フランツ・カフカ 城 (16〜20章)


「村での聴取をたいていは夜分に行わなければならないようになっているということは」と、ビュルゲルは言葉をつづけ、両腕をのばしてあくびをしたが、これは彼の言葉のまじめさとはいかにも矛盾していて、とまどわされるようなものだった。「秘書たちのたえずこぼしているところです。だが、彼らはなぜそのことをこぼすんでしょうか。あまりに骨が折れるからでしょうか。夜はむしろ眠るために使いたいからでしょうか。いいえ、彼らはきっとそんなことをこぼしているんじゃないんです。もちろん、秘書のあいだにも勤勉な者とそれほど勤勉でない者とがいます。よそのどんなところとも同じわけです。しかし、彼らのうちだれ一人として骨が折れすぎるといってこぼす者はいません。まして公然とこぼす者なんかいません。それはわれわれのやりかたではないというだけの話です。われわれはこの点では普通の時間と仕事の時間とのあいだに区別を知りません。そうした区別はわれわれには縁のないものです。それでは秘書たちはなんで夜の聴取を好まないのでしょうか。陳情者たちへの思いやりといったものでしょうか。いえ、いえ、それでもありません。陳情者たちに対して秘書たちは思いやりがないんです。とはいっても、自分たち自身に対するよりもいっそう思いやりがないというのではけっしてなく、ただまったくそれと同じように思いやりがないんです。ほんとうはこの思いやりのなさは勤めを鉄のように固く守り、そして遂行するというものにほかならないのであって、これは陳情者たちがおよそ望みうる最大の思いやりというものです。このことはまた根本において――表面だけの観察者はむろん気づきませんが――あらゆる人びとによって完全にみとめられていることです。たしかに、たとえば陳情者たちにとって歓迎すべきものである夜の聴取というものこそこの場合でして、夜の聴取に対する根本的な苦情なんかは提起されることはありません。では、なぜ秘書たちは嫌うのでしょうか」
 それもKにはわからなかった。彼にはほとんど何もわからず、ビュルゲルがまじめに返事を要求しているのか、あるいはただ見せかけで要求しているのか、区別がつかなかった。「もしお前がおれをお前のベッドに寝かせてくれるなら」と、彼は思った、「あすの昼、あるいは夕方のほうがもっといいが、どんな質問にも答えてやろう」しかし、ビュルゲルは彼のことなんかに注意していないらしく、自分に提起した質問にすっかり没頭しきっていた。
「私が知っている限り、また私が自分で経験した限り、秘書たちは夜の聴取に関しておよそ次のような考えをもっているのです。すなわち、夜間には審理の公的な性格を十分に維持することが困難、いや不可能でさえあるため、夜が陳情者たちの審理には不適当である、というわけです。これはさまざまな外的なことにかかっているのではなくて、さまざまな形式は夜でも、欲するならば昼間におけるのと同じようにきびしく守られることができます。だから、このことが問題ではないのですが、それとはちがって公的な判断が夜にはそこなわれるのです。人間は知らず知らずに、夜間にはものごとを個人的な観点からより多く判断する傾向があります。陳情者たちの供述が、それにふさわしい以上の重みをもちます。判断のなかには、陳情者たちのそのほかの状態とか彼らの悩みや心配とかの相応の考慮というものが、全然入ってこないのです。陳情者たちと役人たちとのあいだの柵(さく)が、たとい外面的には非の打ちどころなく存在しているとしても、ゆるんでしまうのです。そして、夜間でなければ、当然あるべきように、ただ質問と返答とがやり取りされるはずのところで、ときどき、奇妙な、まったくふさわしくないような、役柄の交換が行われるように見えるのです。少なくとも秘書たちはそういうふうにいっています。つまり、職務柄そうしたことに対してまったくなみなみでない鋭い感覚に恵まれている人びとではあるわけですが、秘書たちはそういうのです。しかし、彼ら秘書たちでさえ――このことはすでにしばしばわれわれの仲間では話し合われましたが――夜間の事情聴取のあいだにはそうしたまずい作用にほとんど気づかないのです。反対に、彼らはそうしたまずい作用を防ぐようにはじめから努力し、最後にはかくべつよい成果を挙げることができたように思うのです。ところが、のちになって調書を読み返すと、しばしばその明白な欠点に驚くということになります。そして、この点がまちがいであり、しかもいつでも陳情者の半ばは不当なもうけものなのでして、それは少なくともわれわれの規則によれば普通の手短かな手続きではもう修正がきかないのです。かならずやそれらのまちがいは監督の役所によって改善されるでしょうが、しかし、そのことはただ正義に役立つだけであって、もうその陳情者側に損を与えることはないでしょう。こうした事情のもとにあっては、秘書たちのこぼすのもまことにもっともではないでしょうか」
 Kはそれまでほんのちょっとのあいだ半ばうとうとして過ごしていたが、今はふたたび目をさまされた。「こうしたことのすべてはどうしたわけなのだ? どうしたわけなのだ?」と、彼は自問して、重くなったまぶたの下からビュルゲルを、自分とむずかしい疑問について話し合っている一個の役人としてではなく、ただ自分の眠りを妨げ、そのほかの意味は見出すことができない何かあるものとして、ながめた。ところがビュルゲルのほうは、まったく自分の思考の筋道に没頭していて、Kを少しばかりまどわすことにちょうど今成功したのだといわんばかりに微笑するのだった。



この本を、全文縦書きブラウザで読むにはこちらをクリックしてください。
【明かりの本】のトップページはこちら

 
 
 
以下の「読んだボタン」を押してツイッターやFacebookを本棚がわりに使えます。
ボタンを押すと、友人にこの本をシェアできます。
↓↓↓ 

Facebook Twitter Email
facebooktwittergoogle_plusredditpinterestlinkedinmailby feather

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">