ゲーテ詩集 生田春月訳





幸福と夢と


おまへはよくさうした夢をみた
ふたりが一緒に祭壇の前へ行く夢を
おまへは妻として、わたしは夫として
おまへが気をゆるしてゐる時に
わたしはおまへの口から取つた
取られるだけの接吻(くちつけ)

ふたりが味はつた清い幸福は
その多くの時間の楽しみは
時の流れと共に逃げてしまふ
楽しいと言つたところで何にならう?
夢のやうに熱い接吻(くちつけ)は消えてしまふ
さうして喜びはみな接吻(くちつけ)のやうなもの





生きた記念


愛する人のリボンと結飾(かざり)を奪つてやると
半ばはおこつて見せて半ばは許してくれる
それで君逹にはたくさんだとわたしは思ふ
君逹のさうした自欺(きやすめ)は許してあげる
面紗(・エル)や手巾や指輪や靴下は
まつたくつまらないものではない
だがわたしにはそれも十分ぢやない

彼女の生命(いのち)の生きた一片(ひときれ)
ちよいと拒んでみたあとで
最愛の人はわたしにくれた
するとあの立派な品もつまらなくなつてしまふ
そのがらくたどもをわたしは笑つてやる!
彼女はわたしに美しい恋をくれた
その美しい顔の飾りをば

たとひふたりが別れなければならなくとも
おまへはすつかり離れて行きはしない
眺めたり撫でたり接吻したりするために
おまへの紀念品(かたみ)は残つてゐる –
わたしの運命も似てゐるその髪に
我々は曾て彼女の傍でおなじ幸福を味はつたのに
今我々は彼女から遠ざかつてゐる

我々はしつかり彼女にまつはつて
そのまるい頬をなでてゐた
甘い望みに誘はれて
我々はゆたかな胸へすべり落ちた
おお嫉妬(ねたみ)を知らぬ競争者よ
汝ゆかしい贈物よ、汝美しい獲物よ
あの幸福な楽しい時を思ひ出させてくれ!





遠ざかつてゐる幸福


飲め、おお若者よ!神聖な幸福を
終日(いちにち)、愛する人の目つきから
(ばん)になると彼女の姿がおまへをとりめぐる
愛してゐるものはみなかうしたものだ
ところで幸福はだんだん大きくなる
愛する人から離れるだけ

永遠の力と、時間と、空間とは
星宿の力のやうにひそやかに
この血を揺(ゆす)ぶつて寝かしてしまふ
わたしの気持はだんだんやはらげられ
わたしの胸は毎日軽くなる
さうして幸福はだんだん増してくる

何処へ行つてもあの人のことが忘れられぬ
それでもわたしは落着いて食事が出来る
わたしの心は晴れやかに伸び伸びしてゐる
さうして目に見えない魔法の手が
愛の思ひを崇拝に変へ
慾望の念を敬慕にする

太陽の光に輝きながら
大気の中に漂うてゐる
軽い楽しい雲切れにもまして
わたしの心は安らかで喜ばしい
恐怖からは免(まぬ)がれ、嫉むには余りに大きく
わたしは愛する、永遠に彼女を愛する!





月の女神に


はじめの光の姉妹(はらから)
悲しんでゐるやさしい姿よ!
おまへのほれぼれとする顔のまはりに
霧は白銀(しろがね)の雨を漂はす
おまへの軽い足どりは
昼間は閉ざされてゐる洞窟(ほらあな)から
かなしく死んで行つた人たちを
わたしは、夜鳥(よどり)を呼び醒ます

隈なくおまへの眼は及ぶ
限りも知れぬ遠くまで
わたしをおまへの傍に引上げて
その幸福に酔はせてくれないか!
落着いた楽しい心持で
悪智慧に長(た)けたこの騎士は
あの格子戸の硝子越しに
その少女(むすめ)の夜毎の眠が見たいのだ
かうして眺めてゐる幸福は
遠く離れてゐる苦痛をやはらげる
それでわたしはおまへの光を集め
わたしの眼をもつと鋭くする
あらはな身体のまはりは早やも
だんだん明るくなつて行く
さうして彼女はわたしを引き寄せる
おまへが昔エンディミオンにしたやうに






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