フランツ・カフカ 城 (11〜15章)


「とても我慢できません。なんて結構な有様でしょう。あなたがたはただ教室で寝る許可を受けているだけで、わたしはあなたがたの寝室で授業する義務なんかありません。朝遅くまでベッドにごろごろしている小使の一家なんて。なんていうこと!」
 ところで、これに対してはいくらかいってやらねばならないだろう、ことに一家とかベッドとかいうことについてはそうだ、とKは思った。一方、彼はフリーダといっしょに――助手たちはこの仕事に使うことはできなかった。二人の助手は床の上に横たわったまま、びっくりしたように女教師と子供たちとを見つめていた――大急ぎで平行棒と跳び箱とを押し出してきて、その両方に毛布をかけ、小さな空間をつくり、そこで子供たちの眼を避けて少なくとも服を着られるようにした。といって一瞬も落ちついてはいられなかった。まず女教師ががみがみいった。洗面器にきれいな水がなかったからだ。ちょうどKは、自分とフリーダとのために洗面器をもってこようと考えていたが、女教師をあまり刺戟しないように、この考えはまず捨てた。ところが、それをやめたことはなんの役にも立たなかった。というのは、すぐそのあとで大きながちゃがちゃいう音がした。つまり、運悪く晩飯の残りを教壇から片づけることを怠っていたので、女教師が定規でみんな払いのけてしまったのだ。いっさいのものが床の上へ飛んだ。いわしの油とコーヒーの残りとが流れ出し、コーヒーわかしがこなごなにくだけた。女教師はそんなことを気にかける必要はない、小使がすぐ片づけるだろう、といわんばかりだった。まだ服をすっかり着てはいなかったが、Kとフリーダとは平行棒にもたれて、自分たちのわずかばかりの所有物がめちゃめちゃになるのをながめていた。助手たちは服を着ようとは全然考えないらしく、下の毛布のあいだから様子をうかがっていて、その変な恰好が子供たちを大いに面白がらせていた。フリーダにとっていちばん痛手だったのは、もちろんコーヒーわかしを台なしにされたことだ。Kが彼女を慰めようとして、すぐ村長のところへいき、かわりを要求してもらってくる、といったとき、彼女はすっかり気を取りなおしたので、下着とスリップとだけの姿で囲いから飛び出し、少なくともテーブル・クロスだけはもってきて、これ以上汚されるのを防ごうとした。女教師はフリーダをおどかすため、定規で神経をかき廻すようにたえず机の上をたたいているのだったが、フリーダはうまくテーブル・クロスをもってくることができた。Kとフリーダとは服を着終わると、つぎつぎと起こることにすっかり呆然(ぼうぜん)としてしまっている助手たちに、命令したりつついたりして服を着させるように促さなければならなかったばかりでなく、自分たちも彼らに服を着せてやらなければならなかった。みんなすむと、Kは次にやるべき仕事を割り当てた。助手たちは薪をもってきて火を焚くように、だがまずもう一つのほうの教室から始めるように。ところで、その教室のほうにも大きな危険があった。――というのは、そちらにもおそらく例の教師がもうきているだろう。フリーダは床を掃除するように。K自身は水を運んできて、そのほかの整頓をするだろう。朝食のことはさし当っては考えなかった。だが、およそ女教師の機嫌がどうか見るために、Kはまっさきに囲いから出ていこうとした。ほかの者たちは、彼が呼んだら出ていけばよい。Kがこういう手順をきめたのは、一つには助手たちの愚かなふるまいで状況をはじめから悪化させまいと思ったからであり、もう一つにはフリーダをできるだけいたわってやろうと思ったからだ。というのは、彼女は名誉心をもっているが、自分はもっていない。彼女は神経質だが、自分はそうではない。彼女は眼の前の小さないやらしいことばかり考えているが、自分はバルナバスと未来とのことを考えているのだ。フリーダは彼のすべての指図に忠実に従い、Kからほとんど眼を離さなかった。彼が囲いから出ていくやいなや、女教師は子供たちがげらげら笑うなかで、「おや、よく眠りましたか?」と、いった。子供たちの笑いはそのときからやむことがなかった。女教師の言葉はけっしてほんとうの質問というものではなかったので。Kがそれを気にもかけずにまっしぐらに洗面盤のところへいくと、女教師がまたたずねた。
「あなたがた、わたしのミーツェに何をしたんです?」
 一匹の大きな肉づきのよい猫が、四肢を拡げて机の上にものうげに寝そべっている。女教師は猫の少しけがをしているらしい脚を調べた。それでは、フリーダがいったことは正しかったのだ。この猫は彼女の身体に跳びのったのではなかった。というのは、この老いぼれ猫にはもう跳ぶことなんかできなかった。しかし、彼女の身体の上をはって越えていったのだ。ふだん人気のないこの建物のなかに人間たちがいることにびっくりして、急いで隠れたのだが、こうやってやりつけていない急ぎかたをしてけがをしてしまったのだ。Kはこのことをおだやかに女教師に説明しようと思ったが、女教師のほうは結果だけを取りあげて、いうのだった。



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