フランツ・カフカ 城 (11〜15章)

第十一章


 彼はすっかり凍(こご)えて家へ帰った。どこもまっ暗で、ランタンのなかの蝋燭は燃えつきていた。勝手を知っている助手たちに導かれて、彼は手探りで教室へ入っていった。
「君たちのはじめてのほめるのに価する仕事だね」と、彼はクラムの手紙のことを思い出しながら、いった。まだ半分眠ったままで、フリーダが片隅から叫んだ。
「Kを眠らせておいてちょうだい! この人のじゃまをしないで!」
 彼女は眠気に負けて、Kの帰りを待てなかったにしても、Kのことが彼女の頭を占めていたのだ。明りがつけられた。といっても、ランプのしんはあまり大きく出せなかった。というのは、石油がほんのわずかしかなかったのだ。この新世帯には、まださまざまな欠点があった。火が燃やされてはいたが、体操にも使われていたこの大きな部屋は――体操用具がまわりに置かれてあり、天井からも下がっていた――貯えられている薪(まき)はすでに全部使い果たしてしまった。みながKにいうところによると、さっきはとても気持よく暖かだったが、残念なことにまたすっかり冷えてしまったということだった。薪の貯えが小屋にたくさんあるのだが、この小屋は閉じられていて、鍵は教師がもっており、授業時間に火を焚(た)く以外には薪を取り出すことを許さないのだ。それでもベッドがあって、そのなかに逃げこむことができるなら、まだしも我慢できただろう。ところが、寝るという点からいうと、ただ一つの藁(わら)ぶとんしかなかった。それにはフリーダの毛のショールでみごとなくらい清潔に被いがかけられていた。だが、羽根ぶとんはなく、粗末なごわごわした二枚の毛布だけで、それはほとんど身体を暖めてくれない。ところが、このみすぼらしい藁ぶとんさえ、助手たちはうらやましそうにじっと見ている。だが、その上にいつか寝ることができるという希望は、彼らはもちろんもてないのだ。フリーダは不安げにKをじっと見た。彼女はどんなにみじめな部屋であっても住めるように整えることを心得ているということは、橋亭で証明したのだったが、ここではもう何もやることができなかった。彼女はまったく金をもたなかったからだ。
「わたしたちのただ一つの部屋飾りは、体操用具なのよ」と、彼女は涙ぐみながらも無理に笑顔をつくって、いった。しかし、いちばん欠けているもの、つまり不十分な寝場所と暖房とについては、彼女はきっぱりと、あしたにもなんとか策を講じることを約束して、それまではどうか我慢してくれとKに頼んだ。どんな言葉も、どんなほのめかしも、またどんな顔の表情も、彼女がKに対して少しでもにがい気持を抱いているということを推察などさせなかった。じつをいえば、彼は自分にいい聞かせないでいられなかったが、彼女を紳士荘から、また今度は橋亭から無理にここへつれてきたのは、彼にほかならないのだ。そのため、Kは万事を我慢できるものと見ようと努力したが、それは彼にとっては全然むずかしいことではなかった。なぜかというと、頭のなかでバルナバスとつれ立って歩きながら、自分の伝言を一語一語くり返しているさまを思い描いたからだった。だが、その伝言はバルナバスに授けてやったようにではなく、その伝言がバルナバスの口からクラムの前で述べられるときにこんなふうだろうと思われるように思い描いていた。それとともに、彼のためにフリーダがアルコールランプの上でわかしているコーヒーのことは、たしかに心からよろこんだのだった。そして、冷えていくストーブによりかかったまま、彼女が教壇の机の上にとっておきの白いテーブル・クロスをかけ、花模様のついたコーヒー茶碗を置き、そのそばにパンとベーコンと、いわしの罐詰まで並べるさまを、眼で追っていた。今や万事ができ上がった。フリーダもまだ食事をすませてはいず、Kの帰りを待っていたのだった。椅子が二つあるので、机のそばでKとフリーダとはそれに腰かけ、助手たちは二人の足もとの教壇の上に坐った。だが、二人はじっとしていず、食事中も二人のじゃまをするのだった。助手たちはどれもたっぷりもらい、まだまだ食べ終ってはいないのに、ときどき立ち上がっては、まだ机の上にたくさん残っているかどうか、まだ自分たちにいくらかもらえそうかどうか、たしかめようとするのだった。Kはこの二人のことは気にとめてはいなかった。フリーダが笑ったので、はじめてこの二人に気がついたのだった。彼は机の上にある彼女の手の上に媚(こ)びるようにして自分の手をかさね、なぜこの連中のことをそんなに大目に見て、彼らの不作法さえも好意的にみとめてやるのか、と低い声でたずねた。こんなやりかたではやつらをけっして追い払えないよ。ところが、いわば手荒な、彼らのふるまいに実際にふさわしくもあるような取扱いをしてやれば、彼らを制御することができるか、あるいは(このほうがいっそうありうることだし、またいっそういいだろうが)彼らがこの地位にいや気がさし、そこでついに逃げ去ってしまうかするだろうよ。どうもこの学校ではあまり快適な滞在になりそうもないように思われるね。だが、ここに住むことも長くはつづかないだろう。それでも、助手たちが去ってしまい、二人だけが静かな家にいることになれば、すべての欠点にもほとんど気づかないようになるだろうよ。君は、助手たちが日ましに厚かましくなっていくのに気がつかないのかね? まるで、彼らをつけ上がらせるのは、ほんとうは君がいるためであり、また私が君の前ではほかの場合にならばやるかもしれないようにしっかと彼らにつかみかからないだろうという期待のためであるように見えるよ。さらにおそらく、彼らをすぐ面倒なしに追い払うすこぶる簡単な手段があるかもしれないね。それはきっと君だって知っているだろう。君はなにしろこの土地の事情にくわしいんだからね。そして、もし助手たちをなんとかして追い出すなら、やつらのためにもおそらくは一つの親切をしてやることになるだけなんだ。というのは、彼らがここで送る生活もそういいものじゃないし、彼らがこれまで楽しんできた怠惰な生活も、ここでは少なくともその一部分はやめなければならないんだから。というのは、君はこのところ二、三日つづいたさまざまな興奮のあとで自分の身体をいたわらなければならないし、また私としても、私たちの苦しい境遇からの逃げ道を見出そうとして一生懸命にならなければならないのだから、やつらはどうしても仕事を命じられてやらなければならないことになる。しかし、助手たちが出ていくことになれば、それで大いに気持が軽くなり、そこで小使の仕事もそのほかのこともみんなたやすくやることができるだろうよ。
 こんなKの言葉に注意深く耳を傾けていたフリーダは、ゆっくりとKの腕をなでて、次のようにいうのだった。それはみんなわたしの考えでもありますわ。でもあなたはおそらく助手たちの不作法を大げさに考えすぎているんだわ。この人たちは陽気でいくらか単純な若者たちであって、きびしい城のしつけのために追い出されてしまい、はじめて見知らぬ人に仕えることになったのよ。だからいつも少しばかり興奮していて、びっくりしているのよ。こんな状態のなかでこの二人たちはときどきばかなことをしでかすわけで、それに腹を立てるのは自然だけれど、笑ってすますほうがもっと賢いやりかたなんだわ。わたしもときどき、笑わないでいられなくなるのよ。でも、この連中を追い払って、二人だけになるのがいちばんいいことだ、という点ではあなたと意見が一致しているわ。こういって、彼女はKに身体をよせて、顔を彼の肩に埋めた。そして、そのままの姿勢で何かいったが、いかにも聞き取りにくく、Kは彼女のほうに身体を曲げなければならなかった。彼女がいうには、助手たちに対する手段は何も知らないけれど、おそらくKが提案したことはみんなだめだろう。自分の知っている限り、K自身がこの二人を要求したのであって、今この二人を自分のところにおいているのだし、これからもおくことになるだろう。いちばんよいことは、二人を気軽におっちょこちょいとして扱うことだ。彼らは実際そうなんで、そういうふうに扱えば、いちばんよく我慢ができる。
 Kはこの返事に満足しなかった。半ば冗談、半ばまじめに、彼はこういった。君はやつらとぐるになっているのか、あるいは少なくとも彼らに対して大きな愛情をもっているように思えるね。ところで、彼らはかわいい若僧たちだが、いくらか好意をもっていても追い払えない人間なんて、いないのだよ。このことをこの助手たちにおいて君に見せてあげよう。
 フリーダはいった。もしあなたにそれができるならば、あなたにとても感謝するわ。ところで、わたしは今後、もうこの人たちのことを笑ったり、二人と不必要な言葉を交わしたりしないわ。もうこの人たちにおかしいことなんか見ませんし、それに二人の男にいつも観察されているなんて、ほんとうにつまらないことなんかじゃないわ。この二人をあなたの眼でながめることを、わたしは習ったわ。そして、今、助手たちがまた立ち上がったとき、彼女は言葉のとおり少し身体をぴくっとさせただけだった。二人は一つには食物の残りを検査するため、一つにはKたち二人がたえずささやき合っているのを見きわめるため、立ち上がったのだった。



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