フランツ・カフカ 城 

 庭の門が開き、弱そうな小馬に引かれた、座席などはない、まっ平らな、軽い荷物用の小さなそりが出てきた。そのあとから男が出てきたが、腰をかがめ、よわよわしそうで、びっこをひき、痩せた、赤い、鼻風邪をひいたような顔をしていた。その顔は、頭のまわりにしっかと巻いた毛のショールのために、かくべつ小さく見えた。男は明らかに病気で、ただKを追い払うことができるようにというので、出てきたのだった。Kはそんな見当のことをいってみたが、男は手を振って押しとどめた。この男が馭者(ぎょしゃ)のゲルステッカーという者であり、この乗り心持の悪いそりをもってきたのは、ちょうどこれが用意されていたからで、ほかのそりを引き出すのならばあまりに時間がかかっただろう、ということだけをKは聞かされた。
「おかけなさい」と、男はいって、鞭でうしろのそりを示した。
「君と並んで坐ろう」と、Kはいった。
「わしは歩くよ」と、ゲルステッカーがいった。
「いったいなぜだい?」と、Kはたずねた。
「わしは歩くよ」と、ゲルステッカーはまた同じ言葉をいい、咳の発作(ほっさ)を起こした。発作のために身体がひどくふるえるので、足を雪のなかにふん張り、両手でそりのへりにつかまらないでいられなかった。Kはそれ以上一こともいわないで、うしろのそりに腰を下ろした。咳はおもむろに鎮まり、二人は出かけた。
 Kが今日のうちにいけると思ったあの上のほうの城は、すでに奇妙に暗くなっていたが、またもや遠ざかっていった。しばしの別れのためにKに合図をしなければならぬとでもいうかのように、城では鐘の音が、悦ばしげに羽ばたくような調子で鳴りわたった。胸が漠然(ばくぜん)と慕っているものの実現するのが近そうなことを告げるかのように、――というのは、その響きは胸に痛みをおぼえさせるのだった――少なくとも一瞬のあいだは胸をゆするような鐘の音であった。しかし、まもなくこの大きな鐘の音も沈黙して、別な弱い単調な小さな鐘の音にとってかわられた。その鐘の音は、おそらくやはり上のほうからくるのだろうが、おそらくもう村に入ったあたりで鳴っているのであった。もちろん、この鐘の響きのほうが、のろのろしたそりの歩みと、見すぼらしいが頑固でもあるこの馭者とに、いっそうぴったりするものだった。



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