與謝野晶子 晶子詩篇全集





戦争





大錯誤(おほまちがひ)の時が来た、

赤い恐怖(おそれ)の時が来た、

野蛮が濶(ひろ)い羽(はね)を伸し、

文明人が一斉に

食人族(しよくじんぞく)の仮面(めん)を被(き)る。



ひとり世界を敵とする、

日耳曼人(ゲルマンじん)の大胆さ、

健気(けなげ)さ、しかし此様(このやう)な

悪の力の偏重(へんちよう)が

調節されずに已(や)まれよか。



いまは戦ふ時である、

戦嫌(いくさぎら)ひのわたしさへ

今日(けふ)此頃(このごろ)は気が昂(あが)る。

世界の霊と身と骨が

一度に呻(うめ)く時が来た。



大陣痛(だいぢんつう)の時が来た、

生みの悩みの時が来た。

荒い血汐(ちしほ)の洗礼で、

世界は更に新しい

知らぬ命を生むであろ。



其(そ)れがすべての人類に

真の平和を持ち来(きた)す

精神(アアム)でなくて何(な)んであろ。

どんな犠牲を払う[#「払う」はママ]ても

いまは戦ふ時である。







歌はどうして作る





歌はどうして作る。

じつと観(み)、

じつと愛し、

じつと抱きしめて作る。

何(なに)を。

「真実」を。



「真実」は何処(どこ)に在る。

最も近くに在る。

いつも自分と一所(いつしよ)に、

この目の観(み)る下(もと)、

この心の愛する前、

わが両手の中に。



「真実」は

美(うつ)くしい人魚、

跳(は)ね且(か)つ踊る、

ぴちぴちと踊る。

わが両手の中で、

わが感激の涙に濡(ぬ)れながら。



疑ふ人は来て見よ、

わが両手の中の人魚は

自然の海を出たまま、

一つ一つの鱗(うろこ)が

大理石(おほりせき)[#ルビの「おほりせき」はママ]の純白(じゆんぱく)のうへに

薔薇(ばら)の花の反射を持つてゐる。







新しい人人





みんな何(なに)かを持つてゐる、

みんな何(なに)かを持つてゐる。

後ろから来る女の一列(いちれつ)、

みんな何(なに)かを持つてゐる。



一人(ひとり)は右の手の上に

小さな青玉(せいぎよく)の宝塔。

一人(ひとり)は薔薇(ばら)と睡蓮(すいれん)の

ふくいくと香る花束。



一人(ひとり)は左の腋(わき)に

革表紙(かはべうし)の金字(きんじ)の書物。

一人(ひとり)は肩の上に地球儀。

一人(ひとり)は両手に大きな竪琴(たてごと)。



わたしには何(な)んにも無い

わたしには何(な)んにも無い。

身一つで踊るより外(ほか)に

わたしには何(な)んにも無い。







黒猫





押しやれども、

またしても膝(ひざ)に上(のぼ)る黒猫。



生きた天鵝絨(びろうど)よ、

憎からぬ黒猫の手ざはり。



ねむたげな黒猫の目、

その奥から射る野性の力。



どうした機会(はずみ)[#ルビの「はずみ」は底本では「はみ」]やら、をりをり、

緑金(りよくこん)に光るわが膝(ひざ)の黒猫。







曲馬の馬





競馬の馬の打勝たんとする鋭さならで

曲馬(きよくば)の馬は我を棄(す)てし

服従の素速(すばや)き気転なり。



曲馬(きよくば)の馬の痩(や)せたるは、

競馬の馬の逞(たくま)しく美(うつ)くしき優形(やさがた)と異なりぬ。

常に飢(ひも)じきが為(た)め。



競馬の馬もいと稀(まれ)に鞭(むち)を受く。

されど寧(むし)ろ求めて鞭(むち)打たれ、その刺戟に跳(をど)る。

曲馬(きよくば)の馬の爛(たゞ)れて癒(い)ゆる間(ま)なき打傷(うちきず)と何(いづ)れぞ。



競馬の馬と、曲馬(きよくば)の馬と、

偶(たまた)ま市(いち)の大通(おほどほり)に行(ゆ)き会ひし時、

競馬の馬はその同族の堕落を見て涙ぐみぬ。



曲馬(きよくば)の馬は泣くべき暇(いとま)も無し、

慳貪(けんどん)なる黒奴(くろんぼ)の曲馬(きよくば)師は

広告のため、楽隊の囃(はや)しに伴(つ)れて彼を歩(あゆ)ませぬ……







夜の声





手風琴(てふうきん)が鳴る……

そんなに、そんなに、

驢馬(ろば)が啼(な)くやうな、

鉄葉(ブリキ)が慄(ふる)へるやうな、

歯が浮くやうな、

厭(いや)な手風琴(てふうきん)を鳴らさないで下さい。



鳴らさないで下さい、

そんなに仰山(ぎやうさん)な手風琴(てふうきん)を、

近所合壁(がつぺき)から邪慳(じやけん)に。

あれ、柱の割目(われめ)にも、

電灯の球(たま)の中にも、

天井にも、卓の抽出(ひきだし)にも、

手風琴(てふうきん)の波が流れ込む。

だれた手風琴(てふうきん)、

しよざいなさの手風琴(てふうきん)、

しみつたれた手風琴(てふうきん)、

からさわぎの手風琴(てふうきん)、

鼻風邪を引いた手風琴(てふうきん)、

中風症(よい/\)の手風琴(てふうきん)……



いろんな手風琴(てふうきん)を鳴らさないで下さい、

わたしには此(この)夜中(よなか)に、

じつと耳を澄まして

聞かねばならぬ声がある……[#「……」は底本では「‥‥」]

聞きたい聞きたい声がある……

遠い星あかりのやうな声、

金髪の一筋(ひとすぢ)のやうな声、

水晶質の細い声……



手風琴(てふうきん)を鳴らさないで下さい。

わたしに還(かへ)らうとするあの幽(かす)かな声が

乱される……紛れる……

途切れる……掻(か)き消される……

ああどうしよう……また逃げて行つてしまつた……



「手風琴(てふうきん)を鳴らすな」と

思ひ切つて怒鳴(どな)つて見たが、

わたしにはもう声が無い、

有るのは真剣な態度(ゼスト)ばかり……

手風琴(てふうきん)が鳴る……煩(うる)さく鳴る……

柱も、電灯も、

天井も、卓も、瓶(かめ)の花も、

手風琴(てふうきん)に合せて踊つてゐる……



さうだ、こんな処(ところ)に待つて居ず

駆け出さう、あの闇(やみ)の方へ。

……さて、わたしの声が彷徨(さまよ)つてゐるのは

森か、荒野(あらの)か、海のはてか……

ああ、どなたでも教へて下さい、

わたしの大事な貴(たふと)い声の在処(ありか)を。







自問自答





「我」とは何(なに)か、斯(か)く問へば

物みな急に後込(しりごみ)し、

あたりは白く静まりぬ。

いとよし、答ふる声なくば

みづから内(うち)に事(こと)問はん。



「我」とは何(なに)か、斯(か)く問へば

愛(あい)、憎(ぞう)、喜(き)、怒(ど)と名のりつつ

四人(よたり)の女あらはれぬ。

また智(ち)と信(しん)と名のりつつ

二人(ふたり)の男あらはれぬ。



われは其等(それら)をうち眺め、

しばらくありてつぶやきぬ。

「心の中のもののけよ、

そは皆われに映りたる

世と他人との姿なり。



知らんとするは、ほだされず

模(ま)ねず、雑(まじ)らず、従はぬ、

初生(うぶ)本来の我なるを、

消えよ」と云(い)へば、諸声(もろごゑ)に

泣き、憤(いきどほ)り、罵(のゝし)りぬ。



今こそわれは冷(ひやゝ)かに

いとよく我を見得(みう)るなれ。

「我」とは何(なに)か、答へぬも

まことあはれや、唖(おし)にして、

踊(をどり)を知れる肉なれば。







我が泣く日





たそがれどきか、明方(あけがた)か、

わたしの泣くは決まり無し。

蛋白石色(オパアルいろ)[#「蛋白石色」は底本では「胥白石色」]のあの空が

ふつと渦巻く海に見え、

波間(なみま)に[#「波間に」は底本では「波問に」]もがく白い手の

老(ふ)けたサツフオオ、死にきれぬ

若い心のサツフオオを

ありあり眺めて共に泣く。

また虻(あぶ)が啼(な)く昼さがり、

金の箔(はく)おく連翹(れんげう)と、

銀と翡翠(ひすゐ)の象篏(ざうがん)の

丁子(ちやうじ)の花の香(か)のなかで、

※(あつ)[#「執/れんが」、U+24360、66-下-13]い吐息をほつと吐(つ)く

若い吉三(きちさ)の前髪を

わたしの指は撫(な)でながら、

そよ風のやうに泣いてゐる。









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