フランツ・カフカ 城 (16〜20章)

第十七章


 暗い紳士荘の前には人びとの小さなむれが立っていた。二、三人の者がランタンをもっているので、何人かの顔は見わけがついた。Kは一人だけ顔見知りを見つけた。馭者のゲルステッカーだった。ゲルステッカーは次のようにたずねて、挨拶した。
「あなたはまだ村にいるんですね?」
「そうだよ」と、Kはいった。「私はずっとここにいるためにやってきたんだよ」
「まあ、それはどうでもかまいませんさ」と、ゲルステッカーはいうと、はげしく咳をして、ほかの人びとのほうを向いた。
 みんながエルランガーを待っていることがわかった。エルランガーはもう到着していたが、陳情人たちを迎える前に、まだモームスと話し合っていた。人びとの話は、建物のなかで待つことは許されていなくて、ここの外の雪のなかに立っていなければならないのだ、ということをめぐって行われていた。ひどく寒くはなかった。それでも、この陳情人たちをおそらく何時間も夜のなかを建物の前にほうり出しておくことは、むちゃだった。これはむろんエルランガーの罪ではなかった。彼はむしろ人をよろこんで迎えるほうだった。で、彼はこんな有様をほとんど知らないでいたのであり、そんなことが彼に伝えられでもしたならば、きっとひどく腹を立てたことだろう。これは紳士荘のおかみの罪で、すでに病的にまでなっている上品ぶろうとする気持から、大ぜいの陳情人たちが一度にどっと紳士荘へ入ってくることには我慢ができなかったのだ。
「どうしてもしかたがないし、あの人たちが入ってこなければならないのなら」と、おかみはいつでもいっていた。「そのときは、ごしょうだから、順々に入るのよ」
 そして、おかみが自分の意志を頑張り抜いたので、そのため陳情人たちは(はじめはただ廊下で、のちには階段の上で、つぎには玄関で、最後には酒場で待っていたが)、とうとう通りへ突き出されてしまった。しかし、それでさえ、おかみにまだ満足を与えなかった。おかみがいったように、自分の家をたえず〈包囲されている〉ことは、彼女には耐えられなかった。なんのためにこんな陳情人たちの出入りがあるのか、彼女にはわからなかった。『前の本階段を汚なくするためさ』と、あるとき一人の役人が彼女にいったが、おそらく腹立ちまぎれにいったものだろう。ところが、おかみにはこの言葉がひどくよくわかったので、いつでも好んでこの言葉を引くのだった。彼女は紳士荘の向いに陳情人たちが待つことのできる建物を一つつくり上げるように努力したが、これがすでに陳情人たちの希望とうまく合った。陳情人たちの話合いも事情聴取も紳士荘の外で行われたら、おかみにはいちばんよかったのだろうが、それには役人たちが反対した。そして、役人たちがまじめになって反対するならば、おかみは副次的な問題では彼女のあきることのない、しかも女らしくこまかな熱心さが一種のちょっとした専制支配をやりとげはしたけれども、むろん我(が)を張り通すことはできなかった。ところが、話合いや事情聴取をおかみはどうやらこれからも紳士荘でも我慢しなければならないだろう。というのは、城からくる人たちは、村で公用のために紳士荘を離れることを拒んだのだった。役人たちはいつも急いでおり、ただひどくいやいや村にくるので、どうしてもやむをえない以上にここに滞在する気持は、ほんの少しでももっていず、それゆえ、ただ紳士荘の平和を考えてだけだが、しばらくのあいだ書類いっさいをもって通りを越して向う側のどこか別な建物へ移り、そんなふうにして時間を失わせるなどとは、とても役人に向って要求できることではなかった。実際、役人たちにいちばん好ましいのは、公務を酒場か自室で、できるならば、食事中とかベッドのなかにいて眠る前とかに、または朝、あんまり疲れていて起き上がれないで、もう少しベッドに横になっていたいというときに、片づけてしまうことだった。そこで、役人に移ってもらうことは全然望めなかったが、それに反して、待合所の建物を建てるという問題は、うまい解決に近づきつつあるように見えた。むろんこれはおかみにとっての手痛いお灸(きゅう)だった。――人びとはそのことをちょっとばかり笑ったものだった――つまり、まさにこの待合所の件が無数の相談を必要とし、この建物の廊下がどこもほとんど空(から)にならないのだった。



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