與謝野晶子 晶子詩篇全集











小鳥の巣

   (押韻小曲五十九章)






小序。詩を作り終りて常に感ずることは、我国の詩に押韻の体なきために、句の独立性の確実に対する不安なり。散文の横書にあらずやと云ふ非難は、放縦なる自由詩の何れにも伴ふが如し。この欠点を救ひて押韻の新体を試みる風の起らんこと、我が年久しき願ひなり。みづから興に触れて折折に試みたる拙きものより、次に其一部を抄せんとす。押韻の法は唐以前の古詩、または欧洲の詩を参照し、主として内心の自律的発展に本づきながら、多少の推敲を加へたり。コンソナンツを避けざるは仏蘭西近代の詩に同じ。毎句に同韻を押し、または隔句に同語を繰返して韻に押すは漢土の古詩に例多し。(一九二八年春)





    ×

砂を掘つたら血が噴いて、

入れた泥鰌(どぢやう)が竜(りよう)になる。

ここで暫(しばら)く絶句して、

序文に凝(こ)つて夜(よ)が明けて、

覚めた夢から針が降る。

    ×

時に先だち歌ふ人、

しひたげられて光る人、

豚に黄金(こがね)をくれる人、

にがい笑(わらひ)を隠す人、

いつも一人(ひとり)で帰る人。

    ×

赤い桜をそそのかし、

風の癖(くせ)なるしのび足、

ひとりで聞けば恋慕(れんぼ)らし。

雨はもとより春の糸、

窓の柳も春の糸。

    ×

見る夢ならば大きかれ、

美(うつ)くしけれど遠き夢、

険(けは)しけれども近き夢。

われは前をば選びつれ、

わかき仲間は後(のち)の夢。

    ×

すべてが消える、武蔵野の

砂を吹きまく風の中、

人も荷馬車も風の中。

すべてが消える、金(きん)の輪の

太陽までが風の中。

    ×

花を抱きつつをののきぬ、

花はこころに被(かぶ)さりぬ。

論じたまふな、善(よ)き、悪(あ)しき、

何(なに)か此(この)世に分(わか)つべき。

花と我とはかがやきぬ。

    ×

凡骨(ぼんこつ)さんの大事がる

薄い細身の鉄の鑿(のみ)。

髪に触れても刄(は)の欠ける

もろい鑿(のみ)ゆゑ大事がる。

わたしも同じもろい鑿(のみ)。

    ×

林檎(りんご)が腐る、香(か)を放つ、

冷たい香(か)ゆゑ堪(た)へられぬ。

林檎(りんご)が腐る、人は死ぬ、

最後の文(ふみ)が人を打つ、

わたしは君を悲(かなし)まぬ。

    ×

いつもわたしのむらごころ、

真紅(しんく)の薔薇(ばら)を摘むこころ、

雪を素足で踏むこころ、

青い沖をば行(ゆ)くこころ、

切れた絃(いと)をばつぐこころ。

    ×

韻がひびかぬ、死んでゐる、

それで頻(しき)りに書いてみる。

皆さんの愚痴、おのが無智、

誰(た)れが覗(のぞ)いた垣の中(うち)、

戸は立てられぬ人の口。

    ×

泥の郊外、雨が降る、

濡(ぬ)れた竈(かまど)に木がいぶる、

踏切番が旗を振る、

ぼうぼうとした草の中

屑屋(くづや)も買はぬ人の故(ふる)。

    ×

指のさはりのやはらかな

青い煙の匂(にほ)やかな、

好きな細巻、名はDIANA(デイアナ)。

命の闇(やみ)に火をつけて、

光る刹那(せつな)の夢の華。

    ×

青い空から鳥がくる、

野辺(のべ)のけしきは既に春、

細い枝にも花がある。

遠い高嶺(たかね)と我がこころ

すこしの雪がまだ残る。

    ×

槌(つち)を上げる手、鍬(くは)打つ手、

扇を持つ手、筆とる手、

炭をつかむ手、児(こ)を抱く手、

かげに隠れて唯(た)だひとつ

見えぬは天をゆびさす手。

    ×

高い木末(こずゑ)に葉が落ちて

あらはに見える、小鳥の巣。

鳥は飛び去り、冬が来て、

風が吹きまく砂つぶて。

ひろい野中(のなか)の小鳥の巣。

    ×

人は黒黒(くろぐろ)ぬり消せど

すかして見える底の金(きん)。

時の言葉は隔(へだ)つれど

冴(さ)ゆるは歌の金(きん)の韻。

ままよ、暫(しばら)く隅(すみ)に居ん。

    ×

いつか大きくなるままに

子らは寝に来(こ)ず、母の側(そば)。

母はまだまだ云(い)ひたきに、

金(きん)のお日様、唖(おし)の驢馬(ろば)、

おとぎ噺(ばなし)が云(い)ひたきに。

    ×

ふくろふがなく、宵になく、

山の法師がつれてなく。

わたしは泣かない気でゐれど、

からりと晴れた今朝(けさ)の窓

あまりに青い空に泣く。

    ×

おち葉した木が空を打ち、

枝も小枝も腕を張る。

ほんにどの木も冬に勝ち、

しかと大地(たいち)に立つてゐる。

女ごころはいぢけがち。

    ×

玉葱(たまねぎ)の香(か)を嗅(か)がせても

青い蛙(かへる)はむかんかく。

裂けた心を目にしても

廿(にじふ)世紀は横を向く、

太陽までがすまし行(ゆ)く。

    ×

話は春の雪の沙汰(さた)、

しろい孔雀(くじやく)のそだてかた、

巴里(パリイ)の夢をもたらした

荻野(をぎの)綾子(あやこ)の宵の唄(うた)、

我子(わがこ)がつくる薔薇(ばら)の畑(はた)。

    ×

誰(た)れも彼方(かなた)へ行(ゆ)きたがる、

明るい道へ目を見張る、

おそらく其処(そこ)に春がある。

なぜか行(ゆ)くほどその道が

今日(けふ)のわたしに遠ざかる。

    ×

青い小鳥のひかる羽(はね)、

わかい小鳥の躍る胸、

遠い海をば渡りかね、[#「渡りかね、」は底本では「渡りかね、」」]

泣いてゐるとは誰(だ)れが知ろ、

まだ薄雪の消えぬ峰。

    ×

つうちで象をつうくつた[#「つうくつた」は底本では「つくつた」]、

大きな象が目に立つた、

象の祭がさあかえた、

象が俄(には)かに吼(ほ)えだした、

吼(ほ)えたら象がこおわれた。

    ×

まぜ合はすのは目ぶんりやう、

その振るときのたのしさう。

かつくてえるのことでない、

わたしの知つたことでない、

若い手で振る無産党。

    ×

鳥を追ふとて安壽姫(あんじゆひめ)、

母に逢(あ)ひたや、ほおやらほ。

わたしも逢(あ)ひたや、猶(なほ)ひと目、

載せて帰らぬ遠い夢、

どこにゐるやら、真赤(まつか)な帆。

    ×

鳥屋が百舌(もず)を飼はぬこと、

そのひと声に百鳥(ももどり)が

おそれて唖(おし)に変ること、

それに加へて、あの人が

なぜか折折(をりをり)だまること。

    ×

逆(さか)しに植ゑた戯れに

あかい芽をふく杖(つゑ)がある。

指を触れたか触れぬ間(ま)に

石から虹(にじ)が舞ひあがる。

寝てゐた豹(へう)の目が光る。

    ×

われにつれなき今日(けふ)の時、

花を摘み摘み行(ゆ)き去りぬ。

唯(た)だやさしきは明日(あす)の時、

われに著(き)せんと、光る衣(きぬ)

千(ち)とせをかけて手に編みぬ。

    ×

がらすを通し雪が積む、

こころの桟(さん)に雪が積む、

透(す)いて見えるは枯れすすき、

うすい紅梅(こうばい)、やぶつばき、

青いかなしい雪が積む。

    ×

はやりを追へば切りがない、

合言葉をばけいべつせい。

よくも揃(そろ)うた赤インキ、

ろしあまがひの左書(ひだりが)き、

先(ま)づは二三日(にさにち)あたらしい。

    ×

うぐひす、そなたも雪の中、

うぐひす、そなたも悲しいか。

春の寒さに音(ね)が細る、

こころ余れど身が凍(こほ)る。

うぐひす、そなたも雪の中。

    ×

あまりに明るい、奥までも

開(あ)けはなちたるがらんだう、

つばめの出入(でいり)によけれども

ないしよに逢(あ)ふになんとせう、

闇夜(やみよ)も風が身に沁(し)まう。

    ×

摘め、摘め、誰(た)れも春の薔薇(ばら)、

今日(けふ)の盛りの紅(あか)い薔薇(ばら)、

今日(けふ)に倦(あ)いたら明日(あす)の薔薇(ばら)、

とがるつぼみの青い薔薇(ばら)、

摘め、摘め、誰(た)れも春の薔薇(ばら)。

    ×

己(おの)が痛さを知らぬ虫、

折れた脚(あし)をも食(は)むであろ。

人の言葉を持たぬ牛、

云(い)はずに死ぬることであろ。

ああ虫で無し、牛でなし。

    ×

夢にをりをり蛇を斬(き)る、

蛇に巻かれて我が力

為(し)ようこと無しに蛇を斬(き)る。

それも苦しい夢か知ら、

人が心で人を斬(き)る。

    ×

身を云(い)ふに過ぐ、外(ほか)を見よ、

黙黙(もくもく)として我等あり、

我が痛さより痛きなり。

他(た)を見るに過ぐ、目を閉ぢよ、

乏しきものは己(おの)れなり。

    ×

論ずるをんな糸採(と)らず、

みちびく男たがやさず、

大学を出ていと賢(さか)し、

言葉は多し、手は白し、

之(こ)れを耻(は)ぢずば何(なに)を耻(は)づ。

    ×

人に哀れを乞(こ)ひて後(のち)、

涙を流す我が命。

うら耻(はづ)かしと知りながら、

すべて貧しい身すぎから。

ああ我(わ)れとても人の中(うち)。

    ×

浪(なみ)のひかりか、月の出か、

寝覚(ねざめ)を照(てら)す、窓の中。

遠いところで鴨(かも)が啼(な)き、

心に透(とほ)る、海の秋。

宿は岬の松の岡(をか)。

    ×

十国(じつこく)峠、名を聞いて

高い所に来たと知る。

世(よ)離(はな)れたれば、人を見て

路(みち)を譲らぬ牛もある。

海に真赤(まつか)な日が落ちる。

    ×

すべての人を思ふより、

唯(た)だ一人(ひとり)には背(そむ)くなり。

いと寂(さび)しきも我が心、

いと楽しきも我が心。

すべての人を思ふより。

    ×

雲雀(ひばり)は揚がる、麦生(むぎふ)から。

わたしの歌は涙から。

空の雲雀(ひばり)もさびしかろ、

はてなく青いあの虚(うつ)ろ、

ともに已(や)まれぬ歌ながら。

    ×

鏡の間(ま)より出(い)づるとき、

今朝(けさ)の心ぞやはらかき。

鏡の間(ま)には塵(ちり)も無し、

あとに静かに映れかし、

鸚哥(インコ)の色の紅(べに)つばき。

    ×

そこにありしは唯(た)だ二日、

十和田の水が其(そ)の秋の

呼吸(いき)を猶(なほ)する、夢の中。

痩(や)せて此頃(このごろ)おもざしの

青ざめゆくも水ゆゑか。

    ×

つと休らへば素直なり、

藤(ふぢ)のもとなる低き椅子(いす)。

花を透(とほ)して日のひかり

うす紫の陰影(かげ)を着(き)す。

物みな今日(けふ)は身に与(くみ)す。

    ×

海の颶風(あらし)は遠慮無し、

船を吹くこと矢の如(ごと)し。

わたしの船の上がるとき、

かなたの船は横を向き、

つひに別れて西ひがし。

    ×

笛にして吹く麦の茎、

よくなる時は裂ける時。

恋の脆(もろ)さも麦の笛、

思ひつめたる心ゆゑ

よく鳴る時は裂ける時。

    ×

地獄の底の火に触れた、

薔薇(ばら)に埋(うづ)まる床(とこ)に寝た、

金(きん)の獅子(しし)にも乗り馴(な)れた、

天(てん)に中(ちう)する日も飽(あ)いた、

己(おの)が歌にも聞き恍(ほ)れた。

    ×

春風(はるかぜ)の把(と)る彩(あや)の筆

すべての物の上を撫(な)で、

光と色に尽(つく)す派手。

ことに優れてめでたきは

牡丹(ぼたん)の花と人の袖(そで)。

    ×

涙に濡(ぬ)れて火が燃えぬ。

今日(けふ)の言葉に気息(いき)がせぬ、

絵筆を把(と)れど色が出ぬ、

わたしの窓に鳥が来(こ)ぬ、

空には白い月が死ぬ。

    ×

あの白鳥(はくてう)も近く来る、

すべての花も目を見はる、

青い柳も手を伸べる。

君を迎へて春の園(その)

路(みち)の砂にも歌がある。

    ×

大空(おほそら)ならば指ささん、

立つ波ならば濡(ぬ)れてみん、

咲く花ならば手に摘まん。

心ばかりは形無(かたちな)し、

偽りとても如何(いか)にせん。

    ×

人わが門(かど)を乗りて行(ゆ)く、

やがて消え去る、森の奥。

今日(けふ)も南の風が吹く。

馬に乗る身は厭(いと)はぬか、

野を白くする砂の中。

    ×

鳥の心を君知るや、

巣は雨ふりて冷ゆるとも

雛(ひな)を素直に育てばや、

育てし雛(ひな)を吹く風も

塵(ちり)も無き日に放たばや。

    ×

牡丹(ぼたん)のうへに牡丹(ぼたん)ちり、

真赤(まつか)に燃えて重なれば、

いよいよ青し、庭の芝。

ああ散ることも光なり、

かくの如(ごと)くに派手なれば。[#「なれば。」は底本では「なれば、」]

    ×

閨(ねや)にて聞けば[#「聞けば」は底本では「聞けは」]朝の雨

半(なかば)は現実(うつゝ)、なかば夢。

やはらかに降る、花に降る、

わが髪に降る、草に降る、

うす桃色の糸の雨。

    ×

赤い椿(つばき)の散る軒(のき)に

埃(ほこり)のつもる臼(うす)と杵(きね)、

莚(むしろ)に干すは何(なん)の種。

少し離れて垣(かき)越(こ)しに

帆柱ばかり見える船。

    ×

三(み)たび曲つて上(のぼ)る路(みち)、

曲り目ごとに木立(こだち)より

青い入江(いりえ)の見える路(みち)、

椿(つばき)に歌ふ山の鳥

花踏みちらす苔(こけ)の路(みち)。







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