ヴィクトル・ユゴー 死刑囚最後の日


       三四

 ただいま時が鳴った。それが何時だか私にはわからない。大時計の音も私にはよく聞こえない。耳のなかにオルガンの音でも響いているような気がする。最後の考えがうなってるのだ。

 自分の思い出にふけるこの最期の時になって、私はまた自分の犯罪を思いだしてぞっとする。しかし私はもっと深く悔悛したいのだ。死刑判決以前には私はいまより多く良心の呵責(かしゃく)を受けていた。それが死刑判決後には、死の考えよりほかになんらの余地も心にないような気がする。それでも私は深く悔悛したいのだ。

 自分の生涯のうちの過去のものをしばし夢みたのち、その生涯をやがて終らすべき斧の一撃のことを思いやる時、私は何かある新奇なものに出会ったようにびっくりとする。うるわしい幼年時代、うるわしい青年時代、金色の布地、そしてその先端は血ににじんでいる。あの当時と今とのあいだには、血潮の川がある、他の男と私自身との血がある。

 もし他日私の経歴を読む者があったら、潔白と幸福との多くの年月の後に、犯罪で始まり刑罰で終わるこの呪うべき年があろうとは、おそらく信じかねるだろう。この一年は不釣合いな感じを与えるだろう。

 それにしても、みじめなる法律とみじめなる人間らよ、私は悪人ではなかったのだ。

 おお、数時間後には死するのか。そして、一年前のこういう日には、私は自由で清らかで、秋の散歩をし、木立の下をさまよい、木の葉の上を歩いていた、ということを考えると!




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