ヴィクトル・ユゴー 死刑囚最後の日


       四九

 裁判官だか検察官だか属官だか、どういう種類のものか私にはわからないが、一人やってきた。私は両手を合わせ両膝をつきながら赦免を願った。彼は余儀ない微笑をうかべながら、言いたいことはそれだけかと私に答えた。

「赦(ゆる)してください、赦してください!」と私はくりかえした。「さもなくば、御慈悲に、もう五分間猶予してください。どうなるかわかりません、赦されるかもしれません。私くらいの年齢で、こんな死にかたをするのは、どうにも恐ろしいことです。最後のまぎわに特赦がくる、そういうこともたびたびありました。私が特赦を受けないとすれば、誰が特赦を受ける資格がありましょう?」

 呪うべき死刑執行人、彼がそのとき裁判官に近寄ってきて言った、死刑の執行は一定の時間になされなければならない、その時間がもうせまっている、自分は責任をになっている、そのうえ雨が降っている、機械のさびるおそれがあると。

「どうぞ御慈悲に、一分間私の赦免の来るのを待ってみてください。さもなくば、私は抵抗します、かみつきます!」

 裁判官と死刑執行人とは出ていった。私はひとりきりだ。――二人の憲兵と一緒なだけだ。

 おお、山犬のように叫び声をたててる恐ろしい群集!――わかるものか、私が彼らから遁(のが)れられないかどうか、私が助からないかどうか、私の赦免が……。私が赦免されないということがあるものか。

 ああ、あいつら、階段をのぼってくるようだ……。

 四時!

[#改丁]

     序

 本書の初めの諸版は、著者の名前なしでまず出版されたものであって、冒頭には次の数行しかついていなかった。

 本書の成立を会得するのに、二つのしかたがある。すなわち、黄ばんだ不揃いなひとたばの紙が実際あって、一人のみじめな男の最後の思想が、それに一つ一つ書き留められているのが見出されたのだと。あるいはまた、哲学者とか詩人とか、とにかく一人の者が、芸術のために自然を観察している夢想家があって、本書のなかにあるような観念を心にうかべ、それを取りあげて、というよりむしろそれに捉えられて、それからのがれる途はただ、それを一冊の書物として投げ出すよりほかはなかったのだと。

 その二つの説明のうち、どちらなりと好きなほうを読者は選ぶがよい。

 右のことでわかるとおり、本書が出版された当時、著者は自分のすべての考えをすぐに述べるのが適当だとは思わなかった。そして自分の考えが人に理解されるのを待つほうを好み、はたして理解されるかどうかを見るのを好んだ。ところが著者の考えは理解された。で今や著者は、文学という潔白清純な形式で普及させようとした自分の政治的思想や社会的思想を、あからさまに持ち出すことができる。そこで著者は言明する、というよりむしろ公然と告白する、『死刑囚最後の日』は、直接にかあるいは間接にかは問わずして、死刑の廃止についての弁論にほかならないと。著者が意図したところのものは、そして後世の人がかかる些事にも気を配ってくれることがあるとすれば、後世の人から作品のなかに見てとってもらいたいと著者が思ったところのものは、選ばれたる某罪人についての、特定の某被告についての、いつでも容易なそして一時的な特殊の弁護ではなくて、現在および未来のあらゆる被告についての、一般的なそして恒久的な弁論である。大いなる最高法院たる社会の前においてあらゆる人が陳述し弁護する、人間の権利に関する重大な一事である。すべての刑事訴訟より以前に永遠に打ち立てられている、最上の妨訴抗弁であり、血に対する嫌悪である。すべての重罪審の底で、法官らの血なまぐさい修辞学の熱弁の三重の厚みにおおわれながら、ひそかにうごめいているほの暗い避けがたい問題である、生と死との問題であり、なおあえて言えば、衣をはがれ、裸体にされ、検事局の堂々たる世迷(よま)い言(ごと)をはぎ取られ、むごたらしく白日の明るみにさらされ、正当の視点にすえられ、本来あるべき場所に、実際ある場所に、本当の環境に、恐るべき環境におかれ、法廷にではなくて死刑台に、判事の手中にではなくて死刑執行人の手中におかれた、生と死との問題である。

 著者が取り扱おうと欲したものは右のとおりである。あえて望みかねることではあるが、それをなした光栄をもしも将来いつか著者が得ることがあるとすれば、著者にとって本懐の至りである。

 そこでなお言明しくりかえすが、著者は無罪のあるいは有罪のあらゆる被告の名において、すべての法廷や裁判所や陪審や審判の面前に席を占め、本書はすべて裁判官たる者に掲示されるものである。そしてこの弁論は、事件が広範にわたると同様に広範にわたるべきものであるから、したがって、『死刑囚最後の日』はそういうふうに書かれたのであるが、主題において各方面に削除をほどこし、偶発的なこと、事件的なこと、個人的なこと、特殊なこと、相対的なこと、変更できること、枝葉のこと、珍しいこと、結末のこと、人物の名前などはすべて除いてしまって、ただ特定のものでなしに、ある罪のためにある日処刑されたある死刑囚の事件を弁論する、というだけに限らねばならなかった(それが限るということになるならば)。もし著者が、ただ自分の思想だけの道具でかなり深く穿鑿(せんさく)して、三重の青銅板で張られている一司法官のかたくなな心に断腸の思いをさせえたならば、仕合せである。自ら正しいと思っている人々を憐れむべき者となしえたならば仕合せである。裁判官の内部を掘り返して、時としてそこに一個の人間を再現させることができたならば、仕合せである。

 三年前本書が世に出た時、ある人々は著者の観念を非議すべきものだと考えた。そして本書を、あるいはイギリスのものだとし、あるいはアメリカのものだとした。ふしぎな癖である、事物の源を百里のかなたに探し求めようとするとは、われわれの街路を洗っている溝をナイル河の水源池に流れさせようとするとは。遺憾(いかん)ながらこのなかには、イギリスの書物もなく、アメリカの書物もなく、または中国の書物もない。著者は『死刑囚最後の日』の観念を書物のなかから取ってきたのではない。著者は観念をそう遠くに探し求める習慣をもってはいない。著者が本書を思いついたのは、誰でもみなが思いつきうるところ、誰でもおそらく思いついたろうところ(というのは、死刑囚最後の日を頭のなかで考えるか想像するかしなかった者があろうか)、ただ単に公けの広場、グレーヴの刑場においてである。ある日そこを通りながら著者は、断頭台のまっかな木組の下の血の溜りのなかに横たわってるこの避けがたい観念を拾いあげたのである。

 それからというもの、最高法院の悲しむべき木曜日のなりゆきにしたがって、死刑決定の叫びがパリの中におこる日がくるたびごとに、グレーヴの刑場に見物人を呼び集める嗄(しわが)れたわめき声が窓の下を通ってゆくのを聞くたびごとに、著者は右の痛ましい観念に再会して、それにとらえられ、憲兵や死刑執行人や群集などのことが頭にいっぱいになり、死にのぞんでいるみじめな男の最期の苦悶を刻々に見る気がし――ただいま彼は懺悔(ざんげ)をさせられてる、ただいま彼は両手を縛られてる――そしてただ一介の詩人たる著者は、そういう恐ろしいことが行なわれているのに平然と自分の仕事をしている全社会にむかって、すべてのことを言ってやらずにはおられなくなり、せきたてられ突っつかれ揺すられて、詩を作っている折にはその詩を頭からもぎとられ、ようやくできあがりかけてる詩をすべて打ち砕かれ、あらゆる仕事を妨げられ、万事に途を遮られ、ただその観念におそわれつきまとわれ攻めつけられるのだった。それは一つの刑罰であって、その日とともに始まって、他方で同時に苦しめられているみじめな男の刑罰と同様に、四時まで続くのだった。四時になってようやく、切られし頭死せりと大時計の凄惨(せいさん)な音が叫んでから、著者は息をつくことができ、精神の自由をややとりもどすのだった。そしてついにある日、ユルバックの処刑の翌日だったと思うが、著者は本書を書きはじめた。それ以来はじめて胸が和らいだ。司法的執行といわれるそれら公けの罪悪の一つが行なわれる時、著者はもはやそれについて連帯の責がないことを良心から告げられた。グレーヴの刑場から社会の全員の頭上にほとばしりかかる血のしたたりを、著者はもはや自分の額に感じなくなった。

 とはいえ、それではまだ足りない。自分の手を洗い清めるのはよいことである。が、血を流すことをやめさせるのはさらによいことであろう。

 それゆえ著者はもっとも高い神聖な荘厳な目標をめざしたい。すなわち、死刑の廃止に協力すること。それゆえ著者は、もろもろの革命がまだ引き抜いていない唯一の柱たる死刑台の柱を打ち倒すことに数年来つとめている、各国の殊勝な人々の希願と努力とに、心底から左袒(さたん)する。そして弱小な者ではあるが、喜んで自ら斧(おの)の一撃を加えて、多くの世紀をさかのぼる昔からキリスト教諸国の上につっ立っている古い磔刑(たっけい)台に、六十年前ベッカリアが与えた切り口を、力のおよぶかぎり大きくしたいのである。

 今言ったとおり、死刑台はもろもろの革命から転覆されていない唯一の建物である。実際、革命はめったに人間の血を惜しまない。社会の葉を刈り、枝を刈り、頭を刈るために到来した革命にとっては、死刑はもっとも手放しにくい鉈(なた)の一つである。

 それでもうちあけて言えば、死刑を廃止するにふさわしくそれができそうに見えた革命があるとすれば、それは七月革命であった。まったく、ルイ十一世やリシュリューやロベスピエールなどの野蛮な刑罰を除き、人間の生命の不可侵性を法律の額に記入することは、近代のもっとも寛仁な民衆運動たるこの革命の仕事であるようだった。一八三〇年は一七九三年の肉切り庖丁を折り捨てるにふさわしかった。

 われわれは一時そのことに望みをかけた。一八三〇年八月には、多くの寛仁と憐憫とが空中に浮かんでおり、穏和と文明との強い精神が衆人のうちに漂っており、美しい未来が近づいてくる輝かしい心地を人に深く感じさせたので、われわれのじゃまとなっていた他のあらゆる悪事と同様に死刑も、暗々裡の衆人一致の合意で正当に一挙に廃止されるもののように、われわれには思われた。民衆は旧制度のあらゆる古着を燃やして祝い火としていた。そしてこんどのは血ににじんだ古着だった。われわれはそれが多くの古着の積み重なっているなかにあると思った。他のものと同様に燃やされたのだと思った。そして数週間のあいだ、信頼しやすく信じやすいわれわれは、自由の不可侵性とともに生命の不可侵性が未来に対して確保されたものと思った。

 はたして二か月とたたないうちに、セザール・ボヌザナの崇高な理想を実際法律上に解決せんがために、一つの試みがなされた。

 不幸にもその試みは、粗悪で、拙劣で、ほとんど偽善的なものであって、一般の利害よりも他の利害のためになされた。

 一八三〇年十月、人の記憶するかぎり、ナポレオンを円柱塔の下に埋めようとの提議を議事日程で退けた数日後、議会は全員泣きはじめ嘆きはじめた。死刑の問題が議題にのぼったのである。どういう機会でかは後ですこし述べるつもりであるが、その時、それらすべての議員の心は突然異常な慈悲の念にとらえられたらしい。各人が争って口をきき、うち嘆き、両手を天に差し出した。死刑とは、ああ何と恐ろしいことか! ある老年の検事長は、血色の法服のうちに老いて白髪となり、血に浸った論告のパンを生涯かじってきた男だったが、突然哀れっぽい様子をして、神に誓って断頭台を憤る旨を述べた。二日間たえまなく、議政壇上は泣き女めいた長広舌で満たされた。それは一つの哀歌であり、喪の歌であり、挽歌の合奏であり、「バビロンの河の上に」の聖歌であり、「マリア立ちいたりき」の聖歌であり、合唱隊つきのト調の一大交響楽であって、議会の上席を占め白昼いかにもみごとな音を出す雄弁家などの楽隊によって演奏されたのである。ある者は低音をもたらし、ある者は金切声をもたらした。なにひとつ欠けてるものはなかった。このうえもなく悲壮な痛ましい光景だった。ことに夜の会議は、ラショーセの戯曲の五幕目のように、情け深いやさしいまた悲痛なものだった。善良な公衆は、何のことかわけもわからずに、目に涙をうかべていた。――(われわれは、その時議会で述べられたものの全部を、同じ軽蔑のうちに包みこもうとするものではない。あちらこちらで、品位ある立派な言も発せられた。われわれもすべての人々とともに、ラファイエット氏のまじめな率直な演説を喝采(かっさい)したし、また他のある意味で、ヴィルマン氏の注目すべき即席演説を喝采した。)

 それはいったい何の問題についてであったか。死刑の廃止についてであったか。

 そうでもあるし、またそうでもない。

 事実はつぎのとおりである。

 上流社会の四人の男、申し分のない男、社交場裡に立ち交って敬意をもって遇せられた人物、その四人の男が、ベーコンに言わせれば罪悪となりマキアヴェリに言わせれば企図となるような大胆な行いを、政界の中心で試みた。ところで罪悪にせよ企図にせよとにかく、万人に対して横暴な法律はそれを死刑で罰した。そして四人の不幸な男は、ヴァンセンヌのみごとなアーチ建築のなかに閉じこめられ、法律の捕虜となって、三色の帽章をつけた三百人の者に護られていた。どうしたらよいか。どういうふうにしたらよいか。われわれと同じような四人の男を、四人の上流の男を、それと名ざすことさえはばかられる役人と背中合せにし、いやしい太縄で縛りあげ、荷車に乗せて、グレーヴの刑場に送ることは、どうも不可能なことではないか。マホガニーでできている断頭台でもあればまだしも!

 だから、死刑を廃止するだけのことだ。

 そこで、議会はその仕事にとりかかる。

 ところで代議士諸君よ、昨日まで諸君はこの死刑の廃止を、単に空想で理論で夢想で狂愚で詩だとしていた。がその荷車や太縄やまっかな恐ろしい機械に諸君の注意を呼ぼうとするのは、これがはじめてではない。そしてこの醜悪な器具がようやく突然諸君の眼につくというのは、ふしぎなことである。

 いや、そこに問題があるのだ。われわれが死刑を廃止しようとしたのは、それは民衆のためにではなく、われわれのため大臣ともなりうるわれわれ代議士たちのためにである。われわれはギヨタンの機械が上流階級をついばむのを欲しない。そこでわれわれはその機械を壊す。もしそのことが一般世人のためになれば仕合せというものだ。しかしわれわれが考えたのはわれわれだけのことである。隣りのユカレゴンの宮殿が燃えている。その火を消せ。いそいで、死刑執行人を廃し、縄を取り除こうではないか。

 そういうふうにして、利己主義の混和はもっとも美しい社会的結合を変質させ不自然になす。それは白大理石のなかの黒脈である。それが到るところに通っていて、鑿(のみ)の下に不意にたえず現われてくる。彫像は造りなおさなければならない。

 たしかに、ここに言明するにもおよばないことではあるが、われわれは四人の大臣の首を要求する者ではない。それらの不幸な人々がひとたび捕縛されるや、彼らの犯罪によって惹起された憤怒の念は、われわれにおいてもすべての人におけると同様に、深い憐憫の情に変わった。われわれは思いやった、彼らのうちのある者たちのかたよった教育のこと、一八〇四年の陰謀の熱狂的な頑固な再犯者であり、牢獄のしめっぽい影の下に早老の白髪となっている、彼らの首領の偏狭な頭脳のこと、彼らの共通な地位が宿命的に要求していたもののこと、一八二九年八月八日に王政自身がまっしぐらに駆け降りたあの急坂を、途中で立ちどまることの不可能だったこと、それまでわれわれがあまり考慮を払わずにいた、王家の者の勢力のこと、ことに、彼らのうちの一人が彼らの不幸のうえに緋(ひ)の衣のように広げかけていた威厳のことなどを。それでわれわれは、彼らの命が助かることを衷心(ちゅうしん)から希望する者であり、そのためには常に尽力を惜しまない者である。万一彼らの死刑台がグレーヴの刑場に立てられることであったとすれば、たとい空想にもせよわれわれは信じたいのであるが、たぶんその死刑台を転覆するために暴動が起こったであろう。そして今これを書いている著者はその神聖な暴動の仲間にはいっていたであろう。なぜかなれば、これもまた言っておかなければならないことであるが、すべて社会的危機においては、あらゆる死刑台のうちでも、政治的死刑台はもっとも呪うべきものであり、もっとも痛ましいものであり、もっとも有毒なものであり、もっとも根絶しなければならないものである。この種の断頭台は敷石のなかにも根をおろして、わずかの間にあらゆる地点に生え広がる。

 革命の時には、切り落とされる最初の首に注意しなければいけない。それは首に対する貪欲心を民衆におこさせる。

 それゆえわれわれは個人的には、四人の大臣に死刑を免れさしてやろうと欲する人々に賛成であり、感情的にも政治的にもあらゆる点で賛成であった。ただ、死刑の廃止を提議するのに議会が他の機会を選ぶことこそ、われわれのさらに好むところだった。

 もしその望ましい廃止が、チュイルリーの宮殿からヴァンセンヌの牢獄へ落ちこんだ四人の大臣についてでなく、ある大道の強盗について、あるみじめな者について、提議されたのであったならば……。みじめな人々、街路で諸君のそばを通っても、諸君はそれにほとんど目もくれず、言葉をかけもせず、その埃まみれの肱を本能的に避けようとする。不幸な人々、幼年時代にはぼろを着て、四つ辻の泥のなかをはだしで駆けまわり、冬は河岸べりにうち震え、諸君が食事をしに行くヴェフールの家の料理場の風窓で身をあたため、あちこちで塵埃塚(ちり)のなかからパンの皮を掘り出し、それをふいてから食べ、終日鉤(かぎ)で溝をかきまわしては一文二文を漁(あさ)り、楽しみとしてはただ、国王の祝日の無料の見世物と、もう一つの無料の見世物たるグレーヴの死刑執行だけである。憐れな者ども、空腹から窃盗をするようになり、窃盗からその他のことをするようになる。邪険な社会の裸一貫の子供たち、十二歳で懲治監(ちょうじかん)に引き取られ、十八歳で徒刑場に送られ、四十歳で死刑台にのぼらせられる。不運な人々、一つの学校と仕事場とを与えられれば、善良な者となり、正当な者となり、有用な者となるはずなのを、なすすべを知らぬ諸君のために、ただ無益な荷物として、あるいはツーロン徒刑場の赤服の群のなかに投げこまれ、あるいはクラマール墓地の黙然たる囲壁のなかに投げこまれて、自由を盗まれた後に生命を強奪される。もしそれらの人々の誰かについて、諸君が死刑の廃止を提議していたならば、おお、その時こそ、諸君の会議は本当に立派な偉大な神聖なおごそかな尊むべきものとなったであろう。トラントの崇(あが)むべき教父たちは、異端者らの改宗をも希望したので、神聖会議は不信者の帰依を希うがゆえに、神の内臓の名において異端者をも会議に招いたが、そのトラントの会議以来、諸君の会議は人の集会としては、もっとも崇高な顕著な慈悲深い光景を世に示したであろう。弱い者や微賤な者のことを図ってやるのはいつも、真に強い者や真に偉大な者の仕事である。バラモン僧の会議は第四階級の事件を取りあげる時に立派なものとなる。そしてここでは、その第四階級の事件はすなわち民衆の事件である。民衆のために、そして諸君自身の利害が問題となるまで待つことをせずに、死刑を廃止するのであったら、諸君は政治的な仕事以上のものをなすことになり、一つの社会的な仕事をなすことになるのであった。

 しかるに、死刑を廃止せんがためにではなく、武断政略の現行を押さえられた四人の不幸な大臣を救わんがために、それを廃止しようとすることによって、諸君は一つの政治的な仕事をさえもなさなかった。

 そこでどういうことになったか。諸君が真摯(しんし)でなかったと同様に、人は諸君を信用しなかった。

 諸君が民衆をだまそうとしてるのを民衆は見てとって、その問題全体に憤慨し、そして注意すべきことには、自分たちだけでその重みをになっている死刑に対して味方した。民衆をそこまで導いたのは諸君の失策である。その問題に間接に不正直に手をつけて、諸君はそれを長く害(そこ)なった。諸君は芝居をした。芝居は失敗に終わった。

 それでもその茶番狂言を、ある人々は親切にも本気で受け容れてくれた。あのすてきな会議のすぐ後で、正直な司法卿は、あらゆる極刑をいつまでということなく停止するよう、検事長らに指令を与えた。それは表面上一大進歩だった。死刑反対者らは息をついた。しかし彼らのいたずらな望みは長くつづかなかった。

 大臣らの裁判は終結した。どういう判決が下されたかを私はしらない。四人の生命は赦(ゆる)された。ハムの牢獄が死と自由とのあいだの中庸として選ばれた。そういう種々の処置がひとたびなされてしまうと、国政を指導する人々の頭からすべての恐怖が消えうせ、恐怖とともに人情も去った。極刑を廃止することはもはや問題でなくなった。そしてひとたびその問題の必要がなくなると、彼らのいわゆる空想はふたたび空想となり、理論はふたたび理論となり、詩はふたたび詩となってしまった。

 けれどもなお監獄のなかには、数人の不幸な平民の囚人らがいて、五、六か月前からその中庭を歩き、空気を吸い、入獄後おとなしくなり、生きられるものだと信じ、死刑執行の延びるのを赦免のしるしだと思っている。けれども、早まってはいけない。

 実をいえば、死刑執行人はひどく恐れた。立法家が人情や仁愛や進歩などを説くのを聞いた日、彼はもう万事だめだと思った。みじめな彼は断頭台の下にうずくまり、夜の鳥が真昼の光に遭(あ)ったように七月革命の太陽に不安をおぼえ、自分を忘れようとつとめ、耳をふさぎ息をひそめた。そして六か月間姿を見せなかった。生きてるしるしさえ示さなかった。けれどもしだいに彼はその闇黒のなかで安心しだした。彼は議会のほうに耳をすましたが、もう自分の名が口にのぼせられるのを聞かなかった。ひどく恐れていたあの響きの高い堂々たる言説ももう聞こえなかった。『犯罪および刑罰論』の大げさな注釈ももう聞こえなかった。人々は他の事柄に頭を向けていた。ある重大な社会的利害問題、ある村道問題、オペラ・コミック座に対する補助金問題、あるいは、卒中患者みたいな十五億の予算からわずか十万フランの出血治療をなす問題、などに頭を向けていた。もう誰もかの首切り人のことを考えていなかった。それを見て彼は心がおちつき、穴から頭を出して四方を眺めた。そしてラ・フォンテーヌの物語の中のあるはつかねずみのように、一足二足とはい出し、それから思いきってその木組の下からすっかり外に出で、次にその上に跳び乗って、それを修繕し修復し研(みが)き擦(す)り動かし光らして、使われなかったために調子がくるっているその古いさびた機械にふたたび油をぬりはじめる。そして突然彼はふりむいて、監獄のなかから手当りしだいに助かるつもりでいる不運な者を一人つかまえ、その頭髪をつかんで自分のほうへひきよせ、何もかも剥ぎ取り、縄でゆわえ鎖で縛る。そしてふたたび死刑執行がはじまる。

 それは恐るべきことではあるが、しかし事実である。

 実際、不幸な囚人らへ六か月の猶予が与えられた。そのため彼らは助かるかもしれないという望みを懐くことによって、いわれなく刑を重くされたようなものである。六か月後のある朝、理由もなく、必要もなく、なぜかもわからず、面白半分に、猶予が撤回されて、それらの男たちは規定の切断機へ冷やかにまわされた。ああ、諸君にたずねたい。それらの男たちが生きているということがわれわれ皆の者に何のわずらいとなったか。フランスには万人のために呼吸する空気が十分にないのか。

 ある日、司法省のいやしい一使用人が、どうでもよいことなのに、椅子から立ちあがって、「さて、もう誰も死刑廃止のことを考えていないから、また首切りをはじめてみるかな。」と言ったとすれば、その男の心のなかには、きわめて奇怪な何かがおこったにちがいない。

 それにまた、あえていえば、この七月の猶予撤回の後、死刑執行にはもっとも恐ろしい事故がともなって、グレーヴ刑場の話はもっともいまわしいものとなり、死刑の呪うべきことをもっともよく証明した。そして人の嫌悪を倍加させたことは、死刑法をふたたび実施した人々の受ける正当な懲罰である。彼らはそのなせるわざによって罰せられてあれ。あっぱれ出来(しゅったい)したるものかな。

 死刑執行が往々にしていかに恐ろしい非道なものであるかについて、ここに二、三の実例をあげなければならない。検事夫人らの神経を痛ませなければならない。女は時として良心である。

 昨年の九月の末ごろ、南方で、たぶんパミエでだったと思うが、その場所や日や囚人の名前は今はっきり覚えていない。しかし事実を否定する者があったら、それを探し出してみせてもよい。で、九月の末ごろ、一人の男が監獄のなかで、落ち着いてカルタをやってるところを呼ばれて、二時間後には死ななければならないことを告げられた。彼は全身ふるえあがった。なぜなら、もう六か月間も彼は放っておかれて、死を予期していなかった。彼はひげをそられ、髪を刈られ、縛りあげられ、懺悔(ざんげ)をさせられた。それから四人の憲兵に護られ、群集のあいだを通って、刑場へ車で運ばれた。そこまでは何の奇もなかった。いつもそういうふうになされるのである。断頭台に着くと、死刑執行人は彼を司祭から受け取り、彼を奪い去り、彼を跳板の上にゆわえ、隠語を用いれば彼を竈に入れ、それから肉切り庖丁を放した。重い鉄の三角刃は落ちぐあいが悪く、溝縁の中にがたついて、ひどいことには、男を切っただけで殺すに至らなかった。男は恐ろしい叫び声をたてた。死刑執行人は狼狽して、また庖丁を引きあげて落とした。庖丁は二度科人(とがにん)の首を切ったが、まだそれを切断しなかった。科人はわめき、群集もわめいた。死刑執行人はまた庖丁を引きあげて、三度目に望みをかけた。だめだった。三度目の打撃は受刑人の首すじから三度血をほとばしらせたが、頭を切り落とさなかった。簡単に述べよう。肉切庖丁は五度引きあげられ落とされて、受刑人を五度切りつけた。受刑人は五度ともその打撃の下にわめき声をたて、宥恕(ゆうじょ)を求めながら生きた頭をうち振った。群集は憤激して石を拾い、みじめな死刑執行人に正義の石を投じた。死刑執行人は断頭台の下に逃げだして、憲兵らの馬の後ろに隠れた。しかしそれだけではない。受刑人は断面台の上に一人きりになったのを見て、跳板の上に立ちあがり、なかば切られて肩に垂れている首を支えながら、血の流れる恐ろしい姿でそこにつっ立って、首を切り離してくれと弱い声で訴えた。群集は憐れみの念でいっぱいになって、いまにも憲兵の列をつき破って五度死刑を受けた不幸な男を助けにいこうとした。ちょうどそのまぎわに、死刑執行人の一人の助手が、二十歳ばかりの青年だったか、断頭台の上にのぼって、縄をといてやるから向きを変えるようにと男に言い、男がそれを信じて言われるままの姿勢をしたのに乗じ、その死にかかってる男の背にとびついて、なんらかのある肉切り庖丁で、首の残りをようやくのことで切り離した。それは実際あったことである。実際見られたことである。本当だ。

 法律の条文によれば、一人の裁判官がその処刑には立ち会っていたはずである。一人の合図で彼はすべてをやめさせることができるのだった。しかるにこの裁判官は、一人の男が屠殺されてるあいだ、その馬車の奥で何をしていたのか。この殺害人懲罰者は、真昼間、眼前で、自分の馬の鼻先で、自分の馬車の扉口で、一人の男が殺害されているあいだ、何をしていたのか。

 そしてその裁判官は裁判に付せられなかった。その死刑執行人は裁判に付せられなかった。神に造られた一個の神聖な人命においてあらゆる掟(おきて)が残酷に破棄されたことについて、どの法廷も詮議(せんぎ)をしたものはなかった。

 十七世紀において、リシュリューやクリストフ・フーケが上に立っている刑法の野蛮時代において、ド・シャレー氏はナントのブーフェーの前で殺されたが、刑執行人の兵士は不器用にも、剣の一撃でせずに、樽屋の手斧で三十四回の打撃を与えた。(ラ・ポルトは二十二回と言ってるが、オーブリーは三十四回と言っている。ド・シャレー氏は二十回まで叫び声をたてた。)その時でもそれは反則なものだとパリ裁判所の目に映じた。調査が行なわれ裁判がなされた。そしてたといリシュリューは罰せられなかったとはいえ、たといクリストフ・フーケは罰せられなかったとはいえ、兵士は罰せられた。むろんそれは不正ではあるが、しかし底には多少正義があった。

 が、こちらには何物もない。七月革命の後に、穏良な風習と進歩との時代に、死刑に対して議会がひどく悲嘆した一年後に起こったことである。ところがその事実は全然看過された。パリの諸新聞はそれを一つの話柄として掲げた。誰も心を動かす者はなかった。高等事務執行者を陥れようとする者が故意に断頭台の機械を狂わしていた、ということが知られたばかりだった。死刑執行人の一人の助手が、主人から追い出されて、意趣ばらしにそういう悪事を謀(はか)ったのだった。

 それは一つのいたずらにすぎなかった。が、先をつづけよう。

 ディジョンで、三か月前に、一人の女が刑場に引き出された。(女なのだ!)その時もまた、ギヨタン博士の肉切り庖丁は用をしそこなった。首はすっかりは切れなかった。すると死刑執行人の助手らは女の足につかまり、不幸な彼女のわめき声のあいだに、跳ねあがったりひっぱったりして、頭と体とをもぎ離してしまった。

 パリにおいては、秘密処刑の時代が再現した。七月革命後、人はもはやグレーヴの刑場で首を切ることをあえてしかねたし、恐れていたし、卑怯だったので、次のようなことがなされた。最近のこと、一人の男が、一人の死刑囚が、デザンドリューという名前の男だったと思うが、ビセートルの監獄で取りあげられた。彼は四方閉ざされ海老錠と閂がかけられている二輪車の一種の籠のなかに入れられた。そして前後に一人ずつ憲兵がつきそい、あまり音もたてず人だかりもせず、サン・ジャックのさびしい市門へ運ばれた。まだ十分明るくならないうち朝の八時にそこまで行くと、新しく組み立てられたばかりの断頭台が一つ立っていた。公衆としてはただ十二、三人の子供らが、近くの小石の山の上に意外な機械のまわりに集まっていた。人々はいそいで男を籠馬車から引き出し、息をつくひまも与えず、ひそかに狡猾(こうかつ)に見苦しくもその首を盗み切った。そしてそれが高等司法の公けのおごそかな行為と呼ばれる。いやしむべき愚弄である。

 法官らはいったい文明という言葉をどう解釈しているのか。われわれはいったいいかなる時代にあるのか。策略と瞞着とに堕した司法、方便に堕した法律、奇怪なるかな!

 死刑に処せられるということは、社会からそういうふうに陰険に取り扱われるからには、きわめて恐るべきことであるにちがいない。

 とはいえ実のところ、右の死刑執行は全然秘密にされたものでもなかった。その朝、例のとおり、パリの四つ辻で死刑決定の報道が呼売された。そういうものを売って暮らしている人があるらしい。嘘のようだが実際、一人の不運な男の罪悪や、その懲罰や、その責苦や、その臨終の苦悶などで、一つの商品が、一つの印刷物が作られて、一スーで売られている。血のなかにさびたその銅貨ほどいまわしいものが、他に何かあるだろうか。それを拾い取る者が誰かあるだろうか。

 事実はこれでもう十分だ。あまりあるほどである。すべてそれらは嫌悪すべきことではないか。死刑に左袒(さたん)すべき余地がどこにあるか。

 われわれはこの質問を真剣に提出する。返答を求めて提出する。饒舌(じょうぜつ)な文学者へではなく、刑法学者へ提出する。われわれの知ってるところでは、死刑の妙味をまったく他の問題として逆説の主題とする人々がいる。また、死刑を攻撃する誰かれを憎むというだけで死刑に賛成する人々もいる。彼らにとってはそれはなかば文学的な事柄であり、個人的な事柄であり、固有名詞的な事柄である。それは羨望者であって、善良な法律家にも偉大な芸術家にもともに現われてくる。フィランジエリに対してはジョゼフ・グリッパのような者が常にいるとともに、ミケランジェロに対してはトレジアーニのような者が常におり、コルネイユに対してはスキュデリーのような者が常にいる。

 われわれが言葉をかけるのは、そういう者へではなくて、本来の法律家へであり、弁証論者へであり、理論家へであり、死刑のために、その美と善の恩恵とのために、死刑に賛成する人々へである。

 ところで彼らは多くの理由をあげる。

 裁判し処刑する側の人々は、死刑を必要だと言う。第一に、なぜかなれば、社会共同体からすでにその害となりなお将来害となりうる一員を除くことは大事なことだと。――しかし、もしそれだけのことであったら、終身懲役で十分だろう。死が何の役にたつか。監獄では脱走の恐れがあるというならば、巡警をなおよくすればよい。鉄格子の強さでは不安心だというならば、どうして他に動物園などを設けておくのか。

 看守で十分なところには、死刑執行人の要はない。

 けれども、社会は復讐しなければならない。社会は罰しなければならない、と次に彼らは言う。――しかし、どちらもそうではない。復讐は個人のことであり、罰は神のことである。

 社会は両者の中間にある。懲罰は社会より以上であり、復讐は社会より以下である。それほど偉大なこともそれほど微小なことも社会にはふさわしくない。社会は「復讐するために罰する」ことをしてはいけない。改善するために矯正することをなすべきである。刑法学者の慣用の文句をそう変えれば、われわれも了解し同意する。

 第三の最後の理由、実例論が残っている。すなわち、実例を見せてやらなければならないと。罪人がいかなる目にあうかを示して、同様な心をおこす人々を恐れさせなければならないと。――これが多少調子の差はあるけれど、フランスの五百の検事局の論告が千篇一律に用いるほとんどそのままの文句である。ところで、われわれは実例をまず否定する。刑罰を示して所期の効果を生ずるというのを否定する。刑罰を示すことは、民衆を訓育するどころか、民衆の道徳を頽廃させ、その感受性を滅ぼし、したがってその徳操を滅ぼす。例証はたくさんあって、いちいちあげていたならば推理のじゃまとなるほどである。でもここにその無数のうちの一つを、最近の事実であるから持ち出してみよう。今これを書いている日からわずか十日前のことである。謝肉祭最終日の三月五日のことである。サン・ポルで、ルイ・カミュという放火犯人の死刑執行のすぐ後に、仮面行列の一群がやってきて、まだ血煙を立てている断頭台のまわりで踊ったのである。実例を示すがいい。謝肉祭最終日は諸君の鼻先で笑っている。

 もし諸君が、経験にもかんがみず、実例という古めかしい理論に固執するならば、十六世紀をとりもどすがいい。本当に畏怖すべきものとなって、多様の刑罰をとりもどし、ファリナッキをとりもどし、審裁刑吏らをとりもどし、首吊台、裂刑車、火刑台、吊刑台、耳切りの刑、四つ裂きの刑、生埋めの穴、生煮の釜、などをとりもどすがいい。千客万来の店として、たえず新しい肉を備えている死刑執行人のいまわしい肉店を、パリのあらゆる四つ辻にとりもどすがいい。モンフォーコンの刑場を、その十六本の石の柱と、あらあらしい平段と、骸骨のあなぐらと、梁と、鉤(かぎ)と、鎖と、死体串と、点々と烏がとまってる白堊の本堂と、首吊柱の分堂とをともにとりもどし、北東の風でタンプル大通り一帯にさっと広がる、その屍(しかばね)の臭気をとりもどすがいい。パリの死刑執行人のあの大きな小屋を、同じ強さと不朽の形のままで、とりもどすがいい。よきかな! それこそ大いなる実例である。よく腑に落ちる死刑である。多少規模のある刑罰様式である。それこそ嫌悪すべきものである。が、しかし怖るべきものである。

 あるいはまた、イギリスのようにするがいい。商業国たるイギリスでは、ドーヴァーの海岸で密輸入者を一人捕えると、それを実例として首吊りにし、実例として首吊台にさらしておく。しかし天気の不順のために死体がいたむことがあるので、瀝青(れきせい)を塗った布で死体を注意深く包んで、たびたび手入れをしないでよいようにする。倹約の国なるかな、首を吊られた死体に瀝青を塗るとは!

 けれどもそれはまだ多少理屈に合う。実例論に対するもっとも人情的な理解のしかたである。

 しかし諸君は郭外の大通りのもっとも寂しい片隅で一人の憐れな男の首をみじめにも断ち切る時、一つの実例を示すものだとまじめに考えているのか。グレーヴの刑場で真昼間なら、まだよい。しかしサン・ジャック市門で、朝の八時に! そこを誰が通るか。そこに誰が行くか。そこで一人の男が殺されていることを誰が知るか。そこに一つの実例を示されていることを誰が気づくか。誰にむかっての実例ぞ。明らかに大通りの樹木にむかってであろう。

 諸君にはわからないのか、諸君の公けの処刑はこそこそとなされていることが。諸君は自ら身を隠していることが。諸君は自分の仕事を恐れ恥じてることが。この告知の後は正理を知るべしを諸君は滑稽(こっけい)に口ごもっていることが。諸君は内心動揺し困却し心配し、自分が正当だとは信じかね、万般の疑惑にとらえられ何をなしてるかもよくわからないでただ旧慣にしたがって首を切っているということが、諸君にはわからないのか。諸君の先人らが、古い議員らが、あれほど平然たる良心をもって果たしていた血の使命について、諸君は少なくともその道徳的および社会的感情を失ってしまっているということを心の底に感じないのか。先人たちよりもしばしば諸君は、家に帰って夜の安眠ができないのか。諸君以前にも極刑を指令した人々がある。しかし彼らは法と正と善とのうちに自負するところがあった。ジュヴネル・デ・ジュルサンは自ら審判者だと信じ、エリー・ド・トレットは自ら審判者だと信じ、ローバルドモンやラ・レーニーやラフマスなどでさえ、みな自ら審判者だと思っていた。が、諸君は心底において、自分は殺害者ではないという確信さえもたない。

 諸君はグレーヴの刑場を去ってサン・ジャック市門におもむき、群集を避けて寂寞(せきばく)の地を選び、白昼よりも薄明の頃を好んでいる。もはや確固たる信念でことをなしてはいない。諸君は隠れひそんでいる、と私はあえて言う。

 死刑に賛成のあらゆる理由は、かくのごとく破れてしまう。検事局のあらゆる論法は、かくのごとく無に帰してしまう。それらのあらゆる論告のはしくれは、かくのごとく一掃されて灰燼(かいじん)になる。すべてのへりくつは論理の鎧袖一触(がいしゅういっしょく)で解決される。

 法官らが、社会を保護するという名目のもとに、重罪公訴を保証するという名目のもとに、実例を示すという名目のもとに、ねこなで声で懇願しながら、陪審者たり人間たるわれわれにむかって罪人の首を求めにくることが、もはやないようにしたいものである。すべてそれらの名目は、美辞麗句であり空太鼓(からだいこ)であり空言(そらごと)である。そのふくらみは針でひと突きすれば縮んでしまう。その描かぶりの饒舌(じょうぜつ)の下にあるものは、冷酷、残忍、野蛮、職務熱心を示そうとの欲望、俸給を得るの必要、などばかりである。不徳官吏ども、口をつぐむがいい。裁判官のもの静かな足の下に死刑執行人の爪がのぞいている。

 非道な検事はいったいどういうものであるかと考える時、人はなかなか冷静ではいられない。それは他人を死刑台に送ることによって生活している人間である。本官の刑場用達人である。そのうえ、文章や文学にうぬぼれをもってる一個の紳士で、弁舌が巧みであり、あるいは弁舌が巧みだと自ら思っており、死を結論する前にラテン語の詩を一、二行必要に応じて暗唱し、効果を与えることにつとめ、他人の生命が賭けられてる事柄に、みじめなるかな、自分の自負心だけを問題とし、特別な模範を、およびもつかない典型を、その古典ともいうべき人物をもっていて、某詩人がラシーヌを目ざしあるいはボアローを目ざすように、ベラールとかマルシャンジとかいう目標をもっている。弁論では断頭台のほうをねらい、それが彼の役目であり本職である。彼の論告は彼の文学的作品であって、彼はそれに比喩の花を咲かせ、引照の香りをつけ、聴衆を感心させ婦人を喜ばせるものとなさなければならない。彼は優雅な口調とか凝(こ)った趣味とか精練された文体などという、田舎にとってはまだごく新しいくだらないものをたくさん持っている。彼はドリーユ一派の悲壮詩人らとほとんど同じほど適宜な言葉をきらう。彼が事物をその本来の名前で呼ぶ気づかいはない。ばかなこと! むき出しにすればいやになるような観念をすべて、彼はすっかり付加形容の言葉で仮装させる。サンソン氏をも見栄(みば)えよくする。肉切り庖丁を紗の布で包む。跳ね板に色をぼかす。赤い籠を婉曲な言いかたでごまかす。それが何のことだかもうわからないほどになる。穏やかな上品なものとなる。彼が夜分書斎で、六週間後には一つの死刑台を建てさせるべき長広舌をゆっくりとできるかぎり推敲しているところを、想像してみるがいい。法典のもっとも痛ましい箇条に一被告の頭をはめこもうとして汗水流している彼を、眼前に描きだしてみるがいい。粗製の法律で一人のみじめな男の首を鋸挽(のこぎりび)きしている彼を、眼前に描きだしてみるがいい。寓意や提喩の泥のなかに二、三の有毒な文体を煮こんで、それから一人の男の死を一生懸命にしぼりだし煎じだそうとしている彼に、目を止めてみるがいい。彼がその論告を書いている一方には、そのテーブルの下に、影のなかに、彼の足もとに、たぶん死刑執行人がうずくまっていることだろう。そして彼はときどきペンを休めて、主人が自分の犬に言うように、死刑執行人に言うだろう、

「静かに、静かにしておれ、いまに骨をしゃぶらしてやるよ。」

 しかるに、私的生活ではこの法官も、ペール・ラシェーズのあらゆる墓碑の銘にあるように、正直な男で、よい父で、よい子で、よい夫で、よい友であることができる。

 法律がそれらの悲しむべき職務を廃する日の近からんことを、希望しようではないか。われわれの文明の空気だけでも、時がたてば死刑を磨滅してしまうはずである

 死刑の弁護者らは死刑がどんなものであるかをよく考えてみなかったのではないか、と思われることがよくある。社会が自分で与えもしなかったものを取り去ることについて僭有(せんゆう)しているその無法な権利を、取り返しのつかない刑罰のうちでももっとも取り返しのつかないその刑罰を、たといどんな犯罪であろうともその犯罪と、少しく比較計量してみるがよい。

 二つのことのうちまず第一のことから言おう。

 諸君がやっつけるその男は、この世に家族も親戚も朋輩ももたない者であることもあろう。その場合には彼は、なんらの教育も訓育も、精神上の世話も心情上の世話も受けたことがない。しかるに諸君は、そのみじめな孤児をいかなる権利で殺すのか。幼年時代に幹も支柱もなくて地面をはいまわったからといって彼を罰するのか。孤立のまま捨てておかれたのを無法にも彼のせいだとするのか。彼の不幸を彼の罪悪とするのか。彼は自分がどういうことをしてるかを誰からも教えられはしなかった。彼はなにも知らない。彼の罪はその運命にあって、彼にはない。諸君は一人の無辜(むこ)の者をやっつけるのである。

 またその男が家族をもっていることもあろう。その場合に諸君は、彼の首を切ることが彼だけしか傷つけないと思うのか。彼の父や母や子供たちは血を出さないと思うのか。そうではない。彼を殺すことによって諸君は彼の全家族の首を切る。この場合にもやはり諸君は無辜の人々をやっつけるのである。

 拙劣な盲目の刑罰よ、どちらに向いても無辜の者をやっつける。

 その男を、家族をもってるその罪人を、保管してみるがいい。彼は監獄のなかで家族のためになお働くことができるだろう。しかし墓の下からではどうして家族を生かすことができよう。その小さな男の子たちが、その小さな女の子たちが父親を奪われてどうなってゆくか、言い換えればパンを奪われてどうなってゆくか、それを考えておののかないでいられるか。諸君はその子供たちをめざして、男のほうは徒刑場に、女のほうは魔窟に、十五年もたったら備えつけるつもりででもいるのか。おお、憐れな無辜の者たちよ!

 植民地では、死刑の判決で一人の奴隷が殺される時、その奴隷の所有者へ千フランの賠償金が出される。ああ諸君は主人の損害をあがなって、家族へはなんらの賠償もしない。この場合にもまた諸君は、本当の所有者から一人の男を奪ってるのではないか。彼は奴隷が主人に対するのよりもはるかに神聖な名目で、その父親の所有物であり、妻の財産であり、子供たちのものであるではないか。

 われわれはすでに諸君の法律を殺害だと認定した。そしてここにまた窃盗だと認定する。

 もう一つのことを言おう。その男の魂、それを考えてみるがいい。その魂がどういう状態にあるか、諸君は知っているか。諸君はあえてそれをかく軽率に追いはらおうとするのか。昔は少なくとも、ある信仰が民衆のなかに流布していた。最期のまぎわに、空中に漂っている宗教的息吹がもっともかたくなな者をもやわらげることができた。受刑人はまた同時に悔悛者だった。社会が彼に一つの世界を閉ざす時、宗教は彼に他の世界を開いてくれた。どの魂も神を覚えた。死刑台は天の国境にすぎなかった。しかし、民衆の多くが信仰を失っている今日、諸君は死刑台の上にいかなる希望をおいてくれているか。昔はおそらく諸大陸を発見したろうが今は港に朽ちている古船のように、あらゆる宗教はかびに腐食されている。今は小さな子供たちも神をあざけっている。いかなる権利で諸君は、受刑人の薄暗い魂を、ヴォルテールやピゴー・ルブランがこしらえあげたままの魂を、諸君自身も信じかねている何物かのなかに投げこむのか。諸君はそれらの魂を監獄の教誨師(きょうかいし)に引きわたす。それはむろん立派な老人ではあろうが、しかし自ら信仰をもっているか、そして人に信仰をもたせうるか。彼はその崇高な仕事を一つの賦役として機械的にやってはしないか。囚人馬車のなかで死刑執行人と相並んでるその好々爺(こうこうや)を、一個の司祭だと諸君はいうのか。魂をも才能をも十分そなえた一著述家がわれわれより前にこう言っている、懺悔聴聞者を追い払った後もまだ死刑執行者を残しておくのはいまわしいことである。

 頭のなかでしか推理しないある傲慢な人々が言うように、これはもとより「感情的な理由」にすぎない。しかしわれわれの見るところでは、このほうがさらに立派な理由である。われわれはたいてい理性上の理由よりも感情上の理由を取りたい。そのうえ両者は常に支持しあうものである。それを忘れてはいけない。『犯罪論』は『法の精神』の上に接木(つぎき)されたものである。モンテスキューはベッカリアを生んだ。

 理性はわれわれに味方し、感情はわれわれに味方し、経験もまたわれわれに味方する。死刑が廃止されている模範的な国家では、重罪の数は年ごとに漸減している。よく考えてみるがいい。

 けれどもわれわれは、議会があれほど夢中になって唱え出したように、死刑を今ただちに突然に完全に廃してしまいたいというのではない。いな、われわれは、あらゆる試みと注意と研究とをもって慎重にやりたいのである。もとよりわれわれの望むところは、単に死刑の廃止ばかりではなく、徹頭徹尾、閂から肉切り庖丁に至るまで、あらゆる形における刑罰の完全な改訂である。そしてそういう仕事が立派に仕上げられるためには、時間は必要な要素の一つである。なおわれわれはこの問題については、実行できると思っている一つのまとまった考えを、他のところで詳述するつもりでいる。けれども、貨幣贋造や放火や加重情状付窃盗などの件に対する部分的な死刑廃止とは引き離して、今からただちに求めたいことは、あらゆる重大な事件において裁判長が陪審員らにむかって、「被告は情熱によって行動したかまたは私欲によって行動したか」という問いをかけることにし、「被告は情熱によって行動した」と陪審員らが答える場合には、死刑に処することのないようにしたい。そうすれば少なくとも、いまわしいある種の処刑ははぶけるだろう。ユルバックやドバケルなどは助かっただろう。オセロのごとき人物を断頭台にのぼらせることはなくなるだろう。

 それにまた、誤解のないようにしてほしいことには、この死刑の問題は日に日に成熟している。やがては社会全体がわれわれと同様にそれを解決するだろう。

 もっとも頑迷な刑法学者らにも留意してもらいたいことには、一世紀このかた死刑は漸次減退している。死刑はほとんど穏和になっている。それは老衰のきざしであり、衰弱のきざしであり、やがて死滅するしるしである。責め道具はなくなった。刑車はなくなった。首吊柱はなくなった。ふしぎなことではあるが、断頭台そのものも一つの進歩である。

 断頭台創案者ギヨタン氏は仁者である。

 実際、恐ろしい歯をそなえて、ファリナッキやヴーグランを、ドランクルやイザーク・ロアゼルを、オペードやマショーをむさぼり食う、恐ろしい正義の神テミスも、健康が衰えてき、痩(や)せ細っている。もう死にかけている。

 はやすでにグレーヴの刑場もそれをきらっている。名誉を回復しようとしている。この古い吸血婆たるグレーヴは、七月革命の折には品行をつつしんだ。それ以来彼女はよい生活を望み、最後のみごとな行いを涜(けが)すまいとしている。三世紀前からあらゆる死刑台に身を売った彼女も、羞恥心を覚えて以前の商売を恥じている。いやしい名前をなくしたいと思っている。死刑執行人をこばみ、敷石を洗っている。

 現在では、死刑はもうパリの外に出ている。しかるに、ここに言っておきたいことには、パリから出ることは文明から出ることである。

 あらゆる兆候はわれわれに味方する。あの忌(い)むべき機械、なおよくいえば、ギヨタンにとってはちょうどピグマリオンに対するガラテアのようなものであるあの木と鉄との怪物も、落胆し渋面しているようである。ある点から見れば、上に述べた恐ろしい処刑も喜ばしいきざしである。断頭台は躊躇(ちゅうちょ)している。切りそこなうまでになっている。死刑の古い機械は全部調子が狂っている。

 けがらわしいその機械はフランスから立ち去るだろう。われわれはそれを期待する。もしよろしくば、われわれのきびしい打撃を受けて、足をひきずりながら立ち去るだろう。

 そして他の土地へ行って、ある野蛮な民衆のところへ行って、優遇を求めるがよい。トルコへでもない。トルコは文明の風に浴している。未開の民へでもない。彼らでさえそれをきらっている。(タヒチ島の州会は最近死刑を廃した。)それよりなお数段文明の階段をくだって、スペインかロシアへでも行くがよい。

 過去の社会の殿堂は、司祭と国王と死刑執行人との三つの柱に支えられていた。しかるに、すでに長い以前に一つの声が言った、神々は去れりと。最近他のもう一つの声が起こって叫んだ。国王らは去れりと。いまや第三の声が起こって言うべき時である。死刑執行人は去れりと。

 かくて旧社会は一塊一塊と崩れてしまうだろう。かくて天意は過去の崩壊を完成してしまうだろう。

 神々を愛惜した人々にむかっては、唯一の神がとどまっている、と言うことができた。国王らを愛惜してる人々にむかっては、祖国が残っている、と言うことができる。死刑執行人を愛惜するだろう人々にむかっては、何も言うべきものはない。

 秩序は死刑執行人とともになくなりはしないだろう。なくなるなどと思ってはいけない。未来の社会の穹窿(きゅうりゅう)は、その醜い要石がなくても崩れはしないだろう。文明というものはあいついで起こる一連の変更にほかならない。いま人が直面しようとするのは、刑罰の変更にである。キリストの穏和な掟は、ついに法典にもはいりこみ、法典を貫いて光り輝くだろう。罪悪は一つの病気と見られるだろう。そしてその病気には、医者があって裁判官のかわりとなり、病院があって徒刑場のかわりとなるだろう。自由と健康とは相似たものとなるだろう。鉄と火とが当てられたところに香料と油とが塗られるだろう。憤怒をもって処置されたその病苦は慈愛をもって処置されるだろう。それは単純な崇高なことだろう。磔刑台のかわりに据えられた十字架。それだけのことである。

  一八三二年三月十五日


底本:「死刑囚最後の日」岩波文庫、岩波書店


   1950(昭和25)年1月30日第1刷発行

   1982(昭和57)年6月16日改版第30刷発行

※原題の「LE DERNIER JOUR D’UN CONDAMN」は、ファイル冒頭ではアクセント符号を略し、「LE DERNIER JOUR D’UN CONDAMNE」としました。

入力:tatsuki

校正:大野晋、小林繁雄、川山隆

2008年5月17日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。





この本を、全文縦書きブラウザで読むにはこちらをクリックしてください。
【明かりの本】のトップページはこちら

 
 
 
以下の「読んだボタン」を押してツイッターやFacebookを本棚がわりに使えます。
ボタンを押すと、友人にこの本をシェアできます。
↓↓↓ 

Facebook Twitter Email
facebooktwittergoogle_plusredditpinterestlinkedinmailby feather

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">