與謝野晶子 晶子詩篇全集











薔薇の陰影

   (雑詩廿五章)






屋根裏の男





暗い梯子(はしご)を上(のぼ)るとき

女の脚(あし)は顫(ふる)へてた。

四角な卓に椅子(いす)一つ、

側(そば)の小さな書棚(しよたな)には

手ずれた赤い布表紙

金字(きんじ)の本が光つてた。

こんな屋根裏に室借(まがり)する

男ごころのおもしろさ。

女を椅子(いす)に掛けさせて、

「驚いたでせう」と言ひながら、

男は葉巻に火を点(つ)けた。







或女(あるをんな)





舞うて疲れた女なら、

男の肩に手を掛けて、

汗と香油(かうゆ)の熱(ほて)る頬(ほ)を

男の胸に附(つ)けよもの。

男の注(つ)いだペパミント[#「ペパミント」は底本では「ペハミント」]

男の手から飲まうもの。

わたしは舞も知りません。

わたしは男も知りません。

ひとりぼつちで片隅に。――

いえ、いえ、あなたも知りません。







椅子の上





寒水石(かんすゐせき)のてえぶるに

薄い硝子(がらす)の花の鉢。

櫂(かひ)の形(かたち)のしやぼてんの

真赤(まつか)な花に目をやれば、

来る日で無いと知りながら

来る日のやうに待つ心。

無地の御納戸(おなんど)、うすい衣(きぬ)、

台湾竹(たいわんちく)のきやしやな椅子(いす)。

恋をする身は待つがよい、

待つて涙の落ちるほど。







馬場孤蝶先生





わたしの孤蝶(こてふ)先生は、

いついつ見ても若い方(かた)、

いついつ見てもきやしやな方(かた)、

品(ひん)のいい方(かた)、静かな方(かた)。

古い細身の槍(やり)のよに。



わたしの孤蝶(こてふ)先生は、

ものおやさしい、清(す)んだ音(ね)の

乙(おつ)の調子で話す方(かた)、

ふらんす、ろしあの小説を

わたしの為(た)めに話す方(かた)。



わたしの孤蝶(こてふ)先生は、

それで何処(どこ)やら暗い方(かた)、

はしやぐやうでも滅入(めい)る方(かた)、

舞妓(まひこ)の顔がをりをりに、

扇の蔭(かげ)となるやうに。







故郷



[#「故郷」は底本では「故」]





堺(さかい)の街の妙国寺、

その門前の庖丁屋(はうちよや)の

浅葱(あさぎ)納簾(のれん)の間(あひだ)から

光る刄物(はもの)のかなしさか。

御寺(おてら)の庭の塀の内(うち)、

鳥の尾のよにやはらかな

青い芽をふく蘇鉄(そてつ)をば

立つて見上げたかなしさか。

御堂(おだう)の前の十(とを)の墓、

仏蘭西船(フランスぶね)に斬(き)り入(い)つた

重い科(とが)ゆゑ死んだ人、

その思出(おもひで)のかなしさか。

いいえ、それではありませぬ。

生れ故郷に来(き)は来(き)たが、

親の無い身は巡礼の

さびしい気持になりました。







自覚





「わたしは死ぬ気」とつい言つて、

その驚いた、青ざめた、

慄(ふる)へた男を見た日から、

わたしは死ぬ気が無くなつた。

まことを云(い)へば其(その)日から

わたしの世界を知りました。







約束





いつも男はおどおどと

わたしの言葉に答へかね、

いつも男は酔(ゑ)つた振(ふり)。

あの見え透(す)いた酔(ゑ)つた振(ふり)。

「あなた、初めの約束の

塔から手を取つて跳びませう。」







涼夜(りやうや)





場末(ばずゑ)の寄席(よせ)のさびしさは

夏の夜(よ)ながら秋げしき。

枯れた蓬(よもぎ)の細茎(ほそぐき)を

風の吹くよな三味線(しやみせん)に

曲弾(きよくびき)の音(ね)のはらはらと

螽斯(ばつた)の雨が降りかかる。

寄席(よせ)の手前の枳殻垣(きこくがき)、

わたしは一人(ひとり)、灯(ひ)の暗い、

狭い湯殿で湯をつかひ、

髪を洗へば夜(よ)が更ける。







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