ヴィクトル・ユゴー 死刑囚最後の日


       三九

 彼らは言う、それはなんでもない、苦しくはない、安らかな終りだ、その種の死はごく平易なものになっていると。

 では、この六週間の苦悶とこの一日じゅうの残喘(ざんぜん)とは、いったい何なのか。こんなに徐々にまたこんなに早くたってゆくこの取り返しのつかぬ一日の苦悩は、いったい何なのか。死刑台で終わってるこの責苦の段階は、いったい何なのか。

 外見上、それは苦しむことではない。

 けれど、血が一滴一滴つきてゆくことと、知能が一つの考えから一つの考えへと消えてゆくこととは、同じ臨終の痙攣(けいれん)ではないか。

 それにまた、苦しくはないということも、確かであるか。誰かそう告げてくれた者があるか。かつて、切られた頭が血まみれのまま籠のふちに伸びあがって、それは何ともないことだ! と人々に叫んだというような話でもあるのか。

 そういう死にかたをした者で、礼にやってきてこう言った者でもあるのか、これはうまく考案されてる、満足するがいい、機械はよくできていると。

 それはロベスピエールなのか、ルイ十六世なのか……。

 なるほど、わけもないことだ、一分間たらずのうちに、一秒間たらずのうちに、ことはなされてしまう。――が彼らはかつて、重い刃が落ちて肉を切り神経を断ち頸骨をくだく瞬間に、そこにいる者のかわりに自ら身を置いてる場合を、せめて頭のなかだけででも考えてみたことがあるか。なに、ほんの半秒のあいだだ、苦痛はごまかされると……。呪うべきかな!




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