ヴィクトル・ユゴー 死刑囚最後の日


       九

 私は遺書を書いた。

 でもそれが何になるか。私は訴訟費用負担を言い渡されてる。そして私の家産はそれにもたりないだろう。断頭台、それはいかにも高価なものだ。

 私の後には、一人の母が残る、一人の妻が残る、一人の子供が残る。

 三歳の小さな女の子で、ばら色でやさしくよわよわしく、黒い大きな目をし、栗色の長い髪を生やしている。

 最後に私が見た時は、その子は二年と一か月だった。

 かくて、私の死後には、子がなく夫がなく父がない三人の女が残る。各種の三人の孤独者だ。法律から作られた三人の寡婦(かふ)だ。

 私は自分が正当に罰せられてることを認める。しかしそれら三人の無辜(むこ)の者は、いったい何をしたのか。ただ無鉄砲に、彼らは不名誉を担わせられ、破滅させられる。それが正義なのだ!

 年老いた憐れな母のことを私は心配するのではない。彼女はもう六十四歳になっていて、この打撃で死ぬだろう。あるいはなお数日生きながらえるとしても、最後のまぎわまでその懐炉(かいろ)の中に多少の温い灰がありさえすれば、なにも不平をこぼさないだろう。

 妻のことも私の気にはかからない。彼女はもうすでに健康を害してるし精神も弱ってる。やはり死ぬだろう。

 さもなければ狂人になるか。狂人は生きながらえるそうだ。しかし少なくとも、その精神はもう苦しまない。精神は眠って、死んだも同様である。

 けれども、私の娘、私の子、今もなお笑いたわむれ歌っていて、なんにも考えていない、あの憐れな小さなマリー、それが私の心を苦しめる。




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