與謝野晶子 晶子詩篇全集



伊香保の街





榛名山(はるなさん)の一角に、

段また段を成して、

羅馬(ロオマ)時代の

野外劇場(アンフイテアトル)[#ルビの「アンフイテアトル」は底本では「アンフイテトアル」]の如(ごと)く、

斜めに刻み附(つ)けられた

桟敷形(がた)の伊香保(いかほ)の街。



屋根の上に屋根、

部屋の上に部屋、

すべてが温泉宿(やど)である。

そして、榛(はん)の若葉の光が

柔かい緑で

街全体を濡(ぬら)してゐる。



街を縦に貫く本道(ほんだう)は

雑多の店に縁(ふち)どられて、

長い長い石の階段を作り、

伊香保(いかほ)神社の前にまで、

H(エツチ)の字を無数に積み上げて、

殊更(ことさら)に建築家と絵師とを喜ばせる。







市に住む木魂





木魂(こだま)は声の霊、

如何(いか)に微(かす)かなる声をも

早く感じ、早く知る。

常に時に先だつ彼女は

また常に若し。



近き世の木魂(こだま)は

市(いち)の中、大路(おほぢ)の

並木の蔭(かげ)に佇(たゝず)み、

常に耳を澄まして聞く。

新しき生活の

諧音(かいおん)の

如何(いか)に生じ、

如何(いか)に移るべきかを。



木魂(こだま)は稀(まれ)にも

肉身(にくしん)を示さず、

人の狎(な)れて

驚かざらんことを怖(おそ)る。

唯(た)だ折折(をりをり)に

叫び且(か)つ笑ふのみ。







M氏に





小高(こだか)い丘の上へ、

何(なに)かを叫ぼうとして、

後(あと)から、後(あと)からと

駆け登つて行(ゆ)く人。



丘の下には

多勢(おほぜい)の人間が眠つてゐる。

もう、夜(よる)では無い、

太陽は中天(ちうてん)に近づいてゐる。



登つて行(ゆ)く人、行(ゆ)く人が

丘の上に顔を出し、

胸を張り、両手を拡げて、

「兄弟よ」と呼ばはる時、

さつと血煙(ちけぶり)がその胸から立つ、

そして直(す)ぐ其(その)人は後ろに倒れる。

陰険な狙撃(そげき)の矢に中(あた)つたのである。

次の人も、また次の人も、

みんな丘の上で同じ様に倒れる。



丘の下には

眠つてゐる人ばかりで無い、

目を覚(さま)した人人(ひとびと)の中から

丘に登る予言者と

その予言者を殺す反逆者とが現れる。



多勢(おほぜい)の人間は何(なに)も知らずにゐる。

もう、夜(よる)では無い、

太陽は中天(ちうてん)に近づいて光つてゐる。







詩に就(つ)いての願(ねがひ)





詩は実感の彫刻、

行(ぎやう)と行(ぎやう)、

節(せつ)と節(せつ)との間(あひだ)に陰影(かげ)がある。

細部を包む

陰影(いんえい)は奥行(おくゆき)、

それの深さに比例して、

自然の肉の片はしが

くつきりと

行(ぎやう)の表(おもて)に浮き上がれ。



わたしの詩は粘土細工、

実感の彫刻は

材料に由(よ)りません。

省け、省け、

一線も

余計なものを加へまい。

自然の肉の片はしが

くつきりと

行(ぎやう)の表(おもて)に浮き上がれ。







宇宙と私





宇宙から生れて

宇宙のなかにゐる私が、

どうしてか、

その宇宙から離れてゐる。

だから、私は寂(さび)しい、

あなたと居ても寂(さび)しい。

けれど、また、折折(をりをり)、

私は宇宙に還(かへ)つて、

私が宇宙か、

宇宙が私か、解(わか)らなくなる。

その時、私の心臓が宇宙の心臓、

その時、私の目が宇宙の目、

その時、私が泣くと、

万事を忘れて泣くと、

屹度(きつと)雨が降る。

でも、今日(けふ)の私は寂(さび)しい、

その宇宙から離れてゐる。

あなたと居ても寂(さび)しい。







白楊のもと





ひともとの

冬枯(ふゆがれ)の

円葉柳(まろはやなぎ)は

野の上に

ゴシツク風の塔を立て、



その下(もと)に

野を越えて

白く光るは

遠からぬ

都の街の屋根と壁。



ここまでは

振返(ふりかへ)り

都ぞ見ゆる。

後ろ髪

引かるる思ひ為(せ)ぬは無し。



さて一歩、

つれなくも

円葉柳(まろはやなぎ)を

離るれば、

誰(たれ)も帰らぬ旅の人。







わが髪





わが髪は

又もほつるる。

朝ゆふに

なほざりならず櫛(くし)とれど。



ああ、誰(たれ)か

髪美(うつ)くしく

一(ひと)すぢも

乱さぬことを忘るべき。



ほつるるは

髪の性(さが)なり、

やがて又

抑(おさ)へがたなき思ひなり。







坂本紅蓮洞さん





わが知れる一柱(ひとはしら)の神の御名(みな)を讃(たた)へまつる。

あはれ欠けざることなき「孤独清貧(せいひん)」の御霊(みたま)、

ぐれんどうの命(みこと)よ。



ぐれんどうの命(みこと)にも著(つ)け給(たま)ふ衣(きぬ)あり。

よれよれの皺(しは)の波、酒染(さかじみ)の雲、

煙草(たばこ)の焼痕(やけあと)の霰(あられ)模様。



もとより痩(や)せに痩(や)せ給(たま)へば

衣(きぬ)を透(とほ)して乾物(ひもの)の如(ごと)く骨だちぬ。

背丈の高きは冬の老木(おいき)のむきだしなるが如(ごと)し。



ぐれんどうの命(みこと)の顳(こめかみ)は音楽なり、

断(た)えず不思議なる何事(なにごと)かを弾きぬ。

どす黒く青き筋肉の蛇の節(ふし)廻し………



わが知れる芸術家の集りて、

女と酒とのある処(ところ)、

ぐれんどうの命(みこと)必ず暴風(あらし)の如(ごと)く来(きた)りて罵(のゝし)り給(たま)ふ。



何処(いづこ)より来給(きたま)ふや、知り難(がた)し、

一所(いつしよ)不住(ふぢゆう)の神なり、

きちがひ茄子(なす)の夢の如(ごと)く過ぎ給(たま)ふ神なり。



ぐれんどうの命(みこと)の御言葉(みことば)の荒さよ。

人皆その眷属(けんぞく)の如(ごと)くないがしろに呼ばれながら、

猶(なほ)この神と笑ひ興ずることを喜びぬ。







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