いでしきられた遊歩所のようなところもこの建物を囲った石塀(いしべい)のそばにありましたが、狭い金網の中にも青々と雑草が繁っていて、倉庫のようなところに、背の低い真赤なけしの花が一輪可憐(かれん)に咲いていました。誰も眺める人もないだろう、この石垣のところに、ひょろひょろと咲いている沁(し)みるような赤い花の色は、時々、わたしの花のおもいでのなかへ、鮮やかな色をしてよみがえって来ることでしょう。今朝は浅間(あさま)の噴火の灰がこんなに降りましたと云うことで、庭木にも雑草にも薄白く灰が降りかかっていましたが、そのぽくぽくした灰の色と、この建物は、何だか淋しい対照をみせていました。中庭の柵のなかには、赤ちゃんのおしめが沢山干してあります。さっき独房で、ひとりでのしをつくっていた女のひとのかしらと、わたしはその派手な浴衣(ゆかた)のおしめの柄(がら)を一つ一つ眺めていました。
ここの女囚のひとたちのお風呂場をわたしはみせて貰いましたけれど、これは、石の広い土間の真中に、腰高な矩形(くけい)の浴槽があって、それに背中あわせに三人ずつ、這入るのだそうです。何だか、寺の風呂のようなところでした。ささやかな憩(いこ)いの場所なのですが、こことても時間にきめられて這入るので、世間の風呂好きの女のように勝手にふるまうわけにはゆかないでしょう。務めぶりのよいひとだったら、風呂へ這入れる率も多いのだそうです。わたしは、ここに働いているひとたちをみて、何だかこの償いが済んだら、もう再び罪を犯すようなひとはいないだろうとおもいました。どのひとの顔も将来を愉しみに働いている様子にみえます。ここでは十二時間の勤労だそうですが、勿論(もちろん)働いただけの賃金は、出所する時に貰えるわけです。
いまのところ、女囚だけの刑務所は、この栃木のと丹後(たんご)の宮津にあるのが有名だそうです。栃木の刑務所には、諸所から来るらしく、女囚の表情や骨格にも、様々な地方色が窺(うかが)えるのでした。性質と犯罪の統計には、狡猾(こうかつ)と云うのが四十二人もあり、怠惰(たいだ)と云うのがたった一人しかありません。温和と云うのが十八人、残忍と云うのが十人、概念的な統計かも知れませんが、女の狡猾と云うのは、ちょっといやな気持ちがします。また、入所時に於ける、教育程度も、高等教育を受けたものはたった一人位で、あとは無筆者が五十三人の多数です。普通教育を受けたものが六十八人、受けないものが六十三人、中等教育を受けた者が八人位だそうです。
教育のないひとたちの犯罪が如何(いか)に多いかと云うことがよくわかりますけれど、このひとたちの犯罪も、全く、善悪紙一重(かみひとえ)のふんぎりが利(き)かなかった、ほんのささやかな、くだらないところに、ここへ来る経路が生れたのではないかとおもわれます。
よく、三面記事のなかに、奉公が厭(いや)だから放火したとか、友達が、自分よりいい着物をきているから人のものを盗んだとか、くだらない女の罪がよくあるものです。
女性の知性と云うものは、何等(なんら)の膨脹力もなく、男のように根深い力の坐った生活力も、大概(たいがい)は落着のないものだったり、だから、犯罪の動機が、それぞれくだらない感情の発作でおきたようなものばかりじゃないかとおもわれたりします。
この刑務所は幸福なことに、たいへん明るい庭を持っているし、陽当りのいい窓も沢山持っています。十四,五人も雑居している広い畳敷きの部屋には、青い蒲団が積み重ねてありましたし、部屋の隅には水を入れる大きな壺(つぼ)だの、柄杓(ひしゃく)だの、本をのせる小さい戸棚なんかが置いてありました。雨の日は広い廊下で、ラヂオにあわせて体操をするのだそうです。天気のいい日は倉庫の裏の空地で体操をするのだそうですが、空地の向うには女囚のつくる野菜畑もつくってありました。野菜畑へ出ると、寺の屋根や、よその庭の桜の花もこのひとたちの眼を慰めてくれることでしょう。
この建物のなかには、小さい床(とこ)の間(ま)を持った部屋があって、時々少年囚に、礼儀作法や活花(いけばな)をここで教えられるのだそうです。少年囚と云うのはここでは少女たちの囚人を指して云うのですが、工場で縫物をしている娘たちのことを考えてみますと、この娘たちの肉親たちは、どんな気持ちでこの娘たちを迎えるのかと考えられてなりません。罪人としては些細(ささい)な罪を犯して来ている人たちばかりかもしれませんが、このひとたちの生涯にとっては些細なものだったと云いきれない色々な気持ちがあるとおもいます。その色々な苦しい気持ちをここで洗い清めて出所して来た人にまで辛くあたる社会であってはならないとわたしはおもうのでした。どんなにでも傍(そば)へ寄ってあげて、わたしたちは、このひとたちを温かくなぐさめてあげるべきだとおもうのです。
女の刑務所だけは誰もいない刑務所にしたいものです。――教誨師の方たちは十八人も居られるそうでしたが、どのひとも若いひとばかりで暗い感じなんか少しもありませんでした。狭い散歩場に、赤いけしの花が咲いていたけれど、体操の折々あのひとたちは、あの真紅な花をどんな気持ちでながめていることでしょう。
底本:「林芙美子随筆集」岩波文庫、岩波書店
2003(平成5)年2月14日第1刷発行
底本の親本:「林芙美子全集」文泉堂出版
1977(昭和52)年
「林芙美子選集」改造社
1937(昭和12)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:岡本ゆみ子
校正:noriko saito
2008年3月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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