二六
十時だ。
おお私のかわいそうな小さな娘よ! これから六時間、そしたら私は死ぬんだ。私はあるけがらわしいものとなって、医学校の冷たいテーブルの上に投げ出されるだろう。一方では頭の型を取られ、他方では胴体が解剖されるだろう。そうした残りは棺にいっぱいつめこまれるだろう。そしてすべてがクラマールの墓地に行ってしまうだろう。
お前の父を、彼らはそういうふうにしようとしている。が、その人たちは誰も私を憎んではいないし、みな私を気の毒に思ってるし、みな私を助けることもできるはずだ。だが私を殺そうとしている。お前にそのことがわかるかい、マリーや。おちつきはらって、儀式ばって、よいこととして、私を殺す。ああ!
かわいそうな娘よ! お前の父をだよ。父はお前をあんなに愛していた。お前の白いかぐわしい小さな首にいつも接吻していた。絹にでも手をあてるようにして、お前の髪の渦巻の中にしじゅう手を差し入れていた。お前のかわいいまるい顔を、てのひらにのせていた。お前を膝の上に跳んだりはねたりさしていた。そして晩には、神に祈るために、お前の小さな両手を合わしてやっていた。
そういうことを、これから誰がお前にしてくれるだろうか。誰がお前を愛してくれるだろうか。お前くらいの年齢の子供たちにはみな父親があるだろう。ただお前だけにはない。お正月に、お年玉や美しい玩具やお菓子や接吻などを、お前はどうしてなくてもすませるようになるかしら。――不幸な孤児のお前は飲み物や食べ物をどうしてなくてもすませるようになるかしら。
ああ、もしあの陪審員らがせめて彼女を見たなら、私のかわいい小さなマリーを見たなら、三歳の子供の父親を殺してはいけないということを、了解したろうに。
そして彼女が大きくなったら、それまでもし生きてるとすれば、彼女はどうなるだろう。父親のことがパリの人々の頭に残ってるにちがいない。彼女は私のことと私の名前とに顔をあからめるだろう。彼女は私のせいで、心にあるかぎりの愛情で彼女を愛してる私のせいで、軽蔑され排斥され卑しめられるだろう。おお私のいとしい小さなマリーよ! 本当にお前は私を恥じ私をきらうだろうか。
みじめにも、何たる罪を私は犯したことか、そして何たる罪を私は社会に犯させようとしてることか!
ああ、今日の日の終らないうちに私が死ぬというのは、はたして本当なのか。本当にそれは私なのか。外に聞こえるあの漠然たる叫び声、もう河岸通りを急いでいるあの愉快げな人波、衛舎のなかで用意をしているあの憲兵ら、黒い長衣をつけてるあの司祭、まっかな手をしてるあのもう一人の男、それは私のためなんだ。死ぬのは私なんだ。ここに、生きて、動いて、息をして、このテーブルに、普通のこのテーブルに座っていて、そしてどこにでもいることのできる、この同じ私なんだ。自分でさわって、自分で感じて、服にはこんな着癖がついてる、私なんだ、この私なんだ!
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