フランツ・カフカ 城 (16〜20章)

第十八章


 そのときKがあてもなくあたりを見廻していると、ずっと遠くの廊下の曲り角にフリーダの姿が見えた。彼女は、まるでKだと見わけがつかないようなそぶりで、ただじっと彼を見つめた。手には空の食器類ののったぼんをもっていた。Kは従僕に向って、すぐもどるからといって、フリーダのほうへかけよっていった。ところが、従僕は全然Kには注意を向けていなかった――この従僕は話しかけられればかけられるほど、いよいよ放心していくように見えた――。彼女のところにつくと、まるでまた彼女を自分の所有物にするのだといわんばかりに、彼女の両肩をつかまえ、二こと三こと意味のない問いをしかけて、それと同時に調べるように彼女の眼のなかを探った。しかし、彼女のこわばった態度はほとんどほぐれなかった。彼女はぼんやりとぼんの上の食器類を二、三度置き換えようとやってみていたが、こういった。
「いったい、わたしになんの用があるんです? あの人たちのところへいらっしゃいな――そう、あの人たちがなんという名前かはあなたご存じのはずね。あなたはあの人たちのところからきたんでしょう。あなたを見ればすぐわかるわ」
 Kは急いで話を変えた。話をこんなふうに突然切り出されては困る。いちばん悪いことから、自分にとっていちばん都合が悪いことから始めるのは困る。
「君は酒場にいるものと思ったよ」と、Kはいった。フリーダは驚いてKを見つめ、それからあいている片方の手で彼の額と頬とをやさしくなでた。まるで彼の容貌(ようぼう)を忘れてしまい、ふたたびそれを意識へ取りもどそうとしているようだった。彼女の眼も、苦労して思い出そうとしているような、ヴェールのかかったような表情を浮かべていた。
「わたし、また酒場に採用されたの」と、やがて彼女はゆっくりといった。まるで、自分のいうことは大切ではないが、こうした言葉の下でさらにKとの対話をやっているのであって、それのほうが大切なのだ、というかのようだった。



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