受話器からはぶんぶんいう音が聞こえてきた。Kはこれまでに電話でこんな音を聞いたことがなかった。まるで無数の子供の声のざわめきから――しかし、このざわめきもじつはざわめきではなく、遠い、遠い声が歌っている歌声のようだったが――このざわめきから、まったくありえないようなやりかたでただ一つの高くて強い声がつくり上げられるようであり、耳を打つその声は、ただ貧弱な聴覚よりももっと奥深くにしみとおることを要求するかのようであった。Kは、電話もかけないでその声をじっと聞いていた。左腕を電話台に託したまま、耳を傾けていた。
どれくらいのあいだそうしていたのか、Kにはわからなかった。亭主が上衣を引っ張って、彼に使いの者がきた、というまで、そうしていた。
「じゃまだ!」と、Kは思わず叫んだが、おそらく電話へどなってしまったらしかった。というのは、だれかが電話に出たのだった。そして、次のような対話の運びとなった。
「こちらはオスワルトですが、そちらはどなた?」と、その声が叫んだ。きびしそうな、高慢な声で、ちょっとした言葉の誤りがあるようにKには思われた。その声は、きびしそうな調子をさらに加えることによって、そうした言葉の誤りを打ち消してしまおうとしていた。Kは、自分の名前をいうことをためらった。電話に対しては彼は無防備であり、相手は大きな声で彼をおどしつけることもできるし、受話器を投げ出すこともできるのだった。そうすれば、Kはおそらく、まんざらつまらないものでもない自分の進路をみずから遮断(しゃだん)してしまうことになるだろう。Kのためらいが相手の男をいらいらさせた。
「そちらはどなたです?」と、相手はくり返し、こうつけ加えた。「そちらからあんまり電話をかけてよこさないと、私にはありがたいのですが。ついさっきも電話がかかってきましたよ」
Kはこの言葉にはおかまいなしに、突然決心してこういった。
「こちらは測量技師さんの助手です」
「どの助手ですか? だれですか? どの測量技師ですか?」
Kはきのうの電話の対話を思い出した。
「フリッツにきいて下さい」と、Kはぶっきらぼうにいった。彼自身驚いたのだが、これがよかった。だが、それがよかったこと以上に、城の事務が一貫していることに驚いてしまった。返事はこうであった。
「もう知っています。永遠の測量技師ですね。そう、そう。で、それから? なんという助手です?」
「ヨーゼフです」と、Kはいった。彼の背後で農夫たちのつぶやく声が少しばかりじゃまになった。彼らは、Kがほんとうの名前をいわなかったことに承知できないらしかった。しかし、Kはその連中などに気を使っている暇はまったくなかった。というのは、電話の話が彼の緊張をひどく要求するのだった。
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