萩原朔太郎 青猫



  凡例

一。第一詩集『月に吠える』を出してから既に六年ほど經過した。この長い間私は重に思索生活に沒頭したのであるが、かたはら矢張詩を作つて居た。そこで漸やく一册に集つたのが、この詩集『青猫』である。

 何分にも長い間に少し宛書いたものである故、詩の情想やスタイルの上に種々の變移があつて、一册の詩集に統一すべく、所所氣分の貫流を缺いた怨みがある。けれども全體として言へば、矢張書銘の『青猫』といふ感じが、一卷のライト・モチーヴとして著者の個性的氣稟を高調して居るやに思ふ。

二。集中の詩篇は、それぞれの情想やスタイルによつて、大體之れを六章に類別した。即ち「幻の寢臺」、「憂鬱なる櫻」、「さびしい青猫」、「閑雅な食慾」、「意志と無明」、「艶めける靈魂」他詩一篇である。この分類の中、最初の二章(「幻の寢臺」、「憂鬱なる櫻」)は、主として創作年代の順序によつて配列した。此等の章中に收められた詩篇は、概ね雜誌『感情』に掲載したものであるから、皆今から數年以前の舊作である。『感情』が廢刊されてからずゐぶん久しい間であるが、幸ひに殘本の合本があつて集録することを得た。同時代に他の雜誌へ寄稿したものは、すべて皆散佚して世に問ふべき機縁もない。

「さびしい青猫」以下の章に收められた詩は、何れもこの二三年來に於ける最近の收穫である。但し排列の順序は年代によらず、主として情想やスタイルの類別によつた。

三。私の第二詩集は、はじめ『憂鬱なる』とするつもりであつた。それはずつと以前から『感情』の裏表紙で豫告廣告を出して置いた如くである。然るにその後『憂鬱なる××』といふ題の小説が現はれたり、同じやうな書銘の詩集が出版されたりして、この「憂鬱」といふ語句の官能的にきらびやかな觸感が、當初に發見された時分の鮮新な香氣を稀薄にしてしまつた。そればかりでなく、私の詩風もその後によほど變轉して、且つ生活の主題が他方へ移つて行つた爲、今ではこの「取つて置きの書銘」を用ゐることが不可能になつた始末である。豫告の破約を斷るため、ここに一言しておく。

四。とにかくこの詩集は、あまりに長く出版を遲れすぎた。そのため書銘ばかりでなく、内容の方でも、いろいろ「持ち腐れ」になつてしまつた。その當時の詩壇から見て、可成に新奇で鮮新な發明であつた特種のスタイルなども、今日では詩壇一般の類型となつて居て、むしろ常套の臭氣が鼻につくやうにさへなつて居る。さういふ古い自分の詩を、今更ら今日の詩壇に向つて公表するのは、ふしぎに理由のない羞恥と腹立たしさとを感ずるものである。

五。附録の論文「自由詩のリズムに就て」は、この書物の跋と見るべきである。私の詩の讀者は勿論、一般に「自由詩を作る人」、「自由詩を讀む人」、「自由詩を批評する人」、「自由詩を論議する人」特に就中「自由詩が解らないと言ふ人」たちに讀んでもらふ目的で書いた。自由詩人としての我々の立場が、之れによつて幾分でも一般の理解を得ば本望である。





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