與謝野晶子 晶子詩篇全集











女、女、

女は王よりもよろづ贅沢(ぜいたく)に、

世界の香料と、貴金属と、宝石と、

花と、絹布(けんぷ)とは女こそ使用(つか)ふなれ。

女の心臓のかよわなる血の花弁(はなびら)の旋律(ふしまはし)は

ベエトオフエンの音楽のどの傑作にも勝(まさ)り、

湯殿に隠(こも)りて素肌のまま足の爪(つめ)切る時すら、

女の誇りに印度(いんど)の仏も知らぬほくそゑみあり。

言ひ寄る男をつれなく過ぐす自由も

女に許されたる楽しき特権にして、

相手の男の相場に負けて破産する日も、

女は猶(なほ)恋の小唄(こうた)を口吟(くちずさ)みて男ごころを和(やはら)ぐ。

たとへ放火(ひつけ)殺人(ひとごろし)の大罪(だいざい)にて監獄に入(い)るとも、

男の如(ごと)く二分刈(にぶがり)とならず、黒髪は墓のあなたまで浪(なみ)打ちぬ。

婦人運動を排する諸声(もろごゑ)の如何(いか)に高ければとて、

女は何時(いつ)までも新しきゲエテ、カント、ニウトンを生み、

人間は永久(とこしへ)うらわかき母の慈愛に育ちゆく。

女、女、日本の女よ、

いざ諸共(もろとも)に自(みづか)らを知らん。







鬱金香





黄と、紅(べに)と、みどり、

生(なま)な色どり……

粉細工(しんこざいく)のやうなチユウリツプの花よ、葉よ。

それを活(い)ける白い磁の鉢、

きやしやな女の手、

た、た、た、た、と注(さ)す水のおと。

ああ、なんと生生(いきいき)した昼であろ。

粉細工(しんこざいく)のやうなチユウリツプの花よ、葉よ。







文の端に





皐月(さつき)なかばの晴れた日に、

気早(きばや)い蝉(せみ)が一つ啼(な)き、

何(なに)とて啼(な)いたか知らねども、

森の若葉はその日から

火を吐くやうな息をする。



君の心は知らねども……







教会の窓





崖(がけ)の上なる教会の

古びた壁の脂(やに)の色、

常に静かでよいけれど、

高い庇(ひさし)の陰にある

円(まる)い小窓(こまど)の摺硝子(すりがらす)、

誰(たれ)やら一人(ひとり)うるみ目に

空を見上げて泣くやうな、

それが寂(さび)しく気にかかる。







裏口へ来た男





台所の閾(しきゐ)に腰すゑた

古(ふる)洋服の酔(ゑ)つぱらひ、

そつとしてお置きよ、あのままに。

ものもらひとは勿体(もつたい)ない、

髪の乱れも、蒼(あを)い目も、

ボウドレエルに似てるわね。













つやなき髪に、焼鏝(やきごて)を

誰(た)が当(あ)てよとは云(い)はねども、

はずみ心に縮らせば、

焼けてほろほろ膝(ひざ)に散り、

半(なかば)うしなふ前髪の

くちをし、悲し、あぢきなし。

あはれと思へ、三十路(みそぢ)へて

猶(なほ)人恋(こ)ふる女の身。







磯にて





浜の日の出の空見れば、

あかね木綿の幕を張り、

静かな海に敷きつめた

廣重(ひろしげ)の絵の水あさぎ。

(それもわたしの思ひなし)

あちらを向いた黒い島。







九段坂





青き夜(よ)なり。

九段(くだん)の坂を上(のぼ)り詰めて

振返りつつ見下(みお)ろすことの嬉(うれ)しや。

消え残る屋根の雪の色に

近き家家(いへいへ)は石造(いしづくり)の心地し、

神田、日本橋、

遠き街街(まちまち)の灯(ひ)のかげは

緑金(りよくこん)と、銀と、紅玉(こうぎよく)の

星の海を作れり。

電車の轢(きし)り………

飯田町(いひだまち)駅の汽笛………

ふと、われは涙ぐみぬ、

高きモンマルトルの

段をなせる路(みち)を行(ゆ)きて、

君を眺めし

夕(ゆふべ)の巴里(パリイ)を思ひ出(い)でつれば。







年末





あわただしい師走(しはす)、

今年の師走(しはす)

一箇月(いつかげつ)三十一日は外(よそ)のこと、

わたしの心の暦(こよみ)では、

わづか五六日(ごろくにち)で暮れて行(ゆ)く。

すべてを為(し)さし、思ひさし、

なんにも云(い)はぬ女にて、

する、する、すると幕になる。







市上





騒音と塵(ちり)の都、

乱民(らんみん)と賤民(せんみん)の都、

静思(せいし)の暇(いとま)なくて

多弁の世となりぬ。

舌と筆の暴力は

腕の其(そ)れに劣らず。

ここにして勝たんとせば

唯(た)だ吠(ほ)えよ、大声に吠(ほ)えよ、

さて猛(たけ)く続けよ。

卑しきを忘れし男、

醜きを耻(は)ぢざる女、

げに君達の名は強者(きやうしや)なり。







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