フランツ・カフカ 城 (11〜15章)


 ハンスが出ていったのは、まさに潮時(しおどき)だった。というのは、すぐそのあとで教師がドアをさっと開け、Kとフリーダとが落ちつきはらって机のそばに坐っているのを見ると、叫んだ。
「おじゃまで失礼! だが、いつになったらこの部屋が片づくことになるのか、いってくれたまえ! われわれはむこうの部屋でぎっしりつめられて坐っているし、授業もろくにできないんだ。ところが君たちときたら、この大きな体操場で、のうのうと手足をのばしている始末だ。そして、この上もっと場所を取ろうとして、助手たちまで追い出してしまったんだ! だが、今は少なくとも立ち上がって、動いてくれたまえ!」そして、Kだけに向っていった。「君は今すぐ私のために橋亭から中食をもってきてくれたまえ!」
 こんな言葉はみなひどく怒って叫ばれたのだったが、言葉は比較的おだやかで、それ自体ぞんざいなはずの「君」という言葉さえ、そうだった。Kはすぐいうことをきくつもりだったが、ただ教師の本音を探り出そうとして、いった。
「でも、私は解雇通告を受けているんですが」
「解雇通告を受けていようと、受けていまいと、中食をもってきてくれたまえ」と、教師はいう。
「解雇通告を受けているのか、受けていないのか、私が知りたいのはまさにその点なんですがね」と、Kはいった。
「何をぐちゃぐちゃいっているんだ?」と、教師がいった。「君は解雇通告を受け取らなかったじゃないか」
「あの通告を無効にするためには、それだけの理由で十分なのですか?」と、Kはたずねた。
「私には十分じゃないね」と、教師はいった。「私のほうは十分でないのだと思ってもらっていいが、村長には十分だそうだ。どうもわからない話だが。だが、急いでいってくれたまえ。そうでなければ、ほんとうにここから飛び出してくれたまえ」
 Kは満足だった。それでは教師はあのあいだに村長と話したわけだ。あるいは、おそらくまったく話したわけではなく、ただ村長のいいそうな意見を解釈してみただけでそれがこちらの都合がいいようになっているのだ。そこで、Kはすぐ中食を取りに急いでいこうとしたが、まだ動き出したばかりのところを、教師が呼びもどした。教師は、この特別な命令を下すことによってKのサービス精神をためし、今後の目安としようとしたのであれ、それともまた新しく命令したい気になって、Kを急いでいかせながら、次に自分の命令でまるでボーイのように急いでもどってこさせることを楽しんでいたのであれ、いずれにせよKを呼びもどしたのだった。Kのほうは、あまりいうなりになっていると教師の奴隷か身がわりの犠牲者かになるだろう、ということを知ってはいたが、今はある限度までは教師の気まぐれを我慢強く受け入れるつもりだった。というのは、これまでにわかったように、教師は正式に彼をくびにすることはできないが、彼の地位を耐えがたいまで苦しいものにすることはきっとできるのだ。ところで、この地位こそ、今ではKにとっては以前よりももっと大切なものだった。ハンスとの対話は、根拠のない、ありそうもないものだとしても、もはや忘れることのできない新しい希望をKに抱かせた。この希望はほとんどバルナバスさえも忘れさせてしまった。Kはこの希望を追いかけ、ほかにどうすることもできないとすれば、全力をそれに集中し、そのほかのことには、食事のことも住居のことも村役場のことも、そればかりでなくフリーダのことも全然気にかけぬようにしなければならなかった。そして、根本においては問題はただフリーダのことだけだった。というのは、ほかのすべてはただフリーダと関係があるときにだけ気にかかるのだった。それゆえ、フリーダにいくらか安定を与える今の地位を彼は保つように努めなければならなかった。そこでこの目的のためには、ほかの場合ならば思いきって我慢したかもしれない以上に教師のことを我慢しているのだが、それを後悔などしてはならなかった。こうしたすべてはそれほど苦痛ではなかった。こうしたことは一連のたえず起こる小さな生活の苦しみの一つであって、Kが求めているものに比べれば、なんでもなかった。そして、彼がこの土地へやってきたのは、体面を保った平和な生活を送るためではなかったはずだ。
 そこで彼は、命令を受けてすぐ宿屋まで一走りしようとしたように、今度はちがった命令を受けてもすぐ、まず教室を片づけ、女教師がいっしょに移ってこられるようにするつもりだった。ところが、きわめて早く取り片づけをしなければならなかった。というのは、そのあとでKはやっぱり中食を取ってこなければならない。教師はすでにひどく腹をすかし、喉(のど)がかわいていたのだ。Kは、万事お望みどおりにする、とうけ合った。ちょっとのあいだ教師は、Kが急いで立ち働き、寝床を片づけ、体操用具をもとの場所に押しもどし、すばやく床を掃くのをながめていた。一方、フリーダは教壇をぞうきんがけしたり、こすったりしていた。その熱心さは教師を満足させているようだった。教師はさらに、焚く薪の山をドアの前に準備するようにと注意し、――Kを小屋にはもういかせたくなかったのだ――次にまもなくまたやってきて仕事ぶりを見るからとおどかすと、子供たちのほうへもどっていった。



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