ファウスト ゲーテ







  ファルツの帝都



玉座の間(ま)。閣臣帝の出御を待ちゐる。喇叭(らっぱ)の音。華美なる服装をなせる宮中の雑役等登場。帝出でて玉座に就く。天文博士帝の右に侍立す。



  帝

遠くからも近くからも寄って来た、
忠実な皆のものに己は挨拶をいたす。
そこで賢者は己の傍に来ているが、
阿房はどういたしたのだ。


  貴公子

只今お附(つき)申して参る途中で、殿様の袍(ほう)の裾の
すぐ背後(うしろ)で、階段(きざはし)の上に倒れました。あのでぶでぶ
太った、重い体は、誰やらがかついで行きました。
酒に酔ったのか、死んだのか、分かりません。


  第二の貴公子

そういたすと珍らしいすばやい奴があるもので、
(かわり)の男がすぐにその場へ割り込んで参りました。
実に面白い、目に立つなりをいたしています。
しかしどうも異様ですから、誰も一寸見て驚きます。
それで御守衛が矛を十文字にいたして
敷居際で留(と)めていました。
や。でもあそこへまいりました、大胆な馬鹿が。


  メフィストフェレス


(玉座の前に跪(ひざまず)きつゝ。)

来ねば好(い)いがと云われていても、来て歓迎せられるのは何か。
いつも待たれていて、来ると逐い出されるのは何か。
どこまでも保護を加えられるのは何か。
ひどく叱られたり苦情を言われたりするのは何か。
殿様のお呼寄(よびよせ)になってならないのは誰か。
名を聞くことを皆が喜ぶのは誰か。
玉座の下へ這い寄って来るのは何か。
土地をお構(かまい)になるように自分でしたのは何か。


  帝

まあ、差当(さしあた)りそんなに饒舌(しゃべ)らんでも好(い)い。
この場ではそんな謎のような物は不用だ。
謎を掛けるのは、そこらにいる人達の為事(しごと)だ。
掛けられたら、お前解け。己が聞いて遣る。
前いた阿房はどうやら遠くへ立ったらしい。
お前そいつの替(かわり)になって、己の傍にいてくれい。

(メフィストフェレス階段を登りて左に侍立す。)



  衆人の耳語

新参の阿房か。○新規な難儀だな。○
どこから来たのだろう。○どうして這入ったのだろう。○
(せん)のは倒れたのだ。○お暇乞だった。○
あいつは酒樽だった。○こいつはこけらだ。


  帝

さて、遠くからも近くからも寄って来た
忠実な皆のものに、己は挨拶をいたす。
丁度お前達は好(よ)い星の下(もと)へ寄った。
(そら)には好運や祝福が書いてある。
然るに、この、いらぬ憂を棄てて、
舞踏の日のように面(めん)を被って、
面白い事ばかり見聞(みきき)して楽もうとしている、
この日に、一体なぜ評議なんぞをして
面倒な目を見んではならんのか。
まあ、兎に角お前達がせねばならんと云うから、
そんならそうとして、する事にした。


  尚書

人間最高の徳が、聖者の毫光(ごうこう)のように、
殿様のおつむりを囲んでいて、それを有功に
御実行なさることは、殿様でなくては出来ません。
それは公平と申す事でございます。人が皆
愛し、求め、願い、無いのに困るこの徳を、
民に施しなさるのは殿様でございます。
しかしこんな風俗が時疫のように国に行われて、
悪事の上に悪事が醸し出されては、
心には智慧、胸には慈愛、手には
敏活があったと云って、なんになりましょう。
どなたでもこの高殿の上から、広い国中(くにじゅう)
お見卸(みおろし)なされたら、苦しい夢のお気がいたしましょう。
異形のものばかりが押し合って、
不法が法らしく行われて、
間違が世間一ぱいになっていますから。

家畜を盗む。女を盗む。
寺から杯や、十字架や、燭台を盗む。
そして長い間、膚(はだえ)をも傷られず、
体をも損われずにいるのを自慢話にする。
そこで原告が押し合って裁判所に出て見ると、
判事はただ厚い布団の上に息張(いば)っている。
(そと)には次第に殖える一揆の群集が
怒濤のように寄せては返しているのに。
身方の連累者の申立(もうしたて)を土台にして、
相手の罪を責めることは出来、
孤立している無辜(むこ)の民は、
却って「有罪」と宣告せられる。
そう云う風に世は離れ離れになって、
当然の事は烏有に帰してしまいます。
民を正道に導くただ一つの誠が
どうしてここに発展して参りましょう。
しまいには正直な人が
侫人(ねいじん)に、贈賄者になって、
賞罰を明にすることの出来ない
裁判官は犯罪者の群に入ります。
これでは余り黒くかいた画のようでござりますが、
実はもっと厚い幕で隠したかったのでござります。

(間(ま)。)

いずれ断然たる御処置がなくてはなりますまい。
民が皆傷(やぶ)り害(そこな)い、皆痛(いた)み悩んでいましたら、
恐れながら帝位の尊厳も贓物(ぬすまれもの)になってしまいましょう。


  兵部卿

まあ、此頃の乱世の騒(さわぎ)はどうでござりましょう。
一人々々が殺しもし、殺されもして、
号令をしても皆聾(つんぼ)のようでござります。
市民は壁の背後(うしろ)に、騎士は
岩山の巣に立て籠って、
公に背いて、踏みこたえようとして、
私の戦闘力の維持に力めている。
傭兵は気短に、
給料の下渡(さげわたし)をぎょうぎょうしく催促して、
それを払ってしまったら、
皆逃げてしまいそうにしている。
皆の望んでいる事を、誰でも禁じたら、
それは蜂の巣をつついたようであろう。
その傭兵が守るはずの、国はどうかと云うと、
(かす)められ、荒されている。
(あば)れるままに暴れさせて置くうちに、
国は半分もう駄目になっています。
まだ外藩の王達はおられますが、
どなたもそれを我事とはなさりませぬ。


  大府卿

もう誰が聯邦の盟(ちかい)を当(あて)にしましょう。
約束の貢は、水道の水が切れたように、
少しも来なくなりました。
それにこの広いお国の中でも、占有権が
どんな人の手に落ちたと思召します。
どこへ行って見ても、新しい人間が主人になって、
独立して生計(せいけい)を営むと云っています。
どんな事をしていたって、見ている外はありません。
あらゆる権利を譲って遣って、もう公(おおやけ)の手に
残っている権利は一つもありません。
あの党派と云っているものなぞも、
今日になってはもう信頼することは出来ません。
賛成しても、非難しても、愛憎どちらでも
構わぬと云う冷澹な心持になっています。
身方のギベルリイネンも、相手のゲルフェンも、
手を引いて、佚楽(いつらく)を貪っています。
誰が隣国なんぞを援けようといたしましょう。
てんでにしなくてはならぬ事がありますから。
金穴(きんけつ)の戸口には柵が結ってあって、
一人々々が掘り出して、掻き集めているだけで、
内帑(ないど)はいつも明虚(あきがら)になっています。


  中務卿

わたくしの方も随分不幸に逢っています。
毎日々々節倹をいたそうとしていて、
毎日々々費用が嵩(かさ)むばかりでございます。
それにわたくしの難儀は次第に殖えて参ります。
まあ、お料理人の手元だけはまだ不足がありません。
鹿に氈鹿(かもしか)、兎に野猪(いのしし)
鶏にしゃも、鶩(あひる)に鴨、
そう云う生物(しょうぶつ)の貢は本(もと)が確(たしか)で、
まだかなりに這入ってまいります。
それでも酒がそろそろ足りなくなってまいります。
これまでは出所(でどころ)の好(よ)い、時代のあるのが、
樽を並べて積み上げて、穴蔵にありましたのに、
皆様が引切(ひききり)もなくお飲(のみ)になるので、
もうそろそろ残少(のこりすくな)になって来ました。
此頃は町役所の貯(たくわえ)までを取り寄せて、
それ大杯に注げ、鉢に注げと、
皿小鉢を卓(つくえ)の下に落すまで、お飲(のみ)になる。
その跡始末と勘定はわたくしがいたします。
猶太商人(ユダヤあきんど)は容赦なく、
歳入を引当にいたして、いつも翌年のを
繰り上げて納めています。
飼ってある豕(ぶた)は肥えませぬ。
お褥(しとね)の鳥の羽も質に這入っておりまする。
借越(かりこし)のパンを差し上げるのも致方(いたしかた)がございません。


  帝


(暫く考へて、メフィストフェレスに。)

どうだ。まだその外に難儀のあるのを知っているか。


  メフィストフェレス

わたくしですか。存じません。こうして殿様はじめ
皆様の御盛んな様子を拝しています。帝位の尊厳で
いやおうなしにお命じなさるに、
なんで信用が足りますまい。
智慧と働(はたらき)とで強くなっている、多方面な善意が
お手廻(てまわり)にあるに、なんの威力が方々に仇をしましょう。
こう云う星の数々が照っている所で、
何が寄って災難や暗黒になることが出来ましょう。


  耳語

あいつ横着者だね。○巧者な奴だね。○
胡麻を磨り込みおる。○遣れる間遣るでしょう。○
分かっていまさあ。○内々何を思っているか。○
これからどうすると云うのです。○建白でもするのでしょう。


  メフィストフェレス

一体この世では何かしら足りない物のない所はありません。
あそこで何、ここでは何が足りぬ。お国では金が足りぬ。
それだと云って床(ゆか)の下を掘って出すことは出来ません。
そこは智慧で、どんな深い所からでも取って来ます。
山の礦脈の中や、人家の地(ち)の底に、
金塊もあれば金貨もあります。
そんならそれを誰が取って来るかとお尋ねなさるなら、
力量のある男の天賦と智慧だと申す外ありません。


  尚書

天賦と智慧だの、自然と霊だのとは信徒は云わない。
そんな話はひどく危険だから、
無神論者を焚き殺すのだ。
自然と云う罪障と、霊と云う悪魔とが、
夫婦になって片羽な子を生んで育てる。
その子が懐疑だ。
ここにはそんな事はない。殿様の古いお国には、
二通(ふたとおり)の門閥が出来て、
それが玉座を支えている。
それは聖者と騎士なのだ。
この方々(かたがた)がどんな暴風雨をも相手に闘って、
その報(むくい)に寺院と国家とを取りまかなう。
ところが腹の極(き)まらない下賤な奴の心から
反抗が起って来る。
それが背教者だ。魔法使だ。
そう云う奴が都をも国をも滅すのだ。
そう云う奴を今お前は、臆面のない笑談で、
この尊い朝廷へ口入をしようとしている。
お前達は腐った根性を守(も)り育てている。
そう云う奴は皆阿房の同類だ。


  メフィストフェレス

お詞(ことば)で学者でいらっしゃることが知れますな。
なんでも手で障って見ない物は、何里も先(さき)にある、
握って見ない物は、まるで無い、
十露盤(そろばん)で当って見ない物は嘘だ、
(はかり)で掛けて見ない物は目方がない、
自分で鋳たのでない銭は通用しないと思召す。


  帝

そんな話で物の足りぬのが事済にはならぬ。
断食の時の説教のような講釈でどうしようと云うのか。
こうしたらとか、どうしたらとか、際限なく云うのには厭(あ)いたぞ。
金が足りぬ。好(よ)いわ。金をこしらえい。


  メフィストフェレス

おいり用の物は拵えますとも、それより多分に拵えます。
造做(ぞうさ)もない。しかしその造做もない事がむずかしいのです。
(げん)にそこにある。しかしそれを手に入れるのが
術で、誰がその術に手を著けましょう。
一寸考えて御覧なさい。疆(さかい)を侵した外寇の海嘯(つなみ)に、
土地も人民も溺れた、あの驚怖時代に、
どんなにか不本意には思っても、誰彼が
一番大事な物をあそこここに隠したのです。
ロオマ人が暴威を振った時から、そうでした。
それからずっときのうまでもきょうまでも、そうです。
それが土の中にじっとして埋もれている。
土地は殿様のだ。殿様がそれをお取(とり)になるが宜しい。


  大府卿

阿房にしてはなかなか旨く述べ立てるな。
勿論それはお家柄の殿様の権利だ。


  尚書

悪魔がお前方に金糸を編み入れた罠を掛けるのだ。
どうも只事ではないようだぞ。


  中務卿

少しは筋道が違っていても好(い)いから、
御殿の御用に立つ金を拵えて貰いたいものだ。


  兵部卿

阿房奴賢いわい。誰にも都合の好い事を約束しおる。
兵隊なんぞは、どこから来た金かと問いはしない。


  メフィストフェレス

もしわたくしに騙されるとお思(おもい)なさるなら、
それ、そこにいます、あの天文博士にお尋なさい。
やれ躔次(てんじ)だの十二宮だのと、隅から隅まで知ってござる。
一つ言って貰いましょう。きょうの天文はどうですな。


  耳語

横著者が二人だ。○以心伝心でさあ。○
阿房に法螺吹が。○御前近くにいるのです。○
聞き陳(ふる)した。○昔の小歌だ。○
阿房が吹き込む。○博士がしゃべるのですな。


  天文博士


(メフィストフェレス白(せりふ)を附く。博士語る。)

一体日そのものは純金でございます。
水星は使わしめで、給料を戴いて目を掛けて貰う。
金星と云う女奴は皆様を迷わせて、
朝から晩まで色目で見ている。
色気のない月奴は機嫌買ですねている。
火星はお前様方を焼かぬまでも、威勢で嚇(おど)している。
木星は兎に角一番美しい照様をする。
土星は大きいが、目には遠くて小さく見える。
あいつが金(かね)になると鉛だが、余り難有(ありがた)くありませぬ。
値段は安くて目方が重い。
そうですね。ただ日に月が優しく出合うと、
金銀が寄って、面白い世界になる。
その上には得られないと云うものはありませぬ。
御殿でも、庭でも、小さい乳房でも、赤い頬(ほお)でも、
そんな物を得させるのは、我々の中で誰一人
出来ない事の出来る学者の腕でございます。


  帝

あれが云う詞には己には二重に聞えるが、
そのくせどうもなるほどとは合点が出来ぬ。


  耳語

あれがなんの用に立つだろう。○連枷(からさお)で打った
跡のような洒落だ。○暦いじりだ。○錬金の真似だ。○
あんな事は度々聞きました。○そしていつも騙されました。○
よしや出て来たところで。○嘘っぱちですよ。


  メフィストフェレス

皆さんはそこに立って呆れていなさるばかりで、
大した見附物を御信用なさらない。
草の根で刻んだ人形をたよりにするとか、
黒犬を使うとか云うような、夢を見ていなさる。
あなた方の中には時たま足の蹠(うら)が痒かったり、
足元が慥(たし)かでなくなったりすると、
洒落でちゃかしてしまったり、魔法だと云って
告発したりなさるが、分からない話です。

あれはあなた方がみんな、永遠に主宰している
「自然」の奇(く)しき作用をお感じになるのです。
その生動している痕跡が、一番下の方から
上へ向いて縋って登って行くのです。
いつでも手足をつねられるような気がしたり、
いる場所が居心が悪くなったりしたら、
すぐに思い立って鍬で掘って御覧なさい。
そこには楽人の死骸がある。そこには宝がある。


  耳語

わたくしなんぞは足に鉛が這入っているようだ。○
わたくしは腕が引き弔(つ)る。○それは痛風です。○
わたくしは足の親指がむずむずする。○
わたくしは背中じゅうが痛い。○
こんな塩梅だと、ここなんぞは
宝が沢山埋まっている土地でしょうか。


  帝

そんなら早くせい。もうお前は逃がさぬから、
その口から沫を出してしゃべった嘘を
(ため)すために、すぐその尊い場所を見せてくれ。
お前が嘘を衝いたのでないなら、己は冠や
指揮の杖を棄てて、尊い、自分の
この手で、その為事(しごと)を果そうと思う。
もし嘘なら、お前を地獄へ遣って遣る。


  メフィストフェレス

それはそこへ行く道はわたくしが知っていますが、
そこにもここにも持主がなくて埋まっている物の、
その数々は申し上げ切れない位でございます。
どうかいたすと、畝を切っている百姓が、
土塊(つちくれ)と一しょに金(きん)の這入った壺を掘り出す。
また外の奴は土壁の中から硝石を取ろうとして、
貧に痩せた手に、驚喜しながら、
立派な金貨の繋がったのを取り上げる。
まあ、どんな穹窿(きゅうりゅう)を爆破したり、
どんな深い穴や、どんな長い坑道の奥を、
奈落の底の近所まで、宝のありかを
知った人は這入ったりしなくてはならないでしょうか。
さて広い、年久しく隠してある穴倉に這入ると、
(きん)の大杯や皿や鉢が
ずらりと並べてあるのを見るでしょう。
紅宝玉で造った杯もあって、
それを使おうと思って見れば、
傍に古代の酒があります。
そこで、そんな事に明るいわたくしの申す事を
信じて下さらなくては駄目ですが、もう疾(と)っくに
桶の木は朽ちていて、酒石が凝って桶になって、
中に酒を湛えています。そう云う尊い酒の精も、
金銀宝石ばかりではなく、闇黒と
恐怖とで自分を護って蔵(かく)れています。
そう云う所を賢者は油断なく探っています。
昼間物を見知るのは笑談ですが、
深秘は闇黒を家にしていますからね。


  帝

そんな闇黒なんぞがなんになるものか。それはお前に
任せて置く。役に立つものなら、日向へ
出んではならぬ。誰が闇(やみ)の中で横著者を
見分けよう。牝牛は黒く、猫は灰色だ。
その黄金がどっしり這入って、地の下に
埋まっている壺を、お前の犂(すき)で日向へ掘り出せ。


  メフィストフェレス

いえ。御自身に鋤鍬を取ってお掘(ほり)なさいませ。
百姓の業(わざ)を自らなさる程大きい事はありませぬ。
そうなさったら、黄金の犢(こうし)が群をなして、
地の下から躍り出しましょう。
そうなると、御猶予なさることなしに、喜んで
御自分と后方(きさきがた)との身をお飾(かざり)なさいましょう。
色と沢(つや)とにかがやく石は、
(いかめ)しさをも美しさをも増しまする。


  帝

早くせんか。早くせんか。いつまで掛かるのだ。


  天文博士(上に同じ。)

いえ。そのおはやりになるお心を少しお鎮めなさって、
華やかなお慰を先へお済ませなさいませ。
気が散っていては目的は達せられませぬ。
先ず心を落ち著けると云う償(つぐのい)をして、
(まえ)なるものに由って後(のち)なるものを得なくては
なりませぬ。善を欲せば、先ず善なれ。
喜を欲せば、己が血を和平にせよ。
酒を得んと欲せば、熟したる葡萄を絞れ。
奇蹟を見んと欲せば、信仰を牢(かと)うせよでございます。


  帝

そんなら面白い事で暇を潰すも好かろう。
幸な事には丁度灰の水曜日が来る。
その間(あいだ)いつもよりも盛んに
四旬節の前の踊でもさせるとしよう。

(喇叭、退場。)



  メフィストフェレス

労と功とは連鎖をなしていると云うことが、
馬鹿ものにはいつまでも分からない。
よしや聖賢の石を手にしたところで、
石はあっても聖賢はなくなるだろうて。




隣接せる間(ま)多き、広々としたる座敷、仮
装舞踏を催さんがために装飾を尽せり。





  先触

皆様。ドイツの境の内にいると思ってはいけません。
悪魔踊に阿房踊、また髑髏踊なんぞのある、
面白いお慰(なぐさみ)が始まります。
殿様はロオマ征伐に御いでになって、
国のため、またあなた方のお慰のために、
高いアルピの山をお越(こえ)になって、
晴やかな土地をお手に入れなさいました。
殿様は先ず難有(ありがた)い上沓の裏に御接吻なさって、
御威勢の本になる権利をお受(うけ)になって、
それからお冠を貰いにおいでになったとき、
一しょに坊様の帽子をも持ってお帰(かえり)になった。
そこでみんなが生れ変ったようになった。
誰でも世渡上手なものは、その帽子を
頭から頸まですっぽり被る。
すると見掛(みかけ)は気の違った阿房のようで、
その帽子の蔭では、どんなにえらくでも
なっていられる。あれ、もうそこらに寄って、
浮足をして分れたり、睦ましげに組んだり、
群の跡に群が続いて来るのが見えます。
機嫌を悪くしないで、出たり這入ったりなさい。
何をしたところで、せぬ前もした後も同じ事、
百千の馬鹿げた事を包んでいるこの世界は
一人(ひとり)の大きな馬鹿ものに相違ありませぬ。


  庭作の女等


(マンドラの伴奏にて歌ふ。)

われ等若きフィレンチェの女等(おみなら)は、
君達に愛ではやされむと、
今宵皆粧ひて、ドイツの宮居の
御栄を追ひて来ぬ。

この褐色(かちいろ)の渦巻ける髪を
くさ/″\の晴やかなる花もて飾れり。
さて絹の糸、絹の絮(わた)、おのがじし
美しさを助くる料となれり。

なぞとや仰する。われ等はそを功(いさお)ありとし、
褒めます値ありと思へり。
わら等が造りなせる、このかゞやく花は
四つの時絶間なく咲き匂(にお)へり。

いろ/\に染めたる紙の小切(こぎれ)
向き合ひて所を得させたれば、
一つ/″\をば笑止とも見たまはむ。
すべてには心引かれ給ふべし。

われ等庭作の女等(おみなら)
愛でたく、人懐かしげには見えずや。
なぞとや仰する。女子(おみなこ)の生れながらの
さま見れば、手わざに似たれば。


  先触

その頭の上に載せている籠や、手から
五色を食み出させて提げている籠に
盛り上げてある豊かな品物を見せるが好(い)い。
そして皆さんが気に入ったのを取りなさるが好い。
皆が取って、急いでこの仮屋の道を
花園に紛れるようになさるが好い。
売手も品物も、賑やかに
取り巻いてお遣(やり)なさるだけの値打はあります。


  庭作の女等

さあ、お値段をお附(つけ)なさいまし。
ですけれど、市場の商ではございませんよ。
お取(とり)になる花一つごとに、それがなんの
花だと云う、面白い詞(ことば)を添えて上げます。


  実れる月桂の枝

わたくしはどんな花でも妬みませぬ。
なんの喧嘩も避けまする。
それは性に合わないからでございます。
その性と申すのは、もと野山の魂で、
間違のどうしても出来ないように、
その土地々々の睦(むつみ)の印になっています。
どうぞきょうのお祭には、似つかわしい、美しい
髪に載せてお貰(もらい)申しとうございます。


  穂の飾(黄金色。)

あなた方をお飾(かざり)申す、このケレスの賜は
さぞ優しげに、愛らしくお似合なさいましょう。
用に立つので、一番願わしいこれが、
あなた方のお飾としては美しゅうございましょう。


  意匠の輪飾

苔の中から咲かせてある、葵(あおい)のような、
はでな花は不思議な輪(わ)ではありませんか。
自然には常に無い物をも、
流行は生み出します。


  意匠の花束

わたくしに名を附けることは、植物にお精しい
テオフラストさんも御遠慮なさいましょう。
ですけれど、皆さんのお気に入らないまでも、
どなたかには好かれようかと存じます。
そうした方のお目に留まりとうございます。
どうぞ髪にお編み込み下さいまし。
どうぞわたくしがお胸の中に
所を得ますようにお極(きめ)下さいまし。


  勧誘の詞

その日その日の流行に
意匠の花は咲くが好(よ)い。
自然にかつて無いような、
不思議な姿をするが好(よ)い。
茎は緑に、弔鐘形(つりがねがた)の花黄金色(こがねいろ)
それが豊かな髪の中から見えるが好(よ)い。
ですけれど、わたくしども薔薇の莟
は隠れています。

それをちょっとお見附(みつけ)なさる方はお為合(しあわせ)です。

夏のおとないが知れて、
薔薇の莟(つぼみ)に火が附く時、この為合(しあわせ)
なくて好(よ)いとは、どなたも仰ゃりますまい。
誓いますこと、またそれを果しますことが、
花の国では一様に
目をも胸をも魂をも支配するのでございます。

(仮屋の屋根の下なる緑の道にて、庭作の女等美しく品物を飾り立つ。)



  庭作等


(テオルベの伴奏にて歌ふ。)

見給え。花は静かに生い出でて、
美しく君達の髪を飾るを。
木実(このみ)は誘うものならず。
ただ味いて楽み給え。

桜の実、山桃(さんとう)の実、大いなる李(すもも)の実、
皆褐色(かちいろ)の顔を見せたり。
ただ召せ。顎(あぎと)と舌とにあらぬ目は
え堪えじ、よしあし定むる官(つかさ)たるに。

来ませ。楽みて、味いて、もとも好く
(う)みたる木実(このみ)(と)うべに。
薔薇(そうび)をこそ詩にも作れ
林檎をば噬(か)までやわ。

おん身等のその豊かなる若き群に、
われ等の伴うを許せ。
隣にて、この熟(う)みたる木実の
さわなるを、われ等も積み飾らん。

飾りたる仮屋の隅に、
面白き編物の下に、
あらゆる物皆備れり。
芽あり、葉あり、花あり、実あり。

(ギタルラとテオルベの伴奏にて、かたみがはりに歌ひかはす歌と共に、二つの群は貨物を段々に高く積み飾り、客を待つ。)



母と娘と。



  母

嬢や。お前が生れた時ね、
帽子を被せて遣りましたが、
顔はほんとに可哀くて
体はほんとにきゃしゃでしたよ。
その時もうお婿さんが極(き)まったように、
大したお金のある内へ行くことになったように、
もうおよめさんになったように思いましたよ。

それにもう何年か
無駄に過ぎましたね。
お貰(もらい)になりそうな、いろいろな方々が
ずんずん通り過ぎておしまいなさった。
あるお方とはすばしこくお踊(おどり)だったし、
あるお方には目立たない相図を
肘でおしだったね。

いろいろな催(もよおし)もあったけれど
これまで駄目であったのだよ。
質の遊(あそび)も鬼ごっこも、
皆役には立たなかったのだよ。
きょうは皆さんが阿房になっておいでになるから、
お前襟を開(あ)けていて御覧。どなたか
お取止(とりとめ)申すことが出来るかも知れぬからね。

(若き、美しき女友達来てこれに加はり、親しげなる会話聞えはじむ。漁者と鳥さしと数人、網、釣竿、黐竿(もちざお)、その他の道具を持ちて登場し、少女等の間に交る。此等互に相挑み、相捉へ、逃れんとし、留めんとし、その動作極めて快き会話の機会を生ず。)




  樵者


(粗笨(そほん)に、躁急に登場。)

(よ)けた。避けた。
場所がいるのだ。
わたしどもは木を伐るのだ。
その木はめりめり云って倒れる。
それをかついで行くときは、
そこらじゅうへ衝き当たる。
自分の手柄を言うようだが、
これだけは御合点を願いたい。
荒っぽい奴も
土地で働かんでは、
どんなに智慧を出したって、
上品な人ばっかりが
どうして立ち行きましょうぞ。
御合点の願いたいのはここだ。
こっちとらが汗を掻かなんだら、
あなた方は凍えましょう。


  道化方


(手づつに、ほとんどをさなく。)

あなた方は馬鹿だ。
腰を屈めて生れなすった。
わたしどもは利口だ。
重荷を背負(しょ)ったことはない。
鳥打帽子も
ジャケツも襤褸著(ぼろぎ)
身軽な支度だ。
わたしどもは気持好く、
いつもなまけて、
上沓ばきで、
市場へも人込へも
駆け込んで、
物見高く立ち止まって、
お互にどなり合います。
さてその声が聞えると、
どんなに人が籠んだ中でも、
鰻のように摩り脱けて、
一しょになって跳ね廻り、
一しょになってあばれます。
お褒(ほめ)なさっても、
悪口を仰ゃっても、
御尤(ごもっとも)だと申します。


  寄生虫


(諛(へつら)ふ如く、物欲しげに。)

お前方、元気な、真木(まき)を背負(しょ)った男や、
御親類の
炭焼の男は
こっちの用に立つ人達だ。
全体腰を曲げたり、
竪にかぶりを振ったり、
紆余曲折の文句を言ったり、
人の感じよう次第で
暖めも冷(さ)ましもする
二重の息を嘘(ふ)き掛けたりする
こんな面倒がなんになると思う。
それは天からだって
大した火が
来ることもあるだろうが、
(へっつい)の広さだけ
かっかと燃え立たせる
真木や炭の荷が
なくては済まぬ。
そこで燔(や)けている。沸いている。
(に)えている。渦巻いている。
ほんとに味の分かる男は、
皿までも舐(な)める男は
燔ける肉を嗅ぎ附ける。
肴のあるのを見ずに知る。
そこでお出入先の食卓で
手柄をする気が出て来るのだ。


  酔人


(正気を失ひゐる。)

どうぞきょう己達にあらがってくれるな。
なんだか自由自在な心持がしているのだ。
涼しい風や気の晴れる歌も
己達が持って来て遣ったのだ。
そこで己は飲むよ。飲むよ。飲むよ。
杯を一つ打(ぶ)っ附けよう。ちりん。ちりん。
おい。そこの背後(うしろ)にいる先生。出(で)ておいで。
ちりんと遣るのだ。それで好(い)い。

かかあ奴がおこってどなって、
立派な上衣を皺にしおった。
どんなにこっちで息張(いば)っても、仮装の衣裳を
掛けて置く台だと云って冷かしおった。
それでも己は飲むよ。飲むよ。飲むよ。
(ぶ)っ附けて鳴らして見よう。ちりん。ちりん。
衣裳の台の仲間同士で杯を打(ぶ)っ附けよう。
音がしたなら、それで好(い)い。

己が迷子(まいご)になっているのだなんぞと云うなよ。
己は己の気持の好(い)い所にいるのだ。
亭主が貸さないと云やあ、上さんが貸さあ。
どっちもいけなくなったって、女中だって貸さあ。
いつだって己は飲むよ。飲むよ。飲むよ。
一しょに飲め、飲め。ちりん。ちりん。
順送(じゅんおくり)に打(ぶ)っ附けよう。ずっと先まで。
皆遣ってくれるぞ。それで好いようだ。

どうして、どこで己が楽んだって、
そうさせてくれて好いじゃないか。
どうぞ己の寝た所に寝させて置いてくれ。
もうそろそろ立っているのがいやになって来る。


  合唱する群

誰も彼も飲め、飲め。さあ、頼むよ、
ちりん、ちりんの演説を。
腰掛の木の切(きれ)に、しっかり腰を据えていろ。
机の下へころがった男はそれでおしまいだ。

先触種々の詩人等を紹介す。自然詩人、宮廷詩人、騎士詩人、温柔詩人、感奮詩人あり。皆自ら薦むるに急にして押し合ひ、一人も朗読の機会を得ずして已(や)む。一人ありて短き句を唱へて、抜足しつゝ過ぎ去る。




  諷刺

(こころ)より詩人わが
喜ばむことを君知るや。
一人だに聞くことを
願はぬ詞を歌はしめよ。

(夜の詩人と冢穴(つかあな)の詩人とはことわりの使をおこせたり。そは屍の血を吸ふワムピイルの纔(わずか)に墓中より出でたるに会ひて、興ある対話をなす最中なるが故なり。この対話に本(もと)づきて、あるいは詩の一新体の発展し来らむも知るべからずとなり。先触已むことを得ず、このことわりを認容して、さて希臘(ギリシア)神話を呼び出せり。今様の仮面を被りたれど、希臘神話はその特性をも興味をも損ふことなし。)

なさけの三女神グラチエ。



  映(はえ)の神アグライア

人の世に優しさをわれはもたらす。
優しさを物贈る手に籠め給へ。


  引率る神ヘゲモネ

優しさを物受くる手に籠め給へ。
願ふこと適(かな)へるはめでたからずや。


  楽(たのしみ)の神エウフロシネ

(たいらか)にあらん日の限、
(いや)申すにも優しかれ。

運命の三女神パルチェエ



  避(よ)くべからざる神アトロポス

(もと)も老いたるわれ、こたび
糸引く人に傭はれぬ。
細き命の糸引けば、
物思ふこと多きかな。

しなやかなるが得まほしく、
いと善き麻をわれ縒(よ)りぬ。
筋筋善く揃ひ、滑(すべ)り好かれと、
(さか)しき指(および)もて、われ縒りぬ。

(うたげ)にまれ、踊にまれ、
その矩を越えむとき、
糸の限を思へかし。
心せよ、切れやせむ。


  糸縒る神クロト

汝達(なれたち)知れりや。きのふけふ
剪刀(はさみ)は我手にわたされぬ。
そは老人(おいびと)の振舞に
飽かぬ節々あればなり。

何の甲斐あらじと思ふ幾筋を、
風のむた、照る日のもとに、曳き延(は)へぬ。
得ることのさはにあるべき望の糸を、
断ち切りて奥津城(おくつき)の底深く墜しつ。

されどわが若きすさびもしどけなく、
あやまちて断ちし糸百筋ありき。
いちはやきこの手をけふは控へんと、
剪刀をば嚢に入れてわれ持(も)てり。

かくてわれいましめに安んじをりて、
この場(にわ)をあはれみの目もて見わたす。
ゆるされたる日汝達は
戯れ遊べ、いつまでも。


  糸分くる女ラヘシス

心得て過たぬわれひとり
筋々の序(ついで)する業(わざ)を守れり。
つねに醒めたるわれならば、
慌ただしさの咎(とが)はなし。

来る糸をわくに巻き
それ/″\の道に遣る。
一筋も逸(そ)れさせじ。
輪のなりに寄りて来(こ)よ。

われ一日(ひとひ)心ゆるさば、いかにかは
なりぬべき、心もとなき世の中は。
われ日を計り、年を計りて、
服部(はとり)手に取る糸一束(つかね)


  先触

皆さん、どんなに古い書物にお精しくても、
こん度来るものはお分かりになりますまい。
随分悪い事をしでかす女共ではありますが、
御覧になるには、好いお客様でございましょう。

怒の女神(めがみ)でございます。嘘だとお思(おもい)なさるでしょう。
愛らしくて恰好が好くて優しくて年が若い。
附き合って御覧になると分かりますが、
どんなにかあの鳩が蛇のように噬(か)むでしょう。

一体陰険な奴ですが、きょうは誰でも
阿房になって、あらを手柄にする日なので、
あいつ等も天使としての名聞を思わずに、
都や鄙の厄介ものと名告(なの)って出ています。

怒の三女神フリエユ。



  かつて休まぬ神アレクトオ

どうせ諦めてわたし共におたよりなさらなくては。
こんなに綺麗で、若くて、小猫のようにあまえますもの。
あなた方(がた)男の方(かた)の中で好(す)いた女のおありなさる方には、
わたしがじゃれ附いて、耳の後(うしろ)をくすぐって上げます。

そしてお心安くなって、目と目を見合せてこう云います。
「あの女はあなたの外に誰さんにも愛敬を
振り蒔(ま)きますよ。頭(あたま)は馬鹿で、背中は曲って、その上
(びっこ)で、奥さんになさるお積(つもり)なら駄目」と云います。

そんな風に女の方へも水を指します。
「二三週間前でしたが、あの方はあの女に
あなたの事を下げすんで話していてよ」などと
云うのです。仲直りをしても、何かしら残ります。


  不親切の神メガイラ

そんな事は笑談です。婚礼をしてしまうと、
わたしが引き受けて、どんな場合にも
(ごく)美しい幸福を気紛(きまぐれ)でまずくします。
一体人は変るもので、時によって変ります。

それで誰一人願って得たものを手にしっかり持って
いないで、慣れてしまった一番大きい幸福を忘れて、
おろかにもそれより願わしいものにあこがれます。
凍えて煖まろうとして、日を跡に逃げるのです。

そう云う人の扱をわたしは一切心得ていて、
(い)い折に禍の種を蒔かせるように、夫婦中の
悪魔と云う、お馴染のアスモジを連れて来て、
二人ずつになっている人間を腐らせます。


  復讐の神チシフォネ

二心のある人を害する蔭言(かげごと)の代(かわり)に、わたしは
毒を調合したり、匕首(あいくち)を研いだりします。
余所の女に気を移した方は、早かれ遅かれ
お体に毒が廻るようにいたします。

そういたすと、ちょいとした間(ま)の甘いお楽(たのしみ)が、
泡立つ毒、苦(にが)い胆(きも)の汁になります。
そこには掛値もなければ、負けることもありません。
お犯しなすった罪だけは、お償(つぐのい)なさらなくてはなりません。

免除(ゆるし)のなんのと云うことを仰ゃいますな。
わたしの訴は岩に向(む)いていたします。
お聞(きき)なさい。すぐに谺響(こだま)が報の答をします。
女をお取換なすった方のお命はありません。


  先触

どうぞ、皆さん、少し脇へお寄なすって下さい。
今ここへ来るのは並(なみ)の物ではありません。
御覧の通(とおり)、山が一つ押し寄せて来ます。
(いろど)った毛氈が、誇らしげに腋に掛けてある。
頭から長い歯や蛇のような鼻が出ている。
なんだか秘密らしい物ですが、お分かりになるように、
鍵を見せて上げましょう。項(うなじ)には優しい女が
乗っていて、小さい鞭で巧者に使っています。
今一人上に立っている、立派な、上品な女は、
毫光(ごうこう)がさしているので、羞明(まばゆ)くてなりません。
(そば)をやはり上品な女達が縛られて歩いて来ます。
一人はせつなげな、一人は嬉しげな目をしている。
一人は自由を求めていて、一人はそれを得ている。
さあ、一人々々自分の身の上を明(あか)して貰おう。


  恐(おそれ)

(くゆ)る続松(ついまつ)、油の火、蝋の火微かに
入り乱れたる祭の群を照せり。
この幻の姿の中に、あはれ、
鎖は我を繋げり。

退(の)け。見苦しき、笑ふ人々。
その崩れたる顔のさまこそ怪しけれ。
我を謀らんとする人等皆
今宵我に迫り来(く)とおぼし。

見よ。あれは仇となれる身方の一人なり。
あの仮面(かめん)をばわれ知れり。
またあの男は我を殺さんとしつるなり。
われに見知られて、今逃げ去らむとす。

あはれ、いづ方へまれ逃れて、
世の中に隠れ避けばや。
されどかなたよりは死の我を嚇(おど)すあり。
我は猶(なお)烟と恐(おそれ)との中に捕はれてあり。


  望(のぞみ)

わが礼(いや)申すを受け給へ。女(おんな)の友等。
きのふけふこそ、おん身等皆
姿を変へて楽み給はめ。
あすは必ず仮の装(よそい)
解き給はん。
松の火の照らす下は、
わきて楽しとおもはねど、
晴やかなる日の昼に、
おのがじし心のまにま、
あるはひとり、あるは打ち群れて、
美しき野をそゞろありきし、
せまほしき事して、疲れて憩ひ、
憂を知らで日をくらし、
よろづ事足り、つねにいそしみ、
いづくへも、まらうどと
迎へられて行かばや。さらば
いづくにてか、最(もと)も善きものを
見出ださでやはあるべき。


  智

人の世の大いなる仇二つあり。
そは望(のぞみ)と恐(おそれ)となり。われそを繋ぎて、
御身等の群に近づかしめず。
道を開(あ)け給へ。御身等は救はれたり。

塔負へる、活ける大いなる獣を、
見給へ、われは牽(ひ)きて行けり。
獣は険しき道をば厭(いと)はで、
一足づつ進み行けり。

塔の上にはしなやかに羽搏つ、
広き翼ある女神いまして、
いづ方へも向きて、
(さち)を授け給へり。

女神の身のめぐりには光ありて、
遠く四方(よも)を照せり。
人の世のあらゆる業(わざ)の女神として、
勝利の神と名告らせ給へり。


  テルシテス、ツォイロスの合体

いやはや。己は丁度好(い)い所へ来たぞ。
お前さん方は皆悪いから、小言を言わねばならん。
だが、その中で己の目星を附けているのは、
あの上にいなさる勝利の神さまだ。
あんな真っ白な羽を背負(しょ)って、
鷲かなんかのような積(つもり)でいて、四方八方、
自分が顔を向けさえすりゃあ、土地も人間も、
我物になると思っていなさるのだろう。
ところで、どこで誰が誉められて幅が利くのでも、
己はすぐに癪に障ってならないのだ。
なんでも低い奴を持ち上げて、高い奴を
押し落して、曲ったのを直(すぐ)な、直なのを曲ったと
云うことにしなくては、己の虫が承知しない。
己は世の中の事をそうあらせたいのだ。


  先触

こら。やくざ狗(いぬ)奴。正義の杖の
誉ある一打を食(くら)え。打たれてすぐに
背中を曲げて、のた打ち廻るが好(い)い。
はあ。一寸坊の二人寄って出来た片羽者奴が、
見る見る胸の悪い塊(かたまり)になりおるな。
や。不思議だ。塊が卵になる。
そいつが膨(ふく)れ上がって、二つにはじける。
中から飛び出す二匹の獣は、
(かわうそ)と蝙蝠(こうもり)じゃないか。
獺は塵芥(ちりあくた)の中を這い廻って、
蝙蝠の黒い奴は天井へ飛び上がりおる。
はあ。一しょになって外へ逃げ出しおる。
あの三匹目の仲間には、己はなりたくないなあ。


  耳語

さあ。奥ではもう踊っていますぜ。○いや。わたしは
もう帰ってしまっていたらと思っています。○
そろそろ怪しい物共がはびこって来て、
我々の周囲(まわり)を取り巻くのが分かりませんか。○
髪の毛の上をしゅうと云って通りますぜ。○
なんだか足にちょっと障ったようです。○
誰も怪我はしやしません。○
でもみんな気味を悪がっています。○
もう慰(なぐさみ)はすっかり駄目になりました。○
畜生奴等がこうしようと思ってしたのです。


  先触

わたしは仮装の会で
先触の役を仰せ附けられてから、
御門で真面目に見張っていて、
この慰の場所へ、あなた方に禍を及ぼすものが
忍び込む事のないようにしています。
わたしはぐら附きもせねば、怪しい物を
(よ)けて通しもしません。しかし窓から空を飛ぶ
化物が這入るかも知れません。あなた方の
魔法にお掛かりになるのを、
防いでお上(あげ)申すことは出来ません。
なるほどあの一寸坊も少し怪しゅうございましたが、あれ、
あの奥の方からもまたどやどや遣って来ますね。
あいつらがなんだと云うことは、
役目ですから、説明をしてお上(あげ)申しましょう。
しかし理解の出来ない事は、
説明も出来兼ねます。
皆さんに教えて戴きたいものです。
御覧なさい。あの人の中を遣って来るものを。
四頭立の立派な竜の車が
どこでも構わずに通って来ます。
そのくせ人を押し分ける様子はなくて、
どこにもひどい混雑は起りませんね。
丁度幻燈でもしているように、
遠い所でぴかぴかしている。色々の星が
迷い歩いて光っている。や。竜の車の竜が
鼻を鳴らして駆けて来る。道をお開(あけ)なさい。
わたしも気味が悪い。


  童形(どうぎょう)の馭者



(と)まれ。

竜ども。少し羽を休めい。
己の馴れたたづなが応えぬか。己がお前達を
制するから、お前達も自分の体を制するが好(い)い。
そして己が励ますとき、また走って行け。
この場所で粗忽があってはならないのだ。
それ、そこらを見廻せ。お前達を感心して
御覧になる方々が、幾重にも圏をかいていなさる。
さあ。先触の先生。あなたのお流義で、
わたしどもの奔(はし)り抜けてしまわないうちに、
わたしどもの名を指して、講釈をなすって下さい。
御如才はありますまいが、
わたしどもはアレゴリアです。象形です。


  先触

お前さん方の名を言うことは出来ないが、
見た所を説明することなら出来るでしょう。


  童形の馭者

さあ。遣って御覧なさい。


  先触

さよう。どう云おうか。

先ず、お前さんは美少年だ。
だが、まだ一人前にはなっていません。御婦人方は
お前さんが立派な男になった所が見たいでしょう。
どうも見受ける所が、お前さんは数奇者になって、
女を迷わすには持って来いと云う様子だ。


  童形の馭者

その辺は可なり受け取れますね。跡はどうです。
面白い謎の詞(ことば)どもは見附かりませんか。


  先触

目から黒い稲妻が出ている。髪の毛の闇夜に、
宝石で飾った紐が、晴やかな趣を添えている。
そしてその肩から踵(かかと)まで垂れている、
濃い紫の縁を取った、宝石の飾のある上衣は、
なんと云う美しい著物だろう。
意地悪く出れば、女のようだとも云いたくなるが、
なんのかのとは云うものの、今でもお前さんは
もう娘子達には好かれていますね。
恋のいろはを教えてくれたでしょうね。


  童形の馭者

そこでこの車の上に座を占めておいでになる、
お立派な方をどなただと思うのですか。


  先触

どうしてもお国が富んでいる、仁徳をお敷(しき)になる
王様と見えますね。御寵遇を受けるものは
為合(しあわせ)でしょう。王様には此上のお望(のぞみ)はなく、
どこかで何かが足りなくはないかと、捜すように
見渡して、人に物を遣る浄い楽(たのしみ)を、
我富よりも幸(さいわい)よりも尊んでいられるでしょう。


  童形の馭者

まだその辺で止めては行けません。
もっと精しく説明なさらなくては。


  先触

どうも威厳は説明がせられませんな。
しかし月のようなお顔はお丈夫そうで、
脣はふっくりとして、血色の好(よ)い頬は
冠の飾の下にかがやいている。襞のある
お召物を召した所が、お気持が好さそうだ。
行儀作法はなんと申して好(よ)いか。王者のお身で
あって見れば、申すまでもありますまい。


  童形の馭者

これは富の神と名に呼ばれておいでになる、
プルツス様が荘厳(そうごん)を尽してお現(あらわれ)になったのだ。
この国の帝(みかど)が切にお願(ねがい)なされたので。


  先触

そしてお前は誰で何をしなさるのか。


  童形の馭者

わたしですか。わたしは物を散ずる力だ。詩だ。
自分の一番大事な占有物を蒔(ま)き散らして、
そして自分の器を成す詩人だ。
わたしも無限の富を有している。
自分で値踏をして、プルツス様に負けぬ積(つもり)だ。
富の神の饗応や舞踏を飾って賑やかにして、
神の持っておられぬ物を、わたしが蒔き散らします。


  先触

なるほど。その自慢話はお前さんの柄にある。
しかし腕前が見せて貰いたいものですね。


  童形の馭者

さあ、御覧なさい。ここでわたしが指をこう弾く。
するともう車の周囲(まわり)でぴかぴか光って来る。
それ、そこから真珠を繋いだ緒が出て来た。

(指を弾くことを停めず。)

さあ、お取なさい。金の耳飾に頸飾だ。
(きず)のない櫛に冠だ。
指環に嵌(は)めたすばらしい宝石だ。
どうかすると、ちょっとした火も出します。
どこかへ燃え附かせて遣る積で。


  先触

はあ。あのおお勢が争って拾っていること。
これでは蒔く人が押し潰されそうだ。
夢を勝手に見させるように、指で宝を
弾き出すのを、みんなはこの広場一ぱいになって、
拾い廻っている。や。新しい手を出したな。
誰かが急いで手に取ると、
取った物が飛んで行く。
これはほんの無駄骨折だ。
真珠を繋いだ緒は解けて、
手にはかなぶんぶんがむずむずしている。
や。可哀そうに。棄ておった。棄てた虫が
頭のまわりを飛び廻っている。
外の奴は実(み)のある物を拾う積(つもり)で、
軽はずみな蝶々を攫(つか)まえおる。
横著小僧奴、前触だけが大きくて、
ただ金(きん)いろに光る物を蒔きおったな。


  童形の馭者

見受ける所、お前さんは仮装だけの事は
披露してくれなさるが、殻を割って実(み)を見せるのは、
宮仕をする先触の為事(しごと)ではないと見えますね。
それにはもっと鋭い目がいる。
だが、喧嘩にはわたしはしない。
さて、王様、わたくしはあなたに伺います。

(プルツスに向きて。)

あなたはわたくしにこの四頭曳の竜の車を
お任(まかせ)になったではありませんか。
思召どおりに旨く馭しましたでしょう。
お望の場所に来ていますでしょう。
大胆な翼を振って、あなたのために
成功の棕櫚(しゅろ)を取りましたでしょう。
あなたのために働いた度ごとに、
これまで成功しなかったことはありません。
そこであなたの額を月桂冠が飾るなら、
それを編んだのはわたくしの心と手とでしょう。


  富の神プルツス

うん。己に証明をして貰いたいと云うなら、
己は喜んでこう云って遣る。「己の心を獲た奴だ。」
お前は己の意図のとおりに働く。
お前は己より富んでいる。
功を賞してお前に遣る緑の枝は、
あらゆる己の冠よりも尊いのだ。
己は皆に聞えるように、本当の事を言う。
「愛する我子よ。お前は己の気に入っている。」


  童形の馭者(群集に。)

皆さん御覧。わたしの手で蒔かれるだけの
最大の宝をわたしは蒔いた。
そこここの皆さんの頭の上に、
わたしの附けた火が燃えています。
一人の頭から余所の頭へ飛ぶのもある。
あの人には止(と)まっても、この人からは飛んで退(の)く。
稀にはぱっと燃え立って、
短い盛(さかり)の光を見せる。
だが大抵はその人の知らぬ間に、
悲しく燃えて消えるのです。


  女等の耳語

あの四頭立の竜の車に乗っているのは、
あれはきっと山師よ。
あの背後(うしろ)にしゃがんでいる道化役を御覧。
ついぞ見た事のない程、
糧饑(かつえ)て痩せていますでしょう。
きっとつねっても覚えない位よ。


  痩せたる人

胸の悪い女ども。寄るな、寄るな。
己はいつ来てもお前達の気には入らないのだ。
まだ女と云うものが竈(へっつい)の前にいた頃には、
己の名はアワリチアだった。倹約だった。
その頃は家の工面が好かったよ。
なるたけ多く取り込んで、外へはちっとも出さない。
己は箪笥(たんす)長持の中実(なかみ)を気にした。
それが悪い道楽だったとでも云うのかい。
ところが近年になって見ると、
女は倹約なんぞはしなくなって、
悪い買手(かいて)と同じように、
欲しい物が金(かね)より多い。
そこで亭主の難儀は一通でない。
どっちへ向いても借財だらけだ。
女は引っ手繰られるだけ引っ手繰って、
著物にする。好いた男に遣る。
前より旨い物を食う。世辞たらたらの
男連中と、食うより一層余計飲む。
そこで己は金(かね)が前より好(すき)になった。
己はもう倹約ではなくって、吝嗇だ。


  女の頭(かしら)

お前のような毒竜は、毒竜仲間で
けちにしていなさるが好(い)い。詰まりまやかしだ。
そうでなくても、男は扱いにくくなっているのに、
こいつは男をおだてに来たのだよ。


  群をなせる女等

あの藁(わら)のような男に上沓をお遣(やり)
磔柱(はりつけばしら)がなんの威(おどし)になるものか。
あいつの面(つら)をこわがれと云うのでしょうか。
竜は竜でも、木に紙を貼った竜だわ。
さあ、行って退治て遣りましょう。


  先触

東西々々。己はこの杖に掛けて取り鎮める。
や。己が手を出すまでもないな。
皆さん御覧なさい。あの恐ろしい獣が
瞬く隙に周囲(まわり)の人を撥ね飛ばして、
前後二対の羽を拡げました。
鱗で囲んだ、火を噴く口を、
竜奴、おこってぱくつかせおる。
人は皆逃げてしまって、場は開(あ)きました。

(プルツス車を下る。)

おや車をお降(おり)になる。なんと云う御様子でしょう。
相図をなさると竜が動く。
櫃を車から卸して
金と吝嗇と一しょに舁(か)いて来る。
あのお方の足の下に据えて置く。
どうして置いたか、不思議ですね。


  富の神(馭者に。)

これでお前はうるさい重荷を卸した。
お前は自由自在の身だ。さあ、自分の世界へ往け。
ここはお前の世界ではない。乱れて、交って、
荒々しく、醜い物共が己達を取り巻いている。
あのお前が澄み渡った空を見渡す所、
自分を自由にして、自分だけを信用している所、
善と美とだけが気に入る所、
あの寂しい所へ往け。あそこで自分の世界を作れ。


  童形の馭者

そんならわたくしは難有(ありがた)いお使の積(つもり)で参ります。
そしてあなたを近い親類のように敬っていましょう。
あなたのいらっしゃる所には富有がある。
わたくしのいる所の人は大した利益を得た気でいる。
中にはむずかしい境界に迷うものもあります。
あなたに附こうか、わたしに附こうかと云うのですね。
あなたに附けば、勿論遊んでいられる。
わたくしに附けば、いつも為事(しごと)をしなくてはならん。
わたくしはどこでも隠れて働きなんぞはしません。
ちょっと息をすると、人がすぐに勘付きます。
どれ、お暇をいたしましょう。楽をさせて戴きますが、
小声で一寸お呼(よび)になると、すぐ帰って参ります。


  富の神

さあ、これで宝の縛(いましめ)を解く時が来た。
錠前は先触殿の杖を借りて開(あ)けよう。
それ、開(あ)いた。皆見るが好(よ)い。黒金(くろがね)の縛は
解けて、黄金(こがね)の血が湧き立つ。
真っ先に出るのは、冠、鎖、指環の飾だ。
しかし次第に盛り上がって、自分をとろかして埋めようとする。


  交互に叫ぶ群集

あれ見ろ。そこにもここにも沢山に涌いて出て、
櫃の縁まで盛り上がって来るじゃないか。○
(きん)の瓶(かめ)がとろける。
繋がった貨幣がのた打ち廻る。○鋳型から
飛び出すようにズウカスの金貨の跳るのを見ると、
己の胸はわくわくする。○
己の欲しい程の物が皆目に見えている。
あれ、地の上をころころ転がって来おる。○
己達にくれるのだ。すぐに利用するが好(い)い。
皆しゃがんで取って、金持になろうじゃないか。○
己達の方ではいっその事、電光石火の早業で、
あの櫃をそっくり取るとしよう。


  先触

それはなんたる事だ。馬鹿な人達だ。どうするのだ。
仮装会の洒落ではないか。
今晩はもう方外の慾を出して貰いますまい。
お前さん方に金(かね)や宝を上げるのだと思うのですか。
この遊山でお前さん方に上げるには、
小銭にしろ、好過ぎるのだ。
馬鹿な人達だ。巧者な洒落がそのまま
野暮な真実でなくてはならんのですか。
真実が分かりますか。お前さん方はぼやけた
(まよい)の衣(きぬ)の、方々の隅を攫んで引いているのだ。
仮装会の大立物の面被(めんかぶり)の富の神様。
この連中をこの場から追い出して下さらぬか。


  富の神

お前さんのその杖はこう云う時の用意だろう。
ちょっとの間それを己に貸して貰おう。
どれ、ちょいとそれを熾(さか)んな火に入れよう。
さあ。仮装の連中御用心だぞ。
ぴかぴかぱちぱち火の子が飛ぶぞ。
杖はもうすっかり焼けているのだ。
誰でも傍へ寄るものは、
容赦なしに焼かれるのだ。
どれ、これを持って一廻しよう。


  叫喚雑踏(ざっとう)
やあ、溜まらん。己達は往生だ。○
逃げられるものは皆逃げろ。○
背後(うしろ)から押す先生。跡へ、跡へ。○
己の顔はもう熱くなって来た。○
己はあの焼けている杖の目方で圧されている。○
己達はもう皆助からないぜ。○
仮装連中、退いた、退いた。お先真っ暗で
うようよしている人達。退いた、退いた。○
羽があると、己は飛んで逃げるがなあ。


  富の神

もう囲(かこみ)は押し戻された。己の考では、
火傷(やけど)をしたものは一人もない積(つもり)だ。
群集は跡へ引く。
もう追っ払われた。
だがまた秩序の紊(みだ)れぬ用心に、
目に見えぬ鎖を引いて置こう。


  先触

これは大した御成功でした。
旨く圧(おし)を利かせて下さって難有うございます。


  富の神

いや。あなたはも少しこらえて見ていて下さい。
まだいろいろな混雑が出来て来そうです。


  吝嗇

こうなればもう、好(すき)な程、
気楽にこの場のお客達を見ていられる。
やはり何か見るものや食うものがあると、
真っ先に出るのは、いつまでも女だな。
己もまだ心(しん)まで錆(さ)びてしまってはいない。
別品はやっぱり別品だ。
きょうは別に物のいるわけでもないから、
己達も安心してからかいに行かれそうだ。
だがこんな人籠の場所では、言うことが
皆誰の耳にも聞えると云うものでないから、
一つ旨い事を験(ため)して見よう。多分旨く
行くだろう。為方話(しかたばなし)で分からせるのだ。
それも顔や手足だけでは間に合わない。
一狂言書かずばなるまい。
一体金(きん)と云う金(かね)は何にでも化けるから、
こいつを湿ったへな土のようにして見せよう。


  先触

あの痩せた阿房は何を始めるのだろう。
あんな腹の耗(へ)った男に洒落気があるだろうか。
あいつは金(きん)を皆団子に捏(こ)ねている。
それでも手が障ると軟になるのが妙だな。
しかしどんなに潰しても、円めても、
やっぱりいかがわしい恰好をしているなあ。
やあ。女の方へ見せに行くぞ。
みんなきゃっきゃと云って、逃げようとして、
随分見苦しい風をしおる。
横著者奴、一とおりの奴ではないと見える。
どうもあれは風俗壊乱になる事をして、
面白がっているのではあるまいか。
そうだと、己が黙って見てはいられない。
追っ払って遣りますから、その杖を下さい。


  富の神

今どんな事が外から起って来掛かっているか、
あいつは知らずにいるのだ。馬鹿をさせて
お置(おき)なさい。今に悪劇(いたずら)をする場所がなくなる。
法律の力は大きい。しかし困厄の力は一層大きい。


  唱歌雑踏
山の高きより、森の低きより
(あ)るゝ群は今来たり。
防ぎ難き勢もて進めり。
パンの大神を祭れるなり。
誰一人知らぬ事を、彼人々は知れり。
かくて空しき境に進み入るなり。


  富の神

己はお前達を知っている。パンの神も知っている。
お前達は団結して大胆な企を始めたのだな。
誰にでも分からぬ事をも、己は知っていて、
謙遜してこの狭い場所を明けて遣る。
己はお前達の好運を祈る。
これからはどんな不思議が現れるかも知れぬ。
あいつ等はどこへ歩いて這入るか知らないのだ。
用心なんぞはしていないのだ。


  あらあらしき歌

やよ。粧へる群。上光(うわびかり)する見せ物共。
こなたは疾(と)く馳せ、高く跳り、
地鞴(ちたたら)踏みとゞろかし、
あららかに、はららかしに来たり。


  森の神等ファウニ

ファウニの群
面白く踊りて出づ。
(ちぢ)れたる髪に
かしの葉の冠(かがふり)せり。
細き、尖れる耳
波立つ髪を抜け出でたり。
鼻低く、面(おもて)広し。
されどそは皆女(おみな)には忌まれじ。
手をさし伸ぶるファウヌスには
美しき限の女、舞を辞むことあらじ。


  森の神サチロス

サチロスもまた跡に附きて跳り出づ。
痩せたる脛(すね)に山羊(やざ)の足首附きたり。
その脛は腱(すじ)あらはに痩せたるが好し。
そはシャンミイと云ふ獣(けもの)のごと、
山々の巓(いただき)を興がりて見巡らんためなり。
さて自由の風に心霽(はら)して、
かの烟罩(こ)め靄(もや)鎖せる谷間深く棲み、
「我も生けり」とのどかに思へる
男、女(おみな)、穉子(おさなご)等を嘲み笑はんとす。
そはさながらに、物に礙(さまた)げられずして、
かしこなる高き境の我物にのみなれればなり。


  土の神等グノオメン

こゝに小走に馳せ出づる小さき群あり。
(つい)をなし、連れ立ちて行くことを忌めり。
苔の衣(ころも)(き)、明(あか)き火を持ち、
(と)く馳せ違ひ、
一人々々離れて営(いとなみ)せり。
(かがや)く蟻の蠢(うごめ)く如し。
縦に横に忙はしげに、
かなたこなたといそしみまどへり。

人の家に出入(いでいり)する、まめやかなる侏儒(しゅじゅ)
近き族(うから)にて、山の医師(くすし)として知られたり。
高き山に吸球(すいだま)掛け、
満ちたる脈より汲み出せり。
「幸(さち)あれ、幸あれ」と、勇ましく呼びて、
(かね)(うずたか)く転(まろ)がし出だせり。
こは素より世のためを思ひてなり。
われ等は善き人の友なり。
さはれ惑はし盜ませんためにも、
人多く殺すこと思ひ立てる、
心驕(おご)れる人に鋼(はがね)持たせんためにも、
かの金(かね)をば世に出だすなり。
三つの戒(いましめ)を破らん程の人は、
その外の戒をもないがしろにせざらむや。
そは皆われ等の咎(とが)にはあらじ。されば
われ等の忍べるごと、おん身等も忍べかし。


  巨人

荒男(あらお)と名に呼ばれて、
ハルツの山にては知られたる物共なり。
もとより裸にて、力強し。
皆巨人の様して来れり。
右手(めて)に樅の木の杖持ち、
(こ)の葉(は)と小枝とを編める
粗き前垂(まえだれ)掛け、太き紐を腰に纏(まと)へり。
法王の許(もと)にはあらぬ衛(まもり)の士(つわもの)なり。


  群なせる水の女


(パンの神を囲繞(いにょう)す。)

君も今来ませるよ。
大いなるパンの神は
世界の万有に
(かたど)れる御姿(みすがた)なり。
厳かなれど、情(なさけ)ある神にませば、
人の遊び楽むを好み給ふ。
されば最(もと)も晴やかなる汝達(なんたち)取り巻きまつり、
(くす)しき舞を軽らかに舞ひめぐれかし。
青き穹窿(きゅうりゅう)の下(もと)にます時も、
神は常に醒めておはす。
されど小川(おがわ)は君が方へ流れ寄り、
軽き風は優しく君を休ませまつらんと吹けり。
真午時にまどろみ給へば、
木末(こずえ)の一葉(ひとは)だに動くことなし。
すこやかなる草木の芳しき香は
声もなく静かなる空に満ちたり。
その時は水の女もまめやかにあるべきならねば、
たま/\立てりし所にぞ寐(ぬ)る。
さてゆくりなく、君が御声(みこえ)
鳴神(なるかみ)の鳴るごと、渡津海のとよむごと、
力強く鳴り響けば、
人皆奈何(いか)にせましと思ひ惑ひ、
戦の場(にわ)にある猛き軍人の群も散(あら)け、
入り乱れたる人等の中に立てる英雄(すぐれびと)も慄ふ。
されば敬ひまつらばや、敬ふべきこの神を、
われ等をこゝへ牽(い)て来ませるこの神を。


  土の神等の代表者


(パンの神の許へ遣されたるもの。)

かの輝(かがや)ける豊かなる宝は、
糸引けるごと岩間に流れひろごりて、
たゞ宝を起す奇しき杖にのみ
おのが迷路を示せり。

その時われ等、土蜘(つちぐも)の巣なす家を、
暗き岩間に営み起せり。
おん身は恵深くも宝の数々を
清き日影のさす所に分ち給ふ。

さてわれ等近きわたりに
驚くべき泉を見出でつ。
その泉かつて掛けても思はざりし宝を、
たはやすく涌き出でしめむとす。

この事はおん身能く為(な)し遂げ給はむ。
おん身の護(まもり)の下(もと)に置かせ給へ。
「いづれの宝もおん身の手にあれば、
あまねく世の中に用ゐられむ。」


  富の神(先触に。)

これはお互に腹を大きくして考えんではならん。
そして出来て来る事は、出来て来させるが好(よ)い。
一体あなたはえらい度胸のある人ではないか。
この場で今恐ろしい事が出来て来るのだ。
現在の人も後の人も、嘘だと言い消すだろうから、
あなたの記録にしっかり留めて置いて下さい。


  先触


(富の神の猶手に持ちたる杖を握りて。)

一寸坊どもがパンの神様をそろそろと
火を噴く穴の傍へ連れて行きますね。
深い底から高く涌き上がるかと見ると
またその底までずっと沈んでしまって、
穴の口が暗く開(ひら)いている。
そうかと思うと、また真っ赤に烹(に)え上がる。
パンの神様は平気で立って、
この不思議な有様を見て喜んでおられる。
真珠のような泡が左右へ飛ぶ。
どうして疑わずにこんな事をさせておられるだろう。
穴の中を見ようとして、低く身を屈められる。
や。お髯が穴に落ち込んだ。
あの綺麗に剃った腮(あご)はどなただろう。
お手で我々にお顔を隠しておられる。
や。大変な事になった。
髯に火が移って舞い上がって来る。
被っておられる輪飾に、髪に、お胸に火が移る。
歓楽去って憂愁来るというのがこれだ。
群集が消しに駆け附ける。
しかし誰一人炎(ほのお)を免れるものはない。
手に手に打っても叩いても、
新しい炎が燃え立つばかりだ。
火の中に入り乱れて、
仮装の一群は焼けてしまう。
や。口から耳へ囁き交して、
己に聞えて来るのは何事だ。
まあ、なんと云う不幸な夜だろう。
こんな歎(なげき)を己達の上に齎(もたら)すとは。
誰も聞きたく思わぬ事を、
あすの日は触れ散らすだろう。
兎に角所々で叫ぶ声が聞える。
あの御難儀なさるのは「帝」だと。
どうぞ本当でないと好(い)いが。
帝とお側の方々が焼けておいでになる。
樹脂(やに)のある小枝で身をよろうて、
吠えるような歌いざまをして、
一しょに滅びにおいでになるように、
惑わし奉った奴は咀(のろ)われておれ。
ああ。歓楽も度を踰(こ)えてはならぬと云う
戒を、若いもの共は所詮守ることは出来ないのか。
ああ、全能でおいでなさる通(とおり)に、君主が
全智でおいでなさることは所詮出来ないのか。

もう火が木立に燃え移った。
尖った炎の舌で舐めるように
木を結び合せた屋根へ燃え上がる。
仮屋全体の火事になりそうだ。
不運はもう十二分だ。
誰が己達を助けてくれるだろう。
さしも一時の盛を極めた、帝王の栄華は
一夜の灰燼になるだろうか。


  富の神

もう恐怖も広がって好(い)いだけは広がった。
そろそろ救助に掛からせなくてはなるまい。
大地が震い動き、鳴り響くように、
その神聖な杖を衝き立てて貰おう。
おい。そこの広々とした「空(くう)」に言うのだが、
一面に冷たい匂(におい)を漲(みなぎ)らせい。
水を含んで棚引いている霧を
呼び寄せて、そこらへ漂わせて、
燃えている群集を覆って遣れ。
雲霧(くもきり)は流れて、ざわついて、渦巻いて、
漂いながら滑って、徐(しず)かに籠めて、
そこでも、ここでも火を消しながら闘ってくれ。
苦艱を緩める力のある、湿ったお前達は、
あの虚妄の炎の戯を、
熱くない稲妻に変ぜさせてくれ。
悪霊どもがわれ等を侵そうとする時には、
魔法が験(しるし)を見せなくてはならんのだ。







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