フランツ・カフカ 城 (16〜20章)


 そのとき、建物正面のドアが開いて、モームスが二人のランプをかかげた従僕のあいだに現われた。
「エルランガー秘書官殿に面接を許される最初の者は」と、彼はいった。「ゲルステッカーとKとだ。両人ともここにいるか?」
 二人は名乗り出たが、彼らよりも先にイェレミーアスが「私はここの客室つきボーイです」といって、微笑しているモームスに挨拶として肩を一つぽんとたたかれると、建物のなかへするりと入ってしまった。
「おれはこれからイェレミーアスにもっと注意しなければならんだろう」と、Kはひとりごとをいったが、そのとき彼は、イェレミーアスは城で彼に対していろいろ画策しているアルトゥールよりもおそらくずっと危険が少ないのだ、ということをはっきりと意識していた。おそらく、助手としての彼らに悩まされているほうが、この二人のいましめをといてそこらじゅうをうろつき廻らせ、どうやらこの二人が格別の素質をそなえているらしい陰謀を思うままにやらせておくよりも、賢明でさえあったのだ。
 Kがモームスのそばを通り過ぎたとき、モームスはまるで今やっと彼のうちに例の土地測量技師をみとめたというようなそぶりを示した。
「ああ、土地測量技師さんですね」と、彼はいった。「あんなに事情聴取を受けることのきらいな人が、聴取に押しかけてきているんですね。あのとき、私に受けたほうがもっと簡単だったでしょうにね。でもむろん、正しい聴取を選ぶことはむずかしいことですからね」
 こう話しかけられ、Kが立ちどまろうとすると、モームスはいった。
「いくんです、いくんですよ! あのときなら私はあなたの返事が必要だったでしょうが、今はいらないんですよ」
 それにもかかわらず、Kはモームスの態度に激してしまって、こういった。
「君たちはただ自分たち自身のことだけ考えているんですね。ただ役所のために私は返事をするんじゃないですよ。あのときだって、きょうだって」
 モームスはいった。
「いったい、われわれはだれのことを考えるべきだというんですかね? いったい、ここにはそのほかにだれがいるんですか? いきなさい!」
 玄関で一人の従僕が二人を迎え、Kがすでに知っている道を内庭を通ってつれていき、つぎに入口をくぐり、天井の低い、少し傾斜している廊下へ導き入れた。上の階にはただ上級の役人たちだけが泊っているらしく、それに反して秘書たちはこの廊下に面した部屋に泊っていた。エルランガーも、秘書のいちばん上の一人ではあるが、やはりここだった。従僕はランタンを吹き消した。というのは、ここには明るい電燈照明があった。ここのいっさいはつくりは小さいが、きれいにつくられていた。空間はできるだけ利用しつくされている。廊下は、直立して通るのにやっとたりた。両側にはドアがつぎつぎに並んでいた。両側の壁は天井まではとどいていないが、これはおそらく換気を考えてのことであろう。というのは、これらの小部屋は、この奥深い地下室のような廊下に面しては窓を一つももっていない。この完全には閉ざされていない両側の壁の欠点は、廊下がさわがしく、また必然的に部屋のなかもさわがしいということだった。多くの部屋はふさがっているようで、たいていの部屋ではまだ人が起きていて、人声やハンマーの音やグラスのかちかちいう音が聞こえた。しかし、とくに陽気らしいという印象は受けない。人の声はみな抑えた調子で、ときどきやっと一ことぐらい聞き取れるだけだった。それはまた、談話をしているのでもないらしく、おそらくだれかが口授しているか、あるいは何かを朗読しているか、そのどちらかのようだった。グラスや皿の響きが聞こえてくる部屋からは、一ことも言葉は聞こえず、ハンマーの音はKにどこかで語り聞かされた次のような話を思い出させた。つまり、多くの役人は、たえまのない精神的緊張から気ばらしをするため、しばらく指物(さしもの)仕事とか精密工学とか、そんなふうなことに没頭するということだった。廊下そのものには人影が見えず、ただ一つのドアの前に、夜の下着をのぞかせている毛皮の外套(がいとう)にくるまった顔の蒼(あお)い大柄の紳士が坐っていた。おそらく部屋のなかは彼にとってあまりにうっとうしくなったので、廊下へ出てきて、そこで新聞をたいして注意も集中しないで読んでいるらしかった。しょっちゅうあくびをしながら、読むことをやめ、廊下づたいに視線を走らせていた。おそらく、彼が呼び出しをかけた、そしてくるのが遅れている相手を待ちわびているのだった。三人がこの男のところを通り過ぎていったとき、従僕がその紳士について、ゲルステッカーに向ってこういった。
「ピンツガウアーさんだよ!」
 ゲルステッカーはうなずいた。
「あのかたはもう長いこと、この下の村にはいらっしゃらなかったね」と、彼はいった。
「もうずいぶん長いこと、いらっしゃらなかった」と、従僕は裏書きするようにいった。



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