ヴィクトル・ユゴー 死刑囚最後の日


       一一

 まだ明るくなっていないし、夜の間をどうしたものだろう。私はあることを考えついた。私は起きあがって、監房の四方の壁にあちこちランプをさしつけた。文字や絵やおかしな顔や名前などがいっぱい書いてあって、互いに入り組み消し合っている。各囚人がみな、少なくともここに、なんらかの跡を残そうとしたものらしい。鉛筆のも白墨のも炭のもあるし、黒や白や灰色の文字があるし、石の中に深く刻みこまれてるのが多く、血で書かれたかのような錆(さ)びてる字体もところどころにある。確かに私は、もしも自分の精神がもっと自由だったら、この監房の石の一つ一つの上に、自分の目の前に、一ページずつひろがってゆくそのふしぎな書物に対して、興味をもっただろう。そして私は好んで、板石の上に散らばってるそれらの断片的な思想を一つに組み合わせ、名前の下にそれぞれその男を見出し、細断されてるそれらの記銘に、手足を切り離されてる文句に、頭の欠けてる言葉に、それを書いた人々と同じく首のないその胴体に、意義と生命とを与えてやったことだろう。

 私の枕ほどの高さのところに、一本の矢に貫かれて燃え立ってる二つの心臓があって、「生涯の愛」とその上に書かれている。不幸なこの男は長い約束はしかねたと見える。

 その横には、三つの角のある帽子めいたものがあって、その上に小さな顔が無器用に描かれ、「皇帝万歳、一八二四年。」と書いてある。

 それからなお、燃え立った心臓がいくつもあって、監獄の中の特質たるこういう記銘がついている、「マティユー・ダンヴァンを愛し崇む、ジャック。」

 それと反対の壁には、「パパヴォアーヌ」という名前が見えている。その頭のPの大文字は、唐草模様(からくさもよう)の縁(ふち)どりがついて入念に飾られている。

 猥褻(わいせつ)な小唄の一連がある。

 石にかなり深く刻んである自由の帽子が一つあって、その下にこう書かれている、「ボリー。――共和。」それはラ・ロシェルの四人の下士の一人だった。憐れな青年だ。政治上のいわゆる必要事なるものはいかに忌(いま)わしいことか。一つの観念に対して、一つの夢想に対して、一つの抽象に対して、断頭台という恐ろしい現実をもってくる。しかも私でさえ、ほんとうの罪悪を犯し血を流したこのみじめな私でさえ、不平を訴えているのに!

 もうこれ以上壁面を探しまわるのをよそう。――壁の片隅に恐ろしい形のものが白く書かれてるのを、私は見てとった。今頃はおそらく私のために立てられてるはずの、あの死刑台の形だ。――あやうく私はランプを取り落としそうだった。




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