フランツ・カフカ 城 (16〜20章)


 Kは詑びをいおうとした。エルランガーは、両眼を疲れたように閉ざして、そんなことはしないように、と合図をしてみせた。
「問題は次の点です」と、エルランガーはいった。「酒場に以前、フリーダという女の子が勤めていました。私はその子の名前だけ知っています。その子自身は知りません。その子のことは私にはどうでもいいのです。このフリーダがときどきクラムにビールをもっていきました。今はあそこには別な女の子がいるようです。ところで、こんな変化はむろんつまらぬことです。おそらくだれにとってもそうでしょう。ましてクラムにとってはまちがいありません。ところで、仕事が大きければ大きいほど(そして、クラムの仕事はむろんもっとも大きなものです)、自分の身を外界に対して守る力は少ししか残らないものです。そのため、きわめてつまらぬものごとのつまらない変化がいちいち深刻な妨げになるということになりかねません。机の上のきわめて小さな変化、そこに前からあったしみが取り除かれたというようなことが、もう妨げになるものなのです。新しい女給仕がきたというのもまさにそれです。むろんそんなことはみな、ほかのだれかがやっている任意の仕事のじゃまをするとしても、クラムのじゃまなんかにはなりません。そんなことは全然問題にはなりません。それにもかかわらず、われわれはクラムがくつろいでいられるようにできるだけ気づかっている義務があります。そのために、彼にとっては妨げではないようなことであっても――おそらくクラムにとっては妨げになることなんかおよそないと思われますから――われわれにとって妨げとなるかもしれないと思われるものに気づいたならば、それを取り除くように注意していなければなりません。クラムのため、クラムの仕事のためにわれわれはこうした妨げを取り除くのではなく、われわれのため、われわれの良心とわれわれの安心とのために取り除こうとするのです。それゆえ、そのフリーダという子はすぐまた酒場にもどらなければなりません。おそらくその子は、もどるというそのことによって妨げとなることでしょう。で、そうなれば、われわれはその子をまた追い出すことでしょう。しかし、目下のところ、その子はもどらなくてはなりません。私の聞かされているところでは、あなたはその子といっしょに暮らしているそうですね。そこで、すぐその子がもどるように計らって下さい。個人的感情などは、この場合いっさい考慮している余地がありません。それはまったくわかりきったことです。そこで私はこのことについてのこれ以上の言及はほんの少しでも許しません。あなたがこの小さなことをみとめるなら、それがあなたの将来に何かのときに役立つかもしれない、ということを私がいうなら、それはもう私が必要以上のことをいっていることになります。私があなたにいわなければならないことは、これだけです」
 エルランガーは別れの挨拶にKにうなずいて見せ、従僕が手渡した毛皮の帽子をかぶると、従僕を従えて、足早に、しかし少しびっこをひきながら、廊下をむこうへいってしまった。



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