フランツ・カフカ 城 (16〜20章)


「それは驚くべきことですな」と、ビュルゲルは頭をさかんに振りながらいって、何かメモしておくためにふとんの下からメモ帳を取り出した。「あなたは測量技師でありながら、測量の仕事をもっておられない、というんですね」
 Kは機械的にうなずいた。彼は上のベッドの柱に左腕をのばし、その腕に頭をのせていた。すでにいろいろと身体を楽にしようとしてみたのだったが、この姿勢がいちばん楽だった。そこで今度は、ビュルゲルのいうことに少しはよく注意を向けることができた。
「わたしは」と、ビュルゲルはつづけていった、「この件をさらに追求してみる用意があります。ここのわれわれのところでは、何か専門的な能力が利用されずに放置されているなどというようなことがないようになっています。それに、あなたにとってだって、そんなことはあなたを傷つけるようなものですからね。いったい、あなたはそのことを苦にしてはいないんですか」
「それを苦にしていますよ」と、Kはゆっくりといったが、ひとりで微笑した。というのは、今はそんなことをほんの少しでも苦にはしなかったのだ。また、ビュルゲルの申し出も、彼にはほとんどなんらの印象も与えなかった。それはまったく局外者の道楽半分でやりそうなことであった。Kの招聘が行われた事情について、またこの招聘が村と城とで出会ったさまざまな困難について、Kの当地滞在のあいだにすでに起った、あるいは起こりそうだったさまざまなもつれについて何も知ることなしに、そうしたすべてについて何も知ることなく、そればかりか、これは一人の秘書からただちに考えられるはずのことだが、少なくともそんなことがあるという予感は彼の心に浮かびそうなものなのに、そんな様子も見せないで、ビュルゲルはいきなり小さなメモ帳の助けを借りてこの件を上の城で解決してやろうといい出したのであった。
「あなたはすでにいくつかの失望を経験されたようですな」と、ビュルゲルはいったが、その言葉でいくらか人間についての知識をもっていることを示したものだった。そもそもKは、この部屋に足を踏み入れてから、このビュルゲルを見くびってはならないと、ときどき自分にいい聞かせていたのだ。しかし、彼のこんな状態では、自分自身の疲れ以外の何かについて正しい判断を下すことはむずかしかった。
「いや」と、ビュルゲルはKの考えそうなことに答えるかのように、そして彼をいたわってそれをいい出す苦労をはぶいてやろうとするかのように、いった。「あなたは失望なんぞで驚かされてしまっていてはなりませんぞ。まったくのところ、ここでは多くのことが人を驚かすように仕組まれていますし、新しくここにやってくると、いろいろな障害がまったく取り除くことができないもののように見えます。私はなにもそれがほんとうはどういうことになっているのかということを検討するつもりはありません。おそらく外見が実際上もほんとうのところをぴったり表わしているんでしょう。私のような立場では、そのことをたしかめるのに適当な距りというものが欠けています。しかし、注意していただきたいですが、それでもときどきは全体の状態とほとんど一致しないような機会が生じるものなのです。そういう機会には、ほんの一ことによって、一つのまなざしによって、信頼のほんのわずかなしるしによって、一生のあいだの骨身をけずるような努力によって得られる以上のものが手に入るのです。たしかに、このとおりなのです。むろん、こうした機会は、それがけっして十分に利用されぬ限りは、やはり全体の状態のとおりなのです。しかし、なぜそうした機会が利用されないのだろうか、と私はいつでも自問しているんです」
 Kにはわからなかった。ビュルゲルがいうことはおそらく自分に大いに関係があるのだ、と気づいてはいたが、今は自分に関係のあるいっさいのことに大きな嫌悪感を抱いていた。彼は頭を少しわきにそらした。まるで、そうすることによってビュルゲルの質問に道をあけてやり、その質問にもうふれられないでいられるのだ、といわんばかりだった。



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